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フランス・バロック・オペラ2題

オペラ・コミックで、フランス・オペラの歴史上重要な二つの上演を観た。

まず、1月27日、リュリーが最初に上演して、台詞とバレーと王様賛美のプロローグと神話世界の悲劇の構成を組み合わせてルイ14世にアカデミーの創設 を許可されたオペラ。

Cadmus et Hermione (カドゥムスとエルミオーヌ)1673年初演

次に、2月2日、リュリー亡き後、ルイ14世の興味もオペラから離れ、ラモーはまだ登場しないという過渡期に、Campraなどとともに現れて、コメ ディ・バレーという新ジャンルを開いたAndre Cardinal Destouches(デトゥーシュ)の

Le Carnaval et la Folie ( カルナヴァルとフォリー) 1703年初演

の二つだ。

最初のは、ブルジョワ・ジャンティオムの成功に勢いをつけたバンジャマン・ラザールが演出、当時の大道具やからくりや衣装や発音やジェスチュエル(振 り)を忠実に再現しておおがかりなもの。指揮はテオルブ奏者のVincent Dumestreで彼のグループ Poeme harmonique の演奏。バンジャマンは日本の青山学院の招きでラフォンテーヌの実演をしたことがあり、日本で能に出会って、非常に関心を持った。私と彼はこのことについて個人的に話し合ったことがある。このオペラで踊る8人のダンサーの一人は私が11月にいっしょに踊ったカロリーヌ・デュクレストであり、彼女ともオペラにおけるバレーについて話し合っている途中である。

次のは、バロック指揮者として今をときめくHerve Niquet (エルヴェ・ニケ)が、アンブロネイのヨーロッパ・バロック・アカデミーのオーケストラを指揮し、やはりバロックバレーの権威であるマリー=ジュヌヴィ エーヴ・マッセが5人のダンサーを振付けた。簡素ですっきりした最低限の舞台、衣装もミニマムである。

結論からいうと、後者の方が断然おもしろかった。

同じデトゥーシュのCallirhoe をニケが指揮したのを聴いた人は、今回の上演は台本的にも音楽的にも今ひとつ、という印象を持ったらしい。

確かに、ニケは、息継ぎなしに一息で飛ばしていく感じで、歌と音楽が時々美妙にずれたりしていたが、だからと言って、じっくり聞かせたら、それはそれで 欠点が目立ったかもしれない。一気に展開するバレー・コンサート風の賑やかさでよかったと思う。いかにも後のオペラ座バレーに展開していく原型という感じ だ。 「イタリア人の音楽教師による歌のレッスン」というコミックなシチュエーションもおもしろいし、エラスムスの『痴愚神礼賛』がこんな風な翻案になるんだ なあ、と感慨深い。プロローグが省略されているのも音楽学的には物足りないだろうが、軽くて胃にもたれない。

リュリーのバレーは、舞台がからくりと大道具で満杯なので、とにかく動き回れるスペースが少ない。しかも衣装が豪華なので、楽しいが暑苦しい。ルイ14 世はともかく、ルイ13世の踊りはルネサンス風というか田舎風だったらしいから、17世紀のバレーはこういう感じのものだったのかもしれない。エレガンス よりもアクロバティックな部分と素朴な部分が目立っていて、博物館的だった。

それに比べると、デトゥーシュのバレーのダンサーは、衣装も軽く可動性に優れていて、バロック・バレーのエッセンスをちゃんとつかみ、スペイン・バレー やイタリア風の動きもあり、ヴァリエーション豊かで、楽しい。歌手たちも、リュリーの方は、衣装を支えて突っ立っていて、互いの間の情動は交流しないが、 デトゥーシュの方は、ずっと演劇的である。 私がリュリーをいまいち好きになれなかったのは、どういうスタンスで見ていいか分からなかったからだ。

21世紀の人間が、「おお、これがルイ14世の宮廷の舞台芸術か」と珍しげに見るにはおもしろいだろう。実際、アメリカ人や日本人や「ルイ14世時代好 み」もマニアには垂涎ものだろう。日本人のグループも「買い付け」に来てたらしい。日本やアメリカでは調達できない「本場モン」の香りがある。  でも、もしこれをタイムマシンでルイ14世に見せたら、退屈したと思う。当時すでにフランスの古典演劇は高い水準にあった。そこにリュリーがオペラを割 り込ませるには、様式美でなくて情動を刺激したはずである。もっと、刺激的で、もっと興奮させるものだったはずなのだ。

たとえば、歌舞伎のけれん味たっぷりの芝居の場合、そのからくりは人々を圧倒させるためにあったはずだ。それは今も続いていて、今歌舞伎のけれん芝居を 観にいく人は、「おお、昔のものだから子供だましだけど、伝統芸だからけっこうなことだ」と思うわけではない。やはり、昔ながらに刺激を求めてきているの である。だから「スーパー歌舞伎」だって成立する。だけど、このリュリーにはそういう、情動に働きかける興行努力は全然ない。私が17世紀の人間でこれを 見たら、ラシーヌの芝居のほうがぐっとくると思うだろう。

でも、21世紀の人間としてこれを見たら、私はこの100年後にラモーが現れたことを知らない振りをして聴くことはできない。私の耳や感性は、20世紀 後半に始まったフランス・バロックの発掘の歴史と審美観がしみついている。この段階のリュリーを自分のレパートリーとして弾いて楽しむってことはあり得な いだろうと思う。 そういうわけで、不全感。

しかも、リュリーは、デトゥーシュの上演よりも一段上等の席だったのに、舞台上の字幕は見えず、オーケストラも見えない席だった。デトゥーシュの時は、 3階の席の前で、字幕が自然な位置に見えて、ニケの指揮が粘土をこねるように音楽を目に見えるようにこねていくのが見えてた。舞台の奥行きの見晴らしもい い。オペラ・コミックは小さくてアト・ホームな劇場だが、場所によって雰囲気が変わる。

私がミオンのオペラを上演できたら、常々、「当時の再現」路線でなく、「フランス・バロックのすべての成果を踏まえた新しいクリエーション」を、と思っ ていたが、その確信は強まった。

しかし、『痴愚神礼賛』のオペラ化が、「富」と「若さ」という両親の元に生まれた気まぐれな娘の「フォリー(Folie=狂気=痴愚神)が、「理 性」(これも女神)の勧めで結婚することに反抗して、っていうテーマになること自体が、「抽象名詞に男女の性別がつく言葉を持つ文化圏」と日本のような国 との距離を思い知らせる。だって、エラスムスの翻訳が「痴愚神」礼賛なんだから。

痴愚神、ってなんですか?

日本人にとっては「エラスムスの本の題名」でしかない。ルネサンスと、ギリシア・ラテンの神話の広まりと、そこに託した共同幻想の世界が、フランス人に とっていかに血肉になりやすいものだったのかって、あらためて感じさせられる。エラスムスがカトリック教会を批判して、この本がプロテスタントに愛された ということだって、日本人から見ると、「迷信深い中世カトリックから脱皮して近代へ」と誤解しそうだが、話は全然違って、スコラ哲学の主知主義を批判して 情動を解放するって意味だったのである。

リュリーからデトゥーシュへの40年、そして、やがて頭角を現して、形式や約束事は革新せぬままに、自由に天才を花開かせたラモーのことを考えると、や はりこの二つのオペラは見といてよかった、と満足できた。 (2008.2.4)

バ ロック・コンサート二つ

これからの私たちのコンサートの方向を予測させる二つのコンサートの報告。

一つはチェンバリストのエレーヌ・ドーファンが、ジェスチュエル・バロックの専門家でもあるテノールの Lisandro Nesis と組んで演出した『Les Gourmandises Baroques』(バロックのご馳走)で、もう一つはそのエレーヌも見に来てくれた彼女の弟子に当たるチェンバリストで演出家のマリー・ヴィアールと私 たちのドリオによる合同のプラン、『Festivites Baroques』(祝祭のバロック)である。

二つともすごくフランス・バロックのエスプリに満ちている。70人から80人ぐらいを対象としたサロンの親密なお祭気分。聴衆をお祭りにお招きしていっ しょに楽しんでもらう。最小の構成。

前者は、11月14日。音楽は エレーヌHelene Dauphinのチェンバロと Serena Mancuso のチェロ、 Jean-Christophe Lamacque のヴァイオリン というぎりぎりのトリオ、木管がないのが残念。木管部分はヴァイオリンが担当。で、この3人が、ギトギトのバロックの服装、ルイ14世時代の宮廷服で登 場。鬘もつけて。衣装はすべてヴェルサイユのバロック音楽センターからの貸し出し。彼ら3人が最初に出てくるだけで、観客はタイムトリップ。歌とコントが 男2人なので華やかさに欠けるかもと思っていたのだが、音楽を受け持つ女性2人の華やかさで充分楽しめる。

テノールのLisandro Nesis は、お月様のように丸顔で、そこに化粧しているものだから、ほとんどコミックだ。アルゼンチン出身の彼は、才気あふれる人だが、プライヴェートでもかなり 個性的な人らしい。

これに対するバリトンのNicolas Rouault は背が高く痩せていてて不吉な感じのする人で、黒っぽい衣装がよく似合う。で、テノールとは凹凸コンビとのように対照的で、この二人が 17世紀の発音で掛け合いをやるのがおもしろい。

曲目は、食前酒が、王の夜食のための管弦楽曲第4番 Michel Richard Delalande(この人は私たちのレパートリーのMionのおじさんにあたる)。それから『オリーヴ』など、食前酒にぴったりな歌がいくつか。

次がオードブルで、クープランの曲や、『メロン』というM-A de Saint-Amantの歌。

次がメインディッシュで、ラモーの『若鶏』だの、『アスパラガス』という歌だの、1762年の『ブルジョワの料理』という本からとられた『若雌鶏のレシ ピ』という歌だのがあって、Trou normandという口直し代わりが幕間になる。

幕間にはブラック・チョコレートの菓子が配られる。チョコレートはフランス語では「ショコラ」だが、みんなすっかり子音を全部出す17世紀風発音に慣れ てしまって、「このショコラット、おいしいね」なんて言っている。
後半は、チーズということで、またドラランドのシャコンヌから始まって、サンタマンの『カンタル(チーズ)』。

次がデザートと銘打って、シャルパンチエの『ヴェルサイユの愉しみ』から『宴の王Comus』など。 コーヒーは、Nicolas Bernier の『コーヒー・カンタータ』

食後酒が、リュリーの『ブルジョワ・ジャンティオム』の飲酒の歌など。

これらすべてが、Lisandro Nesis の躁病的な賑やかさと共に展開する。

そのスピード感と、17世紀風発音や装飾過多の衣装の重さや緩やかさとがずれていて、なにもかも非現実的だ。エレーヌのチェンバロはすばらしく、華やか さとエレガンスの極地。これも、歌手たちの騒々しさと引き立てあっている。

フランスのバロック・オペラにおける歌手とは、「美声を持つ役者」と言われることがよく分かった。彼らはまず、役者であり、演出を見せるのである。. 最後に歌手たちが舞台から降りてきて客席にワインを配りに来た。

耳も目も舌も香りも満足できるまさに「バロックのご馳走」である。

こういう文化を生んだ階層がいてよかった。そしてその文化遺産を、今、誰でもが分け合えるなんてすてきだ。

その4日後、11月18日、パリ18区の教会付属ホールで私たちのコンサートだ。

これは、Marie Wiart と私たちのトリオの出会いが生んだ企画。

私は6月にHelene Baradini に頼んで、C-H.MionのForlane を振付けて踊ってもらった。今回はHeleneができないと言うので、彼女の振り付けを Caroline Ducrest に踊ってもらい、その他に、メヌエットとコントルダンスを踊ってもらった。メニュエットは、その後で観客に来てもらって、パ・ド・ムニュ エを試してもらう。6拍のうちの1、3、4、5 を歩き、2と6でひざを曲げてもらう。私はこのお手伝い。コントルダンスはもともと二人で踊るものなの で、ここでもは私がカロリーヌの相手役だ。

普通なら、プロのバロック・ダンサーと人前で踊るなんて大それたことだと思うだろうが、29歳のカロリーヌは、もとコンテンポラリーのダンサーであり、 『王は踊る』の映画を観てからバロック・バレーに興味を持って習い始めたという経歴の持ち主だ。で、彼女がバロック・バレーを習い始めた頃、そのクラスに 私がいたのだそうだ。私は全然彼女のことを覚えていない。でも私は日本人だから目立つ。それで、カロリーヌの中では私は先輩という刷り込みがあったのだ。

バロック・バレーの上級クラスは玉石混交だ。ロマンティック・ダンスから来た人、クラッシック・バレーから来た人、コンテンポラリーからきた人、子供の 頃にクラシックをやってた人、全然踊りをやってなかった人でバロックバレーだけに目覚めて10年以上という人など、いろいろいる。そして、それは、なんと いうか、踊っているのを見ると、ひと目で分かるのである。 10年やろうと15年やろうと、振り付けの覚えがよくてレパートリーが多くても、「大人になるまで踊ったことのない人」というのは分かるのだ。クラシッ ク畑の人には彼らなりの強みもあるし、弱みもある。コンテンポラリーのひとは、筋肉のつき方からして違う。

私のように子供の頃バレーをやってたような人は、今は記憶力にもテクニックにも限界がありすぎるのだが、その限界内の技術や長さの振り付けなら、わりに ちゃんと踊れるのである。しかも、フランス・バロック音楽の奏者だから、その振り付けの勘所が分かっている。音楽も隅々まで分かっているので、特に気後れ しないのである。 で、すごく楽しかった。

音楽は、バロック・リコーダー二人。ソルボンヌの音楽学のマスターの同級生のオードレーとカンタン。それからバロック・ギターがうちのトリオのミレイ ユ。ヴィオラ・ダ・ガンバがアンヌ・ソフィー(彼女はヴェルサイユでフルートを教えている。ルネサンス・レパートリーも多い)、チェンバロがうちのトリオ のアキムとマリーが交互で。その他に器楽曲として。ポケット・オーケストラであるうちのトリオが、3本のギターで、ミオンのオペラの管弦楽曲からいくつか 全パート再現。

カロリーヌのオレンジと黄色の衣装が映えるように、楽器奏者は全員が「紺を基調にして光る感じで『満天の星の夜』をイメージしたもの」、をマリーの通達 で用意してある。幕間は、観客がバロック・ギターやチェンバロを見たり触ったり奏者と語ったりできる時間にしてある。終わったあともワインを用意してあ る。日曜午後なので、子供連れも多い。

メヌエットにはかなりの人が挑戦。コントルダンスはそれよりも複雑なのでやや少なかったが、みんなリラックスして楽しそうだった。私たちのコンサートの 常連客もいたが、今回の新しい演出に嬉しい驚きを表明してくれた。踊り手一人の存在感で、音楽はまったく変わる。特に、フランス・バロックのダンス曲は。

この企画を少しずつ練り上げて別のところでもやるつもりだ。

「演出家」というものが必要である。今回演出家だったマリーと、若いオードレーとの間に軋轢が生まれた。もうこの組み合わせではやれないだろう。複数の 奏者のコンサートはいつも複数の人間性が絡み合う協奏曲の様を呈する。そこに生じる不協和音や居心地の悪さやテンションを上回るだけのパッションがないと やっていけない。後は、「権威」の問題である。

リーダーの権威がどこからきているのか?年齢、経験、定まった評価、音楽性やテクニックの優越、人間性・・・・オーラが絶対に必要である。そして、バ ロック音楽をやるときのオーラというのは、近代オーケストラの指揮者に要求されるオーラとはちょっと違う。その辺についてはまた書こう。 (2007.11.30)

サラバンドの起源

クリスティーヌ・ベイルの主催で突然珍しい講演の案内が来た。これに行けただけでも、日本行きをずらしたかいがある。案内を呼んだだけで驚いた。サラバ ンドとシャコンヌのメキシコ起源を主張するCarlos Hinojosa というメキシコ人音楽学者の特別講演。出席者はいつもの顔ぶれが多い。ポエジーと舞踊の本を準備しているエンジニアのルイももちろんいて、原稿を見せてく れた。

インディオとのメティスという感じのメタボリック症候群な巨大な男がパソコンをいじっていたので、それがカルロスさんかと思っていたらギタリストだっ た。カルロスさんは黒シャツに黒ズボン、頭が薄い小柄な人だった。開口一番、自分はこの5年にわたる研究の出版費用がない、ここで2時間で話すのが大変 だ、と歎いてみせた。講演の中でもパセティックなのかユーモアなのか分からないような話がいろいろ挿入され、ちょっと戸惑った。ニューグローブ音楽事典の 中身の痛烈な批判が多かった。1583年、サラバンドが異端審問により禁止され、男は200回の鞭打ち、女は追放、というのは誤りで、実際はマドリードの 市役所が、サラバンドの歌を禁止しただけで、踊りは禁止していないというのが事実だとも強調した。私は、サラバンドが異端審問で禁止なんてこと自体初耳 だったので驚いた。フォル・エスパニョールという系譜の音楽があるが、サラバンドがそういう種類のものだったとは。

バロックをやっているものとして、サラバンドに荘重なものと軽いものと2種類あるのは知っている。シャコンヌとパサカリアが幕の終わりに踊られる華やか なものだということも。いずれもスペイン起源で実際、スペイン風のメロディが挿入されることもある。しかし、特に私の弾くフランス・バロックのサラバンド はむしろ知的でスピリチュアルな感じだ。

カルロスさんは、ヨーロッパ中心主義を激しく批判し、コルテズ以前にはスペインにサラバンドという言葉はなかったこと、メキシコシティと大西洋岸の間の ツァラウァンダという地方で今もサラバンダが踊り続けられていることを指摘する。1525年にスペイン人はメキシコに最初の音楽学校を創り、そこで現地の 水の女神のための豊穣の踊りであったサラバンダを取り入れて、宣教の踊り、聖体祭の踊りにしてしまった。歌詞をキリスト教のものに変えて、修道女たちも 踊ったという。もとの歌詞は失われた。その音楽と踊りがスペインに来た。そこで猥雑な歌詞が新たにつけられた。それが禁止の対象になるまでに数年かかっ た。

サラバンダは、もちろん民衆の踊りで、宮廷の踊りとは意識して逆の 踊り方がふられた。右足が前なら左腕が前に来るというopposition をとらず、右足と右肩が同時に振られるパラレルという体勢、女性がひざを曲げ られるというのもある。ひざを曲げるというのは、当時「鶴のように」と書かれているように、片脚で立って、もう片方はひざを思い切り胸に引き寄せて上げる のだ。跳躍の後でM字開脚みたいにばたんと座って着地するのもある。あと、もとの振り付けはカップルだとへそをすりあわしたりたり胸をぶつけあったりする そうだ。へそは宇宙の中心で、聖なる力を喚起し豊穣を祈るということらしい。

1600年代に踊られていたのはギターとタンバリンとカスタネットが伴奏だったらしい。1600代のサラバンダをスペイン語の猥雑な歌詞で復元したヴィデ オを見せてもらったが、「フラメンコ」というのが第一印象だった。そのエクスタティックなところはタランテラやある種のブーレも連想させる。フラメンコに はもっと「個性の披露」という感じがある。現代フラメンコの音のアタックに、バロッキーなものがあるとはいつも思っていたが、そして、フラメンコはインド から流れてきたジプシー起源とか言われるが、こうなったら、メキシコ起源ではないかと疑われる。

カルロスさんはヨーロッパが、アメリカ起源のものをなかなか認めない例として、当時のヨーロッパがエキゾチックなものとして許容したのは、自分たちの管 理できるアラブ文化とトルコ文化だけだったと言う。「新大陸」の七面鳥を英語でターキー(トルコ)というのもそうだし、トウモロコシをイタリア語でグラノ トルコと呼ぶのもその現われだという。 トウモロコシというと、その形と、剥き方がエロチックなので、サラバンダに歌われた「黒いアントン」とか「紅いアントン」とかいうのは、トウモロコシに託 したファルスのことだそうで、カルロスは赤トウモロコシと黒トウモロコシの実物を持参して見せてくれた。黒い方は暗い銀色に光り、紅い方も暗くびっしりと して、有機的というよりメカニックでメタリックな印象だ。この赤い汁や黒い汁を今でも屋台車が売りに歩くそうで、その汁の原料となる練り粉をへそに当てて 絞りだすところが豊穣の踊りの一部になっているともいう。

しかし、ヨーロッパ・バロックの時代が、ヨーロッパ化されたインディオ文化の要素にたくさん影響されているというのは、新鮮な見方である。シャコンヌの 方は、Xacona地方(南米、ボリビアあたり一体)で踊られていたサラバンドを見てヨーローッパ人が名づけたものだそうだ。だから、メキシコではサラバ ンドとシャコンヌは同一のものである。 パサカリアは名は明らかにスペイン起源だが、18世にはシャコンヌと習合した。うーん、私のなじみのサラバンド、シャコンヌ、パサカリアはみな18世紀半 ば後期バロックのものである。とても宮廷的でヨーロッパ的な香りがすると思っていた。これから新しい眼で考え直して生きたい。

講演後のパーティで、カルロスさんと話した。考えると、今まで親しく話した中南米人といえば、アルゼンチンの女流作家、ブラジル人の学生くらいしかいな い。メキシコ人は始めてだ。メキシコといえば、私には、一に「グアダルーペのノートルダム」、二に「小野一郎さんのウルトラバロック」の国である。それ で、「私はグアダルーペの聖母のファンなんですけど」と言ったら、カルロスさんは大喜びした。7月25日までパリにいるから一緒にワインを飲もう、とい う。私が聖母のお告げを一部暗唱して、フアン・ディエゴの列聖の意義について語ったからだ。それに、16世紀末のイエズス会の劇や踊りや音楽の影響が日本 の中世芸能の成立に影響を及ぼしていると私は見ていると言ったのだが、彼は、では、サラバンドも使われたかもしれない、と言って喜んでいた。そういえば、 出雲の阿国の踊りとか、歩き巫女系の踊りとか、きっと猥雑と聖性とがすり合わさったようなものだったかもしれない。いやー、日本芸能とフランスバロックの 親和性を語る私も、アズテカ取り込みのメキシコ・バロックと日本の芸能の親和性までは思いもつかなかった。新しい課題。

結局、カルロスさんとまた会うことにした。「グアダルーペのノートルダムのために」としつこく誘われたから。異国で言われて感激するテーマらしい。日本 人としての私が、異国で外国人から口にされてすぐ親密な気になるような言葉ってあるだろうか。モロッコでは土産物屋の店員がこちらが日本人だと言うと盛ん に「ナカタ」といって値段をまけてくれた。でもこちらは別に思い入れがないし、フジヤマ、ゲイシャ、ハラキリ、スシにいたっては連発されたら逆に避けたく なるし・・・

このパーティでは国立音楽院でバロックのジェスチュエルとDeclamations を教えている先生とも話した。彼女は、バロック・フルートのクラス に、ENSで15世紀のフランス語を選考した秀才で「タク」という日本人がいて、大のメキシコ好きなので、今日の講演をうらやましがるだろうと言った。 「日本、フランス・バロック、メキシコ」という三つのキーワードが重なる人って、すぐ近くにいるんだ。世間は狭い。 (2007.7.2) 

エレーヌ・バルディニのフォルラーヌ

6月23日の発表会で、ようやくエレーヌ・バルディニとのコラボレーションが実現した。11月にバロック・フェスティヴァルを企画しているマリーも見に 来た。エレーヌはもう5年も暮らして子供もいるインドシナ(ロックグループ)のキーボーダーと、一週間前に結婚した。そんなあわただしい中の振り付けだっ た。このフォルラーヌはもう5年位前に私も振付けてコンテンポラリーのダンサーに踊ってもらったのだが、エレーヌの振り付けはさすがに動線がきれい。私は まずパを考えるがエレーヌはまず動線を考えるのだろう。それがすでにバロック的だ。

彼女はRie et Dancerieの初期メンバーとして日本公演も2回している。彼女の最初の夫、もとオペラ座バレーのソリストでやはりバロックダ ンサーだった人も来た。この二人がまだいっしょだったらもっとやりやすいのだけれど。エレーヌのエレガンスは、クリスティーヌ・ベイルにはないものだ。 (20070.6.23)

ラ・フォンテーヌの踊り

3月にクリスティーヌ・ベイルが捻挫したために延期されたラ・フォンテーヌの話にバレーを振付けた演しものがようやく公開された。場所がカルナヴァレ館 のサロンなので、優雅であると同時に歴史がみっちりと厚くいきわたっているようで、旅をしている気分になる。 Favori,qu’on danse ! というタイトルで、クリスティーヌの他は、Pierre-Francois Dolle。この二人が、それぞれ小道具を変えながら4役か5役を演じ分ける。犬の面をかぶって犬にもなる。ミュゼットとフルートがパトリック・ブラン、 バロックギターがジェラール・ルブールである。挿入される曲はカンプラ、リュリー、オトテール、マレ、ドゥ・ヴィゼ、ガッティなどのダンス曲。クリス ティーヌはラ・フォンテーヌをバロック・ジェスチュエルで語るプロでもあるから、この企画はマルティタレントの彼女ならではの贅沢なものだ。 (2007.6.16)

バ ロック・フェスティヴァル その5

アンサンブル・アマリリスAmarillisのによるテレマンのトリオのシリーズ。ほんとうはバッハのプレリュードとガヴォットもプログラムに あったのだが、アルシ・リュートのLaura Monica Pustilnik が手を怪我したとかで、削られた。他の曲は弾いてたので、どういう怪我の仕方だったのかすごく興味があったがよく分からない。痛そう には見えなかったが。チェンバロのViolaine Cochard 〈彼女はうちのトリオのアキムのチェンバロの先生でもある〉とバロック・オーボエとリコーダーのHeloise Gaillard の二人が、とにかくうまい。この二人がしっかり連携している。

テレマンは、多作でインスピレーションにあふれた天才だ。私の室内楽のトリオもフルートとヴァイオリンとヴィオラとピアノなので、テレマンのたくさんあ るトリオ曲のお世話になっている。でも、アマリリスのこういう構成だと、よくあることだが、チェンバロに隠れてアルシリュートがあまり聞こえない(CD録 音を聴くと、ずっとバランスがいいのだが)。オーボエやリコーダーとヴァイオリンの掛け合いか、管楽器のソロのイメージが強くなる。

私の気に入ったのは、ちょっとエキゾチックなものが多い。テレマンはポーランド音楽の影響も受けているし、引き出しのたくさんある人だ。 Essercizii Musici からのイ短調ソナタ、変ロ長調ソナタのシシリアナ(これは、チェロもピチカートになるのでバランスがいい)が、そして最後のニ短調ソナタは つかみもいいし、プレストがやはりエキゾチックで華やかですてきだ。

しかし、ソナタを6曲聴いたあとで、アンコールの2曲がシャルパンチエのシャコンヌと、ルクレールのタンブランで、この2曲をきいたら、もう自分がフラ ンス・バロックのバレー曲体質になってるのをつくづく認識した。ソナタは右脳だけで聴いてたのかもしれない。フランス・バロックになると左脳を通した情動 が動員されるのか? シャコンヌはアルシリュートのソロから始まって、チェロが受け、チェンバロが加わって、最後にリコーダーとヴァイオリンが入るので、 アルシリュートのつややかな音色がようやくはっきり聴こえた。タンブランはリコーダーのヴィルチュオジテが印象的だ。とにかく、やっぱり、フランス・バ ロックのバレー曲、内臓が、動く。 (2007.3.15)

バ ロック・フェスティヴァル その4

その4は、3月9日の私たちのトリオのコンサートだった。2日にも別のところで同じプログラムのコンサートをした。そのときにチェンバロ奏者のマ リーが来てくれて、アドヴァイスをくれた。彼女は演出にもバロックバレーにも造詣が深い。

第一部の終わりに、デュフリーの曲でもっと音質をそろえること、ラモーで装飾音をそろえるように言われた。ミオンは完璧だと言われた。それで、第2部の 最初のラモーの組曲の方が第一部のものより難曲なので、どうしようかと思ったが、マリーの言葉を考えながら弾いたので、確かに丁寧にまとまった。彼女も第 2部の方がよかったと言ってくれた。ミオンのリトゥルネルがまとまってないと言われた。聖霊の踊りは、色彩感があって踊り手が私たちの周りをぐるぐる回っ ているのが見えてきた、感動的だったといわれた。後、ゼフィールの踊りの中間部で、元の構成はヴァイオリンが10人、ヴィオラが4人、とかの比率なのだか ら、強さのコントラストをもっと出すようにと言われた。

それで、次の週は、9日の演奏会のために、ラモーの第一組曲とデュフリーをさらうことにした。当日も、会場に行って、第一組曲とデュフリーだけ均質性と 完璧に準備した。結果は、第一組曲とデュフリーは欠点を克服でたし、ミオンのリトゥルネルもまとまったが、2日のコンサートで問題なかったところの方でば らつきが見られた。 しかし、9日はバロックフルート奏者で私たちの信頼するロールが来てくれてすごく気に入ってくれたのでほっとした。涙が出そうになったといった人もいた。

最大の問題が二つあった。まず、会場は横長に椅子をしつらえ、両脇がステージ部分を囲む形になっていた。私たちのトリオは互いが見えるように両端が軽く 向かい合っている。ところが、ギターは音の方向性のはっきりした楽器なので、これでは、右の聴衆は右の奏者の、左の聴衆は左の奏者の背を見ることになり、 音がこもる。バランスは非常に悪くなるのだ。次にやるときは、会場を縦長に使って、すべての席を正面に配置しなくてはならない。距離が遠くなっても問題は ない。9日は満席だったので、多くの人が両脇で聴くことになり残念だった。

次の問題は、2日のコンサートでは、曲の解説を途中で入れたので、組曲が終わると拍手してもらえて緊張が緩んだのだが、9日は、プログラムに私たちの手 でプログラムノートを書いたので、解説なしで行こうということになった。結局、組曲が終わっても、聴衆の静寂と緊張が続いたので、そのまま次の曲に突入し た。第一部も第二部もまるでそれぞれ一つの長い組曲のようになって、集中を続かせる時間が永遠に思われて、消耗が激しくなった。何しろ室内楽と違って、3 本のギターでオペラの全パートを弾いているのだから、各自が順番にちょっと休めるという場所がまったくない。ラモーは難曲だから、綱渡りの緊張もある。私 たちは組曲の終わりに立ち上がるべきだった。そういう打ち合わせをしておくべきだった。9日のコンサートに来てくれた生徒の一人が、自分は一曲終わるたび に拍手をしたかった、でもしーんとしていたのでできなかった、と言っていた。私たちの曲の始まるごとに、その瞬間がマジックのようだったという人もいた。 いつ次が始まるかというマジックを息を止めてうかがっている人もいたらしい。

まあ、ラモーやミオンのバレー曲の繊細さをキャッチしてくれるような聴衆だったので、この全体の長さと緊張の連続について彼らからは後からクレームが出 ず、こんなものだと思ってくれたのだが、こっちは時々、神経が張り詰めて限界が来るかと思った。特にミレイユがそうで、それが伝わってきた。アキムの方 は、第2部にはっきりと「守りの姿勢」に入った。消耗を防ぐためにセーフスイッチが入っていた。私はもっと、観客の体を躍らせたい、という感覚だったの で、まるでピュアな高貴な音楽が続くという雰囲気がつらかった。ミレイユとアキムには、分かち合いやコミュニケートの意欲はあるのだが、客を喜ばせよう、 という「サービス精神」は少ない。マックスが録音してくれたので、それをエレーヌに聴かせて6月には一部でもバレー付でやってみたい。同じプログラムで4 月にノルマンディで弾くので、その時は解説を充実させてもっとハードルの低い演奏会にするつもり。

今回のコンサートの意義はこのバロック・フェスティヴァルの中で唯一「フランス・オペラ」を紹介したことだ。バレー曲ということでもある。ほとんどイタ リア・ドイツ系で器楽曲が多く、オペラはパーセルなどだった。フランス・バロックはオペラなしでは語れない、そのうちのバレーなしでも語れない。しかし、 曲が難しく、予算の問題もある。オペラの全パートを再現しつつ、しかも、それをギターという、バロッキーで危うく、親密で室内楽の趣きのある楽器で弾くと いうのは本当にメリットがある。アキムというバロック音楽学者がいることも、ミレイユというソリストがいることも、バレー好きの私がいることも、絶対の必 要条件だ。

もう一つ今回のコンサートのために、もう一度、バレー曲のすべての長音符について、それが上昇を用意するプリエ(ひざを曲げ、体重をかけ、足の裏で地に 圧力をかけることでそのリアクションとしてかかとが離れて体が持ち上がる)なのか、操り人形のように上から吊られたサスペンションの状態(長音符が終わる と糸が緩んで体が落ちて息が吐き出され、体重が意識化される)なのかを区別することにしたことは大きな収穫だ。プリエの時は、長音符の間にゆっくり息が吐 かれ、力が練りこまれて次の音はその充実の完成形だ。ガヴォットのような長い惹起部分はほとんどこの練りこみプリエである。小節の第一音が長くて後は3連 音符の重なりで落ちていくようなのは、糸の引っ張りと緩みによる体の落下だ。もちろん一曲の中でこの二つが絶え間なくあらわれる。振り付け譜があれば明ら かに区別できるが、ほとんどの曲は振り付けと同時進行か、振り付けを意識しながら書かれているので、大体特定できる。間違っていたら弾きながら落ち着きが 悪いので、分かる。最悪なのは、長音符をただの長さと持続の関係だと思って機械的に弾くことだ。バレー曲の長音符、これは体の高さと体重の処理のキイとな る音符なのだ。 (2007.3.15)

ヘンデルのオペラ『Alcinaアルチナ』について

その4は、3月9日の私たちのトリオのコンサートだった。2日にも別のところで同じプログラムのコンサートをした。そのときにチェンバロ奏者のマ リーが来てくれて、アドヴァイスをくれた。彼女は演出にもバロックバレーにも造詣が深い。

第一部の終わりに、デュフリーの曲でもっと音質をそろえること、ラモーで装飾音をそろえるように言われた。ミオンは完璧だと言われた。それで、第2部の 最初のラモーの組曲の方が第一部のものより難曲なので、どうしようかと思ったが、マリーの言葉を考えながら弾いたので、確かに丁寧にまとまった。彼女も第 2部の方がよかったと言ってくれた。ミオンのリトゥルネルがまとまってないと言われた。聖霊の踊りは、色彩感があって踊り手が私たちの周りをぐるぐる回っ ているのが見えてきた、感動的だったといわれた。後、ゼフィールの踊りの中間部で、元の構成はヴァイオリンが10人、ヴィオラが4人、とかの比率なのだか ら、強さのコントラストをもっと出すようにと言われた。

それで、次の週は、9日の演奏会のために、ラモーの第一組曲とデュフリーをさらうことにした。当日も、会場に行って、第一組曲とデュフリーだけ均質性と 完璧に準備した。結果は、第一組曲とデュフリーは欠点を克服でたし、ミオンのリトゥルネルもまとまったが、2日のコンサートで問題なかったところの方でば らつきが見られた。 しかし、9日はバロックフルート奏者で私たちの信頼するロールが来てくれてすごく気に入ってくれたのでほっとした。涙が出そうになったといった人もいた。

最大の問題が二つあった。まず、会場は横長に椅子をしつらえ、両脇がステージ部分を囲む形になっていた。私たちのトリオは互いが見えるように両端が軽く 向かい合っている。ところが、ギターは音の方向性のはっきりした楽器なので、これでは、右の聴衆は右の奏者の、左の聴衆は左の奏者の背を見ることになり、 音がこもる。バランスは非常に悪くなるのだ。次にやるときは、会場を縦長に使って、すべての席を正面に配置しなくてはならない。距離が遠くなっても問題は ない。9日は満席だったので、多くの人が両脇で聴くことになり残念だった。

次の問題は、2日のコンサートでは、曲の解説を途中で入れたので、組曲が終わると拍手してもらえて緊張が緩んだのだが、9日は、プログラムに私たちの手 でプログラムノートを書いたので、解説なしで行こうということになった。結局、組曲が終わっても、聴衆の静寂と緊張が続いたので、そのまま次の曲に突入し た。第一部も第二部もまるでそれぞれ一つの長い組曲のようになって、集中を続かせる時間が永遠に思われて、消耗が激しくなった。何しろ室内楽と違って、3 本のギターでオペラの全パートを弾いているのだから、各自が順番にちょっと休めるという場所がまったくない。ラモーは難曲だから、綱渡りの緊張もある。私 たちは組曲の終わりに立ち上がるべきだった。そういう打ち合わせをしておくべきだった。9日のコンサートに来てくれた生徒の一人が、自分は一曲終わるたび に拍手をしたかった、でもしーんとしていたのでできなかった、と言っていた。私たちの曲の始まるごとに、その瞬間がマジックのようだったという人もいた。 いつ次が始まるかというマジックを息を止めてうかがっている人もいたらしい。 まあ、ラモーやミオンのバレー曲の繊細さをキャッチしてくれるような聴衆だったので、この全体の長さと緊張の連続について彼らからは後からクレームが出 ず、こんなものだと思ってくれたのだが、こっちは時々、神経が張り詰めて限界が来るかと思った。特にミレイユがそうで、それが伝わってきた。アキムの方 は、第2部にはっきりと「守りの姿勢」に入った。消耗を防ぐためにセーフスイッチが入っていた。私はもっと、観客の体を躍らせたい、という感覚だったの で、まるでピュアな高貴な音楽が続くという雰囲気がつらかった。ミレイユとアキムには、分かち合いやコミュニケートの意欲はあるのだが、客を喜ばせよう、 という「サービス精神」は少ない。マックスが録音してくれたので、それをエレーヌに聴かせて6月には一部でもバレー付でやってみたい。同じプログラムで4 月にノルマンディで弾くので、その時は解説を充実させてもっとハードルの低い演奏会にするつもり。

今回のコンサートの意義はこのバロック・フェスティヴァルの中で唯一「フランス・オペラ」を紹介したことだ。バレー曲ということでもある。ほとんどイタ リア・ドイツ系で器楽曲が多く、オペラはパーセルなどだった。フランス・バロックはオペラなしでは語れない、そのうちのバレーなしでも語れない。しかし、 曲が難しく、予算の問題もある。オペラの全パートを再現しつつ、しかも、それをギターという、バロッキーで危うく、親密で室内楽の趣きのある楽器で弾くと いうのは本当にメリットがある。アキムというバロック音楽学者がいることも、ミレイユというソリストがいることも、バレー好きの私がいることも、絶対の必 要条件だ。

もう一つ今回のコンサートのために、もう一度、バレー曲のすべての長音符について、それが上昇を用意するプリエ(ひざを曲げ、体重をかけ、足の裏で地に 圧力をかけることでそのリアクションとしてかかとが離れて体が持ち上がる)なのか、操り人形のように上から吊られたサスペンションの状態(長音符が終わる と糸が緩んで体が落ちて息が吐き出され、体重が意識化される)なのかを区別することにしたことは大きな収穫だ。プリエの時は、長音符の間にゆっくり息が吐 かれ、力が練りこまれて次の音はその充実の完成形だ。ガヴォットのような長い惹起部分はほとんどこの練りこみプリエである。小節の第一音が長くて後は3連 音符の重なりで落ちていくようなのは、糸の引っ張りと緩みによる体の落下だ。もちろん一曲の中でこの二つが絶え間なくあらわれる。振り付け譜があれば明ら かに区別できるが、ほとんどの曲は振り付けと同時進行か、振り付けを意識しながら書かれているので、大体特定できる。間違っていたら弾きながら落ち着きが 悪いので、分かる。最悪なのは、長音符をただの長さと持続の関係だと思って機械的に弾くことだ。バレー曲の長音符、これは体の高さと体重の処理のキイとな る音符なのだ。 (2007.3.15)

バロック・フェスティヴァル その2とその3

うちの町のバロック・フェスティヴァルのコンサート、二つ。

2月8日、結婚式ホールでAlexandre Tharaud  のピアノ。ラモーの演奏の録音で、ラモーのよさをちゃんと理解してるのが気に入っている。

結果的に、最初はすごく複雑な気分になった。まず、バッハのConcerto3、4、10番とConcerto italien 。丁寧にバロックの音を創っているのだけど、ストラディヴァリアのコンサートで、幕開きからのめりこめたのと比べると距離感を覚えた。私は弦楽器のほうが 好きなのだろうか? 第2部のスカルラッティのソナタ4つとラモーの組曲は素直に聴けた。ラモーは誰からも隔絶している。それで、アンコールに、ラモーに も影響を受けているショパンを弾いたのだが、はっきり言って、ピアノが水を得た魚のように生き生きと鳴った。このショパンの曲だけが、この楽器のために特 注で書かれたというのが明らかに分かる。その後、また別のバロック曲を弾いたのだが、ショパンにショックを受けたので、もう覚えていない。

なぜ、ショックだったかというと、私たちは、クラシックギターでラモーを弾くことの意味と正当性を日頃主張しているわけで、いわれなくリュートの方がい いとか、440ヘルツで弾くのは邪道だとか言う人たちに抵抗してるわけだ。それで、私たちをフォローしてくれる人は、古楽器原理主義に凝り固まるのはよろ しくない、バッハだってピアノのレパートリーとして定着しているではないか、と言うのだ。それなのに、アレクサンドル・タローの知性的な演奏に納得しなが ら、なんとなくそれがピアノを通ってくることに違和感がある。特にバッハ。ラモーははっきり言って脳内音楽だから、楽器を問わないところがある。ピアノの 華やかさや音量で、充分魅力的だ。

しかし、「ピアノにはやっぱりショパンがぴったりで、バッハはいまいち」、と言ってしまうと、「クラシック・ギターにはやっぱりヴィラ・ロヴォスだよ ね、タレルガが似合うよね」、と言われたらどう反論できるのか、と複雑な気分になったのだ。もちろん私たちのやってることの正当性は直感的に分かっている のだが、ピアノのバッハよりチェンバロやオルガンのバッハがいいよねというのとどう折り合いをつけるのか。と、半日くらい考えていたのだけど、やがて答え がひらめいた。

もし、バッハや、ラモーが、アレクサンドル・タローの演奏を聴いたら、この近代ピアノという音量にも音程にも音域にもニュアンスにも優れた楽器に興味を 持って、この楽器の可能性を最大現に生かす曲をあらたに創ろうとすると思う。あるいは自分の作品に手を入れて、一回り大きなものにするとか。

しかし、ラモーが私たちのトリオの演奏を聴いたら、リュートでは不可能なトリルを再現できることに感心し、音量にも満足し、自分のオペラ曲のシンフォ ニー全パートが18弦に全て取り入れられていることを喜ぶと思う。チェンバロでは不可能なことだ。そして、管弦のパートがギタリスティックな別の味わいを 見せていることをおもしろがってくれるだろう。私たちの3本のギターは、近代ギターのキャパをフルに使っているので、ラモーは、自分のオペラがこの楽器を 最大限に活用していることを認めるだろう。近代ギター用に新しい曲を書こうとは特に思わないはずだ。しかし、ラモーが自分のチェンバロ曲がピアノで弾かれ てるのを聴いたら、装飾音を多用しなくても音響を残すことができることや、使える音域もまだたくさんあることに気づいて、手直しするか新しい曲を書きたく なるに違いない。ピアノにおけるペダルの存在がなければショパンの曲は成立しない。ラモーがピアノを前にしたら新しい曲ができたことは間違いない。それ に、一本ギターは共鳴版が一つだから、一本でドミソの和音を弾くと、どんなにうまくひいても、胴の中で音が混じり濁る。3本でドとミとソをそれぞれ同時に 弾くとバロック的でピュアな和音が生まれる。ここに、複雑難解なギター曲をソロで弾く時に乗り越えられない壁がある。私たちは、できればピュアな音を目指 すし、必要なときはもちろん一本で2声か3声を弾くこともできるし音色を変えられるので、可能性は広がるのだ。バロックをやる人は近代クラシックギターを 敬遠するし、クラシック・ギターの人は、バロックはそれこそリュート曲やバロックギター曲(無伴奏チェロ曲とかもある)の編曲しか弾かないので、十全感が 得られない。ピアノでバッハ、というのと似てくるのだ。3本のギターでバロックオペラ曲という私たちの活動は、やはり存在する価値がある。ほっとした。

2月11日、ベルジュリー劇場でカナダのボレアード(ラモーのオペラの名だ)アンサンブルとソプラノのカリナ・ゴヴァンによるThe Purcell Project を聴きに行く。ヴァイオリン2人、ヴィオラ一人、コントラバス、チェロ(ヴィオラ・ダ・ガンバも併用)、チェンバロ、テオルブ(バロックギター併用)各一 名、リコーダー、バロック・オーボエ、トラヴェルソを3人の計10人が楽器で、これは「ピアノでバッハ」どころか、もうがちがちの正統的古楽器派のグルー プだ。

パーセルは、圧倒的にThe Fairy Queen が豊かで夢想的で、おもしろい。リコーダー2本が生き生き歌うプレリュードがすてきだし、その後で、If love’s a sweet passion の歌になって、弦の後でトラヴェルソが入ってきたとき、思わず声かと思った。トラヴェルソは湿り気と色気がある。フルーティストのフラン シス・コルプロンがグループの創設者でリーダーであるせいか、管楽器が加わるととたんに艶が出る。次に2つのヴァイオリンがプレリュード、リコーダーとは 違った味わいだ。次にドンキホーテからFrom Rosy Bowers。

これは、テオルブとチェロとチェンバロだけが歌の伴奏。このチェンバロは舞台中央の前にあって、奏者は観客に背を向けている。私は上のほうから見下ろし ていたので気にならなかったが、気になったという人もいた。近代オーケストラでは指揮者は背を向けているのだが。ここでは、チェンバロ奏者が向かいのフ ルートのフランシス・コルプロンと目が合うようにしているのかもしれない。そのチェンバロの横にソプラノが立ち、それを囲むように、一段高い床にチェロと テオルブが配されているので、親密な感じだ。第2部もThe Fairy Queen が絵画的で変化に富む。バロックギターとチェロの伴奏のアリアも美しい。O,let me ever ever sweepというアリアは、テオルブ、チェンバロ、ヴィオラ・ダ・ガンバと歌だが、そこにヴァイオリンが一つ入って、声とかけ合う。For ever という言葉が、声とヴァイオリンのかけ合いでリピートされる。

Strike the viol という曲はオードで、3拍子のダンス曲っぽく、終わりのほうでフルートとヴァイオリンのかけあいになり、ハイテンションで上機嫌だ。アンコール でもやった。Hark ! も印象的。最後はDidon et EneeのLamentoで、まずテオルブが語り、ソプラノ、チェロ、ヴァイオリン、と、どの楽器もため息を披露する。ソプラノも思い入れたっぷりで楽器 と拮抗するが、ベルカントでないので絶唱と言うより、嘆唱 ?だ。カリナ・ゴヴァンのうまさはコンサート後半になって際立ってきた。

3月11日にはようやくフランス・バロックが楽しめるが、チェロに対抗するヴィオラ・ダ・ガンバというテーマで、室内楽。3月15日は古楽器のアンサン ブル・アマリリスで、テレマン特集。結局フランスのバロック・オペラをやるのは3月9日の私たちだけだ。どうやったら、ラモーやミオンの魅力を伝えられる だろう。今回は第1部も第2部も真ん中にフランスのチェンバロ曲を挿入してみた。デュフリーとモンドンヴィルだ。チェンバロ曲をピアノで、というのとは全 然違う魅力が分かると思う。ギターは表現力に富んだチェンバロだと言ったのはドビュッシーだった。 (2007.2.11)

バロック・フェスティヴァル その1 ストラディヴァリア

私の住んでる町での今期2度目の音楽フェスティヴァルはテーマが「Emotions baroques .バロックの情動」でなかなかすてきだ。昨日(1月28日)はそのオープニング・コンサートで、ベルジュリ劇場でStradivaria というナント拠 点の弦楽バロック・アンサンブルを聴く。指揮者兼ソロ・ヴァイオリンはパリ音楽院のバロック・ヴァイオリン教授のDaniel Cuiller だ。 ちょうど昨日の午後、エピネットを3年ぶりに回収したので、ラモー、バッハ、パーセル、ヘンデルなんかを夕方ずっと弾いていた。そ んなバロック耳、チェンバロ耳のままで劇場に歩いていき、Vivaldi のニ短調のConcerto a cinque が始まると、なんとも言えぬ幸福感におそわれる。『バロック音楽はなぜ癒すのか』という自分の本のタイトルが思い浮かぶ。ヴァイオリンの5人は立ってい て、体を音楽に委ねている。座っているのが、ヴィオラとチェロとコントラバスが一人ずつ、そしてチェンバロだ。総勢9人。そこにソプラノのアンナ・マグエ が加わって、ヘンデルをうたい始める。2曲目の『Susser Blumenn Ambraflockenn』の明るく透明な短調で、歌とヴァイオリンがエレガントに掛け合うシーンを聴いてると、白寿ホールで耳をつんざいたベル・カン ト・オペラとはまったく違う世界の気持ちよさでいっぱいになった。

歌はパーセルその他にヘンデルでも『ジュリアス・シーザー』のクレオパトラの悲嘆とか、パーセルの『ディドンの死』だとか、結構ドラマチックなものに なっていって、表現力豊かなこのソプラノにぴったりだが、私の心からはちょっと離れていった。ヴィヴァルディのヘ短調コンチェルト『冬』ではヴァイオリン のはじけるようなヴィルチュオジテを堪能できた。こういう弦楽アンサンブルを聴くたびに、この人生で、下手なヴィオラだがやっておいてよかったと思う。弓 を駆使して弦を擦る快感の片鱗を知ったので、弦楽奏者の身体感覚に寄り添える。 (2007.1.27)


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