キリスト教と左派
私も今度のことで、金正恩にどの程度キリスト教の影響があり得るか調べてみようとしたのですが、今のところ具体的なことは見つかりません。ただ、ブログにも書きましたが、韓国のカリタス・コリアやパリ外国宣教会、韓国司教会議などを通じたNGOなどのパイプは、現在、しっかりつながっているようです。ピョンヤンのカトリック教会のミサに参加したフランス人ジャーナリストのドキュメントも見ました。アラブにおけるイスラミストと違って、民族宗教でもないこういうところから「民主化」へのきっかけができるといいのに、と思っています。
弱者の側に立つとか、飢えた人に食べさせ、渇いた人に飲ませる、というのはキリスト教の基本姿勢なので、それは「政治的中立」に優先すると私は思います。
ただし、それを「日本政府」がどうとか「韓国政府」がどうとかという政治的言説にして批判するとしたら、日本のキリスト教協議会は、自国の信徒や一般人の「空気を読めない」ことはなはだしいですね。たとえばミッションスクールのカルチャーとしてのキリスト教シンパや信者の人に対しては、逆効果もいいところでしょう。
政治的な公正とか中立とかは、時代や状況によって変わるものですし、党派がどうあれ、明らかな「犠牲者」の側に立つアクションというのは、「無関心」や「見て見ぬふり」よりずっとましなことだと思います。今年の3月の時点で本当に韓国政府がNGOの食料援助を規制していたのだとしたら、キリスト教組織による抗議は必要だったのかもしれません。
今年はアフリカでもひどい飢餓難民が出ましたが、普段は帝国主義的姿勢をとったり移民に差別したりしているヨーロッパ諸国が毎日のようにキャンペーンを繰り広げ、大騒ぎして援助に駆けつけたのを見ると、「偽善者ですか、キリスト教的自己満足ですか」という突っ込みも喉から出そうになりますが、飢えている人の立場に立てばやはり、健全な反応かなあと思います。政治的な右や左の問題じゃなくて、強者と弱者の問題でしょう。
フランスのカトリックはもちろん、「保守」の側に秤が傾いていますが、「社会福祉」もその「保守」に組み込まれています。「カトリック左派」というのももちろんいますが、フランスで「左派」で活動しようと思ったら宗教色を出さずに政教分離の「共和国主義」の看板を掲げることになります。日本のキリスト教が左派的言動を表に出すことがあるのは、それだけ、日本の「左派」というのが消滅に近い状況にあるからなのかもしれません。それはそれで心配です。多様な抵抗勢力がある社会の方が、一部の強者の暴走を牽制できるでしょうから・・・
弱者の側に立つとか、飢えた人に食べさせ、渇いた人に飲ませる、というのはキリスト教の基本姿勢なので、それは「政治的中立」に優先すると私は思います。
ただし、それを「日本政府」がどうとか「韓国政府」がどうとかという政治的言説にして批判するとしたら、日本のキリスト教協議会は、自国の信徒や一般人の「空気を読めない」ことはなはだしいですね。たとえばミッションスクールのカルチャーとしてのキリスト教シンパや信者の人に対しては、逆効果もいいところでしょう。
政治的な公正とか中立とかは、時代や状況によって変わるものですし、党派がどうあれ、明らかな「犠牲者」の側に立つアクションというのは、「無関心」や「見て見ぬふり」よりずっとましなことだと思います。今年の3月の時点で本当に韓国政府がNGOの食料援助を規制していたのだとしたら、キリスト教組織による抗議は必要だったのかもしれません。
今年はアフリカでもひどい飢餓難民が出ましたが、普段は帝国主義的姿勢をとったり移民に差別したりしているヨーロッパ諸国が毎日のようにキャンペーンを繰り広げ、大騒ぎして援助に駆けつけたのを見ると、「偽善者ですか、キリスト教的自己満足ですか」という突っ込みも喉から出そうになりますが、飢えている人の立場に立てばやはり、健全な反応かなあと思います。政治的な右や左の問題じゃなくて、強者と弱者の問題でしょう。
フランスのカトリックはもちろん、「保守」の側に秤が傾いていますが、「社会福祉」もその「保守」に組み込まれています。「カトリック左派」というのももちろんいますが、フランスで「左派」で活動しようと思ったら宗教色を出さずに政教分離の「共和国主義」の看板を掲げることになります。日本のキリスト教が左派的言動を表に出すことがあるのは、それだけ、日本の「左派」というのが消滅に近い状況にあるからなのかもしれません。それはそれで心配です。多様な抵抗勢力がある社会の方が、一部の強者の暴走を牽制できるでしょうから・・・