1 2 3 まい · 2008-12-27 00:17:15 UTC+9 · 投稿 #503
こんにちわ。いつぞやはグアダルーペのまりあ様のことでお世話になりましたまいです。ちょくちょくこのサイトを拝見していたのですが、書き込む勇気はありませんでした。ブログも大変興味深く拝見しております。特にun droit a la fragiliteの概念はとても面白いと思いました。弱いものを擁護し援助するのではなくて、弱いものでいる権利、壊れものでもいいではないか、という風に理解しました. これは主に信仰上の概念なのですか? それと、質問なのですがカトリックはヨガなどの東洋思想はどのように位置づけているのですか?毎日の黙想という雑誌をときたま読んでますが、聖霊がガイドしてくれる、とか神は内なるなかに、とか夢には神のメッセージがあるかも、とか大きな流れにそって、とかなんだか、とてもヨガ・東洋思想っぽい気がするのは私だけでしょうか?
西村光弘 · 2008-12-16 17:42:35 UTC+9 · 投稿 #502
お返事ありがとうございました。こちらの返事が送れすみません。 11月の終わりから東京に帰っていたので、11月29、30日のクリスマスプレゼント用作品展示販売会には、伺えず残念でした。 また別の折にでもお目にかかれたら嬉しいです。
phantom · 2008-12-14 16:07:54 UTC+9 · 投稿 #501
12月12日のブログの記事、最高にぐっときました。 日本における宗教についての見解、ずーっと個人的に感じていた事が 書かれていて、なんだかすっとしました。 雑誌『ジッポウ』に見られる様な、ロハス、セカンドライフに癒着した 仏教のあり方は、努力が感じられていいけれど、でも伝統宗教ならば もっと他にできることがあるのでは、と思ってました。ロハスだの 一日坐禅体験に興味がある人はきっとお手軽なスピリチュアルとデトックスを 体験したいだけでそれほど精神的、社会的に逼迫している人ではないでしょう。 本当に苦しんで、あえいでいる人はあんなにライトなテイストの雑誌に 手を伸ばすゆとりもないはず。 もちろんそれは仏教に限った事ではなくて、カトリックも同じですね。 日本のカトリックワールドは完全に閉鎖社会。信者獲得なんて もはや目指そうとすらしていませんよ。カトリック系出版のどの雑誌、どの本に 目を通しても、自分達の世界の中の事だけ。それを外に発信し、苦しんでいる 人をどうにか助けようなんて姿勢は見られない。 ようやく起こした宗教的自己主張が4世紀前の殉教者の称揚・・・って、 これは思っている人はいても、絶対口にできないことですね。思わず笑ってしまいました。 また身内だけのマイワールドで、自己完結??しかもなんで今?そう感じていました。 (もちろん、上記に殉教者そのものを貶める意味合いは全くありません) 仏教にしろ、カトリックにしろ、今彼らが起こしているアクションに リアクションが取れるのは、割合元気な人達だけでしょう。 そこが引っかかるのです。宗教ってそんなんだったっけ?と、素朴に疑問を抱くのです。 冷静に宗教界を外側から客観視してくださる人はほとんどいません。 だからこそ、竹下さんの文章にぐっときました。その姿勢、大好きです。 また同日の記事「壊れものである権利」に、思わず泣いてしまいました。 竹下さんの文章に、胸を突かれました。こんなに優しく素敵な文章を書いてくださって ありがとうございます。「ポジティヴシンキング」「成功」「自己実現」は 無邪気な笑顔で蔓延していますが、それがどれだけ天真爛漫に人を追い詰めている事か。 私も自分の弱い所に神を受け入れて、人とつながり支えあいたい。 強くそう感じました。 とりとめもない駄文を失礼致しました。 とにかく本当に、素敵な文章をありがとうございますと御礼を伝えたかったのです。 ずっとずっと応援しています。ほんと大好きです。
Sekko · 2008-11-19 13:19:37 UTC+9 · 投稿 #498
ちょっと取り込んでおりまして帰仏を延ばしたので、お返事遅れてすみません。
私のアソシエーションで29,30日にクリスマスプレゼント用の作品展示販売を行います。
http://kapizo.hp.infoseek.co.jp/noel2008.htm 私ももちろん顔を出します。
私たちは、オーケストラ譜を移調はしていますが、基本的に全パートを再現しています。まあ、テクニック的には困難になるんですが。最初のCDの時に比べて今はずっと進化しています。Youtube に入れたラモーとか観てくだされば分かると思いますが。
しかし、移調しているので、歌を入れるのは結構難しいのです。歌のメロディをフルートでやってもらうことはないでもないんですが。メンバーの一人は別のトリオをやっていまして、それはギターと歌とヴィオラの一種でYoutube
にもたくさんのせているので、フランスに帰ってから紹介しますよ。
西村光弘 · 2008-11-01 00:22:08 UTC+9 · 投稿 #496
こんにちは、CD「ルイ15世時代のオペラ・バレエ音楽」を購入して、聴かせていただきました。面白かったです。オーケストラの曲をギター三本のために編曲するのは、苦労がいるのではないかと思います。その大変さを超えて、ミオンの曲を紹介したいというお気持ちが強いのではないかとお察ししました。ミオンのオペラの歌曲を、歌とギターのトリオで演奏したりはなさらないのですか?
Fusako · 2008-10-27 00:03:40 UTC+9 · 投稿 #495
みきさんが、ずるい人が得をする、ということについて書いておられましたが、わたしが感じるのは、日本の社会には、社会で共通して「善し」とする価値や目標がなく(フランスでは、「ソリダリテ」などが共通の価値なのでは?)、個別の小さい集団の人間関係の規制のみが強いために、生活や仕事が、その生活・仕事本来の論理で進まず、人間関係によってゆがめられて、「まともな生活」「まともな仕事」を維持するのが難しくなってきていることです。ですから、「ずるい人」、というよりも、生活や仕事の筋は二の次で人間関係をうまくわたる人」が得をするシステムではありますね。ですし、共通の価値がない、というところに、カルトが入ってくる、という気もしています。この日本のあり方って、コミュノタリズムとも違うとわたしは思っているのですが。
Sekko · 2008-10-20 17:01:28 UTC+9 · 投稿 #494
フランスの教会は時々、ホームレス不法移民とか住み着いていただいるようです。ノラネコ保護したら信者さんにも励みになるかも、ですね。 ネコには原罪がないって感じがするので、原罪がない人は救いを信じる必要もないんですから、信者になる必要もないですよね。 フランスにはたまに、動物の祝福をしてくれる教会がありますね。昔の農村地帯では馬牛山羊などが大事なのでわりとよくあったみたいです。そういうフォークロニックな伝統を残す教会の一部は、ローマ教会の「近代化」の度にカトリックから離脱してしまいました。昔は(ひょっとしたら今も?)、日曜に聖体をいただいたのをそっと隠して持って帰って病気の馬や牛に食べさせた、という話もあると読んだことがあります。イエスは自分を裏切ると分かっていたユダにだって最後のパンとワインを分け合ったんだから、別に目くじらたてないかもしれませんね。 日本のネコマンガも好きですが、こちらでは手に入らないので、なごみたい時は、ネットで「にゃんねる」ブログを眺めたりしてます。もちろん本物のネコがすぐそばにいるんですが、ネコ好き同士の馬鹿話を聞くのってなぜかなごむんですよね。 さっきも開いたら、野外で寝転んで星空観測してるうちに眠ってしまい、ふと目が覚めたら腹の上と両脇と片脚にネコがぴったりくっついていた人の話があって、そこについてたコメントが、 ねこ1「倒れてる人間がいるにゃっ」 ねこ2「温めれば助かるかもしれんにゃ」 ねこ3「たすけるにゃ!」 ねこ4「たすけるにゃ!」 というもので、笑いました。ネコが人間を湯たんぽがわりにしてるのはみんな知ってるのに、こう見ちゃうことの、幸せ。 周りの人間のことだと、生活保護を受けてる人のことさえ税金泥棒とか批判する人がいるし、不公平がどうのこうの、という話ばかり聞くと、ネコに対する人の心の動きを観察することで、人に対しても真の友愛の感覚っていうのを活性化できるんじゃないかと思いますね。それとも、異種の方が愛しやすいんでしょうか。
迷える大羊 · 2008-10-18 23:19:08 UTC+9 · 投稿 #493
ブログにも書かれてましたし、HPのコーナーにもありますけど、SEKKO先生、猫好きなんですね。私も好き。もっとも、飼う気はない、というかマンションなので飼えないし、世話もできないってこともあるけど、都会や人里に生きる野良猫観察が好きなんですよね~。仕事で疲れたり、イヤなことあると、自由に生きる野良猫がうらやましくなることも(彼らの世界は彼らの世界でいろいろあるんだろうけど) 最近出入りしている教会にも住み着いているネコが3匹ほどいますが、彼らはミサの式次第覚えちゃったかな?猫は信者になれるのか?とついしょうもないこと考えちゃいました。
みき · 2008-10-13 18:02:25 UTC+9 · 投稿 #492
とってもうれしかったです。今日まで三連休でまた明日から学校がはじまります。 おかげで学校に行く気力が出てきました。明日は休もうかと思ってたんですが、がんばって出勤してみます。竹下さんの言葉は奥が深くて心がいつも心が揺さぶられます。 学校は三鷹市にあり久我山の近くなんですよ。先生なのに表向きな体裁を気にして取り繕っている方たちが多くうんざりしてるところでした。でもいい格好をしなければいけない仕事だからこそ、そうなってしまうのかとも思いました。少しプラス思考になれるよう努力してがんばってみます。 11月是非会いたいです。連絡しますね。いつもありがとうございます。
Sekko · 2008-10-13 17:31:09 UTC+9 · 投稿 #491
みきさん、お久しぶりです。じゃあ、ちゃんと無事に「先生」を続けてるんですね。すてきなことじゃないですか。自分のスキルを活かして子供たちに音楽を教えて、自立もできてるんだし、雇用も安定しているんだから、安心だし、立派ですよ。いい事と悪いことをリストアップすると、誰でもネガティヴなことばかりが拡大して優先的に出ますが、それは生存戦略としてケアできることはするために必要なんでしょう。 良いことと悪いことが隣あわせってこと自体は、「人間万事塞翁が馬」とか「禍福はあざなえる縄のごとし」とかいうくらいなので、一般的な人生の知恵なんだと思います。お天気と同じで、雨ばかりってこともないし、風もやむし、晴ればかりだとまた乾燥しすぎってこともありますから、自分にとって運気だと思えるようなものは変化する方が全体としてバランスが取れてるんだと思います。 ものすごく大変なことが降りかかった時、特に自分の周りの人がとても苦しんでいるとかいう時は、悩んでる暇もないくらいのことが多いので、「悪いことだらけ」って落ち込んだり「ずるい人が得をする」って腹をたてられるのは、まだ余裕があるからかも、です。その余裕の部分を「良いこと」に振り向けてください。「良いこと」が難しそうなら、なにか「善いこと」に。 キリスト教では、そうですね、一応は、本来、善悪2元論的なとらえ方と戦っていています。いい事と悪い事がある、というとらえ方では、常に、では全能の神はなぜ悪の存在を許すのだ、とか、いいものを創った神と悪いものを創った神と二人いるのだ、とか、この世は汚れている姿だから早く肉体を離れた方がいい、みたいな考え方が出てくるからです。だから、基本的に、何が良いことで何が不幸なのかは、それこそ神のみぞ知る、で、私たちが安易に判断して勝手に絶望してはいけない、と思っておけばいいのではないでしょうか。 「ずるい人が得をする」というのは、損得の問題なら、得をしている人の影に損をしてる人がいるわけで、それがゲームであればしょうがないですが、強い立場の人が弱い立場の人を一方的に踏みつけにしてるとしたら、それは逃げずに、ちゃんと正していかなくてはだめだと思います。 「ずるい人」の中には、「ずるいこと」に対して全く罪悪感を持てない人もいるんで、でもそんな人たちも「ずるいこと」を白日のもとにさらされるのは嫌、という恥の感覚はあることは多いので、告発されたらやめる、というケースも少なくないです。だから、「不正」に敏感であることは必要だと思います。 こういう人間性や、ずるい人が得をしがちな社会の仕組みって、残念ながら日本だけじゃないですよ。でも、あり得ませんが、たとえばみきさんが、「おかげさまで、私、ズルをして得できたので幸せです。」なんて、報告してくるよりも、「生きにくい」と歎く方が、いいですよ。疲れたときにSOSを発して下さるのは歓迎です。それだけでもちょっと安心できます。 11月上旬当たり日本にいますので、連絡してください。
みき · 2008-10-13 04:41:53 UTC+9 · 投稿 #490
竹下さん、大変お久しぶりです。もう、1年くらい前になりますがエコールノルマルのセティフィカの訳ありがとうございました。まだ、十分お礼もできなくてすみません。 いつも辛い時だけメール等してしまってごめんなさい。このサイトには、元気がないときにちょくちょくアクセスさせて頂いて元気も頂いてたのですが、最近悪い出来事が多くて、もう生きる気力がないんです。うつ病かも~!! キリスト教では悪いことと良いことは隣り合わせだと、どこかできいた覚えがあるのですが それは本当ですか?だとしたら私はこれからこの悪いことだらけの毎日から逃れられますかね?なんだか日本社会に疲れました。まだ、中学校の先生をしてるのですが日本ではずるい人が得をしているような気がします。またいつか旅行でいいのでフランスに行けることを願ってます。
太陽丸 · 2008-09-25 12:18:12 UTC+9 · 投稿 #489
そうですね、外部の力で何かを解決する癖をつけると、よくない感じは確かにあります。自分自身の力を信じられなくなりそうですし。 精神の遊びの部分と現実的な面のバランスをまめにチェックしたほうが良いと思いました。 あと、そろそろ、仕事がひと段落つきましたら、少しずつフランス語も勉強していきたいと思う今日この頃です。 ありがとうございました。
朝川 渉 · 2008-09-24 19:42:30 UTC+9 · 投稿 #488
被造物という言葉は知っていましたが、あらゆるものが被造物だという考え方はしていませんでした。というよりも、聖書とは縁遠いので「被造物」という単語から啓発される機会はないし、何も連想しなかったのですけど。 でもカトリック=普遍という公式がなんとなく分かったような気になります。人間中心や自分中心の枠組みだと、この枠を超える大きなものを認めるのは大変ですね。 1569年に行われた日乗上人対フロイスおよびロレンソによる宗論が何を問題にしていたのか、どこで認識がずれていたのかも、ようやくわかってきました。 この宗論は、日乗上人がデウスをみせろと要求したのに対して、ロレンソは、人間は普遍的原因から出た者にすぎないから、人間はデウスを見ることができないという話だったかと思います。厳密には誤解があるとは思いますが、至らぬ点はご容赦ください。
Sekko · 2008-09-23 18:42:55 UTC+9 · 投稿 #487
『コンタクト』って映画、見てないんですよ。興味はあったんですが・・ 昨日、『カトリック生活』の連載のためにUFOと宇宙人ネタを書いたところです。宇宙人とか天文学者とか、超越神は実はけっこう親和性があるんですよね。 つまり、宇宙人だとか、未確認なんたらのような「不思議」なことも、みんな「被造物」としては同列なんで、存在することもできるし調べることもできるという感じです。それは、「自然」や「宇宙」を人間を超えたものとして神格化する考えより時として自由です。いわゆる原理主義的な天地創造観は別ですけど。
朝川 渉 · 2008-09-22 21:15:03 UTC+9 · 投稿 #486
無神論といえば、ジョディ・フォスターが主演した映画「コンタクト」を思い出します。もう10年前の映画です。ヒロインは天文学者ですが無神論なので、学会から手厳しく批判される内容だったと思います。率直なところ、映画は何を問題にしているのか、ちょっとわからなかったです。だから、竹下さんがどんな観察をなさるのか楽しみにしています。
Sekko · 2008-09-21 01:44:23 UTC+9 · 投稿 #485
ご愛読ありがとうございます。 実は、宗教質問箱の方にも書いたばかりなのでそちらも見ていただきたいのですが、別に私は、白魔術とか信じてるわけではありません。 こちらにはそういう本もサイトも多いですが、奇跡のダイエットサプリなんかと同じで、いかによく効くかということを読めば読むほど、私自身は気持ちが萎えます。ろうそくの魔術の本も、参考図書として買ったのですが、私は別にやってません。 魔術というか、自然や外部の世界をいかにコントロールするかという欲望が科学を発展させてきたので、その恩恵を受けている私は、先人の実験精神を尊敬します。 でも、現在見られる「白魔術」的なものに、本当に何かエビデンスがあものがあるのか、私には全然わかりませんし、そういうサイトスイはみな「あやしい」という偏見や先入観がありますので、私にはとてもお教えするものはありません。 でも、他人に迷惑をかけず、自分で納得がいくものなら、白魔術を試してみること自体は別にいいんじゃないでしょうか。何か楽しい結果があれば教えていただきたいくらいです。お役にたてなくてごめんなさい。 スピリチュアルの本は、何かそういう途方もない、そして真偽の確認のしようもない話を読んだりきいたりするのは好きなんで、紹介したくなったのです。精神に遊びの部分をとっておくのは大事だと今も思います。でも、深刻な問題ならあまりスピリチュアルな何かに賭けすぎないほうがいいのでは・・・
太陽丸 · 2008-09-20 17:09:27 UTC+9 · 投稿 #484
先日、以前から気になっていた「大人のためのスピリチュアル超入門」を八重洲ブックセンターで購入し、拝読しましたところ白魔術の記述があり、これまではうさんくさいイメージがありましたが竹下さんが紹介しているので説得力を感じました。 早速、小さい白い蝋燭を100円ショップで買い、スーハーしながら見つめましたが、効果はあったのでしょうか?多分、色とかも目的ごとに違うんですよね。 もし、よろしかったら信頼のおける白魔術のサイトを教えていただけませんでしょうか?
Sekko · 2008-09-19 22:41:05 UTC+9 · 投稿 #483
このように言っていただけて嬉しいです。励みになります。
今は無神論についての本を準備中で、無神論について書くことが信仰について書くことになるという技を模索中です。
頭が無神論になったり、自由思想者になったり、俯瞰的に見るので上から目線で傲慢になったり、偉大な信仰者や哲学者を見ては卑屈になったり、揺さぶられ続けています。
「律法は、それが与えなかったところのものを命じた。
恩寵は、それが命じるところのものを与える。」
という言葉、気に入っています。
自己愛から真に抜け出すには、自己の中に神を見つけるしかないのだなあ、と、最近実感しています。
文化や宗教や歴史によってヴァリエーションはあれど、信仰者は自己愛との戦いの連続みたいです。自己愛とか鎮護国家とかを支えてくれる、「困った時の神頼み」の「神」がつくづく懐かしいこの頃です・・・・
最近ブログをやってるので、そちらにもどうぞ。
http://spinou.exblog.jp/ 内海望 · 2008-09-19 09:17:24 UTC+9 · 投稿 #482
竹下節子様 私はルーテル教会の引退牧師です。老人ホームの理事長職(非常勤)の傍ら、小さい書物を書いたり、おりおり説教者として招かれたりという生活をしています。引退者の典型的な生活です。 まったく偶然、「ヨセフ」に出会って、本当にうれしく思いました。文章の切れ味も素晴らしいし、歴史を見る視点が本当に感動的でした。現役のころからずっと気になっていたのが教会史でした。この年になっても、新しい感動を味わえたのは感謝です。 今後の著作も楽しみです。 九十九里 内海 望
イシカワ · 2008-08-20 20:33:07 UTC+9 · 投稿 #481
お手紙ありがとうございました。 パソコンがないので、娘のパソコンからおじゃましました。
西村光弘 · 2008-07-22 07:01:07 UTC+9 · 投稿 #480
早速読んでいただきありがとうございました。ご意見どうもありがとうございました。 『アルセスト』論争の後10年くらいして新旧論争が本格的に始まると、宗教と政治をペローは密接に絡めて発言をするようになると思います。「世俗的な主題」に対する「敬虔な主題」の優位という位階序列掲げ「敬虔な主題」を扱えと迫ってきます。それに対して、古代派は抵抗するという構図です。ペローは理性と感覚の位階序列も付けます。なので、音楽は感覚に最も訴えるため、最も端っこに追いやられることになります。 宗教を考えずに新旧論争を考えることはできません。宗教は私自身不勉強なので、勉強しなければと思っています。
Sekko · 2008-07-20 18:30:27 UTC+9 · 投稿 #479
大筋はその通りだと思います。 あの時代の古典の優劣について、他のパラメートル、というより、通低に流れていて重要なのは、「救済論」だと私は見ています。単にレトリックじゃなくて、みんな死ぬ前には本気で気にしてたみたいだし。 つまり、古代の哲学者、論理学者、文学者らは「真実」には迫っていたが、「キリスト教を知らなかったので、救いの前には無知だった=救いからは排除されていた」と言う前提があり、それは、古代研究や古代賛美の「大前提」であり、その自由を保証するものでした。 そしてキリスト教の神の絶対性と優越性を保証することは、絶対王権の担保として欠かせなかったわけです。しかし、ローマ教皇の権力を迂回するために、フランス王の賛美には古代のアナロジーが有効でした。 権力者が、「王」になった後、いかにして自分を「神」にするか、神になるか、というテクは、ナポレオンにも継承され、フランス・バロック・オペラはその豊かな源泉になっていたと思いますね。
西村光弘 · 2008-07-17 18:42:05 UTC+9 · 投稿 #478
私も権力をキーワードに、新旧論争の前哨戦『アルセスト』論争を捉えて論文を書いています。読んでいただけたら大変嬉しいです。私のメールアドレスを載せてあります。ご連絡いただければ、wordで原稿をお送りさせていただきます。 まだこれから研究をして、長い論争を追っかけていかなければならないのですが、おぼろげながら、近代派が新しい啓蒙の世紀へ繋がるのではなく、古代派がこれへと繋がっていくのかなと思っています。 音楽の面では、面白いことに近代派が支持するのは実はその当時だんだんと古くなりつつあったポリフォニー音楽です。権力と音楽ジャンルやスタイルとがどう結びつくのか気になるところです。
Sekko · 2008-07-16 20:22:43 UTC+9 · 投稿 #477
この文学論争は進歩主義史観と黄金時代史観のイデオロギー対立、または古代のパガニズム倫理観とキリスト教価値の対立みたいなコンテキストで語られがちですが私は全く別の見方をしています。 それは権力の誘惑とその表現という見方です。 それには、16世紀のProsimetre の成立と、フランスのバロックオペラにおける序幕の成立、さらに、革命後ナポレオン1世の紋章やシンボルつくりに果たしたフランス・バロックの表象という4世紀にわたる流れを見なくてはなりません。かなり興味深いのですが、4世紀にわたる視野を持つ研究書にはであったことがないので、全部手探りということです。 西村さんのこれからの課題で、文学論争が音楽スタイルとどう関わっていくのかもスリリングなところですね。
西村光弘 · 2008-07-16 01:10:51 UTC+9 · 投稿 #476
こんにちは、お元気ですか。 日本の大学に提出するために論文を書いています。1674年に上演されたリュリのオペラ『アルセスト』にまつわる論争についてです。論争は、シャルル・ペローとラシーヌの間で繰り広げられた文学論争です。古代と現代とで趣味は変わるのかということが、議論されています。なぜ2人はこれを議論したのか、背景を考察してみました。 これがあと2,3日で終わると、新旧論争の中で扱われた音楽についての研究に取り掛かります。こちらを今回フランスで勉強しに来ました。ポリフォニーかホモホニーかの議論になると思います。
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