2008年の投稿

私の知ってること

Sekko · 2008-04-15 01:09:08 UTC+9 · 投稿 #339

日本ではマイノリティってことで、「一般的な傾向」っていうのがひょっとしてあるのかもしれませんが、フランスでは地域によっていろいろでしょう。
私のよく知ってるフランドルの小教区(つまり一つの村全部ということです。洗礼率100%でしょう)では、教会のお掃除などは、教区の持ち物である家にタダで何十年も住んでいる家族の主婦が受け持ってました。教会に隣接してる家で、彼女にとって、教会は自分の家の延長みたいな感じです。
概して、機械的に当番を割り当てられるというより、皆が自分のできることをする、ということが多いと思います。カテキズムがあるので、子供たち、カテキスト、そしてそういう子供を持ってる親たち、それから高校生から大学生くらいで人道活動に目覚めたような若者、後は年金生活者、って感じの人がそれぞれ得意の分野で協力するって感じです。子供が大きくなってもう教会に行かなくなったような親は自分たちもまた行かなくなって、次は子供の結婚式とか孫の洗礼とかでまた少し近寄るって感じが多いですね。弱者救済の連帯というのは基本なので、仕事のない人や住まいのない人を教区が助けてその代わりに奉仕をしてもらうというのはすごく自然でいいと思って見ています。
日本のように、地域の自治会とか町内会というのがないので、小教区の各種組織がその役割を果たしていることも多いですね。でも、都会では今は、移動が激しくてそんな感じではないように思います。できる時にできることをする、というスタンスの人は結構いるでしょうね。
嫌なのを無理に当番させられるくらいなら、それなりの金銭的負担をして、お掃除や雑用とかなら信者でなくとも、仕事を必要としてる人に提供して支払った方が人助けにもなると思いますけど、どうなんでしょうね。

いやはや・・

迷える大羊 · 2008-04-10 23:32:15 UTC+9 · 投稿 #337

なんだかねぇ、ほっとしたようながっかりするような・・。ほっとする部分は、クリスチャンといえば、金銭抜きの慈善事業に精出すような、あるいはコルベ神父やらマザーテレサみたいやたらと立派な人にならんといかんのかなぁ、なんて思ってましたが、なんや、一皮むけばまるっきり普通の人でも、カトリック、クリスチャンやってるやん、という安心感。

がっかりな部分は、神様信じたからからといって、クリスチャンになったからといって、教会にいったからといって、人間関係のわずらわしさとか、共同体に属する面倒くささ、人のズルさ、せこさから逃れられるわけではなく、相変わらずそういうことで悩んだり、腹を立てたりし続けることは変わらないこと、ですねぇ。
うーん、結局面倒が一つ増えるだけかなぁ。

ところで、海外の教会のこういう奉仕事情ってどうなってるんでしょうね?特にカトリックのホームグラウンドであるイタリア、フランスの教会はどうなんでしょうね?すごい偏見であることを承知でいえば、どうもこういうラテン系の人々がしおらしく、大掃除したりしたり、真面目に教会委員の活動に励んでいる姿がどうにも想像がつかないんですが・・・(笑)、

役員

nao · 2008-04-09 16:14:51 UTC+9 · 投稿 #336

自治会役員とホント、おなじようなものですね。婦人会でついこの間まで役員選挙がありました。そこでとうとう当てられた人が「教会つて、こんなに恐ろしいところだとは思わなかつた」と皆の前で言いました。皆、彼女に役員を押し付けたわけですから、シーンとなりました。「申し訳ないけどお願いします」ということで、彼女は1年間頑張りました。こんなことがあつてから、現在は役員さんが次ぎの方に直接交渉して、なんとかなつてもらう、というかたちになりました。毎年、これはなんとかしなくては、といいながら皆の努力でカバーするしかないということになつています。年一回の夏の大掃除もあつて、さすがにこの日はさぼりにくいです。なんだか、出張にかこつけて休む方やら旅行中にしていたり、みなせこいですが、私も同様でいやはや・・冷や汗ものです。組織がある以上、どうにもならんのでしょうか?

お久しぶりです

迷える大羊 · 2008-04-06 23:06:10 UTC+9 · 投稿 #335

nao様、お久しぶりです。お聞きしたところでは、マンションの管理組合とか自治会と全く同じですね。まあ、自ら望んで、組織に所属しているかいないかの違いはありますが。

まあ、月に1回程度の掃除当番とか、朗読当番くらいなら、当然だろうな、と思うし負担感はないでしょうね。しかし、役員ともなるとなると、教会に限らずどこの組織でも大変ですよね。

実は私、マンションの管理組合の役員やってまして、年度末になり、任期切れ近くなり次の後継者を探しているところですが、これが気の重い仕事でして、皆さん、よくそんなに次から次へ断る言い訳考えるよなぁ、感心するくらい、理由をつけて免れようとする方が結構いて、「ほんとにいい大人が・・」と思わされることがたびたび。ホント、人って「罪深い」ですねぇ。

教会でも、同じことがあったら、そりゃまあ、クリスチャン、カトリック教徒だって基本的に普通の人とわかっちゃいても、ちょっと幻滅しちゃうかも(自分のことは棚にあげて、ですけど(笑))。
あと、とあるカトリック教会の学びで、現役信徒から聞いた話ですが、告解、いわゆる懺悔も教会員には意外にも人気のないイベント(?)らしく、その順序、当番(っていうんですか?)を巡ってもめる、とか、20代、30代の信徒が教会になかなか来ない、とかいろいろあるみたいで、基本的によくも悪くも「普通の人」の集まりなんだな、教会って、と思ったものでした。まあ、言い方は悪いかもしれませんけど、水をかけられたくらいで、いきなり人間が変わったら誰も苦労しませんよ、といったところでしょうか・・。

ミス

nao · 2008-04-06 16:09:26 UTC+9 · 投稿 #334

途中ではいつてしまいました。
教会が300名くらいですと、やはり何かは仕事をしなければなりません。でも自分にできそうなことを申しでれば、家でやれるようなものもあります。広報の原稿とか。大きい教会では役はまわつてこないのでは・・。でもこれらは信者になつてからの話ですから、これらの仕事がこまるので、教会にゆくのはやめよう・・という風にはならないでくださいね。
私のように、遂になにもしないけれど、朗読やら共同祈願くらいはするという方も多いですし。あまり心配ないとおもいますよ。やつておられるかたは本当にすごい時間さいてますね。本当のところはどうなつているのか、教会員でもわかりません。それだけ、役員さんは苦労しておられるんでしょうね。役員にならないかぎり、まあ~たいした仕事はありません。女性のほうが掃除当番があるので、大変です。役員さんになんとなく、聞かれるのもいいかとおもいます。いい加減なお返事ですみません。どなたも書き込みなかつたもので、つい・・。

やはり大変なようです。

nao · 2008-04-06 15:58:29 UTC+9 · 投稿 #333

私はもう老人なので、教会の役割からははずしてもらつていますが、少し若いころは婦人会の選挙でいつ、何があたつてくるかわからないので、ハラハラしていました。病気や仕事の関係で逃れてきましたが、皆さんに申し訳なくおもつてもきました。
男性の場合は壮年会(社会人)に入ることは、義務になつていますね。典礼、会計、建物の管理、広報など、役割がまわつてきます。日曜、ミサのあと少し居残りということもありますね。

教会あれこれ

迷える大羊 · 2008-03-28 22:41:19 UTC+9 · 投稿 #331

>しょっちゅう立ち上がって歌えるので、眠くならないし

逆に歌うことが嫌いだとつらいんでしょうね。私、実はやたらとオッサン臭い悪声で音痴なのと、以前も触れたとおり「主をたたえ~」みたいな歌詞を大声で歌うことに対する気恥ずかしさが未だに抜けないところがありまして、ちょっと疲れるところもあります。

あと、教会員になった場合の奉仕の負担はどのようなものなんでしょうかね?特に慢性的聖職者不足のカトリック教会は信徒の力なしでは教会が成り立たないでしょうし。マンションの自治会や管理組合の役員、理事を誰にするか、でいつも役目の押し付け合いみたいなことがありますが、やっぱり教会でもそういうことあるのでしょうかね?

正直、平日夜遅くまで働いて、また土日も仕事まがいのことすることになるんじゃたまらんなぁ、というのも偽らざる本音、といっていつもお世話になっといて何にもしない、というのもこれまた良心がうずく・・。信徒の皆さん、この教会における奉仕の問題はどう考えていらっしゃるんでしょうか?現役の信徒さんの忌憚のない本音が聞ければ幸いです。

ちょっと遅ればせですが、

Sekko · 2008-03-24 22:50:42 UTC+9 · 投稿 #330

復活祭、おめでとうございます。
日本のことはよく分からないので、塩梅さま、ありがとうございました。
フランスのカトリックのミサは、いつ行っても、その日に歌う文句が式次第とともに印刷されてるので、簡単に歌える感じです。たまには聖歌集の番号が書いてあることもあってその時はページを繰らなければなりませんが。しょっちゅう立ち上がって歌えるので、眠くならないし、声を出せるので退屈しないし、私は好きですが。その代わり途中で入って、次第を手にしなかったときなんかは、あんまり歌えなくてがっかりです。うちの娘なんかは、リセの時に週2回ミサに出席してたそうで、たいていの歌はすべて覚えているので、たまに友人の結婚式とかに招かれてミサに出席しても歌詞をみなくても全部歌えるので尊敬されると言ってました。
復活祭、となると、あらためて、イエスの復活なんてことが「ほんとうに」あったのかどうかなんて疑問が湧き上ります。
それを信じた人たちがいて、それをもとにして、「正義」による復讐とか懲罰とかいうロジックをラディカルに断ち切った宗教が生まれ、「生き続けている」キリストに背中を押し続けられる、というのは理解もできるし、実感もできます。そしてそのことについては、もう、事件の「真相」が何であったかなんてことを超越してるというのも分かるのですが、でも、あの日、そしてそれに続く40日間やその後10日目に、ほんとに何が起こったかと言うのは、やはり永遠のミステリーで、時々好奇心に身が焼かれます。
私たちは私たちの人生においてそれを別のやり方で証しし続けるように招かれているんでしょうけど。

ありがとうございます

迷える大羊 · 2008-03-24 22:07:05 UTC+9 · 投稿 #329

塩梅さん、お久ぶりです。いつもありがとうございます。聖歌、賛美歌歌って、あとは牧師の説教を聞いておればよいプロテスタントと違って、カトリックのミサは実に忙しいですよね。オリエンスのリーフレットとか、聖歌集などを手にとっては見ますが、どこでどれをさっと開くかが問題ですね・・(^^;。もう神父さんに顔と名前を覚えられるくらいにミサに出ているのに全然進歩ないです(^^;。

信徒の皆さんはよくさっさかさっさか反応できるもんだ、と感心します。思うにカトリック教会は信仰とか教義を頭ではなく、感覚、身体で覚えこませる、という傾向が強いのだな、と感じますね。説教もプロテスタントに比べ短めだし・・、と思いきや、行きつけの教会で担当の主任司祭が出張(?)していて別の教会の司祭さんが司式を担当したことがあったけど、そのときの説教の長いこと長いこと。カトリックのミサでも説教が長いことががあるんだ、とちょっと驚きました。

お役に立つと良いのですが…

塩梅 · 2008-03-24 02:05:27 UTC+9 · 投稿 #328

大羊さま>
ごミサ全体の進行が分からないというお話でしたら、「カトリックの祈り」(サンパウロ刊)があれば、大体は大丈夫と思いますが…。文庫サイズの祈祷書になりますが、もっとハンディなものをお探しでしたら「キリストと我等のミサ(改訂版)」(サンパウロ刊)というのがあったと思います。教会の売店みたいなところでお聞きになって、現物ご覧になられてご確認されるとよろしいかと思います。
あと歌われる聖歌は、多分ミサ前にどれを歌うかが表示されてると思います…典礼聖歌集に何本も栞が付いているのって、あらかじめはさんでおくためのものだと思いますし。それとオリエンス宗教研究所が出しているリーフレット(こういうのです→http://www.oriens.or.jp/st/seiten.html )でアレルヤ唱+答唱詩篇は歌詞が分かると思います。

ミサの式次第

迷える大羊 · 2008-03-23 18:15:13 UTC+9 · 投稿 #327

について何か分かりやすい、解説書ってありますでしょうか?何回かカトリック教会のミサに参加しておりますが、いつも、次はこの賛美歌、今度は答礼で・・なんて電光掲示板みて、あたふたしているうちにいつの間にやら聖餐となり、気がつくと終わってしまうといった感じでして(笑)、結構疲れます。信徒の皆さんはこれ完全に暗記してるんでしょうか?慣れの問題とはいえ、よく覚えるものだなぁ、って思います。

余談ですが、うちの妻はプロテスタントですが、カトリックグッズが結構好きでイエスの像のついたカトリック式の十字架ペンダントしてますし、ロザリオ欲しがってたので、ミサの後、売店で買っていきました・・。

親の心子知らず

Sekko · 2008-03-09 05:27:15 UTC+9 · 投稿 #325

理念や理想を掲げる共同体みたいなのは、どこでも、えてしてこうなりますね。やくざは功利的目的があるかもしれないけど、社会の表で生きにくい人が生き延びる救済システムに多少の美学も足したものって面もあるでしょう・・・
でも、親分や兄弟分とあまり情動的関係を結ぶと、冷静な状況分析ができなくなったりしますね。やくざ映画でも、子分の先走りや暴走のせいでどうにもならなくなった親分が涙を呑んで、負けると分かっている戦いをしたりなんてシーンがあります。西南戦争の西郷隆盛とかも?
自分で権力欲にかられて演出する人はかってだけど、頼ってくる人々から神のように祭り上げられたトップが、自分の意に反して、カタストロフィに突き進むとか、自分を犠牲にしても子分の期待に応えてしまうとか、そういうのはこまりますね。ミュージカルの「ジーザス・クライスト・スーパースター」もちょっとそんな感じでしたっけ?

でも、共同体のうちわの家族的満足じゃなく、公共の利益というのもあるし、やはり、外にも開いているグループでないと、風通しが悪くなってあちこち故障がでると思います。何を信じるかというより、他に対して、どう働いていくかによってそのグループの価値が問われると思います。

特定の誰かを崇めることで、そこから得た安心やエネルギーを、助けを必要としている人たちに広く分け与えるようなグループだったらいいですね。

組長はイエス?

迷える大羊 · 2008-03-08 23:08:00 UTC+9 · 投稿 #324

ノンクリスチャンながら、身内の信仰がキリスト教でその世界に片足を突っ込むようになって大分経ちます。決して悪いものとは思っていないし、人類史への貢献ぶりは認めるものの、信仰となると躊躇してしまっているところ。その理由の一つにこれはイエスという2000年前の実在する宗教家を実質的に神と崇めるということがあるのですが・・。

でも、最近読んだ、牧師やクリスチャンになった元ヤクザのグループ(?)ミッション・バラバの本にそのことに関して妙に納得のいく説明があって、それは、誰の発言かは忘れましたが「親分がイエス様になっただけのこと」といった趣旨の発言で、思わず、ああなるほどね、と思ってしまいました。以前も似たような趣旨の発言を冗談半分にUPしましたが、最近は冷やかしでも冗談でもなくそう思うこと多いです。

うまく、言葉にできないんですけど、そういうヤクザ的な論理で考えると、つまり、構成員(信者)にとって「親分、組長は絶対だ、神同然」というのは当然のことで、カタギの理屈で「個人崇拝だ」「三位一体なんてヘン」なんてツッコミを入れる方が野暮に思えてきますし、自分が頼みとする親分が「奇跡を巻き起こし」、「永遠の存在(復活した)」である無敵の存在であって欲しい、という願望、信仰も物理的、歴史的事実としては到底受け容れ難い話ですが、心情としては分かる気がしてきます。

もちろん、クリスチャンとかキリスト教はヤクザと違って反社会的な行為を生業としているわけではないですし、長い歴史に揉まれた末、そのスタイルも考えも洗練されたものとなってはいますが、なんていったらいいのか、カタギの常識的な発想で考えると理解不能な風習、慣習もやくざ的論理を当てはめるとな~るほど、と思えるところが少なからずあるような感じがするといいますか、根本的な発想に似たようなところがあるんじゃないのか、という気がして・・。

例えば、ヤクザもクリスチャンも建前上、ともに組長、親分、イエスを中心とした擬似家族制ですし(教会報など公の文書では信者同士~姉とか~兄なんていいますし)、構成員(信者)になるに際して、盃を交わす、洗礼を受けるなどの儀式がある、組員(信者)からの上納金(献金)で組織が成り立っている、ともに構成員(信者)の高齢化が進むなどなど妙な共通点がありますし・・・。聖母マリアはさしずめ「姐さん」といったところでしょうか・・。極端な話、宗教とかキリスト教とヤクザとか暴力団というのは裏と表、神と悪魔、光と闇のような関係なんじゃないのか、と思ったりします。

パンやワインをイエスの血と肉になぞらえた聖餐式も亡き(という表現はキリスト教的には変か?)「組長」「親分」との今も変わらない連帯感の確認の儀式と考えればなんだか私的に理解できるような・・。
そう、クリスチャンとはイエスを「親分」「組長」とする任侠道ならぬ、人道団体の構成員(組員)と思えば、これまでキリスト教に関して不思議でならなかった風習、考えの謎がクリアーに分かる気がするのですが、どんなものでしょうかね??

この譬え、もし不謹慎、不快に思われる方がいらっしゃればごめんなさい。

なんと・・

nao · 2008-02-17 08:37:24 UTC+9 · 投稿 #321

あらまあ~なんということ。ジャーナリストの名なんですね。すぐ後ろにきていたので、想像できませんでした。女の方なんですね。
間違いのおかげで、しつかり先生の御本を読み返しておりますので、かえつてよかつたです。ルルドからまた「聖母マリア」を再読です。この本は実に素晴らしい!!の一言です。前にお聞きしたことがありますが、「聖母」という訳は誰がつけたのでしょうか?ある学会でもききましたが、だれも知りませんでした。もし、すでにおわかりでしたら教えていただけると、嬉しいです。

それはジャーナリストの名前です

Sekko · 2008-02-16 18:00:21 UTC+9 · 投稿 #320

こういう文脈なら、必ず、それはその放送をしている人の名前です。署名みたいなものですね。フランス語では、姓名を並べて一気に言うと、なんか公式のレッテルみたいになるんですよ。日本語なら「ご案内は・・・でした」とかい
うフレーズになりますから分かりやすいですが。
普通のインタヴューで、本人を前にしても、「ムシュー・・・」というほかに敬称抜きでフルネームを使えます。肩書きなしでそういえる場合は、公人としてとかいう意味がありますね。

ためしに今、Google で検策しましたらそのジャーナリストの顔も出てました。
http://www.rfi.fr/radiofr/emissions/072/accueil_50.asp

ご参考に。

naoさんはルルドに行かれたんですね。私も今年是非行きたいと思ってます。
行けたらみなさんのためにろうそく捧げときますね。

フランス語質問箱の間違い

nao · 2008-02-16 10:19:29 UTC+9 · 投稿 #319

すみません。フランス語質問箱にいれたつもりになつておりました。どちらにも関係はありますが・・申し訳ありません。

Lourdes

nao · 2008-02-16 10:15:13 UTC+9 · 投稿 #318

2・11に「France Facile」のニユースをきいていましたら、最後にLoudes,depuis 150
ans ,
n`est plus la petite ville qu`elle etait en fevrier 1858,Genevieve Delrue.
とありました。それまでのところはルルドの解説です。最後のGenevieve Delrue
というのはその地方の名前なのでしょうか?先生の「奇跡の泉ルルドへ」でしらべてみましたが出てまいりません。
150周年のルルドに病気の知人がゆけるといいなあ~と願つておりますが。病人があつまるのに、明るさが支配するルルドに夫と行けたこと(最初で最後の旅行となりました)を、本当に幸せにおもつております。

ご回答を賜り、ありがとうございました。

rotondo · 2008-02-07 21:03:54 UTC+9 · 投稿 #317

竹下先生の著書「聖女の条件」に導かれ、カスキア巡礼に行ってまいりました。カスキアは所々に雪が残っていて、とても寒かったです!!

また先生の別の著書「奇跡の泉ルルドへ」や、訳本「聖カタリナ・ラブレ」を拝読し、昨年の春先にはフランス巡礼にも行く事が出来ました。

どちらの巡礼も先生の書かれた素晴らしい本にめぐり合い、お導きを頂いたからこそと、心より感謝致しております。ありがとうございました。

聖女リタさんについてはイタリアから帰国後、写真を見て初めてご遺体の前のガラス容器に気付きました。残念ながら中身までは、はっきり写っておらず、ひょっとして心臓かも!?と、インターネットで何時間もかけて検索してみたのですが、結局判らずじまいでした…。

またいつの日かその中身について、お気づきになられましたら、お書き込み頂けませんでしょうか。どうぞ宜しくお願い申し上げます。

rotondoさま

Sekko · 2008-02-07 07:59:12 UTC+9 · 投稿 #316

聖女リタの遺体の前の聖遺物について、今すぐに思い出せません。内臓系なら心臓でしょう。心臓を別にするのは一般的でしたし。棘ってことはないですよ。あれは棘が飛んできて刺さったと言ってるだけで、聖痕はできても棘がくっついてたとは聞いてません。こないだアヴィラの聖女テレサの聖遺物をいろいろ見てきたとこで、彼女はもう目いっぱい解体されてるので、ばらばらでしたね。
リタは本体のインパクトがあるので、付属聖遺物はインパクトが小さいかなと思います。この季節ではウンブリアは寒かったのでは?

ロックと教会

迷える大羊 · 2008-02-06 20:36:39 UTC+9 · 投稿 #315

確かに、ロック=教会音楽へのプロテストっていうのは単純すぎる見方でしょうね。「Roll OVER BEETHOVEN」はまあ、確かに原曲はチャック・ベリーですが、ビートルズのカバーバージョンのイメージの方が強かったもので。
右派系の教会から目をつけられやすいのはロック全体というより、一部のヘビメタの類でしょうね。それにしたって草創期の50年代、60年代ならともかく、いまどき「ロック=反抗、カブキ者」のイメージなんて成り立たないですね。

それに、ロック界のスターたちも結構、教会との関わりある人、多いですね。プレスリーやレッド・ツェッペリンのベーシスト兼キーボードのジョン・ポール・ジョーンズは聖歌隊出身だったり教会音楽の演奏者出身だったりしますし、ビートルズのジョンとポールが最初に顔合わせしたのは教会のパーティだし。

全く話が脱線しますが、聖書の「ヨハネ黙示録」、あのシュールな世界はジミ・ヘンドリックスの「Purple Haze」、ビートルズの「Lucy in the Sky with Diamonds」など、ドラッグソングと噂された60年代、70年代の名曲を思い出しちゃいます・・・。

ご存知の方、教えてください!!

rotondo · 2008-02-04 15:34:58 UTC+9 · 投稿 #314

初めて投稿させていただきます。

昨年末から今年にかけてイタリアへ行って参りました。カスキアへの
聖女リタさんの教会へも行ったのですが…

現地では気づかなかったのですが、帰国後!?と思った事があります。

リタさんのご遺体の前にあった、装飾された硝子の二重容器(展示されていた聖遺物の
結婚指輪やミニロザリオの容器と同じ様な)の中身は一体何なのでしょうか??

多分、聖遺物だとは思うのですが…額に刺さった棘?心臓?

もしご存知の方がいらっしゃれば教えてください!!

追加

Fusako · 2008-02-04 01:55:45 UTC+9 · 投稿 #313

「天使にラブソングを」は、教会が人々に親しまれる音楽を通して再び地域に根付いてゆく話ですので、機会があったら見てください。

あと、全然関係ないけど、「カテドラル」を、B'zが「闇の雨」に引用していましたね。

ロックと教会

Fusako · 2008-02-04 01:49:00 UTC+9 · 投稿 #312

教会は、あちらの日常生活ですから、ロックにも別に普通に入っていますよ。あれは1980年代半ばかな、アメリカのグループMr.Misterの"Kyrie"という曲が大ヒットしましたし、ヴァン・ヘイレンには「カテドラル」という名曲があるし、クイーンが代表作の一つ、"We will rock you"を教会で録音したというのは有名な話だし、とか、ウーピー・ゴールドバーグ主演の映画「天使にラブソングを」や、古いけれど、教会で育った孤児の恩返し映画「ブルース・ブラザーズ」とか、「反抗」でない「ロックと教会」の話はいーっぱいありますよ。
あと、クラシックとロックで言えば、ロックが反クラシックではないですよ。ちなみに"Roll over Beethoven"はビートルズではなく、チャック・ベリーの曲ですが、反クラシックというよりは、気取ってクラシックしか音楽と認めないことへの反抗、でしょうね。クラシックの音楽家でロックやジャズの愛好家、その逆とかいっぱいいますし、欧米ではとっぢも好きな人の方が多いように思います。ロックだけ、とか、クラシックだけ、みたいな人の方が多い日本がむしろ西洋音楽についての例外のような。ヴァン・ヘイレンの「カテドラル」なんて、知らないできいたらロックと思わないでしょうし、クイーンは、オペラ(「ボヘミアン・ラプソディ」)、シャンソン(「キラー・クイーン」)、ゴスペル(フレディの曲ですが「タイム」)と何でも使ってますね。

西洋音楽とキリスト教

迷える大羊 · 2008-02-03 22:32:24 UTC+9 · 投稿 #311

先日、カトリック生活2月号を購入して読んだら音楽と信仰の特集でした。いろいろ読むと西洋音楽の成り立ちって教会と密接な関係があるんですね。

もっともクラシックや教会音楽はさっぱり知識がなく、私にとって西洋音楽といえば、ロックなんですが、ロックやジャズ、リズム&ブルースも思えば、教会中心、キリスト教中心の音楽に対する一種の反抗みたいなところが少なからずあるのかな、という気がしてきましたがどうなんでしょう?(ビートルズの曲にも「ROLL OVER BEETHOVEN」なんて曲があったりする)

実際、アメリカなどはロックの本場である一方で、キリスト教右派を中心に有害図書ならぬ有害音楽として忌み嫌う向きも多いらしいですし。
もっともロックが好き、といっても一部の教会で行われているらしい、フォークとかロックミサとか、礼拝って全然興味ないです。やっぱり教会には教会にふさわしい音楽がいいな、って思う方ですね、私は。

お久しぶりです

迷える大羊 · 2008-02-02 14:23:27 UTC+9 · 投稿 #310

nao様 お久しぶりです。そうですか、遠藤先生と直接、お会いしたりお話したりしたご経験があるのですね。羨ましい。彼の語るキリスト教って私には一番理解しやすいもので、他宗教に対する考え、聖書の読み方などは私にも共感できるものが多く、キリスト教に触れたときの違和感、アレルギーが彼の作品からは感じられないんですよね。

発表当時は物議をかもした「沈黙」も今ではプロテスタント教会の映画鑑賞会でも上映されますし、マーチン・スコセッシ監督の手によりハリウッド映画になる計画も進行中のようです。ただ、ハリウッド映画の方はわけもなくニンジャやゲイシャがでてくるような、あちらのオリエント趣味に阿った映画にならなきゃいいけど、なんて懸念もあったりしますが(笑)。