謹賀新年

謹賀新年

Sekko · 2011-01-06 06:58:48 UTC+9 · 投稿 #540

年末年始でバタバタしていてお返事遅れてすみません。

まず最初の話。

金持ちの青年の救いの話の方ですが、これについてはいろいろな人が解説しているし、説教も読めるので、ネットで検索してみてください。

ポイントは、後半にあるのだとは言えます。

つまり、金持ちが天の国に入るのはほとんど不可能(だってらくだが針の穴を通る方より難しいんですからね)なのですが、そういういろいろな掟だの条件を超えて、

「人間にできることではないが、神には何でもできる」

というところであって、人間が掟をあげつらって完全になるとか天国に行くとかについて仕分けすることはできない、というのが分かります。

確かに初期キリスト教会はかなり原始共産制に近かったですが、それはイデオロギーではなかったし、支配のツールでもなかったわけです。

次のダビデの依怙贔屓ですが、これはもう、キリスト教的には、ナザレのイエスが人と神との新しい関係に入って行くにあたって、どのような文化的、歴史的、宗教的な文脈に現れたのかということを知るための大きな流れとして読んでいくしかないですね。

まあ、政治や権力を担う人を宗教のリーダーになる、あるいは、宗教のリーダーが政治や軍事のリーダーになると、いつの時代も結局は大変なことになるわけで、だからこそ神はついに自分の独り子を武器を持たさずに送りこんだということになるのかもしれません。

ダビデというと、去年の夏に広尾の山種美術館に行くために恵比寿から歩いて行くとミケランジェロの巨大ダビデ像の型どりコピーが道路沿いに立っているのでびっくりしたのを思い出します。ゴリアトを投石で殺した若きダビデはそれなりにオーラがありますが・・・

アメリカのメガ伝道師たちは、アブラハムもダビデもソロモンも経済的に恵まれていたのだから宗教的指導者が経済的に恵まれることは望ましいのだと堂々と言ったりしているようなんですが、これはもう、キリスト教と違いますよね。

キリスト教のメッセージで何が本質的なのかというのは、素直に読めばキャッチできると思います。多分大羊さんも分かっていらっしゃるのでしょうが、どうしてもダビデの所業やその評価なんかが気になるあたり、それは、ひょっとして、別のレベルの不信感が形を変えて現れているような気がします。まあ、今年もぼちぼち行ってください。