フリーメイスン もうひとつの近代史

本の紹介
謎めいた存在ゆえに、陰謀論の格好の対象となるフリーメイスン。 秘密に包まれたイニシエーションの実態とは?
「自由、平等、兄弟愛」などキリスト教ルーツの価値観を政治から切り離し、 「普遍価値」として復権させることが彼らの使命である。
アメリカ独立戦争、フランス革命から『シャルリー・エブド』事件まで、フリーメイスンの誕生と変容を辿りながら、西洋近代をもうひとつの視点からとらえなおす。
書誌情報
- 出版情報
- 256頁 1650円+税
- 出版社
- 出版社: 講談社選書メチエ
- ISBN
- 978-4-06-258604-7
著者のコメント
2001年に『グノーシス 陰の精神史』(岩波書店)という本にグノーシスとフリーメイス ンについての項を書くように頼まれた。その記事に興味をもってくれた編集者から、フリ ーメイスンでぜひ一冊書いてみないか、と声をかけられた。もし無理なら監修という形で 共著でもいいと言われたが、日本でいったい誰がどんなことをフリーメイスンについて書 けるのか分からなかったのでそのままになってしまった。
その後、『無神論』(中央公論社)、『陰謀論に騙されるな』(ベスト新書)などによ って、ヨーロッパの精神史を比較宗教とは別の角度から俯瞰する作業を重ねてきた。その 流れから、近代史の中でいつも独特の位置を占めているフリーメイスンについてようやく 一冊の本にまとめる機会がやってきた。
その間に、インターネットの世界が際限なく広がり、「好奇心」によってフリーメイス ンを知りたい人は誰でも簡単に膨大な「秘密」にアクセスできる時代になった。けれども 手軽に消費できる「秘密」は時として「本質」を見失わせるし、「陰謀論」だけがウィル スのごとく広がる。
一方で、実はメンバーの匿名性以外にはもはや「秘密」が意味を持たなくなりかけてい るフリーメイスンのメンバーたちは、それぞれのロッジ(会所)での研究発表やそれに続 く議論をインターネット上で発表するようになった。匿名性が普通に通用するウェブ空間 はフリーメイスンの活動と相性がいいのだ。今までは内部の会報でしか知ることのできな かった情報に触れることができるだけでなく、会員たちの「本音」も伝わってくるように なったのだ。
私が追っているのはフランスのフリーメイスンのサイトや掲示板がほとんどだ。そこで は、陰謀論だの秘密結社だのという言葉とかけ離れた議論が繰り広げられている。
冷戦後、アメリカの一人勝ちで世界を席捲したグローバルな新自由主義によって経済格 差は拡大した。その後、近代社会のスタンダードである民主主義を規範としない中東や中 国などの「非キリスト教文化圏」が台頭する中で、マネーがすべての基準になるかのよう な空気が生まれている。その結果、多くの「普通の人」が一種の「生きづらさ」を抱える ようになり、その一部は内向きに引きこもったり攻撃的な排他主義に向かったりすること もある。そもそも近代の西洋が唱えて押しつけた「普遍主義」など普遍でも何でもない、 民族固有の伝統的価値観に回帰するべきだ、という声が聞こえてくるようになった。
けれども、例えば日本の目から見る「欧米の価値観」は別にキリスト教文化圏における 固有のもの、伝統的なものではない。むしろ固有の価値観や伝統が崩れたり内部で対立し あったりを繰り返す中で、絶え間ない戦争や革命などの大きな代償を払いながら、「伝統 」や「宗派」の違いを超えて「共生」することを目指して少しずつ培われてきたものだ。 ヨーロッパのフリーメイスンはその土壌の一部をなしている。プロテスタントのイギリ スで生まれた近代フリーメイスンは、「啓蒙」の世紀に模索された自由平等主義の息吹の もとでカトリックの絶対王権下のフランスにも広がった。
世界的に見ると、今のフリーメイスンには政治や宗教に口を出さない社交クラブ、人脈 作りの場となっているものが多い。フランス最大のメイスナリーである「フランス・グラ ントリアン」はそれらと一線を画するものだ。「政教分離(ライシテ)」の牙城として、 社会民主主義寄りの政治ロビーのひとつとなっている。現在の首相であるマニュエル・ヴ ァルスは1989年から2005年までグラントリアンのメイスンだった(2003年頃から会合に 出席しなくなって、2005年に正式に脱退した)。彼の政治家としての足掛かりとなったエ ヴリィ市長の職も、2001年に同じフリーメイスンである前市長の後を継いだ形で獲得して いる。
とはいっても今の内閣にメイスンを多く起用しているわけではない。フリーメイスンの 方も、政治家たちが敢えて言えないようなメッセージを発信する方向を目指しているよう だ。世代的には今や68年5月革命世代(日本でいうと団塊の世代)の兄弟団の体をなして いるものもある。この世代は伝統宗教から離れて無神論や共産主義に近づいた人が多いの で、革命の夢が消えた後で共同体意識を求める心がフリーメイスンに向かったのかもしれ ない。
フランスのフリーメイスンは、フランス近代史を語る時にまったく新しい視座を与えて くれると言えよう。2015年1月の「シャルリー・エブド事件」も、フリーメイスンの歴史 を通して見ると、単に「宗教を揶揄するのはいかがなものか」などという感想と別のもの が見えてくる。
私は啓蒙時代のフランスの普遍主義の模索のひとつの形として結実したフランス・バロ ック音楽を演奏している。特に、道半ばで病に倒れて活動を中止したせいで忘れられてし まったシャルル=ルイ・ミオンという作曲家の残したオペラのダンス曲などを研究してい るのだけれど、これまでにミオンについて自著の中で触れたのは『バロック音楽はなぜ癒 すのか』(音楽之友社)でだけだった。今回の『フリーメイスン』の中でふたたびミオン に言及できたことに感慨を覚えている。
もちろん人間が複数集まるところ、個人のエゴイズムの対立や嫉妬、欲望など、多くの 「人間的なもの」が渦巻いて、当初の理念からの逸脱や堕落、退廃、不正などが起こるこ とはフリーメイスンでも同様だ。とはいえ、複雑に広がるフリーメイスンのネットワーク の構造は、内部の個人や派閥や組織の一部が「病んだ」時に、欠けたものをどこかでバッ クアップしたり、新陳代謝を可能にしたりする柔軟性を全体として備えているようにも思 える。
外部のものを排除する秘密結社というイメージのフリーメイスンを、それとは反対の普 遍主義の文脈から眺める新鮮さをこの本でぜひ味わっていただきたい。