睡蓮さま
そうですね。でも、Ite, missa est、っていうか、教会を出た瞬間から信仰をどう生きるかが問題ですね。教会の中の言葉や典礼やシンボルを外の世界に出すというのではなくて、どこでも、その場にいる一番立場の弱い人を助けるとか、誰かを愛することができなくても絶対にリスペクトするとか、昨日のブログにも書きましたが、望んでいる善を実行してみるとか、やはり他者との関係の中で生きないと意味がないと思います。神を愛するのと隣人を愛するのはセットになっているはずですから。
今のフランスで「アイデンティティとしてのカトリック」が政治的に利用されている風潮がありますが、キリスト教は帰属ではなくて「生き方」だと思います。
映画のロドリゴがその後どのように生きたのかはわかりませんが。
大義は死ぬためにあるのではなく生きるためにある、と思いたいです。
今のフランスで「アイデンティティとしてのカトリック」が政治的に利用されている風潮がありますが、キリスト教は帰属ではなくて「生き方」だと思います。
映画のロドリゴがその後どのように生きたのかはわかりませんが。
大義は死ぬためにあるのではなく生きるためにある、と思いたいです。