2006年の投稿

アングロサクソン

Sekko · 2006-12-26 08:04:10 UTC+9 · 投稿 #255

アメリカとイギリスはアングロサクソンで、もちろんくくれないですよ。うちには昔アメリカ人の女の子やイギリス人の女の子がホームステイしてましたが、ぜんぜんメンタリティが違ったし、イギリス人の子の方は、その前にアメリカにホームステイしてたんですが、アメリカの方がフランスよりもカルチャーショックが大きかったって言ってました。
ただ、アメリカが性と暴力の特異国になったのは、やはり、アングロサクソンのピューリタンのみなさんが新天地に行ったことでああなったんだと思うんですよ。その証拠に、というのも変ですが、同じ頃にカナダに行ったフランス人の開拓移民たちで、インディアンに遭遇して、混血しちゃった例があるんです。今でも、その子孫たちが残ってる地域がカナダにあるんですよ。最近北米でのフランス人の開拓史を調べてて見つけたんですけど。WASPの開拓民だと、あり得ない話だなあと思って。今日、日本に出発です。皆様よいお年を。

世界史、続き

Fusako · 2006-12-24 23:57:41 UTC+9 · 投稿 #254

わたしの出た学校では、世界史は問題なくやっているようでした。で、後輩たちも本好きな子が多かったので、むしろ、世界史や地理、哲学などが好きとか、それから、わたしが子どものころ読んだ本の話をしまして、今でも彼女達が読んでいる、というので楽しかったな。まあ、もちろん、これなら読んでいるだろうとあたりをつけて、コナン・ドイル、ケストナー、赤毛のアン、などを話に出したのでしたが。ケストナーは、この学校での中学時代、「点子ちゃんとアントン」を文化祭で上演したのですが、とても劇化しやすかったのを覚えています。彼は、芝居や映画の脚本を書く人でもあったのですね。で、子どものころはただ面白かった「点子ちゃん」や「ロッテ」を大人になって読み直して大変感心しました。「点子ちゃん」は1931年の本なのですが、母子の二人暮らしの少年が、病気がちのお母さんにかわって家事をする、で、その料理の描写がうまいんですよ。「ロッテ」でも、料理の話が具体的で面白い。あの保守的なドイツでこの時代にこれだけ家事のできた作家、というだけで相当感心いたしました。そんな話を後輩たちに。ついでに、日本で家事万端に心得のあった作家、露伴のことなども。娘の文の作品は、文章にやや癖があって硬く感じますが、彼女の日本刺繍は、繊細でとても綺麗です、と、話はどんどんずれました。
アメリカの本は読んでみようと思いますが、「性と暴力の特異国」ということだと、アメリカとイギリスは、やはり「アングロサクソン」ということで一くくりにはできないのでは?法律とか制度(特に社会福祉とか、NPOとか)を見ると、イギリスはやはりヨーロッパだと思うのですが。
フリアーズの女王様の映画はまだしばらく日本には来ないようですね。その前の作品かしら、「Mrs Henderson presents」が来ています。やっとお休みになるので、見に行く予定です。

あれこれ

Sekko · 2006-12-23 02:40:35 UTC+9 · 投稿 #253

また私です。最近、アラン・レネの新作『心』という映画を観ました。アラン・レネって、84歳とかで、今は世界の映画界の長老では?って年ですが、それでいて、このような斬新でフレッシュで、残酷で毒のある美しい映画を撮るのはすごいです。パリが舞台なんですが、絶対ありえないというくらい、何日間も雪が降り続けているのです。室内のシーンでも外の雪が見えたり、部屋の中に幻想で降ってきたりします。これは心象風景の雪なんでしょう。カトリックの敬虔な信者であるサビーヌ・アゼマは、さえない独身女性で不動産屋で働いているのですが(それでこの映画はまた、住居に対するアレゴリーというか、住まいも心象風景になったいる)、実は2重人格で、夜は寝たきり老人の介護ボランティアなどしながら、ボンデージ・ファッションに身を包んで、老人のベッドの横で服を脱ぎながら踊ったり(老人は発作を起こしたり、気がふれたと思われたりする)、自分のそういう姿をヴィデオに撮って、そのカセットにカトリック系のTV 番組も入れて、同僚に貸したりするんです。他に、豪華キャストが、孤独で欲求不満で生きにくい人間模様をいろいろ繰り広げるのですが、怖いけれど重さがなく、コミカルな部分もあり、こういうのをベルイマンに撮られたら『サラバンド』を観た後のように人生観変わってしまいそうですが、そこはフレンチ・エレガンスのおかげで、暗くならずにすみます。そういえばベルイマンはレネより4歳上だから、『サラバンド』を撮った時は、やはり80代?

次に、最近いただいた日本の本で、面白かったものを3冊紹介です。まず、中公新書の『現代アメリカのキーワード』と『性と暴力のアメリカ』。あわせて読むとおもしろいです。鈴木透さんの後者は、内容の整理の仕方といい、説明のうまさといい感心しました。私は最近奴隷制を研究してたんで、関心のツボにはまったこともありますが。アメリカが性と暴力の特異国だという検証は、わかってはいたもののちょっと背筋が寒くなります。こんな国が世界の派遣を持ってて、いったいどうやって付き合ったらいいんだという感じです。フランスにはアメリカの病理やパラドクスを書いた本はたくさんあるんで愛読(?)してるんですが、日本人のこういう本は新鮮でした。『キーワード』の方も、情報の羅列じゃなくて編者のスタンスがはっきりしていて、読み物としても面白いです。
3冊目がNHK出版の哲学のエッセンスというシリーズの中の『スピノザ』。うちの猫の名がスピノザであるように、私はスピノザが好きなんですが、この著者の上野修さんも、ファンになりました。わかりやすく書くことのお手本みたいで、橋本治さんの文を読んでるのかと錯覚するほどノリもよく、スピノザを解説する人はこうでなきゃ、とその人選に感謝。私が準備してる無神論についての本の読者は先にこの本を読んどいてほしいなあ、そしたら楽なのに、とか思っています。薄いし、とにかく読みやすいですよ。
後、フランス語ですが、近頃のお勧め本は、絵画鑑賞好きな精神科医が、名画を鑑賞しながら、幸せになる方法を伝授してくれる本があって、ゴッホ、クリムト、フェルメール、シャルダン、レンブラント、ドラクロワ、ゴーガン、モネ、ボナール、シャガールなどの25の絵を見ながら、幸せの25のレッスンが書かれています。幸せとは生きたサイクルで、生まれ、育ち、なくなり、暗い夜を経てまた回帰するというその各段階に対応する名画の解説があります。Christhophe ANDRE 『 De l'art du bonheur 』(L'Iconoclaste) ですが、検索する方は、題名だけで検索するとダライラマなんかの言葉を集めた『幸福の技術』という本が先に出てくるので、著者名も入れてください。この本ではArt が技術と美術の二つの意味をかけて使われてます。聖アウグスチヌスやアランやラマルティーヌらの言葉も散りばめられていて、なごむとともにインスパイアもされて、おしゃれで、押し付けがましくもなく、机上の一冊として見てるだけで気持ちいいですよ。こんな本、訳本が出ればいいんですけど。

世界史ふたたび、とクリスマス

Sekko · 2006-12-23 01:19:14 UTC+9 · 投稿 #252

また間があいてしまいました。新しいPCをUSBスティックが読めなくて、なんかまたインストールのし直しとかいうことになって、メールのストックがまた消えてしまいました。アドレス帳だけは16日にセーブしといたんですが、私と交信歴のある方で、12月初めから16日までに私にメールをくださっていない人は、一度メールを入れといてください。お願いします。
今の若い人にとっての世界史は私の時より数十年分現代史が長いわけで、国も増えたし、交流も増えたし、いろいろ加速してるので、たしかに、まともに勉強したら時間が足りないですよね。今の私だって、毎日ニュースチェックして新聞雑誌で確認しても情報が多すぎてどうしようもないのだから、やっぱり歴史の授業では資料の読み方とか情報の取捨選択の方法とか、そういうスキルを教えたほうがいいかもしれません。細かい年号なんか暗記しなくても、大きな流れや、何世紀の前半とか後半とか大体の所でよく、知りたいと思ったときにネットなどで検索できる程度のキーワードの連鎖を頭に入れればいいのでしょうね。
でも私は、個人的には、子供のころ記憶力がよかったので年号を覚えるのが苦にならず、そのおかげで、今も、数字4桁の多いパリの建物の入り口コード番号を覚えるとき、最初が1だったら、知ってる歴史の事件を基にして、マグナカルタ殻10年後だとか、フランス革命の翌年ね、とかいって連想で記憶するベースになって重宝しています。
後、新書の書き下ろしをする時、歴史上の出来事に関しては、高校の教科書に載っている程度のことはすべての読者が了解していると思ってもいい、逆に、高校の世界史の教科書に載っていない事項については、説明を加えてほしいと編集者に言われたことがあります、それで私は高校の教科書がなかったので、旺文社の『基礎からよくわかる世界史』という参考書を買ってフランスに持ってきました。
それからは、ちょっとしたことでも、この参考書を基準にして、表現とか表記とか、年号をチェックしたり、ものすごく参考にしてます。ぱらぱら読んでも面白いし、なかなかレアな情報もあり感心しています。うちはフランドルのルブルックという村に家を持ってたんですが、そこには初めてアジア(モンゴル)に行ったヨーロッパ人、フランチェスコ会のギヨーム・ド・ルブルックの記念館があり、モンゴルと姉妹都市になってるんです。フランスでもあまり知られてないんですが、その参考書にはその彼のことも載ってるんです。感激でした。
そしたら、今年5月に出した『レオナルド・ダ・ヴィンチ伝説の虚実』という本について、ある読者に、この本に出てくる固有名詞を解説抜きで理解できるのは西洋史の院生レベルでしょうと言われたんです。編集関係の人にも、同じようなことを言う人がいたそうです。私は驚きました。新書でなく単行本でも、一応、旺文社の世界史の参考書を念頭においているからです。
それで、今回の世界史未履修の問題を知って、ちょっとショックでした。私は一生懸命に高校の参考書を読んでたのに、多くの高校生はひょっとして教科書も読んでなかった? そして高校のレベルを学習するには西洋史を大学で専攻しなければならず、「院生レベル」でようやく、高校の世界史教科書の内容が頭に入っている、という状態になるわけでしょうか。「高校世界史のレベルを日本人の平均と思ってくれ」と言われて書かれている私の本を読むには「西洋史専攻の院生のレベル」が必要というとおかしな現象の謎の答えはそこにあったのでしょうか?
もっとも、このダ・ヴィンチ本は、編集者がかなり丁寧に注をつけてくださったこともあり、別に西洋史の院生ではない多くの方に面白かったと言ってもらえてほっとしたのですが、ということは、歴史の教養にはかなり格差があるということでしょうか。とにかく参考書でも買って歴史の基本線をインプットしとけば、後は面白い本とか読めば雪達磨式に肉付きができて、世界を相対化できてかつ普遍性も発見できて楽しいですよ。こないだ日本の中三の音楽の教科書を見せてもらって、その中身の濃さに感激しました。15歳がこれをちゃんとマスターしたら、一生楽しめるのに。

話題を変えまして、もうすぐクリスマスです。私も昨日の室内楽のクリスマス会で、ミシェル・コレットのクリスマス・シンフォニーを弾きましたピアノ、フルート、ヴァイオリンにヴィオラです)。この人はクリスマスものをたくさん作曲しています。うきうきさと華やかさと信仰心みたいなのがマッチして、クリスマス文化に育ってない日本人の私でも懐かしくなりそうな曲でした。他にトリオでモーツアルトのセレナーデ。一週間前に私の生徒の発表会でも弾いたのですが、その時は軽やかさが全然なく、おまけに私は繰り返しをしないことになっていた場所で繰り返してしまい(他の二人はそれに気づきさえしない)、なんだかモーツアルトに申し訳ない感じだったのですが、今回は割りとぴったりで、好評、ほっとしました。
その前の週には私のアソシエーションのエクスポジションで、コルヌミューズとハーモニカのミニコンサートをやりました。ハーモニカのグループがやったモーツアルトとバッハは意味がなかったと思いました。後半のジャズだけでよかったのでは?(彼らがみなフランス人でこの欄を読めないことがわかってるので書いてますが)
ハーモニカという楽器ではどうしても音の出だしのアタックが曖昧なので、モーツアルトやバッハに向いてないんですね。・・・と、思ってたところだったので、ヴァイオリンとヴィオラでも私たちはどこがアタックかわかんないようなたるいモーツアルトになってたので、楽器の問題じゃなく単にテクニックの問題だな、と思ってたんです。そしたらヴァイオリンのジャンがそれを録音していて聴いたらしく、彼はモーツアルトの鑑賞者としては年季の入ったおじいさんなので、これではひどいとさすがに思ったらしく、次の日の練習で、アタックを明確に打ち出してきました。それで、昨日(21日)は、少しモーツアルトに顔向けができたかなという感じです。コレットのほうは、あわてて仕上げたので、私はどこか2.3音を外してました。でもとても素敵な曲ですよ。クリスマスのBGには、ぴったりです。
それで、クリスマスに話を戻しますと、数日前だかのヴァチカンの日刊紙オセルヴァトーレ・ロマーノに、ヨーロッパのクリスマスが商業化して非キリスト教化しているのは嘆かわしいという記事がありました。カトリックの強いババリアは、クリスマス・バザーも盛んですが、今はミレニアム・バザーと名を変えたそうです。クリスマスというと昔はツリーはなくとも馬小屋セット(マリア、ヨセフ馬、驢馬に囲まれた赤ちゃんのキリスト、これに羊飼いや東方の3博士が加わることもある)が定番だったのに、イタリアの小学校からはこれが姿を消したそうです。公共の場の非宗教性(ライシテ)や政教分離を慮り、他宗教に遠慮しているうちに、キリスト教が検閲されて、ただの消費シーズンに成り下がったというのですね。
ところが、フランスだけは堂々とキリスト教色を出している、これぞ、宗教表現の自由を保証するライシテのお手本であると、すごいほめようです。社会党公認の大統領候補のセゴレーヌ・ロワイヤルは4人の子に洗礼を受けさせているし、中道の大統領候補フランソワ・バイルーは演説の中で福音書を引用している、クリスマス・マーケット(Marche de Noel)という名も生きていて、共産党が覇権を持つ市町村でも公営で屋台を出している、というのです。
そしてそれは事実です。アラブ人の多い地区の大型スーパーなんかでも、クリスマスの飾りつけのために堂々と実物大の「馬小屋セット」とか飾ってますし、誰もあんまり気にしてないみたいです。伝統文化は伝統文化、という感じですね。それに、フランス語でクリスマスを意味するノエルという言葉は、英語のクリスマスみたいに、いかにも「キリストのミサ」って、キリスト教っぽい名じゃないので、いらだつ人も少ないのかも。ノエル(Noel:oの上にウムラウト付)の語源はNatalisで、ナタリーという名前もありますね、ノエルという名ももちろんあります、女の子ならNoelleとか。意味は誕生の日、ということで、もちろんキリスト(救世主)誕生の日という意味なんですが、そのキリストの方が略されてるので、あまりキリスト教的な響きがしません。しかもNatalisの二つのAがフランス語ではOに変化しちゃったらしくて、ナタリスとノエルじゃぜんぜん似てません。今フランスでナタリスといったら、妊婦服や乳幼児服のブランドでね。キリストの誕生を示すNativite(ナチヴィテ)という言葉も存在するんですが、とにかく祝日としてのいわゆるクリスマスはノエルなんです。それで、ノエルって、お祭りの記号化してて、年に一回、離れている家族も一堂に会して、プレゼントを交換し合うということで、別に宗教的だからどうとかとうるさく言う人がいないのです。
私も、発表会のプログラムに、馬小屋のパロディのイラストを載せました。聖家族はみんな猫で、周りにいるのは子羊とネズミです。星と、猫の天使たちも。生徒にはわりと敬虔なユダヤ人もいるので、一瞬迷ったんですが、スーパーにでも馬小屋があるんだから大丈夫だとふみきりました。むしろカトリックの原理主義者がいたら、聖家族を猫にするとはけしからんと言われるかも。何教でも、狂信者や原理主義者は困ります。
そのプログラムのイラストを見た駄洒落好きの友人シャルルが、「これがほんとの、 Seigneur est descendu parmi nous だ」と言いました。「主は我々のうちに降り給うた」の「我々のうち」parmi nous を par minous と読み替えると、「猫によって」になるんですね。「主は猫によって降り給うた」!!
発表会の後のパーティ(自宅の非猫ゾーンで開催)が終わって、猫ゾーンに戻って、大あくびしてるスピヌーを見てると、駄洒落の含蓄の深さを感じてしまいました。ではまた。

世界史

Fusako · 2006-12-21 21:08:04 UTC+9 · 投稿 #251

お久しぶりです。
わたしは、私立のキリスト教系(プロテスタント)の学校で中学高校を過ごして、ひたすら外国文学に耽溺し、大学に進んでから選んだのは西洋史でした。大好きな文学そのものを専攻にして、解剖するような勉強はしたくなくて、その背景に触れたいと選んだのだった、ような(昔のことですから、後知恵のような理屈ですが)。で、学校を出てから数十年経った今でも歴史が好き、というか、何か考え始めると「なぜそうなったんだろう」と、結局歴史をたどり始め、それを楽しむ自分がいますね。「来し方行く末」、これを考えながら生きるのでなければ人間ではないわ、と思ってます。今の欲望だけにとらわれて生きるような暮らし方はしたくないですね。明日、わたしの卒業した学校の在校生、若い後輩たちとおしゃべりする予定があるので、今の人たちのことを聞いてみたいと思っています。
久しぶりにお邪魔すると、別のページにドビュッシーとショパンの話が。古い人もいいけれど、ショパン、シューマン、ドビュッシー、フォーレ、・・・聴いたり弾いたりするのは大好きなんです。いきなり話が飛びますが、ずいぶん前に見た映画で「戦場のピアニスト」というのがありました。音楽はショパンなんですが、遺作のノクターンやバラード、国民国家が戦争で占領されたり、失われたりする、「祖国」の観念ができてからの音楽だと思うのですが、訴えるものがあるのですよね。教育基本法に賛成なわけではないのですが、・・・と支離滅裂なコメントですみません。

世界史の時間

Akira · 2006-12-18 01:49:49 UTC+9 · 投稿 #250

何か私が書き込みをしてから、今までの常連さんが遠慮されてるみたいで、申し訳ありません。
ちょっと甘えて、世界史の授業について。
高校時代は、世界史の授業というのは何故か、5時間目、6時間目に集中しており、部活動前の、睡眠タイムとして有効に活用させていただきました。目一杯元気なときも何故か、昼下がりのうたた寝を誘う不思議な時間帯域として記憶しております。眠る生徒は前に座らないようにせよという厳しいルールがあり、いつも席を替わってもらっておりました。それが校長の自殺にも発展するような重要なものだったとは! 世界史と地理で一次試験を選択しましたが、授業内容がどの程度役立ったのかよくわかりません。ただ社会人になって初めてヨーロッパを訪れたときに、世界史もっともっと勉強しとくんだったなって深く深く反省したもんです。歴史が現代の実生活に影響しているようで(というか、歴史とそのものの中でヨーロッパの人が生きてるように感じましたので、どうして、歴史の先生は、こういうことを教えてくれなかったんだろうとも思いました。)。もし私が高校生のときに、ヨーロッパに2週間でも過ごしていたら、歴史の授業は睡眠タイムとなることはなかったでしょう。スライドでも漫画でもいいので、現実の異国の描写とか、各国の歴史と現代の関係をイメージできるようなわかりやすく興味を誘う授業にならないかな~。(授業でならったことで今でも覚えてるのは“1234金滅ぶ“の類ですので。。。)

ご無沙汰です

sekko · 2006-12-15 23:56:21 UTC+9 · 投稿 #248

皆様、ちょっとご無沙汰してました。結局、PCが壊れて、新しいのを買ったのですがアレンジするのに手間がかかりました。それで前のメール・ボックスの内容が失われたり、アドレス帳が見つからなかったりしてますので、あちこちに不義理をしてるかもしれません。私と交信してるはずの人、返事を待ってる方など、申し訳ありませんが一度、またはもう一度(?)メールを下さいませ。この場を借りてお願いします。
教科書問題で、少し前に、高校の世界史で何を習ったかとか役に立っているかとかについてのアンケートにか答えました。私は公立の進学校出身ですが、歴史はちゃんとやりました。授業は先生によって、おもしろかったり退屈だったりしまして、退屈なときはさぼったりもしました。歴史は読み物としておもしろかったので、授業がどうこう言うより、教科書を読むこと自体が楽しかったので、現代史まで読みました。でも高校で資料の読み方を習ったのは新鮮でした。その意味では、日本史の方が翻訳資料でなく原文だったので楽しかったことを覚えています。私のころは、歴史の先生というと左翼日教組系のイメージで、何かというと「生産力の増大」云々でマルクス史観に誘ってるのがちょっとうっとおしいでした。日本史と世界史が近代以降に混ざっていく時のダイナミックな流れまではたどり着かないことが多く、日本史は日本史、世界史は世界史というすみわけがありましたが、今思うとすごく役に立ちました。ヨーロッパでは歴史というとヨーロッパ史がほとんどなので、たとえばフランス史と世界史は分かれていません。フランス中心に世界がどうか変わってくるか、といういわば自分史みたいな
教え方で、英仏100年戦争の始まりなど、フランスでは英国王がフランス王権を主張した1341年が始まり、イギリスではフランス王が栄億王のフランスの領土を取り上げた1337年が始まりと、教科書に書いてあり、日本の世界史の教科書には実際に最初に戦闘が起こった1339年が始まりとなっています。
結構中立的というか、価値観を押し付けられなくてよかったと思いました。自虐史観とか言われてますが、大東亜戦争における侵略云々の話も、戦後生まれなので、あまり自虐的に取ったことがありません。ドイツなどでは若い人でもいまだにナチスへの反省をトラウいう戦後政策だったせいか、また私の両親や家族に直接の犠牲者がいなかったせいか、思い入れはなかったです。戦争で日本がんばれみたいな気になったのは、『坂の上の雲』を読んでたときくらいかも。
フランス人がワーテルローの戦いの敗北のことをトラウマのように語るのを聞いたりしてると、あまり勝ち負けの悔しさを刷り込まれてこなかった自分が特殊なことは分かりましたが、それもなかなかいいスタンスだと思いました。
そんなわけで、今となっては40年近く前ではありますが、私は全教科ほぼ万遍なくやりました。今、東大の二次試験で文系なら数学がないとか聞くと本当にびっくりします。理系の高校生には漢文を見たことがない子も多いとも聞いて驚きました。日本はなんとなく生真面目に教育指導要項なんかをこなすというイメージを持ってたので、受験科目に合わせて、ごまかしているのがよくあったなんて信じられません。
嫌いな科目は高校を出た後一生やらなくてもすむので、食わず嫌いでないことを確認するためにも、10代では無理やりできるだけ多くの教科を経験しとくのがいいような気がします。私にはむしろそのメニューの多さのほうが「ゆとり」に見えるんですが・・・小学校以来全方位型でいろんなメニューを押し付けられてきたせいで、少なくとも、これとこれは絶対やりたくない、これは絶対苦手、とか、消去法には自信ができましたから。嫌いなものでも一応習ったことで好奇心も満足しましたし。その後の一生で絶対使わないような知識とかスキルを無駄に習得するのが、若いときの最大の贅沢で、その後の人生でのゆとりのストックのような気がするんです。
私は家庭科で習ったことなんて、人生でその期間だけだったので、スポットライトを浴びて、いまだに役立っています。なんか、全授業がカルチャースクールみたいだったなあと思うんですよ。こういうとすごく学校好き勉強好きの子だと思われるかもしれませんが、嫌いな教科は嫌だったし、得意な教科は苦にはならなかったけど、別に一人で本を読んでればいいと思っていたし、好きなのは美術の実習とか作文とか創作系だけでした。だからこそ、もし選択の余地があれば、学校なんて行ってなかったかも。年とったせいかもしれませんが、人生の早い時期に選択の余地なく目いっぱいのプログラムを押し付けられることの贅沢って悪くないとかおもうんですよ。総合教育となるとオーガナイズする教師の力量とか環境によってすごくリッチか中途半端なものかと格差が生まれるので、総合教育のいい案のない場合は昔ながらの実技とか受験に必要ない科目を教えるとかで代替できるといいと思いますけれど。フランスのバカロレアでは、歴史と地理はセットで必修、哲学必修(フランス語は高校2年で終わり、3年はフランス語を使って考えるという哲学が義務になるわけです。)、物理と化学はセット、外国語は二つ、文系は三つ、生物と地学がセットだったかな、数学はもちろんメインで・・・と書いてたら、あさっての発表会で弾くモーツアルトの音合わせにフルーティストがベルを鳴らしたので、今日はこの辺でやめます。返事になってませんが。他の方の体験なども聞きたいです。

世界史未履修問題

greencurry · 2006-12-14 13:11:06 UTC+9 · 投稿 #247

竹下様、

ちょっと前から日本の教育現場で混乱を招いている事柄があります。
高校の必修科目である世界史の未履修問題です。このことに関して校長先生の自殺までありました。
この未履修の問題の原因はもちろんひとつではありません。
大学受験のシステムの問題、「ゆとり教育」になったための弊害というかしわ寄せ(授業時間数が少なくなったため)、などがあると思うのですが、一体なぜこんなことになったのだろうと思います。
私は歴史は大切だと思いますので、世界史も日本史もちゃんと学習させる必要があると思っています。
しかし、大学入試の際には世界史よりも他の科目を選択したほうが有利に働くため、ルールを破ってでも受験に有利なほうに流れてしまうのでしょう。学校側の意向というか気持ちというか、そういうのも分からないではないですが、それにしても世界史を学習させないというのはあまりに受験を目指した感じがするし、生徒たちのためにもならないと思うのです。
竹下先生はこの問題、どういう風に思われますか?

好奇心!

Akira · 2006-12-13 17:56:52 UTC+9 · 投稿 #246

竹下節子 さま
好奇心とメッセージが原動力!作品の裏表紙のお写真を見て、少し首をかしげたところに好奇心が、澄んだ眼元に洞察力が、口元に決意が感じられました。きっと神様が竹下様に謎解きを命じたのでしょう。この引き込まれる文章は作者自身の魅せられた魂の表れだったのですね。今週はジャンヌダルクをもう一度読み直しました。男装の麗人に敬意と、個人の聖性とその犠牲がメッセージになる時代が来ないことを。

自分の本

Sekko · 2006-11-26 21:14:25 UTC+9 · 投稿 #245

このところがPCのご機嫌が悪くてお返事遅れました。すみません。ご愛読ありがとうございます。どの本も、私にとってはそれぞれ書いたときの状況とかと切り離せないので、愛着の比較はできないいんですよ。編集者との関係も入ってきますし。編集者がいなくなったとか編集者からあまり愛されなかったような本はかえって不憫で可愛がりたくなります。ある本をきっかけに読者とお友達になれたような本も印象深いです。あと、気をつけたはずでもどの本にもミスプリントとか思い違い、勘違い、間違いなどあるので、それも申し訳なく気になってます。その正誤表とともに、このサイトの著作紹介のところで各著作について、自分のコメントをつけていく予定です。
最近の本では『レオナルド・ダ・ヴィンチ』が、万人への分かりやすさを無視して書いたのですが、けっこう好意的に読んでいただいて嬉しい驚きでした。『バロックの聖女』も、かなり好きなように書かせてもらったのに、コアなファンがいて嬉しいです。ある程度は使命感によって書いたもの(ノストラダムス、ローマ法王、カルトか宗教か、テロリズム、アメリカにNOといえる国etc)、趣味の本(からくり人形、バロック音楽 など)、後、聖女ものキリスト教ものなど、原動力は「思い入れ」というより「好奇心」かもしれません。ユニークな人や現象を見ると、もっと知りたくて知りたくて、理解したくてわくわくするんです。そういう状況から、「一人で面白がってるよりちゃんと分かち合うべきだ」と周囲の友人や業界の人から言われるようになって、一般向けの本を書くようになったのですが、とにかく誠実であることとメッセージを盛り込むことに努力しています。出版不況だったり、それでも膨大な本があふれていることを思うと結構空しくなることもありますが、気に入ってくださる方がある限り、書くことはたくさんあるので、気長に書いていくつもりです。Webの世界って、いわれのない中傷とかも多いのでとにかく目立たないことを願っているのですが、こういう場で読者の方の好意的なコメントを直接聞けるのもまたWebのおかげですから、感謝です。時々「敷居が高い」とか言われるのですが、ブログ記事のコメントのようにどうぞお気楽に本やサイトの記事についてコメントください。

ファンです

HN · 2006-11-24 18:55:45 UTC+9 · 投稿 #244

はじめまして。著作は全部読んでいると思います。『バロックの聖女』『聖女伝』が文学的で好きです。聖女伝のコレットの描写はすごく思い入れが感じられます。ノストラダムスのような人物にも思い入れをされているのに驚きです。アカデミックなアプローチなのに自由な思い入れをしていくのが魅力です。小説も読みたいです。

ケブランリ美術館

Akira · 2006-11-22 22:19:27 UTC+9 · 投稿 #243

竹下節子 さま
ケブランリー美術館がアート評論にUPされていましたので読ませていただきました。来年の目玉は(レストラン以外では)、下町の劇場とこの美術館に決めました。世界のアートのユニバーサリズムが感じられそうです。
この週末に初めて“テロリズムの彼方へ、我らを導くものは何か”を読みました。1ヶ月前に買ってはいたのですが、テロリストの心理背景描写に関する作品かと、なんとなく敬遠してしまい積読状態、HP記載のスタッフ様の挨拶文に刺激を受けて手にとってみたのですが、良かったです、特に後半が(何か非常に感動しちゃって! 最後まで読んでみて初めて、タイトルの“我ら”の意味がわかる仕掛けになってるんですね。)。これで謎がひとつ解けました。いままでは、竹下様の論考や展開の中で、竹下様のスタンドポイントが掴みきれない時がたまにあったのですが(理系の人間ですので洗練された表現に慣れていないので。)、今回一気に理解できたように思いまして、益々ファンになりました(作品の魅力はフランス在住の視点と洞察力とプラスアルファーだと思いはしてはいたのですが、そのプラスアルファーがこの作品で掴めたように思いました。エティーの日記も早速注文しました。)
竹下様にとって、御自身の作品の中で最も愛着のある、もしくは最も秀逸と自負されるのはどの作品でしょうか?(失礼な質問ですがご容赦を)

続 倫理の話

Akira · 2006-11-18 11:30:52 UTC+9 · 投稿 #242

竹下節子 さま
ここまで誠意をもって答えていただきまして、感動しました(竹下様の貴重なお時間を無駄遣いさせていなければよいのですが)。
「安全に」がポイントなのは、見逃していました。
WHOの「健康の定義」の変更案を調べましたが、spiritualがポイントのようですね。Mentalを超えて、spiritualまで健康の範囲を広げて、未来にまで責任を持とうとする意思でしょうか。アラブ諸国発の、西洋の医療技術のみの発展に対する警告なんでしょうか。医療技術の発展で、延命は可能になっても今度は尊厳死が問題になってきてる先進国にはとっても重要ですよね。
もしこれが日本語になったら、精神的かつ、魂的福祉となるのでしょうか?
(電車の中でコミックを読んで、涙する竹下節子様、かわいいです)

倫理の話

Sekko · 2006-11-14 23:54:17 UTC+9 · 投稿 #241

21世紀フォーラムのKさんから、「国際倫理規定」で記事を検索しても出てこないので、思い違いでは?と返事がありました。確かに、フランス語でも検索したのですが、そのままでは見つからなかったということは、別に正式に採択されたとかではなく、試案の紹介だったのだと思います。政策科学研究所が作ったのではなく、ゲストによる報告でした。あったのは確かで、今、バックナンバーをチェックしています。あまりにも気に入ったので、暗記したので。前世とか受精卵とか死後の世界とか人生の意味とかは、それぞれの宗教だの文化に任せて、誕生から死までというぎりぎりの目に見えるサイクルに規定したのがすっきりしてて気に入りました。病気とか障害や純然たる事故はあげつらわず、「安全に」というのが、大事です。殺人や生贄や安楽死はだめ、拷問も死刑も自殺も戦争もだめ。たとえ、生贄や拷問や報復や自殺が文化や伝統の一部であったとしても、それはやはり克服すべきものだと、考えたいのです。
これと同じように気に入って、あちこちで紹介したのが、WHOの「健康の定義」の変更案です。これもその会議に参加した知り合いの書いたものに感動したのですが、結局、日本の厚生省によるクレームとかもあり、定義の変更にはいたらず、局長の所信に入れられただけに終わりました。まあ、別に特定の誰かが考え付いたからというのではなく、その言い回しに私が個人的に賛同して採用したということですから。ユニヴァーサリズムの理念や文脈にぴったり収まるので、Akiraさんの「でっちあげ」は的外れじゃないですよ。
21世紀フォーラムでは、その他に人種別脳の報告とか、絵画のニューロ・サイエンスとかの記事がとても印象的だったのですが、今回、この倫理規定を探してるうちに、このふたつは見つかりました。まったく記憶どおりだったので、倫理規定の記事だけが思い違いということはないはずです。日本語で読む本は限られているので、内容はかなりよく記憶してるんです。
コミックは、日本にいる時は買って、主として電車の中で読みます。親父系のコミックが多いです。おかげで、自分では経験したことのないサラリーマンの悲哀とか、何十年も読んでて、すっかりなじみです。たまに女性向けで「家族愛感動もの」特集とかのコミックも読んで、本気で涙を流したりしてます。これは、泣けばストレス緩和ホルモンとか出て健康にいいし、と思って。そして、自分と境遇がかけ離れているストーリーでも、べたな感動ものでちゃんと泣けちゃうのは、人間の共通した情緒とか想像力とかって、ちゃんとあるんだなあと思って、その事実にまた感動します。

ファンレター

Akira · 2006-11-14 23:15:27 UTC+9 · 投稿 #240

竹下節子 さま
ありがとうございます。
自然のサイクルというのを思い出しました。私の書いたものでは、ちょっと違うというより、ある意味、正反対ですね(聞いてよかった!)。
でも、意外でした。きっとユニバーサリズムの流れを作ったフランスの啓蒙思想家の作かと早合点しておりました。
政策科学研究所を少し調べてみました。経済、エネルギー、資源問題に注力しているシンクタンクのようで、21世紀の支えを精神的に育もうという姿勢ではない組織から、倫理の再構築のような概念が出てきたことが驚きです。さらに倫理の大枠を自然に任せちゃってるところがおもしろいです。
もっとおかしいのは、先週学生時代の友達と飲んだときに、竹下様の作品をあれこれ紹介して、酔った勢いで、ユニバーサリズムとこの倫理規定をくっつけて適当にストーリーにしてでっちあげのお話をしてしまったことです。ごめんなさい。ま、みんな覚えてないでしょうから、実害はないです。まあ、それだけこの倫理規定の境界条件の切り方が印象に残っていたのでしょう。
(ビッグコミックスペリオールも読まれるのですか!)

国際倫理規定

Sekko · 2006-11-12 23:34:18 UTC+9 · 投稿 #239

ええと、生まれた時から死ぬまでの自然のサイクルを安全にまっとうさせるのが善というやつですね。私もすごく納得してるんです。尊厳というのとは違うんですよ。自然にまっとうさせるんだから、恣意的な「尊厳死=安楽死」とかはむしろだめな感じですね。
これは、政策科学研究所というシンクタンクの発行している『21世紀フォーラム』で数年前に読んだものを紹介したものです。今詳しいことを調べようとして探したのですが、見つかりませんでした。すみません。多分、他の物書きの皆さんも資料の山の中で大事なものが見つからないことがあるのでは、と、言い訳になりませんが・・・でもとっても大事なので、今メールで編集者の方に問い合わせますね。Kさん、もしこれをお読みだったら、直接教えてください。何号だったか、確か国連関係の委員会だったと思いますが、正式名称も。

続々 ファンレター

Akira · 2006-11-12 16:15:29 UTC+9 · 投稿 #238

竹下節子 さま
お答え感謝します。
ケー・ブランリ美術館ですか、来年は行ってみます。キャビアとハーブティーも楽しみです。演奏会や個展、若手芸術家の卵の応援など、さまざまな活動をされていらっしゃるのですね。
この夏は不思議のメダイのチャペルにたまたま足を運びました。親切な修道女さんと非常にきれいなチャペルは強烈に記憶に残っております。
パリはいつも2-3泊でそのあとシャモニーで山にこもるのが夏休暇の過ごし方だったのですが、来年は変えてみようかな、竹下様の話を聞いていると、冬か、秋ごろにいって、観光客のためじゃないパリでずっと過ごしてみたくなりました。
ちょと勉強不足なので教えていただけますでしょうか? 作品か、ホームページか、どこで記述されていたのかも正確な文章も思い出せないのですが、“生まれた瞬間から、死ぬ瞬間までの人間としての尊厳を守るのが善で、それを危険にさらすのが悪”というような倫理規定に関して感銘深い文章がありました。
この倫理規定というのは、誰がどのような背景で構築されたものでしょうか?
なかなか、見つけ出せなくて、ちょっと捜し求めておりましたので、よろしくお願いします。

パリのお勧め

Sekko · 2006-11-10 04:01:42 UTC+9 · 投稿 #237

パリというかフランスで一番ユニヴァーサリスムを感じるところって、やっぱり公立の小学校かも。でも普通の人は入れないですよね。まして夏休みだと・・私の今好きなスポットはケー・ブランリ美術館です。行かれましたか?最近ようやく行ったので、感想を近々アート評論にUPしてもらいます。このサイトの運営をしてくださっているPickyさんが5月にパリにいらっしゃった時には、私の行きつけの界隈、不思議のメダイのチャペルとラザリストとパリ外国宣教会のクリプトとか集まってる七区の一角をご案内しました。後、私の気に入りの下町の劇場も。ジャンヌダルクのミュージカルをやってたんです。お泊りはやはり私のアソシアシオン関係のアパルトマンで。http://kapizo.hp.infoseek.co.jp/index.htm
にアパルトマンの紹介があります。次はどうぞいらしてください。このサイトは一時更新が途絶えてたんですが、最近また更新してくださる方ができて、パリのご案内とかもあります。
レストランとかはなんとも言えません。ビッグ・コミック・スペリオールの料理コミックで、京都の人に京都で一番おいしい店をと聞いたら誰も教えてくれず、京都の人って意地悪と思っていたら、何がおいしいかは人それぞれなのであえて誘導しないという意味だったんだという話がありました。私は京都の人じゃないので、この夏行った柚子屋旅館の一心居がおいしかった、と言っちゃいますけど。
パリのBourseにあるヴェニス料理とか好きですけどもちろんフランスっぽくないし。母がきたら7区の音楽院の近くにあるキャビアで有名なペトロシアンのレストランです。料理もおいしいけど、ハーブティのテイスティングというのがあって、それ専門の方が、目の前でハーブをブレンドしてくれて、3種作って、3種のデザートといっしょにどう組み合わせて飲むか教えてくれるんです。それが好き。
後は、友人がオーナーの店によく行きます。フランスっぽい店では、このごろ時々行くのはマビヨン(8番地)にある La Petite Cour かな。火水木のお昼は知り合いが手伝ってるので。通りより下に中庭があっていい雰囲気です。各種美術館の付属のレストランやカフェも、それぞれの趣向があって好きです。セナのカフェ・メディシスとか、ジャクマール=アンドレの食堂も好き。でも、フランス人は、みな食いしん坊なので、他の国に比べたら、どこでも大きく当たり外れはないですよ。パンの水準がどこも一定以上クリアしてるのと同じで。クスクスとかもおいしいです。それに日本の方の方がパリの情報くわしいし。
どうしてもオンリーワンのレストランをご案内しなければならないVIPが日本から来たときは取って置きの裏技があるんですが、普通の人はアクセスできません。私は夏に日本に帰ってることが多いんですれ違いかもしれませんが、いつかAkiraさんとスケジュールが合えばご招待しますよ。後、時々個展や演奏会付のパーティをやるんで、その時パリにいる人は誰でも参加OKで無料です。今年は12月8日から10日にアソシアシオンで写真展、10日にパーティで、17日には自宅の近くの音楽院でクリスマスコンサート、その後自宅でパーティです。フランス料理の料理人の方にビュッフェをお願いする予定。
でも普段は全体的に貧しい食生活です。だからたまにおいしいものを食べると嬉しいです。料理は嫌いじゃないし手早くて得意だと思っていたのですが、何でも使わないと錆付いちゃうらしくこの頃は手料理でもてなすのがすごく億劫なんですよ。なんかくだらないおしゃべりになりました。どなたかグルメの方いらしたら、おいしいレストラン紹介してください、東京かパリね。行ってみてご報告します。よろしく。

続ファンレター

Akira · 2006-11-09 22:40:37 UTC+9 · 投稿 #236

竹下節子 さま
お返事ありがとうございます。(感激!)
私のように、このサイトを読むのを楽しみにしている人が、一杯いますです。
竹下様の作品の一番の魅力は、日本に住む日本人への、より視野の広い、より深い観点からのメッセージですものね。
アカデミック側からの批判って、進歩性の証のようにも思えますし。
お言葉に甘えて、教えていただきたいのですが、私は今まで、夏の休暇でしかフランスを味わったことがないのですが、観光客にも、ユニバーサリズムやライシテを実感するいい方法などはありますでしょうか? 実は“アメリカにNoといえる国”を読んだのも、パリ行きの飛行機の中でして、観光中もあちこちにユニバーサリズムの香りを感じはしたのですが、来年は実感したく、よい方法があればよろしくお願いします。 もうひとつあって、こちらの質問もかなり重要なのですが、パリで一番おいしいレストランは、どこでしょうか? 竹下様の好みのお店を紹介してくださいませ。

ようこそ

Sekko · 2006-11-08 00:30:05 UTC+9 · 投稿 #232

Akiraさん、サロンにようこそ。ここんとこ立て続けにスパムが来てうんざりしてたので、普通のメールが来て嬉しいのに、しかもそれが「ファンレター」なんて感激です。こういうネット上のヴァーチャル空間って、匿名土足で踏み荒らすことも可能なわけで、それを思うと時々すごく暗くなるんですよ。
神秘主義をテーマにしたミステリーを含めて小説の構想はいくつかあるんですが、小説はたくさん書き手がいるので、私はまず他の人が書かないものを提供しようかと思って。今でも、メッセージ性のあるものを心がけているんですが、それはそれでアカデミックな側からは批判されたりするんですよ。もとより万人にうけるのは不可能ですが、嫌いな人は読まなければすむのだから迷惑にならない、好きな人は楽しみにしていてくださっているのでお役に立てている、だから差し引きプラスになると信じてがんばります。
こんな風におしゃべりできるのだからやっぱり、ネットテクノロジーには感謝ですね。本の感想でも軽い話題でも何でもお気軽にふってください。

ファンレター

Akira · 2006-11-07 23:41:40 UTC+9 · 投稿 #231

竹下節子様 初めて書き込みさせていただきます。この夏読んだ“アメリカにNoといえる国”を読んで以来、貴殿の作品をむさぼるように読ましていただいております。独特の品のよいタッチでリズムに乗れ、琴線が理解できたという満足感と、心がちょっぴり豊かになった幸福感が残り、とうとう書き込みまでしてしまいました。
このサイトを見つけて、さらに、喜びが増えましたです。

解説書だけでなく、小説などはお書きにならないのですか? きっとすばらしい芸術作品になるような気がします。

イギリス人

Sekko · 2006-10-26 02:12:05 UTC+9 · 投稿 #230

イギリス人っておもしろいですね。ステファン・フリアースはコノ映画が成功を博したことについて、女王は全国民のお母さんみたいなものだからリスペクトするように気を使ったと言ってました。これで、イギリスの専売テーマは、ヒュー・グラント系のロマンチック・コメディ、ハリー・ポッター、007に次いで、4つ目の金鉱を見つけたとかも言われてます。 この映画では、カリカチュラルなのは、フィリップ殿下です。現実とまったく遊離してて、狩のことしか頭にない。もっともこの人が現実を凝視し始めたら、かえってやっかいでしょうが。そして、広大な狩場が王族や貴族同士で隣り合ってるのを見ると、イギリスには、マルチ・カルチャーの都市と、貴族の田園とのふたつがあるのだと納得します。フランス人のエリートは結構都市の中のエリート空間に満足していて、「田園に逃げ込む」という完全二重生活は少ないですね。ヴァカンスでもヴァカンス先の社交場でまた同種の人とつるむという感じです。イギリス貴族は本気で自然の中で犬と馬と狩に打ち込めるんですね。
昨日は『ナポレオンと私』というイタリア映画に行きました。Paolo Virzi 監督です。Dniel Auteuilのナポレオンが見たかったので、ストーリーにそんなに期待していなかったのですが、鮮烈でした。エルバ島の20歳の青年教師が、ナポレオンの秘書に雇われるのですが。彼はナポレオンの戦争責任を問い、暗殺をねらっているのです。観客は、ナポレオンがエルバ島から脱出する史実を知っているので、ヒーローの青年に暗殺されないことが分かっているのですが、心理劇にはまってしまいます。
夜はTVでシラクについてのドキュメンタリーを見ましたが、そこで、どんな政治家でもここまで上り詰める人は、みんな「人間好き」の一面を持っている、というコメントがありました。「人間好き」の匂いのしない人は、どんなに優秀でも多くの人の心を捉えないのでしょう。それで、軍事の天才ナポレオンも、何万人もの兵士を殺したり殺されたりしたにもかかわらず、その孤独にもかかわらず、「人間好き」だった。コルシカから泣く泣くパリにやられ、フランス語が下手でいじめられていた男が、「人間好き」を捨てなかったのは天性のものだったのでしょう。そして、20歳の暗殺者はその魅力にまいってしまいます。
彼には、各論の人間好きが総論で残酷に人を殺せることがあると思いつかなかったのです。理想と現実、若い凡人と老練の天才の出会いの妙が楽しめます。そして、「人間好き」を表に出すというのは、何か、自分に対するすごい信頼のある人の特権のような気もします。たいていの人は、失望したり裏切られたり、他人からの評価を忌避したりしているうちに、「人間嫌い」になったり、「人間好き」を隠したり、身近な人だけ無難に愛したりするようになるのに。そんな中で、手放しで「人間好き」を感じさせる人がいると、それは他者にとってすごく魅力的に思えたりするのですね。「人間好き」な悪魔だってよくいるんですが・・・ しかしナポレオンとの関係でも、イギリス人はそこまでナポレオンを殉教者にすることを恐れていたのか、と不思議ですね。何で二度も莫大な費用をかけて「島流し」になったのか、普通の説明以上に、イギリス人のメンタリティの何かが関係してるような気もします。

The Queen

Fusako · 2006-10-25 22:26:40 UTC+9 · 投稿 #229

ローマ法王のお話はどうもわからなくて、やっとついて行けるお話に。
フリアーズの映画はまだ日本に来ていませんが、そうか、ヘレン・ミレンが女王様なのですね。
ずいぶん前にイギリスでベストセラーになった本で、スー・タウンゼントの「The Queen and I」というのがありました。「王政廃止」をスローガンにした政党が総選挙で勝ってしまったので、ロイヤル・ファミリーは公営住宅に引っ越して・・・、というような本でした。まず出て来たのが、フィリップさんとエリザベスさんの争い、苗字はどっち、という話だった、と記憶しています。日本では絶対に出ない種類の本でしたね。

セゴレーヌ・ロワイヤル

Sekko · 2006-10-20 22:10:06 UTC+9 · 投稿 #228

10月17日に、社会党の大統領選3候補が党内選挙に向けて最初の討論(というより、所信表明になりましたが)を終え、翌日のアンケートでは、今まで圧倒的トップだったセゴレーヌ・ロワイヤルが、がたっと評判を落としました。左派のファビウスは反抗児のつっぱりがあり、セゴレーヌは右派、私の気に入っているDSKが社会民主主義の正道で堂々としてました。ジョスパンもDSK支援のために出馬をあきらめただけあって、このまま行くとDSKにチャンスがあるかも。
同じ日、前首相のラファランがUMPで演説して、サルコジの後UMP代表になることをにおわせ、ヴィルパンやアリオ=マリーが無所属で出ようとしているのは嘆かわしい、UMPは結束しなくては、みたいなことを言い、ついでに、同じポワトウのセゴレーヌを揶揄して彼女は遠くからは惹きつけるが近くで見ると失望させるんだ、と言っていました。
討論会でのセゴレーヌについて、ヘアスタイルが無造作すぎる、女がヘアスタイルを気にしないのは女としての誘惑をしないという意味だから、中身で勝負しようとして優等生過ぎたと新聞に書いてありました。ファビウスは背広のボタンをかけてたのが硬く、ボタンをはずしていたDSKが余裕があったと。なんかなあ、と思いました。
昨日イギリス映画『The Queen』を見ました。ダイアナが死んだとき、まだサッチャーが首相だったら、ダイアナ、サッチャー、エリザベスの三すくみになってたかもしれないと考えさせられます。就任3か月の若々しいブレアの役割は大きかったのですね。日本で公開されてますか?Stephen Frears 監督です。さすがですよ。とにかく日本人には絶対一見の価値ある映画です。なんというか、エリザベス2世もブレアもまだ現役なのに、こういうすごく intime な家庭内映画を撮っちゃって、しかも、それが成功してるというのには驚きで、日本人と皇室との関係にどうしても思いをはせてしまいます。日本では絶対に作れない映画。国民と、国家のシンポルとの位置関係とか親しみの温度とか、いろいろ考えさせられます。そして女性元首と政府のトップとの関係にも。
フランスだと、過去のノートルダムに変わって、今のマリアンヌ、それに仕える大統領はやはり「男」のイメージが刷り込まれているような。そのへんも含めて、ジェンダーのコーナーに女性大統領についての話題をUPしました。ご一読ください。

自殺

Fusako · 2006-09-20 22:39:10 UTC+9 · 投稿 #227

数もですが、なぜ自殺するのか、その理由(動機?)が日本の場合、問題です。数の国際比較はありますが、動機ではどうなんでしょう。
日本では、生活苦、過労や過度の責任感からの自殺、そして、最近の新聞報道では、なんと、サラリーマン金融(高利貸)への借金返済のための(高利貸に「死んで保険金で返せ」と脅迫されて)自殺、があるのですね。