keiさまへ
教皇と正当防衛については前に少し書きました。
http://spinou.exblog.jp/22507342/
ユダについては、そうですね、ユダの罪が少しずつ「人間だもの」みたいな許され方をする傾向は、もしそれが「裏切りを正当化する」ものならポジティヴとは言えません。
でも、これまでユダ一人を悪者にしたてて責任転嫁してきたやり方よりも、ユダ程度の裏切りは「人間だもの」と認めることで逆に、誰でもユダになり得る、それをどう克服するかという一般論の方向に行くならポジティヴかもしれません。
「人間だもの」で許すのではなくて、それを克服しようとするのもまた人間的な営為だと思います。
原罪は「蛇=サタン」の誘惑のせいということで、人間が皆断罪されるかわりに、「悪の誘惑をどうしたら斥けられるか」という方向にスライドしていく場合、ネガティヴではないと思います。でも、ユダの場合はいくら「サタンが彼の中に入った」せいだと言っても、ユダという人間が悪と同義にされて否定されるのだとしたら、それは「救いの対象になるすべての人」を人が勝手に「仕分け」してしまうことになるので、いろいろな差別と共通の根を持つことになるでしょう。
出来心だとか小さな裏切りは、ほとんどは大した結果を生みませんが、運が悪いと大きな災厄を引き起こします。そういう例は少ないのかもしれませんが、それをたいそうに言い立ててもらった方が、自分も含めて凡人には抑止力になるかも、とも思います。
多くの人が、「ユダが悪い、神殺しだ」のように短絡化してやってきた歴史は不思議でもあります。でも、「悪いのはいつも自分や自分たちの仲間ではない誰か」という言説を人は信じたいのかもしれません。
ユダがいるのはやはり普通の人の心の中、なのかもしれませんね。
http://spinou.exblog.jp/22507342/
ユダについては、そうですね、ユダの罪が少しずつ「人間だもの」みたいな許され方をする傾向は、もしそれが「裏切りを正当化する」ものならポジティヴとは言えません。
でも、これまでユダ一人を悪者にしたてて責任転嫁してきたやり方よりも、ユダ程度の裏切りは「人間だもの」と認めることで逆に、誰でもユダになり得る、それをどう克服するかという一般論の方向に行くならポジティヴかもしれません。
「人間だもの」で許すのではなくて、それを克服しようとするのもまた人間的な営為だと思います。
原罪は「蛇=サタン」の誘惑のせいということで、人間が皆断罪されるかわりに、「悪の誘惑をどうしたら斥けられるか」という方向にスライドしていく場合、ネガティヴではないと思います。でも、ユダの場合はいくら「サタンが彼の中に入った」せいだと言っても、ユダという人間が悪と同義にされて否定されるのだとしたら、それは「救いの対象になるすべての人」を人が勝手に「仕分け」してしまうことになるので、いろいろな差別と共通の根を持つことになるでしょう。
出来心だとか小さな裏切りは、ほとんどは大した結果を生みませんが、運が悪いと大きな災厄を引き起こします。そういう例は少ないのかもしれませんが、それをたいそうに言い立ててもらった方が、自分も含めて凡人には抑止力になるかも、とも思います。
多くの人が、「ユダが悪い、神殺しだ」のように短絡化してやってきた歴史は不思議でもあります。でも、「悪いのはいつも自分や自分たちの仲間ではない誰か」という言説を人は信じたいのかもしれません。
ユダがいるのはやはり普通の人の心の中、なのかもしれませんね。