2012年の投稿

日常に深く根付くように

mimemegene · 2012-02-20 13:09:04 UTC+9 · 投稿 #597

仏文を下さって,ありがとうございます.
その後少しネットを見ましたら,作者Saint Augustineとして
St.Augustineへの母St.Monicaの言葉
上記とHolland師の合体
の2バージョンがありました.
いずれもアメリカに住むカトリック信者のサイトで見ました.母St,Monicaの出典は調べていません.
『ホランド師の説教の一部とアウグスティヌスの祈りの最後の部分が合体したようです。』という竹下様のご指摘のとおりですし,『祈りというものはこうして語り継がれていく』という推測の通りでした.
ありがとうございます.

味わったり,祈ったりして,深く感じられるようにしてみようと思います.
各国で,この祈りが,葬儀とその後の日常に深く根付くようにと願ってやみません.


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St.Augustineへの母St.Monicaの言葉

Words of Saint Monica’s Soul to Saint Augustine

If you love me, do not weep. If you only knew the gift of God and what Heaven is! If only you could hear the angels’ song from where you are, and see me among them! If you could only see before your eyes the eternal fields with their horizons, and the new paths in which I walk! If only you could contemplate for one moment the Beauty that I see, Beauty before which all others fail and fade!

Why do you who saw me and loved me in the land of shadows, why do you think you will not see me and love me again in the land of unchanging realities?

Believe me, when death breaks your chains as it has broken mine, when, on the day chosen by God, your soul reaches Heaven where I have preceded you, then you will see her who loved and still loves you. You will find her heart the same, her tenderness even purer than before.

God forbid that on entering a happier life, I should become less loving, unfaithful to the memories and real joys of my other life. You will see me again transfigured in ecstasy and happiness, no longer waiting for death, but ever hand with you, walking in the new paths of light and life, slaking my thirst to the full at the feet of God from a fount of which one never tires, and which you will come to share with me.

Wipe away your tears, and if you love me truly, weep no more.

Saint Augustine
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上記St.AugustineとHollandの合体

If You Love Me, Do Not Cry

If You Love Me, Do Not Cry
Don’t cry if you love me
If you know God’s grace
And what Heaven is like,
If you were able to listen
To the angel songs
And you see me among them,
If you were able to think for awhile
About the beauty
That no other beauty can match,
Wipe your tears and do not cry,
If you love me.
Death is nothing.
It is just having moved to the other side.
I am still what I am and you are still what you are.
What we used to be for each other is still the same.
Call me by the name you used to.
And talk to me as you have done before.
Do not use a different tone.
Do not be rigid or sad.
Continue to laugh about what used to make us laugh.
Pray for me.
Smile.
Think of me and pray with me.
Let my name be mentioned at home as before.
Without any exaggeration or distress.
Life continues to mean what it always did.
And it is still the same
The thread did not break.
Do you feel I have become outside of your thoughts
Because I am far from your sight?
No.
I am not far from you.
I am just on the other side of the road,
And everything is fine.
You will find my heart and my love pure.
Wipe your tears and do not cry.
If you love me.
St. Augustine

ハイブリッド

sekko · 2012-02-20 04:14:15 UTC+9 · 投稿 #596

ありがとうございます。

夏葉日記のことは知りませんでしたが、今読んでみたら、最後の

「あなたは私の心をまた見つけるでしょうその中で純化したやさしさといっしょに。
涙をふいて。もし私を愛しているなら、泣かないで」、という文はありませんね。

それでまたフランス語のウェブをあれこれ検索しましたら、ドミニコ会やらベネディクト会の紹介している「アウグスティヌスの祈り」がありまして、中身は違うのですが、「涙をふいて、もし私を愛しているなら、泣かないで」、で終わっています。
「あなたは私の心を・・・」の部分も入っています。出典はありません。死者を悼む祈りのアンソロジーには必ず入っているようです。

でも、アウグスティヌスの『「泣かないで」の祈り』で検索すると、私の訳した文も出てきて、これを葬儀ミサで読んだ、慰められた、という人の手記が少なからずあります。

経緯はわからないのですが、1990年代からこのテキストが多用されるようになったそうで、ホランド師の説教の一部とアウグスティヌスの祈りの最後の部分が合体したようです。「泣かないで」というのを最初に持ってきたものもあります。前回書きましたように、ペギー訳ということに関しては学者から反論が出ていますが、アウグスティヌスのものと合体しているという指摘をしている人は、ネット上ではまだ見つかりません。

文学や神学の研究の過ちではなく、実際の葬儀ミサで読まれて広がったということで看過されているのでしょう。
フランスだけでこういう現象が起きているのかどうかわかりませんが、アウグスティヌスの部分が入ったことで、より胸に響くようになったと思います。国王の死の説教から、愛する人の死の方により親密にシフトしたような。

祈りというものはこうして語り継がれていくのだなあと思います。

私はソレンヌの葬儀で読まれたもののヴァージョンを訳したので文脈上出典は気にしませんでした。それを読んだお兄さんの感じていただろうように訳しただけです。

このような祈りに著作権やら商業的意味があるわけではありませんから、こうして「出会い」のきっかけになったことを感謝するばかりです。

PS 参考にアウグスティヌスの方のフランス語をコピーしておきます。
ここでは、亡くなった方が天に行って、そこがどんなに美しくて幸せか、とあり、見つける「心」は神の心だと解釈できます。

Si tu savais le don de Dieu et ce qu’est le ciel,

Si tu pouvais d’ici entendre le chant des anges et me voir au milieu d’eux,

Si tu pouvais voir se dérouler sous tes yeux les horizons et les champs éternels, les nouveaux sentiers où je marche,

Si un instant tu pouvais contempler comme moi la Beauté devant laquelle toutes les beautés pâlissent …

Quoi ? Tu m’as vu, tu m’as aimé dans le pays des ombres, et tu ne pourrais ni me voir, ni m’aimer encore dans le pays des immuables réalités ?

Crois-moi, quand la mort viendra briser tes liens comme elle a brisé ceux qui m’enchaînaient, et quand un jour que Dieu connaît, et qu’Il a fixé, ton âme viendra dans le ciel où l’a précédée la mienne, ce jour-là tu reverras Celui qui t’aimait et qui t’aime encore, tu retrouveras Son cœur, tu en retrouveras les tendresses épurées…

A Dieu ne plaise qu’entrant dans une vie plus heureuse, infidèle aux souvenirs et aux vraies joies de mon autre vie, je sois devenu moins aimant !

Tu me reverras donc, transfiguré dans l’extase et le bonheur, non plus attendant la mort, mais avançant d’instant en instant avec toi, qui me tiendras la main, dans les sentiers nouveaux de la Lumière et de la Vie, buvant avec ivresse aux pieds de Dieu un breuvage dont on ne se lasse jamais et que tu viendras boire avec moi …

Essuie tes larmes et ne pleure pas si tu m’aimes !…

心からの感謝を!

mimemegene · 2012-02-19 22:36:44 UTC+9 · 投稿 #595

ご返事に心から感謝します.
こんなにも長文の概要を教えて下さったご親切に,とても感激しております.
『両親との「別れ」はその意味で「新しい出会い」でもありました。その「出会い」からずいぶん力をもらえたようにも思います。mimemegeneさんもそんな思いがおありになったのではないでしょうか。』と,私のことを思いやって下さり,本当に安らぎます.
私にも帰天した両親との「新しい出会い」が沢山あります.
そして両親だけでなく,他にも幾人かの出会いが続いています.
この他にも私の体験では,死後10年以上経っているのに生身のままのご遺体に聖なる業を見たことや,霊操の体験で多くの恵みをいただきました.
向きあうようにイエスが現れたという人も沢山知っています.
竹下様がおっしゃるように,出会いが恵みだと実感しています.
今日は,聖三木図書館に行って,竹下様の著書を沢山読みました.所蔵数が多くて,一日では読みきれませんでした.

もうお読みかもしれませんが,
夏葉社刊「さよならのあとで」は,その夏葉日記という創業者のブログの2012.01.16(mon)に,
「1月27日に一編の詩とイラストの本を刊行いたします。
3年前、僕は、一番の親友であった従兄を、事故で亡くしました。
以来、創業時から、祈るような気持ちで、この本をつくってきました。
みながみな、いいという詩ではありません。
けれど、僕が、この詩に慰められたように、この詩が、かなしんでいる人の心を、ほんの少しでも、支えてくれたら、と願っています。
なお、この詩の訳者は匿名ですが、その方もまた、大切な家族を失っています。
下記に、全詩を、引用いたします。。。。。」
と書かれています.創業は09年.
1995年の竹下様の訳出文が,上記の方々にとって,「新たな出会い」になっているように思えてなりません.
("Death Is Nothing at All "(ISBN-13: 978-0285628243, Souvenir Pr Ltd UK)が1994年に出版されていて,日本のアマゾンでも買えるようになっていますね.)

私が祈りたいのは,竹下様の訳出文が,日本の司牧者にとって「新たな出会い」になってほしいことです.
竹下様の訳出文のまま複数サイトで掲載されていますし,著書もあるのに,残念です.
カトリックは特に「自死」を通年で取り上げていますが,多くの方がご存知だと嬉しいです.

mimemegeneさまへ

sekko · 2012-02-19 07:50:45 UTC+9 · 投稿 #594

あのテキストは、フランスでは「アウグスティヌスの祈り」として今でも、教会での葬儀ミサで読まれることがかなり多いものです。最近では女優のアニー・ジラルドの葬儀で読まれたはずです。
いろいろなところに引用もされています。

ソレンヌの葬儀の時にもそのタイトルで読まれ採録されていたので、私は現代フランスの標準的死生観の一端としてあの本にその部分をフランス語から訳して収録したわけです。

すると、このテキストに感動したという声があり、同じものがその後、雑誌に一度、単行本『大人のためのスピリチュアル超入門』(中央公論新社)にも採録されました。

そんなわけで、非常に気になっていたのですが、実は、フランスでそう言われているだけで、元はイギリスの国教会司祭Henry Scott Holland(1847-1918)の説教(1910にエドワード7世の遺体がウェストミンスターに安置公開されていた間の5月15日、セイント・ポール大聖堂で話したもの)の一部なのです。

そして、これは真偽は定かではないですが、それをフランス語に訳したのがシャルル・ペギーだそうで、その訳文があまりにも感動的なのでペギーの祈りとも呼ばれているのです。(ペギー研究者は1996年にこれを否定しています。)

また、今でも、Holland師がアウグスティヌスのテキストにインスパイアされてこれを語ったという話もあるので、もともとがどこにあったのかは私には分かりません。説教全文の中でアウグスティヌスに触れたのかどうか、全文を読んでいないので確かめていません。イギリスでもこの部分だけが語り継がれているように思います。

私もとても気に入ったので、本の中では、若くして命を絶ったソレンヌや遺族に思い入れを入れて日本語訳しました。その思いが通じたのか、それが今でも、mimemegeneさんの慰めとなったことは望外です。

とにかく、英語の原文だったと思われるテキストは今はネットでも読めます。英語では、以下の通りです。フランス語にはかなりヴァリエーションもあります。

? Death is nothing at all, I have only slipped away into the next room.

I am I, and you are you.

Whatever we were to each other, that we still are.

Call me by my old familiar name, speak to me in the easy way which you always used, put no difference in your tone, wear no forced air of solemnity or sorrow.

Laugh as we always laughed at the little jokes we shared together.

Let my name ever be the household word that it always was.

Let it be spoken without effect, without the trace of a shadow on it.

Life means all that it ever meant.

It is the same as it ever was.

There is unbroken continuity.

Why should I be out of mind because I am out of sight?

I am waiting for you, for an interval, somewhere very near, just around the corner.

All is well. ?


フランス語や英語では、「私」や「あなた」という人称代名詞にいろいろな思いを込められますが、日本語では、故人や遺族に合わさないとしっくりこないこともありますね。

その『ヨーロッパの死者の書』を書いてから現在までの間に私は両親を次々と亡くしましたが、両親が別の形ですぐそばにいてくれることは実感しました。生前、日本とフランスにわかれていた頃よりもずっと近くの感じです。

私には死者が勝手に千の風になって吹き渡るとは思えませんが、互いに思いを残した者同士が想起し合うとき、生きていた時のさまざまな障害(距離とか病気とか老いとか・・)を越えてより親密な深い場所で何かが起こるような気がします。両親との「別れ」はその意味で「新しい出会い」でもありました。その「出会い」からずいぶん力をもらえたようにも思います。mimemegeneさんもそんな思いがおありになったのではないでしょうか。

そんなわけで、ちゃんとお答えできなくて申し訳ありません。それでも、このテキストの価値には変わらないと思います。

ご質問していただいたおかげで、ようやくこの件についてくわしく書くことができました。ありがとうございます。

(ここまで書いた後で、思い立って日本語で検索したら、ホランドの詩として『さよならのあとで』というタイトルで今年の1月27日に夏葉社から絵本が発売されているようです。知りませんでした。ごめんなさい。)

聖アウグスティヌスのテキスト

mimemegene · 2012-02-18 10:27:56 UTC+9 · 投稿 #593

竹下様
初めてお尋ねします.面識も得ずに失礼します.

私は「ヨーロッパの死者の書」を拝読し,3回読み直しました.
著書に出会ったのは,図書館で,バルタザールの「過越の神秘」の直ぐ側にあったからです.
もう10年ほど前になりますが,母の葬儀の際,私は「別れは小さな死」というフレーズを言いましたら,司式司祭が「死は小さな別れ」と言い直してくれました.
このニュアンスが心にとどまっていて,いつか解きほぐしたいと思っていました.
文中に深く思考された方の心を感じて,沢山慰められました.本当にありがとうございます.

それで,私なりに調べてみましたが,素養がないため,探せず,ご示唆をお願いしたいことがございます.

ソレンヌへの葬送の辞として兄が選んだ12頁掲載の聖アウグスティヌスのテキストは,どの著書の何巻かをご存じないでしょうか?

どうか,ご返事を下さいますように,お願いいたします.

和多田 敦子さま

sekko · 2012-02-06 21:18:04 UTC+9 · 投稿 #592

ユダヤ民族が多神教だったというより、彼らを取り巻く世界全体が多神教だったと思います。その中で、「アブラハムの神」「イサクの神」のような部族神への信仰が生まれて、その後、出エジプトの試練の中で一神教的な優越神が生まれ、それでも、すこし落ち着くと周りの他の神に目移りする人は多く、バビロン捕囚などの新たな苦難を経て、ようやく、一神教の形ができたというのが今の歴史学の通説ですね。Jean Bottéro の『神の誕生』という本に詳しく解説されていました。今検索したら日本語版も出ていました。『神の誕生―メソポタミア歴史家がみる旧約聖書 』(ヨルダン社)

旧約時代

和多田 敦子 · 2012-02-06 11:20:53 UTC+9 · 投稿 #591

アブラハムの時代は多神教だったのでしょうか?

潜在意識の奥深さ

エトワール · 2012-01-15 11:38:07 UTC+9 · 投稿 #590

素晴らしい回答をありがとうございました。この事件については、You tubeの映像なども多く、遺族や当時の関係者の証言なども見ることができます。40年ほど前の事件ですが、歴史に残る事件ではあると思います。私が長年疑問に思い考えていたところと、ほぼ同じ見解の回答を拝見して、ほっとしました。ここまで極端な事例ではなくても、似たようなことは、身の回りに意外にたくさんあるのではないだろうか思います。人間の潜在意識の問題は、本当に奥深いものだということを実感いたします。

悪魔憑き

Sekko · 2012-01-15 04:18:35 UTC+9 · 投稿 #589

映画は見ていません。

この事件のことは読んだことはあります。

私は、生きている人から発せられているにせよ死んだ人からにせよ悪意を持ったサイコエネルギーとか逆に善意のエネルギーなどが、生きている人に影響を及ぼすことがある、ということは信じられるのですが、この事件の場合は違うような印象を持ちます。特に、いわゆる「憑依」現象で、ルシファーだとかネロとかヒトラーとか、固有名詞が出てくるようなのはただの文化的表象だと思います。

このアンヌリーズさんが、幼い時は非常に熱心なカトリックであったことや、てんかん、統合失調、ジストニア(不随意運動)、ジル・トゥーレット症候群、多重人格、記憶障害など、複合した神経疾患を発症していたらしいことを考えると、「信仰や祈り」に拠ってもそれが治らないことへの絶望から「悪魔憑き」に逃避した(それを言いだしたのは彼女自身だそうなので)のは十分あり得ると思います。

そこで悪魔祓いをしたのは「火に油を注ぐ」ようなものでかえってそこにのめり込むことになった気がします。

私が親だったら、「悪魔を祓う」という方向より、むしろ、彼女が崇敬していたらしい聖母の巡礼地に連れて行くなど、「恩寵」をもらえるという期待の方に誘導していったでしょう。何らかの演出というか、お話しの道筋をつけることは、薬の服用と並行して有効かもしれませんから。

プラセーボとしても、「悪魔祓い」によって悪魔のパフォーマンスを全開させるのはよくなかったと思います。若いのだからとりあえず点滴などで栄養確保して、ひたすら休ませる方がよかったとは思いますが、重症だったのでしょうから症状が軽減したかどうかは分かりません。この事件のように餓死とか脱水で死なせるのは避けたいところです。でも、実際に子供がこういう事態に陥ったら、両親はそれこそ「祈る」しかないような気もします。

宗教的な教養のある精神医によるサイコテラピーがある程度苦しみを軽減したかもしれません。彼女の苦悩の原因を悪魔以外のものにうまく「転嫁」することは可能だったんじゃないかと思います。

余談ですが、この人の悪魔祓いの音源をフランス系のウェブで聞いたら、何分何秒目のところでフランス語で「私は死にたい」と言っている、というコメントがついていて、そこを聞いてみると、本当に、だみ声でそう言っているように聞こえるんです。日本人だって、日本語で「・・・言っている」というコメントをつけられるかも。あるいはもうついていたりして・・・。「言われてみればそう聞こえる」ということで、「超常現象」をエスカレートさせるのもなんだかなあ、と思います。

アンネリーゼ・ミシェルについて

エトワール · 2012-01-14 21:27:14 UTC+9 · 投稿 #588

映画「エミリー・ローズ」のモデルとなったアンネリーゼ・ミシェル (Anneliese Michel)の悪魔憑き事件について、どうお考えになっていらっしゃるかご意見をうかがいたいのですが、よろしくお願いいたします。

アンネリーゼ・ミシェルは、1968年の16歳頃から震えなどの異変が身体に出始め、精神科医に「てんかん」と診断されます。薬を処方され暫くは落ち着いていましたが、やがて普通のてんかんの症状を逸した症状が出始め、幻覚を見たり、身体を何かに持ち上げられベッドに何度も叩きつけられたりします。彼女の意思とは関係なく物凄い力で体を動かされたりしたため、 薬を飲んでも治まらず、やがて蜘蛛や蝿を食べるようになります。とても本人の声とは思えない声で汚い言葉を吐いたり、彼女が知りもしないラテン語を喋るようにもなったといわれています。彼女は自分が悪魔に取り憑かれたのだと考えます。

1973年(20歳)の時、両親は、教会に悪魔祓いを頼みますが拒まれます。 医者にかかり再び薬を処方されましたが、症状とその現象は悪化していきます。1975年、22歳の時、ようやくヴュルツブルク司教会は悪魔祓いの許可を出し、カトリックのエルンスト・アルト司祭(当時41歳)とアーノルト・レンツ(67歳)が悪魔祓いを行います。司祭が「お前は誰だ」と問うと、返事をし、名を名乗ります。アンネリーゼには、6体の悪魔が取り憑いています。

6体の悪魔は、次のとおりです

1 ルシファー(堕天してサタンとなったとされる地獄の王)
2 カイン(アダムとエヴァの息子。アベルという弟を殺し、人類最初の殺人者とされる)
3 ユダ(十二使徒のひとり。キリストを裏切った)
4 ネロ(キリスト教徒を迫害し後世暴君と評されたローマ皇帝)
5 バレンティン・フライシュマン(1572年から1575年にかけてエットレーベン教区で司教を務めた堕落した聖職者)
6 ヒトラー(近代史のドイツの悪名高い独裁者)

悪魔払いは一度は成果をあげますが、再び、アンネリーゼにとり憑き、食事も摂らなくなり1976年7月1日他界しています。

その後彼女の両親と神父は起訴され、裁判の結果両親と神父は過失致死で懲役刑、執行猶予6ヶ月という判決を受けています。写真や録音記録が多数残っていることから、何かと話題になることがあります。この件に関しては、長年いろいろと疑問を持ってきましたが、未だによく分からない不思議な事件だと思っています。