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B16 とJP2の違い

カリスマ性のあったJP2に比べて相変わらず人気がいまいちなB16をそれでも支援している私だが、このところ、この二人の大きな違いを考えさせられる出来事があった(といっても今年の初めの話だけど)。

それで改めて思ったのは、JP2のユニヴァーサリティとB16 のヨーロッパ性である。B16 はヨーロッパ人最後の教皇じゃないかと言われてるのだが、最後に及んで、すごくヨーロッパな人だ。ここでヨーロッパ的というのはEU的だということである。

彼が第2次大戦でヨーロッパの「悪者」になったドイツ出身で、戦後を乗り越えて、ドイツと同じくファシスト国家の「悪者」だったイタリアのローマ教会の 長となり、再び「平和で強固な」ヨーロッパ復活と統合を果たしたという歴史の文脈が彼をヨーロッパ的にしている。いい意味でもそうだが、ヨーロッパ的理念 を教皇としての行動指針にしているのはどうなのだろう。

ヨーロッパ成立の理念は「キリスト教」的だという言い方もあるが、メタ・キリスト教だとする人もいて、多分その方が当たっている。ギリシャ性、ローマ 性、ゲルマン性、ユダヤ-キリスト教性、それにイスラムも加わって今のヨーロッパが形成された。その多様性をキリスト教のユニヴァーサリズムが飲み込むた めには、宗派としてのキリスト教を脱ぎ捨ててメタ・キリスト教に向かわざるを得なかった。それは当然の成り行きでかつ賢明な選択でもあった。

しかし、ローマ・カトリックの教皇が、メタ・キリスト教的でいいのだろうか。

今年の初め、B16はローマのLa Sapienza 大学で「信仰と科学」についての討論に出席する予定だった。それが1月17日にキャンセルされた。学生の反対運動が激しかったからだ。 この大学は学生数13万、教官5千人という大規模な大学で、昨年の11月くらいから、物理学科の学生を中心に、「自由思想の牙城である大学に教皇を入れる な」と騒いでいた。この辺のこだわりそのものが、イタリアにおけるローマ・カトリックの存在感の大きさと歴史的しがらみを心得ていないと、理解できない。

B16がいくら、キリスト教と理性や科学主義が矛盾しないと言おうとも、実際の歴史においては、封建領主でもあったローマ教会の独裁的な蒙昧が自由思想 や言論を封じていた時代があったのだから、それと拮抗してきた学問の府の警戒は大きいのだ。もちろん、現在、教皇が大学を訪問して自分の意見を述べること は、学生はそれを聞くことも、内容に合意することも強要されないのだから、大学側が、哲学者や政治家を一人の言論人として招くのが自由であるように、言論 や表現の自由の範疇に入るはずである。あまつさえ、この大学の標語はヴォルテールの「私はあなたの言っていることに同意はしないが、あなたがそれを言う権 利は命をかけても擁護する」というやつであるという。これを尊重することは、預言者カリカチュア事件などイスラム過激派に対応する上でも、ヨーロッパに とって生命線でもあるはずだ。

それで、B16は、一人のヨーロッパ人として、学生側が特定の宗教の代表者に対して抗議運動を起こして言論の場を潰したことを不当だと思った。

彼は何をしたか?この不当性を人々に呼びかけて、3日後に、サン・ピエトロ広場で、言論の自由を守るための大規模なデモを展開させたのである。

彼のやり方は、現ヨーロッパの理念的にまったく公正なことである。学生に反対運動をする権利があるように、彼も抗議行動をする権利がある。実際、「教皇 が教皇であるというだけの理由で大学に入ることを拒絶される」のを不当とするB16 の正論と、彼を支持する人々の抗議の前に、当時のイタリア左派政権は屈した。元共産党だった大統領は公式に謝罪し、左派政治家のほとんども、大学側の「不 寛容」を謝罪した。宗教や意見を異にする他者への「不寛容」は、ヨーロッパ理念の中でもっとも嫌われている「罪」だからだ。

で、この騒ぎは、一見、B16の戦略が効を奏したように見える。EU的には優等生で、文句のつけようがないのである。でも、これは、彼が、まさに「戦 略」を弄するという器の小ささを呈したようにも思われる。

思い出すのは、1991年に、JP2が同じ大学を訪問した時のことだ。同じように大騒ぎになった。同じように妨害され、野次が飛び、講演はスムーズに行 かなかった。その時、JP2はなんと言ったかというと、

「若いものの元気なのはいいですな」と言ったのだ。正確に言うと、

「活力を与えてくれる若者の覚醒は、気分をさわやかにしてくれますな」と言った。

JP2は古臭いポーランド・カトリックの人だし、その点ではB16も路線を守っている中絶反対とか同性愛者の結婚反対とかを唱えて、「非近代的」という 批判も受けた人だ。でも、レーガンと協力し、ワレサを支援して、20世紀後半の世界を凍結していた冷戦の終焉に一役買ったし、その視座は、いい意味のキリ スト教の本源に近いユニヴァーサルなところにあったのだろう。

EUが宗教戦争や帝国主義の誤りや2度の大戦による疲弊を乗り越えてようやく勝ち取った理念は価値あるものだ。だが、それを既成の縛りとして行動規範や ツールにしてしまうと、その新鮮な力は失われる。各国の利害が対立する政治の世界ではそういうツールは貴重だろう。しかし、宗教の長は、いつも、そのよう な理念を生んだ本源にあった力を思い起こすことを忘れてはならない。

「ローマ教会の首長」という大権威を前にして過剰反応して拒否するほどの現代の若者たちの自由とエネルギー、これを「活力を与えてくれるもの」と見る か、「教皇の言論弾圧」と見るか、には大きな差がある。

後者は、EU理念という「同じ土俵」で語っているのであり、前者は、絶えず更新する若い生命力を寿いでいるのである。苦労して定立した立派な理念も、 いったん教条的になると、ご都合主義のくびきになる。小さい土俵での勝敗査定のツールになるのである。

B16のヨーロッパ性は、ヨーロッパの戦後(2度の大戦と冷戦をあわせて)をシンボリックに成就した。それはそれでよかったと思う。20世紀の傷は深 かったのだから。でも、人口密度的に見てカトリックの重心はもはやヨーロッパにはない。

大学という象牙の塔に入るとか入らせないとかでやりあっていないで、本気で、若者から力を汲み上げて、地球規模の連帯と弱者救済に視線も心も向けてほし いものだ。 (2008.5.12)

アメリカのB16

4月15日から5日間、B16がアメリカに行った。JP2と違ってずっと動きの少ないB16だから、世界の「超大国」アメリカ行きは嫌でも目立っ た。しかも、史上初めて大統領が空港にお出迎えという。実際、15日の午後、アンドリュース軍空港には、任期最後の年のブッシュ大統領(一応プロテスタン トのメソジスト)が妻子をともなって最国賓扱い。ブッシュの任期の8年の間でも例外的なことである。

JP2は教皇として初めて1979年に訪米するも、国家元首の公式訪問扱いではなかった。当時のジミー・カーター大統領も迎えに出ていない。なぜこう なったか。理由はいろいろあるだろう。

アメリカのカトリックは6500万人で、宗派として最大。そのうち、40%が日曜ごとにミサに行くというから、「カトリック国」フランスよりもずっと熱 心である。その30%は増え続けるヒスパニック。40歳以下のカトリックの50%がヒスパニック。現在アメリカ総人口の15%といわれるヒスパニック計 は、2025年には30%になると言われる。

アメリカ人の10人の一人は過去にカトリックで、現在、ペンテコスタ派などの福音派系新教会に流れている。この傾向は以後も続く見込み。(これらはいず れもPew research centerの統計)

カトリックのマジョリティは中流で保守的傾向にある。選挙の鍵を握るとも言われる。

しかし、ブッシュ大統領の表敬ぶりを見てると感慨深い。2003年のイラク派兵の時は、JP2は完全にアンチ・アメリカぶりを隠さなかったっけ。それ以 上に、B16 を迎えるブッシュを見て、ああ、第2次大戦は終わったんだなあ、って思った。B16の「ドイツ」性は、そのすべての歴史的意味を引きずっているから。

翌16日はB16の81歳の誕生日だったから、ブッシュは祝いの晩餐会を用意してたんだそうだ。バヴァリア料理で。でもB16 は20人ほどの聖職者と内輪でイタリア料理を食べたんだって。

収穫はB16 がアメリカを席巻した神父の小児性愛事件について謝罪したこと。「深く恥じ入る」って言った。この言葉だけでどれだけの人がすごく救われたか数知れないそ うだ。神父に性的虐待を受けた子供たちは、性的だけでなく「霊的」にも傷ついた。それを癒すのは教皇のこの言葉が必要だったということだ。

JP2が大聖年を前にして教会の過ちを謝罪して回った時、当時のラツィンガー枢機卿(今のB16)はそれを快く思っていないと言われてた。でも、ここで 率直に「恥じて見せた」のは正解だ。もちろん、アメリカでのカトリック教会の性スキャンダルには、報道側にいろいろな思惑による演出やら表現の過剰や方向 付けがあっただろう。でもその底には、人々の「失望」があったのは間違いない。何よりも、弱者救済のために政治活動をしたり共産党と連帯したり政党活動を する聖職者にはまめに「ミサ挙行停止」処分しながら、小児性愛の過ちを犯した神父や司教のミサ司式を長いこと野放しにしたのは大問題だ。

もっとも、B16は、ワシントンでは、せっかくJP2の主導の「平和の祈り」で合意に達した宗教間対話について、もはや単に平和の希求にのみ捧げるので なく、真実の希求にも戻るべきだと言い出した。キリスト教神学による真実とはもちろん「キリスト」である。

B16が、「神学者」として何か口にするたびに、あちこちでカドが立つ。悪い時にはそれがテロリストを刺激して罪のない修道女とか聖職者が暗殺されたり さえするのだ。

今風に言うとB16って、ちょっとKY? (2008.4.25)

パラグアイ大統領選挙について

南米パラグアイの大統領選で元司教フェルナンド・ルゴ・メンデスが当選した。世界最長という60年以上(北朝鮮よりも長い!)の与党独裁に終止符 が打たれた。

この国は人口600万人、世界バンクによれば貧困の域にいる人は三分の一で、そのうちの半分は一日2ドル以下の生活をしている。この数字は地域のNGO によると倍増する。

どうなるかと注目していたので、嬉しかった。

問題は、ルゴが中道左派系連合を基盤にしていることで、共産党と手を組んでいることだ。貧困救済の為に政治参加をいとわないのでヴァチカンに断罪された 「解放の神学」を貫いているわけだから、軋轢は免れない。聖職者が政治活動をしてはならないということは教会法に明記されている。「世俗権力行使に参加す ることを含む任務を負うこと」、「政党、組合の中でアクティヴな役割を担うこと」は、教会の権利擁護のために認められる例外を除いては禁止されている。(教会法285−287)

1979年、ニカラグアでやはり独裁体制を倒したサンディニスタ革命の時、4人の司祭が大臣に就任した。4人は教皇からローマに召喚され、教会は各自の 直感と信念を深く尊重するが、無神論的イデオロギーが社会正義の推進の努力を導いえるとは考えない、といわれた。

1983年、ヨハネ=パウロ2世がニカラグアにやってきたとき、文化大臣であったエルネスト・カルデナル神父は教皇の前にひれ伏したが教皇は指を立てて 叱責した。

1985年、ヴァティカンは、カルデナル神父のミサ挙行(ad divinis)停止を命じた。

ルゴは、大統領選に出馬するに当たって、「私は教会を愛している、しかし同胞の問題を看過することはできない」として聖職の辞職を申し出たが、ヴァチカ ンはそれを受理せず、単にad divinisを一時中止した。つまり彼はミサを上げることはできないが聖職者であり続ける。ニカラグアの先例に倣ったのである。

ところが、パラグアイの憲法では宗教者の立候補を禁じているので、これも問題である。現地の教会は、単に、「汚職と腐敗に対抗するために投票せよ」との み呼びかけていた。

1994年、43歳で司教になったルゴはこの処分について「つらいが今日からは国が自分のカテドラルになるのだから幸せでもある」と後悔しなかったとい う。彼の身辺のきれいなことは、汚職政見の対極にあり、徹底して「貧しい人の側に立つ」指導者を人々が待ちわびていたことは間違いない。

キリスト教はもともとは、「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に」という政教分離の姿勢を貫いたイエスに端を発する。ローマ帝国の占領下にあっ た当時のユダヤの民衆の多くはイエスに革命のリーダーを夢見ていたから、彼の無抵抗主義に失望した。

しかしイエスが政治的な日和見主義者であったかというとそうではないので、当時の身分差別、男女差別、外国人差別や厳格な律法主義などを意に介せず、自 由な立場で明らかに弱者の側に立った。だから政治的にも宗教的にも権力者たちの脅威と見なされて殺されたわけだ。だから、このイエス・キリストに続こうと すれば、キリスト者が弱者救済の社会政策に向かうのはある意味で、自然だ。

では、教会が何をそんなに恐れているのかというと、それはやはり、彼らにとってそのような被搾取者救済思想の鬼子ともいうべき「共産主義」の無神論を恐 れているのだ。その証拠に、1990年に西アフリカのベナンで、共産主義政見を倒して民主化に向かった時、コトヌーの大司教イジドール・デ・スーザが国会 や閣議のトップに立った時はヴァチカンは3年間見て見ぬ振りをした。1993年に教皇がベナン共和国を訪れた直後にスーザ大司教は政治職の方を辞職してい る。

修道者などでも、現場での福祉活動と修道会での義務とが両立しなくなって修道会を離れるというケースはある。人にはそれぞれ使命があり、その使命も、いろいろな文脈によって進化していくことは考えられる。

弱く小さいものに寄り添い尽くす者が天国に行けるので、ヒエラルキー上の従順や規則の遵守を保ったものが天国に行けるとはイエスは言わなかった。

教会の社会教義の専門で社会学の学位を持つルゴは、司教職を辞して大統領になることの理由を三つ挙げた。

「政治は悪いことではない、慈悲の最高の表現ですらある。

この国でもっとも貧しいサン・ペドロ司教区では司牧は大切だがパラグアイ人に尊厳を取り戻すには政治的意思が必要だ。

最後に、みなが私に頼んだからだ。2週間足らずで11万人の署名が集まった。」

与党はもちろんルゴを「赤い司教」として攻撃した。彼に政治の経験がないことも当然批判された。

「飢餓と失業の問題と、医療と教育の権利とは、イデオロギーではない」というのがルゴのスタンスだった。ヴァチカンは何というだろう。イエスなら何とい うだろう。信仰者と無神論者はどのように共闘できるのだろうか。これからどうなるか楽しみだ。

でも、無血の民主選挙で、60年の一党独裁を変えることのできる時代に生きていてよかった。

テロしたり戦争したりしている人たちにちゃんと見て欲しい。 (2008.4.21)

テンプル騎士団の話

この秋のフランスはテンプル騎士団の話題が多かった。

「13日の金曜日」の不吉説を世界に定着させた1307年10月13日の金曜日のフランスにおけるテンプル騎士団一斉逮捕の700周年だったからだ。

彼らの裁判と処刑にはいつもスキャンダラスな色がつく。拷問や呪いや、自白で得られた同性愛や乱交や異端の記録とか倒錯的覗き趣味の他に、「隠れた財 宝」に寄せる永遠のロマンもあるし、「キリスト教の根幹を揺るがす秘密の保持者」を殲滅、みたいな陰謀説の魅力も事欠かない。彼らが今のヨーロッパのトラ ンスナショナルな銀行の先駆的存在だったこと、十字軍以来2世紀にわたって活躍し金銭的栄華を極めたこと、そういう栄華を極めた人が失墜するのを庶民が見 る時の一種の快感や、彼らに金を借りてたようなちょっと手元不如意の権力者たちの抱くうしろめたさ、そういうのも混沌とまじりあっている。そこに、綿密周 到な調査と準備を経て「巨大悪の一味を一網打尽」というこれも民衆の欲求不満をはらすような「懲悪」の要素も加わる。

これに呼応するように、ヴァチカンがテンプル騎士団裁判の全記録を出版した。限定799部で定価5800ユーロ(100万円くらい)だそうだ。もっとも この裁判の内容はもうすでに結構知られていて、ダイジェスト版はもちろんそれなりの歴史学の研究書も出ている。

今回、宗教関係者がはっきりさせたかったのは、次の2点だ。

1、テンプル会(神殿騎士団)は1312年のウィーン公会議で解散させられた。

2、メンバーの犯した宗教上の罪(過ち)は、罪障消滅の宣告を受けて、許され、教会という共同体に戻ることを許された。

それまで、彼らが「異端」であるということの象徴的な行為は、入団儀式における十字架の冒とく(唾を吐きかける)とイエス・キリストの否定だとされていた。この自白自体、おそらく拷問によるものであり、自白しても刑罰は免れないと知ったメンバーの中には後から撤回したものもいた。たとえ宗教的に罪障消滅しても、破門を解かれても、それは魂の救いを保証されるだけであって、社会的、生物的にはどのみち抹殺されるのである。政治や経済の利害が働いていること は言うまでもない。それにジャンヌ・ダルクもそうだったが、自白を撤回したらしたで、「戻り異端」扱いされてますます死刑される口実ができる結果になるのだ。

しかし、興味深いのは、こういう冒とく行為が事実だったかどうかは別として、自白として記録されたこの行為に対して、当時の教会裁判では、それが「異端 ではない」と判断されたらしいことだ。それは、いろいろな結社への入会に際してよくあるbizutage であると見なされたらしい。bizutage  は「新入生いじめ」とも訳されるが、今でもヨーロッパの大学などではよく見られる風習で、上級生が新入生を泥だらけにしたり、仮装させたり、罰ゲームのよ うにさまざまな馬鹿げた難題をふっかけたりするものである。結社への帰属心や忠誠心を養うという意味もあるが、何よりも、「イニシエーション=入会儀礼」 なのだろう。フランスでも一昔前まではエリートの集まるグランゼコールでのbizutage がさかんだったが、いじめを深刻に受け止めてた自殺者が出た ために人権問題であると国が乗り出して、今は禁止されてしまった。実際はまだ名残はあるが、極端なものはなくなり、シンボリックなものになっている。

中世ヨーロッパの大学でbizutage がどういうものであったかは分からないが、さまざまな共同体でのこのような儀式は一般的なものであったのだろ う。だからこそ、テンプル騎士団の入会儀礼での冒とくも、それ自体が教義を否定する「異端」だとは見なされなかったのかもしれない。十字架に唾を吐きかけ ても、イエス・キリストを否定しても、それだけでは異端を構成しない、というこの判断は、ある意味で、大胆だ。日本の切支丹狩りで踏み絵を踏んじゃって罪 の意識にかられた「転び」信者たちがこの話を聞いたらどう思うだろう。また、罪障消滅の宣告があったのなら、理論的には、彼らが教皇だのフランス国王だの を呪って、皆が次々と不慮の死を遂げたという話もつじつまが合わなくなる。それとも、異端者として殺したらそれこそ呪われるのが怖いからこそ罪障消滅で共 同体復帰という手続きがとられたのだろうか。 日本でも非業の死を遂げた貴族や皇族などが恨んで祟るとおそろしいから、その魂を祈り鎮めて逆に神として祀ってしまうという風習があった。戦死者を英霊と して勝手に祀ってしまうのも、残ったものの安寧のためという意味があるのだろう。

もっとも、罪障消滅を許さないと本来は「地獄堕ち」ってことで、地獄の業火に永遠に焼かれるというのならば、処刑された人の魂が生者を呪うなんてことは できないはずだ。でもテンプル騎士団を一方的に弾圧した権力者たちは良心の呵責もあって、「呪われないこと」にもう一つ自信がもてなかったのかもしれな い。

だとしたら、「十字架に唾を吐いても別に異端じゃないよ、ちょっとした過ちだから悔改めたら罪障消滅してあげるからね」っていうのは、別に弾圧者の懐が 深かったせいではなくて、自己保身のための保険みたいなものだったのだとも考えられる。邪魔者は排除するが恨まれたくはない、というのは、どこの文化でも どこの宗教でも共通しているらしい。

でも、結局のところ、この努力はむなしく、テンプル騎士団の最後の総長ジャック・ド・モレーは、1314年3月、パリのシテ島の火刑の炎の中ですごい形 相で呪いの言葉を口にしたことという伝説ができてしまい、その後700年経っても、13日の金曜日とともに、フランス史のトラウマになってしまった。非業 の死を遂げた菅原道真が朝廷に祟りを成した後で天神として懐柔されて今や受験の神様なんかになっているのとはえらい違いだ。 (2007.10.30)

聖遺物をたくさん手にいれた

サンタ・テレサの腕スペインでアヴィラの聖女テレサゆかりの地を訪ねてきた。イタリアと同じで、巡礼土産に聖遺物をあしらったカードだの小さいケースだのがたくさん 売られている。呪術心をそそられる。ついたくさん買ってしまった。

プロテスタントの宗教革命の嵐が吹き荒れた16世紀ヨーロッパで、スペインには大物の神秘家二人の霊的カップルが登場した。アヴィラのテレサと十字架のヨハネである。(テレサの修道名は「イエスのテレサ」という。スペイン語では「テレサ・デ・ヘスス」だ。「ヘススとは俺のことかとイエス言い」と川柳がで きてしまう。(もちろん元は、「ギョエテとは俺のことかとゲーテ言い」だけど)

このテレサとヨハネの二人は、トランス状態に入りやすかったようで、二人そろって空中浮揚してるところを目撃されたりした。何かすごく過激で突き抜けた人たちなのだ。テレサは典型的なヒステリー症だといわれている。どんな病気であったにせよ、時代と社会と運命との組み合わせで、一つ間違えば魔女として火あぶりになりかねないようなキャラが修道会の改革者の大聖女となり、教会博士の称号まで得たという展開に魅せられる。それだけで一つの奇跡だ。

生きてるうちから聖性の評判が高かったので、死んだ後、二人とも遺体はいつの間にやらなんだかバラバラにされた。みなが奇跡を願うよすがとしての聖遺物 を欲しがったからだ。

イタリアでもフランスでも基本的には似ているのだけれど、スペインという国は、行くたびに暗い情念を感じて、それが聖遺物の信心にも独特のニュアンスを 加えている。

今回ナマで「拝観」できたのは、死地となったアルバ・デ・トルメの修道院の教会にある腕(V字型に硬直したままクリスタルの聖遺物入れに収められている)と心臓(これは、トランス状態で天使によって矢を突き刺されたという超有名な心臓で、法医学者が観察したらほんとに傷跡があったという話を読んだこと がある)、サン・ホセ修道院の薬指(これは手の中の部分までつながってるので異様に長くて、その下の方に立派な指輪があしらわれているのが不自然だ。もっともテレサにまつわるもので「自然」なものなんて何もない)、どこだか忘れたけど、肩甲骨もあった。

その他に、聖女の生家跡にできた教会や18歳から20年以上過ごしたエンカルナシオン修道院などで、聖女の履いてたサンダルの底だとか、鞭、杖、ロザリオ、書簡、改革修道会を作れと啓示を受けた時の十字架のイエス像、死んだ時に抱きしめていた十字架、服、頭巾。枕代わりの木片、などゆかりの品をたっぷり 拝めた。

お持ち帰りできる聖遺物は、死地のアルバ・デ・トルメ(案内ではトルメスとなっていたが、現地で2度道を聞いたとき、二人ともトルメと発音していた)で、カードやケースに入っている極小の布片いろいろが主体だ。この布は別にテレサの遺品ではなく、テレサの聖遺物に触れた布である。要するに、普通の布 を、この修道院所蔵のミイラ化した腕に当てて聖性の伝染を期待したものだ。

巡礼者が聖人の墓石をなでさすったり、自分のハンカチなどを石にこすって持ち帰るのと同じ発想だ。聖女の体に直接触れた服や持ち物が「ありがたい聖遺物」だとしたら、遺体の一部と接触させた布も同じように二次聖遺物だと考えられるのは理屈に合ってい る。

私がそれをお土産に買うのは、呪術的なお守りというより、「テイクアウトできる不思議」に惹かれるからだろう。カルメル会の修道女たちが細かい手作業を せっせとやっているというイメージも共に買っている。

アヴィラの城砦の外で、サン・ホセ修道院と別の側にあるエンカルナシオン修道院ではまた、ここならではの聖遺物を売っている。それはテレサが20年以上過ごした個室の天井の木の細片である。確かに天井はその昔テレサの吐息に触れたりオーラを浴びたかもしれないが、ものすごく薄く削ってあるので、少なくと も私の買った部分は最近空気に触れたような芯の部分で見た目も新しい。でもさすがにこういう場所で売ってるんだから、まったくそこら辺の木の屑を聖遺物と 偽っているとは思えない。まあ確認するすべもないし、さらにいうと、どこの木であろうと、信仰とか奇跡とかの本質にすごく影響するとも思えない。

イタリアでサンタ・リタの修道院に行ったときは、修道院の葡萄の樹の枯葉が聖遺物の土産になっていた。その葡萄は、リタが根性を試されるためかいじめの対象になったかで枯れ木に水をやらされているうちに奇跡的に根付いたという伝説の樹なのだ。これなんかは、天井の木みたいに目減りもしないし遺骨にすりつ けたりする手間もないから便利である。

リタは情念の聖女だったが地に足のついた生活者の強さがあった。テレサは神秘熱やヒステリーの狂熱に駆られたが教会博士となるほどに堂々とした著作を残した。リタは額に聖痕という穴を穿たれたが、テレサは外から見えない心臓に矢を射られた。リタは全身残ったが、テレサはばらばら。リタは古い時代の最後 に、テレサは新しい時代の最初を駆けた。対照的な二人である。

後、カルメル会に特徴的なのはスカプラリオというお守りみたいなやつで、「カルメル会のマリア」像はこれを手にかけて見せている。修道服の肩布のミニチュアみたいなのが布の紐の両端についていて、マリアのイニシアルにビーズをあしらった凝った刺繍のものとかはやはり修道女の手仕事の温かみがある。片方 が聖母、もう片方が聖女テレサというのはここ特有のデザインだ。

聖遺物と言えば、2005年に亡くなったヨハネ=パウロ2世の福者認定の手続きにともなって、奇跡の治癒などの祈りのとりなしを願う人々に彼の衣服の小片が配られ始めた。まだ福者でも聖人でもないので正式には聖遺物とは言えないのだが、ほおっておいたら、ヴァチカンのサン・ピエトロ寺院前やインタネット上で、JP2の「聖遺物」と称されるあやしいものが売られ始めたようなので、ヴァチカンはあわてて希望者には無料で提供すると最近発表した。するとすぐに 16万人もの申し込みがあったそうだ。

16世紀に死んだスペインの修道女も、21世紀に死んだポーランド人の教皇も、そのゆかりの品のかけらを多くの人が身に着けようとする。シンボルの力って、すごく人間的で、しかも同時に、人間を人間的なものから解き放つ力でもある。

ヒトとはきっと、祈らざるにはおれない動物なのだ。 (2007.10.10)

聖人と奇跡

JP2の福者選考の書類が整って、彼の死からちょうど2年目に、めでたくヴァチカンに奏上された。「奇跡」がヴァチカンで通過すれば、数ヵ月後に は福者となりローカルな崇敬が認められ、正式な列聖に向けて新たな奇跡審査がスタートすることだろう。

奇跡というのは、徳の高いキリスト者が死んだ後も信者の祈りを神へ「取り次ぐ」という活動をちゃんとしているという証拠になる。たいていは難病の奇跡的 治癒だ。JP2 の死後、何千通もの「奇跡」の証言がヴァチカンに届いたそうで、『よりどりみどり』の状態だったそうだ。癌や各種腫瘍の消失といった良くあるケースのほか に、不妊が奇跡的に治って子を授かったとか、妊娠継続が難しかったのが奇跡的に無事に出産できたというようなケースが多いのは、JP2が『いのちの福音』 の教皇で、ファミリーの教皇として名高かったことと関係している。

ポーランドの例では、早期破水した妊婦が妊娠を継続できたばかりか、医学的に説明がつかないのに羊水が再び満たされたそうだ。自然分娩で元気な女の子が 生まれたという。しかし、数ある奇跡(現在の医学で説明がつかないというのが基準で別に超自然という証明は必要がない)の中で、福者認定の資料に選ばれた ものは、結局、パーキンソン氏病の回復だった。昔は奇跡の治癒に肺結核などが多かったが、抗生物質により不治の病ではなくなってから、姿を消した。癌も治 療法が増えている。それに、奇跡の認定には、症状の劇的な消失のほかに再発しないという確認がいる。数年間は様子を見なければならない癌では時間がかかり すぎる。その点で、パーキンソン氏病などは、ある意味新しい「不治の病」だろう。

実際、JP2自身がパーキンソン氏病を患い、手が震え呂律も回らなくなっていった痛ましい姿は記憶に新しい。JP2が最後にルルドの巡礼に来た時は、誰 もが少しは、彼のパーキンソン氏病が奇跡的に治って、車椅子から立ち上がって歩いて変える姿を期待したものだ。JP2は治らなかった。もっと若い時シャ ワーで転んで骨折した時、この痛みは信者たちのために必要なものだという意味のことを言っていた。神の子キリストが、多くの病者を治癒したのに自分は何の 奇跡も起こさずに十字架にかけられて苦しんで死んだという出発点を持つキリスト教としては、現役の宗教指導者が元気溌剌で痛みも苦しみもないというのも似 合わないのかもしれない。

パーキンソン病から劇的に回復したのは、フランスの修道女だ。3月30日に記者会見して、4月2日にはローマのラテラノ聖堂にも福者の請願団に同行し た。彼女の手記は匿名で、すでに『Totus Tuus』の2006年5月号に掲載された。この雑誌はJP2列聖運動のために刊行されているもので、伊、仏、英語、ポーランド語、スペイン語、ポーラン ド語で1万部が発行されていて、今度ロシア語版が出るそうだ。B16の母国語ドイツ語がないところが微妙かも。

カトリック・マタニティ女子修道会の46歳のシスター・マリア=シモン=ピエールは、南仏のエクス・アン・プロヴァンス近郊の産院で看護婦として働いて いた。疲労、手足のこわばり、不眠、震えなどの症状が出て、2001年にパーキンソン氏病の診断が下された。運転も、書くこともできなくなり、日常生活に も支障が出るようになって仕事もやめた。2005年4月、JP2の死後も症状は変わっていない。6月2日、院長が、彼女に紙を渡して、「JP2」の名をフ ランス語で書いてみるように言った。手が震えて、文字は判読不可能だった。その日の夜、シスターは、突然、もう一度JP2の名を書いてみたくなった。試し てみると、楽々と書けた。次の朝、4時半に目が覚めたときは、こわばりも痛みもすべて消えていた。それからすっかり良くなって、仕事にも復帰している。

パーキンソン氏病の難しいところは、罹れば不治かもしれないが、診断自体の確実さの精度が低いところだ。症状を見て、いろいろな薬物に対する反応を見て 診断を下すが、実は別の病だったという可能性もなくはない。今回、この治癒が奇跡の治癒として選ばれたのは、彼女を取り巻くフランスの医療関係者の客観 的、科学的態度が評価されたらしい。なるほどJP2を崇めていそうなポーランドの田舎では「いかにも」と思われるかもしれないし、奇跡の申請がやたら多い アメリカも、宗教熱の温度が高そうだし、シニックで冷静に見えるフランスの活動修道会のシスターあたりの治癒例が一番説得力を持ったのかもしれない。 「JP2」と書いた2枚の治癒前、治癒後の筆跡もヴィジュアルだ。これは筆跡鑑定にもかけられた。

当該シスターの雰囲気もプラグマチックで現実的な普通の職業人という感じだし、「治癒の説明がつかない」という認定のために、精神科の鑑定も受けさせら れて、神がかりでないしっかりした常識人というお墨付きをもらっている。フランスは女性の宗教神秘家とヒステリーなど精神疾患の相関関係を調べた精神医学 の発祥地だから、その点でも信頼感が増しそうだ。

それにしても、このような慎重さというか、「科学的態度」の志向が、「祈りを神に取り次ぐ」とか「奇跡の治癒」とかそれ自体「あっちの世界」の出来事に 対して、大真面目に適用されることが、そもそもミスマッチで不思議だ。「信仰の世界なんだから、理性とか科学とかとは別の世界なんですよ」と言って居直る ことはなぜか拒否される。世間では、占いとか霊視だとか、検証不可能なあやしげなディスクールが、癒しとかエンターテインメントとして堂々とまかり通って いるのに、カトリック教会という大組織は、信仰のディスクールと科学のディスクールを共存させようとしている。誠実と言うより頑固とでも言ったほうがいい くらいに。

でも、何もしなくても難病が突如として、説明不可能な形で、治るということは、私には多分起こらないだろうが、どこかで誰かに起こっても不思議ではな い。統計的奇跡であっても、そういう事実はあり得るだろう。そういう稀有な例に「聖人誰それの取次ぎ」という「名をつける」という気持ちは分からないでも ない。難病の人やその周囲の人が絶望して神仏に祈るというのは人情だし、それが「効いた」という話が伝われば希望が生まれ、自己暗示で免疫力が増すという シナリオも分かる。

いろいろな神が競合する多様な世界では、カトリック教会がその判定のハードルを高くして信憑性を増すというのもいいとしよう。しかし、もっと呪術的なの も堂々と存在する。

その例は5月11日にB16が列聖することになっているブラジルの福者ブラザー・ガルヴァオの奇跡だ。サオ・パオロの近くのサント・アントニオ・グァラ ンチンゲタ大聖堂で、その町出身のブラザー・ガルヴァオが、18世紀末に祈りを書いた紙を丸めた丸薬を飲み込む治療法を始めた。今も25人のボランティア がその丸薬作りに従事していて、ひと月に10万個がミサで配られたり、郵便で届けられたりして消費されている。本来はただ飲み込めばいいわけではなく、病 快癒祈願の九日間の祈りの間に飲むことになっているのだが、これによる「奇跡の治癒」が1990年と2006年の2件認定されて、ガルヴァオさんは、 100%ブラジル人の最初の聖人として期待を集めている。「祈りのピル」はグァラの住民にとって、「朝昼晩の食事のコーヒー」と言われているそうだ。

こうなると、サプリメントみたいなものだ。毎月10万錠も飲み込まれて、認定された奇跡の治癒が2件だけとは、ルルドの水より効率が悪い・・・いや、そ ういう問題ではない。病に効く清水とか温泉とかはどこの世界にもある。中にはその水で劇的に治癒した人もいるだろう。そういう効験あらたかな水を取り込む ため、あるいは管理するため、あるいは品質を保証するため、地域の世俗権力だの宗教組織が乗り出すということは大いにある。世の「聖地」の多くは、そうい う自然の治癒スポットを中心にして成立していることも多い。それはそれで分かる。

しかし、私など、ルルドの水を現地でそのままたっぷり飲むのはおいしいとさえ思うが、いったん持って帰ったらなぜかもう飲めない。化粧水代わりにすると か、死んだら清めに振りかけてもらうとかそういうときに取っておこうと、何年も寝かせておく。ルルドの水が、電極分解率ゼロの活性水であるから腐らないし 浄化力が強いと聞かされていても、瓶詰めのものは賞味期限を見ないと落ち着かない癖がついているので、日が経つと口に入れるのは抵抗がある。それが、ブラ ジルでは、「体にいい自然水」どころか、祈りを書いた紙を丸めた丸薬だ。 もし、いつかその大聖堂に行けたら、一個くらいは、多分、好奇心から飲み込むと思う。でも、祈りは食品添加OKの色素で書かれているのかどうか気になる。 作ってるところの写真を見る限り、オブラートとか薄い紙ではなく、なんか普通の白い紙だ。おばさんたちが指でくるくる丸めてすごく小さくはなっている。私 がひと粒手に入れたら、まず紙を広げて、ほんとに祈りが書いてあるか、どんなふうに書いてあるか確かめ、それから、また丸めて飲むかもしれない。一粒くら いなら病気にもなるまい。しかし、コーヒー代わりに、毎日3粒、一生飲むとしたら・・・この地元の人たち、消化システムが山羊みたいになってるかも・・・

祈りだの呪文だのを書いたものを飲み込むという「術」は、確かアフリカなんかでもある。ブルキナファソで板にコーランの文句を書いてそのあとでそのイン クを洗い流した水を飲むという風習もあった。まあそういうのは、「ああ、フォークロリックな呪術とイスラム教が習合したんだなあ」とか思って、特に飲みた いと思わないし、いかにも地域限定の感がある。けれどもカトリックの奇跡はユニヴァーサリズムと科学主義を標榜してるので、「さあさあ、呪術ではありませ んよ、どうぞお好きなだけ飲んでください」と審査なしで無料で水や丸薬を差し出してくれる。「おい、カトリック、こんなんでいいのか、カルヴァンに見られ たらやばいのでは・・」と突っ込みを入れたくなる。

ちなみにブラザー・ガルヴァオの司教区の司教は、ブラジルではミサより聖人崇敬が盛んで、祈りは盛んだが、司祭になろうとする人は少ない、100%ブラ ジル人の新しい聖人の誕生はブラジルのカトリックに新しい活力を与えるだろう、と言って期待している。でも、丸薬の消費量がさらに増えるだけでは・・・実 際、この丸薬が販売されるという事件も起きて、司教は取締りの目を光らせている。ルルドの水もそうだが、無償でなくては意味がない。聖性は売り買いできな い。

イエスは、多くの人を癒したが、故郷のナザレに行ったときは、癒しがうまくいかなかった。人々が、「ああ、大工のヨセフの息子じゃないか」という感じ で、あまり崇めなかったので、その不信仰のせいで、癒しのパフォーマンスをやめた、とも取れるし、うまく奇跡が起きなかったので、人々の不信仰にイエス自 身が驚いた、とも取れる。

ルルドの地元の人で、ルルドの水の水浴をしたことがないという人は多い。水はふんだんに湧いているのに、地元の人は普通のミネラルウォーターを飲んでい る。

しかしブラジルのガルヴァオさんの丸薬は地元の人の生活に溶け込んでるようだ。これはブラジルのメンタリティなのだろうか。JP2はそれまでのどの教皇 よりも多くの福者や聖人をカトリック世界に加えた。審査に必要な奇跡の数を三つから一つに減らしてハードルを低くしたのも彼だ。B16は、聖人とは、その インスピレーションの新しさで霊的生活の思考的枠組みを一変してしまうほどの力を持った一種の改革者だと言っていた。そのB16が、ブラジルに行って、ガ ルヴァオを列聖するのだ。

B16も紙を丸めた丸薬を飲み込むだろう。多分。

私は奇跡譚が好きだ。祝祭のような気がするから。でもそこには、自分には絶対起こらないという変な確信がある。というか、自分に起こることを期待しない ことを担保にして初めて祝祭を楽しめるというべきか。非合理や不条理をすべて排除したら宗教は成り立たないし、そんなのっぺりした世界に人は生きられな い。私には無理でも、これを呼んでいる「あなた」には、ひょっとして奇跡が起こるかもしれない。JP2は旬の聖人候補だから、是非試してみてください。日 本には、奇跡の治癒の報告を待っているサレジオ会の尊者チマッティ師が調布に眠っている。「あなた」も、あなたには無理でもあなたの周りの苦しんでいる人 にはひょっとして奇跡が起こるかもしれないと思って、他の人のために祈ってみてください。 (2007.4.30)


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