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  ローマ法王ベネディクトゥス16世-- B16
ヨハネ=バウロ2世-- JP2
と記載します。


arrow B16の問題発言騒動について(2006.9.22)
arrow ルルドの治癒について(2006.3.24)
arrow 小児性愛スキャンダルについて(2005.11.25)
arrow ロジェ修道士の死(2005.8.30)
arrow ケルン世界青年の日大会(2005.8.25)
arrow JP2の奇跡(2005.6.26)
arrow バイオテクノロジーと民主主義(2005.6.16)
arrow レヴァダ 教理省長官、大丈夫かしら?(2005.5.20)
arrow JP2は聖人になるか(2005.5.15)
arrow B16とフランス改革教会(2005.5.12)
arrow B16と『Dominus Iesus』(2005.5.1)
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arrow ベ ネディクトゥス16世について (2005.4.30)

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B16 の問題発言騒動について

宗教哲学質問箱(2006.9.19)に、9月12日のB16がドイツで神学について講演した内容についてのイスラム世界の抗議行動への感想を書 きました。B16の発言内容そのものについてはあえて触れなかったので、やや沈静化した今、内容についてコメントします。これについて、いろいろなフラン ス人のコメントを読みましたが、リベラルなキリスト教の立場からのものと、無神論哲学者の立場のものが同じことを別の角度と照明で観ているのが興味深いで した。

B16の講演内容は、難しいと思われるかもしれませんが、今、西洋無神論の系譜についての本を準備している私には、とてもよく整理された分かりやすい内 容だと思えて、参考になりました。同時に、それに対する無神論者の反応が、私のテーマの内容を検証するようなものであり、ますます自分的にはタイムリーな ものでありました。全貌は私の「無神論の系譜」が仕上がってから読んでいただくとして、この欄でB16を擁護してきた私として、今回の話をこれまでの彼に ついてのこの欄とどう関係付けるかをコメントしたいと思います。

まずフランスのリベラルキリスト教者の見方に沿ってみましょう。

B16の講演の論点は、三つあります。

a)キリスト教はユダヤ教の子供であると同じくらいギリシャ思想の子供でもある。つまり「信仰」と「理性」のバランスの上に立つ。

b)次に、すべての宗教は暴力を排除して精神の自由を尊重しなくてはならない。

c)最後に、行き過ぎた合理主義と共に、非合理的な狂熱に陥るような信仰を斥けなくてはならない。

この三点は、B16がすでに主張してきたことで一貫しています。ここで注意してほしいのは a)です。

日本では、日本的アニミズムや多神教を差異化したいせいか、キリスト教とイスラム教とユダヤ教の問題というと、「一神教」内部の問題だとくくりがちですが、ユダヤ世界で生まれたキリスト教が普遍宗教として発展したのはギリシャ語を共有するヘレニズム世界とそれを継承したローマ帝国でした。つまり、多神教世界だったのです。それから一時、同じ多神教のケルトやゲルマン世界の宗教と集合していくのですが、中世にもう一度、アリストテレスを再発見して、今日まで多大な影響を与えているトマス神学が成立したのです。

これに対してユダヤ教は民族単一神から一神教に発展しましたが、多神教社会で何度も「偶像崇拝」の誘惑に負けては神に罰せられています。最後に現れたイスラムと言えば、一神教としてはかなり厳格なすっきりした偶像拒否のものですが、アベロエスやアビセンナというような大学者を輩出して、古代ギリシャ思想を復権させました。ヨーロッパのキリスト教は、彼らのおかげでアリストテレスらのギリシャ思想を再発見したのです。だから、思想的には、キリスト教もイスラムも、主知的なギリシャ哲学の洗礼を受けているということです。つまり信仰と理性のバランスをどうとるかという問題は、キリスト教にもイスラムにも共通のものであって、一神教同士が自分らの神の優越性を競っているという単純な話ではありません。

明治の日本は和魂洋才を建前にしましたが、理性=科学=テクノロジーが世界に遍く力を持つ近代以降には、どの国のどの文化も、テクノロジーと産業のツールである理性に対して信仰や伝統をどう折り合いをつけていくのが大問題であるわけです。

次にb)ですが、歴史上、宗教はたいてい権力装置と結びついていましたから、暴力装置を内在し、さまざまな蛮行を繰り返しました。それは別に「宗教」だからの蛮行ではなく、覇権主義独善主義に向かう人間の蛮行で、「人間だもの」の蛮行なんですが、テクノロジーが発展して蛮行の規模が大きくなり共倒れの全滅の潜在力を得た時分から、まあ平和への外交の智恵も進んできました。特に西欧カトリックなどの老舗宗教は、世界が非宗教化されていく過程で、権力装置と 宗教を分けるという智恵に到達し、まあ、もう宗教の名で暴力を発動しないという合意にようやく達したわけです。

しかし、イスラム世界は、もともとキリスト教風の政教分離が難しい上に、南北問題のあおりや、石油利権の問題、イスラエル問題もからんで、宗教の名のもとに暴力を発動する原理主義グループや戦闘的グループが生まれているので、理性と狂信や暴力の折り合いは今現在の大問題になっているわけです。しかも数からいうと少数であるはずの原理主義者たちは、情報社会のネットワークをフル活用して、少しでもネタ(カリカチュアにしろB16発言にしろ)あると、正確な 「情報」でなくプロパガンダの「狂熱」をあっという間にイスラム世界全域に広げてしまいます。

原理主義者でないムスリムはもちろんこの状況を憂慮しています。

フランスのムスリムへのアンケート調査では、宗教にかかわらず全ての人間の平等を認めるというのが94パーセント、政教分離に賛成するのが73パーセントとあります。ここでのフランスのムスリムとは三分の二がフランス国籍(移民の二代目や三代目が多数派)で三分の一が外国籍の、両方を含みます。成人の半数が30歳以下です。男女平等には91パーセントが賛成、たとえフランス以外のイスラム国においても一夫多妻や不倫女性の石撃ち刑には反対というのがそれぞれ79パーセントと78パーセント、88パーセントがラマダンを守り、43パーセントが日に5回の祈り、週一モスクへ行くのは17パーセントだそうで す。フランスのカトリックで毎週教会へ行く人よりは多いという程度でしょう。

問題は、ムスリムがキリスト教に改宗することについて、受け入れられない、許さないとするのが45パーセント、自由だとするのが46パーセント(無回答 9パーセント)というところです。

これは、近代ヨーロッパの理念の一つで基本的人権の一つとされる「信教の自由」の問題です。人は必ずどこかの共同体の中で生まれますから、普通は当然「親の宗教」を受け継ぎます。成人してからもその宗教を捨てたり離脱したりすることはどこの社会でも許されませんでした。異宗教間の婚姻が不可能だった り、棄教者は共同体から追放されたり殺されたりもしたのです。ヨーロッパでは異宗教間どころか同宗教間でも新旧争いで血を流した時代を経たので、この「信教の自由」を抜きにしては「近代」理念は成立しませんでした。「信教の自由」のある空間、これがフランスでは「非宗教空間」という仮想の共和国聖域なわけ です。

このフランスにおいて、ムスリムの45パーセントも互いのイスラム離脱を許さないと答えているのを、共和国主義に反する由々しきことと見るか、イスラムでさえ46パーセントが他宗教への改宗を自由としているのはさすがフランスだと見るか、難しいところです。どちらにしても、「信教の自由」は、「寛容」と結びついています。「親の宗教」は家族や親族の価値観や先祖をどう祀るかという問題と関わっているので、それを捨てるか捨てないかというのは情緒的な問題でもあります。そこで「個人の自由」を基本的人権と認めるのは、情緒を制御して平和に他者と共存する理性の働きでした。情緒からはなかなか「寛容」は生まれません。

また宗教そのものが寛容と相いれないとする考えもあります。それは宗教が基本的に「蒙昧」であって理性とは相いれないと言うことにつながります。それに対して、B16は、キリスト教はギリシャ哲学の理性とパレスティナ宗教の信仰という二つの流れを持っているのでバランスがいいと言っているわけです。今回の発言の要旨は、信仰は、蒙昧頑迷ではなくて、人間に共通である普遍的な理性に従わなくてはいけない、ということです。そして理性に従うことは決して神の意志に反することではなくむしろ神の本性につながるというのです。

これに対して、イスラムでは、キリストのような「人になった神」をたてないので神はまったく抽象的超越的であるから、理性という人間的なものは意味をなさない、という議論が古来からあったという例をB16が引いたので大騒ぎになったのです。この文脈で、イブン・ハズムという人が、絶対超越者である神は、自分の言ったことに責任を持つ必要もない、何でもありだ、と言っていたと孫引きしたのですが、このイブン・ハズムという人は、実は非常に主知主義的なイスラム神学を批判した人だったわけです。前述したように、キリスト教神学がギリシャ理性主義を取り入れたのは、イスラムの学者たちによる古典ギリシャ哲学の発見のおかげであったぐらいですから、イスラム世界はすごく知的で理性的な流れの伝統(アヴィセンナやアヴェロエスなど)があり、蒙昧とはほど遠かったのです。しかし誰かが理性的になると、原理主義や狂信の側にふれる人も必ず出てくるわけで、神は絶対不可知の存在だからすべての理性的議論を無化するという 人も出るのです。

B16は、アヴィセンナなどが信仰を理性的に語ったことに触れずにイブン・ハズムの言葉を出したものですから、まるで、イスラムは理性的でない、キリスト教は理性を重んじる、みたいにとられてしまったということですが、別に一般向けの講演でなかったのでそのへんが誤解されるとは思わなかったのですね。趣旨は、宗教や信仰の問題を力で解決してはならない、理性で解決しようということで、宗教者としての自戒だったのですが。

ややこしいのは、B16は、蒙昧主義は原理主義や聖戦主義(これはイスラム原理主義やテロリストに限らずキリスト教原理主義や十字軍の侵略や異端審問の蛮行も含めて)批判しているのですが、同時に、理性主義や近代主義の行き過ぎが招いた信仰やモラルの喪失や相対主義の罠に対しても、同じくらいの危機感を持って批判していると言うことです。 特に、ヨーロッパ近代は、キリスト教自体を母胎にして生まれた事情があります。絶対的一神教とちがって、キリスト教 の特徴は、人であり神であるというイエス・ キリストという仲介者をたてて、そこに聖霊も加えて三位一体の神を信じるところです。

「絶対神」対「人間」の関係の時は、神が絶対王権みたいなもので、神の言葉は一方的に通告、神罰も一方的、だったのが、人間であるキリストを通じて、少しずつ人類という議会が王と交渉できるようになったという見方もあります。王権の一部委譲、立憲君主制みたいになって、教義の解釈や適用に柔軟性が出てきた。悪く言えばご都合主義、良く言えば時代や人類の文化、政治、科学の発達などの条件に合わせて宗教を発展させてきたわけです。しかし、こうして民衆を王宮に招き、人間を神の領域に招いていると、少しずつ、民衆は王を必要としなくなり、人間の「理性」は「超越的な神」を必要としなくなっていきます。近代理 念を生んだ「啓蒙主義」の時代は、無神論をも生んだのです。

そして、それが「西欧の神」と「西欧の無神論」であった次代は、まあ同じことの裏表というか表裏一体をなしていたので、互いに支え合って共存できたわけです。しかし、ポストモダンの時代になって、多文化多宗教が混在してくると、文化相対主義というのが生まれ、西欧的キリスト教にとっては、実は、これが 「無神論」よりも深刻でやっかいなものでありました。なぜなら、すべてを相対化してしまうと、「絶対神」も、「絶対善」も「真理」も、「絶対理念」も、「民主的多数派の支配」も意味をなさなくなってしまうからです。それでもまだ冷戦のイデオロギー対立があった時代は、仮想敵や善悪がはっきりしていたのですが、そしてJP2も自由陣営側で戦えたのですが、冷戦が終わると、「キリスト教無神論」よりもっと始末の悪い「相対主義的無神論」が自由陣営に蔓延している現実に目を向けざるを得ませんでした。それと戦うために、冷戦下の自由の戦士だったJP2は、晩年には頑迷な保守主義者と言われてしまうのです。

B16もそうです。主知主義のインテリで、第二ヴァティカン公会議でもカトリックの近代化のためにがんばった彼は、JP2が倒すことに成功した「マルクス主義的無神論」の後で、今度は資本主義世界の「ポストモダン無神論」と戦わなくてはなりませんでした。B16は教皇になってから大きく言って三点で「反 動」姿勢を打ち出しています。

まずJP2が認めたダーウィン主義の見直し、科学の中に「知性ある摂理」を盛り込もうとするニュアンス、遺伝子医学への批判などです。第二に啓蒙主義批 判、理性はキリスト教的限界と共存すべきであること。第三に、政教分離の侵犯というか、遺伝子治療に関するイタリアの国民投票で信者にボイコットを呼びか けたことです(効を奏しました)。

まあ、大手宗教のトップがこの手のことを言うのは、ノーマルというか、それはまあいいのです。問題は、「西欧近代」とともに、少しずつ政教分離して非宗教化してきたと思われていた世界で、1970年代の終わり以降、イランのホメイニ革命に象徴されるような原理主義的傾向があちこちで台頭してきたことです。そして、「ポストモダン的無神論」と戦って保守化するキリスト教も原理主義的カラーを帯びて、イスラム原理主義と競合するように見えることです。それで、「一神教同士の内輪争い」などと言われたり「宗教が悪い」と言われたりして、「ポストモダン無神論」の倫理なき拝金主義や歯止めなく環境を破壊する産 業主義が野放しになる現実があります。

この状態を、近代主義理念を創った「キリスト教無神論」の哲学の側から見てみると次のようになります。世界のコンセプトには二つあり、その一つは、宇宙は精神と物質とに分けられるというものです。たいていの独裁者や独裁体制はこのコンセプトを採用します。なぜなら、独裁を、従属させられている側が「理性的に批判」するのを封じるために、自分たちの独裁の権利は「超越的なもの」によって保証されていると言うためです。それが無神論の共産主義国家でも同じです。彼らの独裁を保証するのは神でなくとも、イデオロギーでもいいのです。だから法治国家によって追われることを恐れる独裁的指導者たちは、キューバでも ボリビアでもイランでも、けっこう連帯し合ったりするのです。

もう一つのコンセプトは宇宙には一つの実体しかなく、エネルギーも精神もマチエールの中に含まれているというもので、社会をオーガナイズするには、その宇宙の調和を自分で考え出さなくてはなりません。これが宗教指導者や理想主義者や国家主義者や民族主義者を含むグループで、自分たちが価値観やルールを創 出できると信じています。それを押し付けるために血を流すのもいといません。

しかし、この世界の諸問題、政治的暴力や経済的不公平を解決するには、そのような原理主義者や独善主義者や覇権主義者たちに殺し合いをさせて多くの犠牲者を出すほかないのだろうか。我々は、火にかけた牛乳が煮こぼれるのを防ぐために見張るように、彼らの暴走を常に見張っていなくてはならない。

このキリスト教無神論の見方では、B16の反動もイスラム原理主義者の反応も同じカテゴリーで、神の代理人のような宗教指導者やイデオロギーの化身みたいな扇動者は等しく「要注意」ということのようです。「我々」という彼らの宇宙のコンセプトがどちらなのかははっきりしません。これは『シャルリィ・エブド』(風刺週刊紙)のフィリップ・ヴァルの意見で、彼は、『シャルリィ・エブド』がムハンマドのカリカチュアを掲載したのは、キリスト教側からのイスラム批判のためではなく、価値観の押し付けに対する表現の自由のためだけであったことを強調したいわけです。確かに『シャルリィ・エブド』はキリスト教や教皇 や政治家のカリカチュアはもっと派手に、時には悪趣味に出し続けています。

理性と信仰のバランスの問題は確かに大きな問題ですが、バランスの問題だけではないような気もします。精神と物質とか精神と肉体の問題も同じです。それが離反していると自覚してしまう人間だけがその統合も必要とするのかもしれません。「知・情・意」という言葉がありますが、知性と感情の他に、意志をもって進んでいくには、ある光に照らされる必要があるのでしょう。その光を求めたのが「啓蒙」思想だったのだとしたら、その光を守っている限り、啓蒙思想のい ろいろな展開は、キリスト教無神論もふくめて価値を持ち続けていると思います。

同じ光が宗教のリーダーたちを照らしてくれることを願いましょう。

 さて、ヴァティカンは、時期外務大臣にフランス人のマンベルティ枢機卿を任命しました。彼はコルシカ人の父を持ち、モロッコのマラケシュ生まれ。イスラムにも強く、ラテンにも強い頼りのありそうな人物で、パリの政治学院を卒業、パンテオンのパリ第二大学法学部で公法の学位も持っています。

今回のB16の「失言」について、B16は発表するすべての文を自分で書き、最後の最後まで自分で推敲するので、担当官がチェックする暇がないという指摘がなされていました。現在の世界の宗教的緊張の中で、一国の首長がその発言にどんなに気を使っても使い過ぎでないというのは正論です。しかし、教皇は政治ではなく聖霊によって選ばれ聖霊によってインスピレーションを得ているはずの宗教の長でもあるので、外務担当官の用意した無難なコミュニケばかり読み上 げるとしたら、たとえ「失敗」や「揚げ足取り」を避けられたとしても、何か大切な部分を失う気がします。

馬鹿げた自主規制や行き過ぎた政治的公正がはびこる世界では批判的精神は痩せてしまいます。B16は経験ある神学者で、理性の行き過ぎと信仰の行き過ぎの両方を戒めて試行錯誤している人なので、信ずるところを自由にしゃべってもらうのは悪くないと思います。「次の選挙」だの「お世継ぎ養成」だのを心配しなくていい世界で唯一の首長なのですから、時々メディア的に墓穴掘っても、それで世界中の人にようやく注目してもらえるのだから、どんどん平和主義的正論 を言ってほしいですね。JP2は20世紀末にカトリックの蛮行をいちいち謝罪して回っていました。その後から出発するB16にはまた彼なりの使命があるの でしょう。

ともかく、誰がどこでどんな「失言」をしたとしても、「復讐」を唱えて暴力を行使するのは間違いなのは確かです。それを言うのすら遠慮しなくてはならないとしたら、表現者が生きていくことはできないでしょう。これからのB16の言説に引き続き注目したいです。しかし「失言」だけじゃなくて聞くべきことを たくさん言っているのに、最も注目されるのが「失言」とは皮肉ですね。 (2006.9.22)

ルルドの治癒について

超有名なカトリックの巡礼地ルルドでの「奇跡の治癒」の基準が変わりました。正確にいうと、「奇跡の治癒者」の他に、「信頼できる証(あかし)の人」という新しいカテゴリーができました。奇跡の認定は司教がするのですが、その前の「今の医学では説明できない治癒」という認定の基準が時代に合わなくなったからです。つまり、ルルドで病者が治癒するときは、他の治療を受けていない(受けていたら恩寵のおかげのか治療が効を奏したのか判断が困難)ということと、治癒不可能の難病ということが確認されないと審査の対象にもならなかったのですが、これをクリアするのが非常に難しくなっていました。まず、難病で治療を受けていない状態の人が来る確率が少ない。それから、今は、どんな「不治の病」でも、非常に少ない率でも、突然自己治癒の症例が知られている。つまり医学の世界で情報交換が増えたので、「例外」は必ずあることが分かった。

癌で言えば、ルルドに来る癌患者の多くはたとえば化学療法をすでに受けて、その合間にやって来るケースが多いので、「治療を受けていない」という基準には当てはまらないし、今は、世界中で、どんな末期癌でも、医療や宗教によらず自然に(あるいは自然療法で)治る少数の人がいるという事実も確認されている ということです。

そこで、今回、その二つの基準は外し、しかし、「説明のつかない、突然の完全な治癒で、再発しない」というのを残し、後は、司教による「宗教的判断」の部分を強化しました。タルブ=ルルド司教のジャック・ペリエは、この新しい「治癒」を 認可する用意があると発表しました。

これによって、今までは審査の対象にならなかった「心の病」も入ってくることが画期的です。ルルドに行って「慢性の欝病」が突如、完全に治癒したとか、実は今までにそう主張する人が多くいても、自己暗示とか巡礼のショックとかみなされて数に入れてもらえてなかったケースが取上げられるということです。それには、治癒に霊的な広がりがあり、治癒した人の生活が恩寵の証となっていなくてはならないと司教は言っています。

この新しい基準の「例外的治癒」の第一号は、1992年に肋膜悪性リンパ腫と白血病がルルドで治りその後再発せず15年目になるフランス人女性になりそうだということです。医学審査はクリアして、後は司教の判断を待っているところのようです。まだチェックしてませんが、恩寵でもらった「余生」をさぞやヴォランティアなどで他者に捧げているなのだろうなとか想像してしまいます。まあカトリックの聖地で命の危機から生還したら、心も激しく揺さぶられるでしょうから、その後でテロリストになったりする可能性は少ないでしょうけど。でもよく考えたら、心の病の方が、聖地のパワーが効きそうな気もします。ともかくこのことによって、ルルドや奇跡にまつわるディスクールがどういう風に変化していくのかをウオッチングするのがちょっと楽しみです。 (2006.3.24)

小児性愛スキャンダルについて

本来なら、先ごろのローマの司教会議や、ド・フーコーの列福について書こうと思っていたのだが、聖職者の小児性愛スキャンダルについて一言書きた くなった。アメリカで、枢機卿まで巻き込んだカトリックの小児性愛スキャンダルはまだ記憶に新しいが、それについては、詳しい事情を知らないので、ここで は触れないでおこう。

2005年11月16日、小児性愛スキャンダルのウトロー裁判の控訴審で、一審で7年の刑が確定し、もう2年半も拘留されていたドミニック・ヴィエル神 父の無罪がいいわたされた。証言していた子供たちが、「友達と同じことを言うために」嘘をついていたことを認めたからだ。

彼はパリより北のサン・トメールの労働司祭で最初から無罪を主張、無罪を勝ち取ってその日には、もう、子供たちを「赦している」とコメントを述べた。こ の事件では彼ばかりではなく、13人も無実の人が巻き込まれ、そのうち6人は、1審で放免され、ヴィエル神父を含む残り7人が今回、無罪になるはずだ。こ との起こりは、自分たちの子供に性的虐待などをしていた二組のカップルがいて、それが表沙汰になったとき、「初めて人が私の言うことに興味を持ってくれて 嬉しかった」と今回告白している妻の一人が、思いつく人物を次々と共犯者だと訴え、子供もそれに巻き込まれた。スキャンダルがメディアで大きく取り上げら れ、1審の判事も魔がさした感じで、子供たちの証言をチェックした当時の心理学者なども、雰囲気に巻き込まれていい加減にやったことを認めたのだ。

1審で放免された人たちも残りの7人のために連帯した。ヴィエル神父は、労働司祭で、低所得者用の住宅に住み質素な生活を送っていたから、2年半の刑務所生活も、他の6人よりは耐えやすかったと語っている。神父が最初から「赦している」と言ったので、自分や家族の人生をめちゃめちゃにされた他の6人も、 赦すといっているようだ。この人のおかげで、後味は何となくいい。

8月にロジェ修道士を惨殺された後でテゼ修道会のリーダーとなったアロイス神父が、近頃、しみじみと、ペトロの手紙(1−3−10)を引用して、「命を 愛し、幸せな日々を過ごしたい人は、舌を制して、悪を言わず・・・平和を願って、これを追い求めよ」と言っていた。あなたを攻撃する人について、善いこと を言って、善いことを望めという。現代を席巻している犠牲者主義の正反対で、しかし、これが、苦難の後で、沈み込まずに前進する唯一の道だと、彼は言うの だ。愛しされ尊敬されていたロジェ修道士の殺人者は、テゼ修道会から、赦され、その魂のためにさぞや祈りを捧げてもらっているのだろう。

別に皮肉ではない。ただ、今回ヴィエル神父が他の6人と無実の罪で交流されたことは、それだけで、他の人にとって、どれだけ耐えやすくなったかと想像し てしまう。「悪を言わず」赦すこと、これが「平和を願い、追い求める」ための、困難だが最強の覚悟なのだろう。

さて、これをわざわざ書いたのは、別に、カトリック司祭はやはり立派で「小児性愛」の犯罪者なんているわけがないと言いたかったからではない。このウトロー事件パリ控訴審から半年近く前の6月、やはりパリ近郊で、別のカトリック司祭ルフォール神父が小児性愛で訴えられて有罪となり、上告せず8年の懲役と 賠償金支払い1000万円が確定した時、やはり色々考えさせられたからだ。郊外の労働司祭であるヴィエル神父と違って、ルフォール神父は医師でもあり、途上国の子供たちを救うため、NPOを作ったり、国際的に精力的に活躍していることで知られていた。1994年から95年にかけて、やはりアフリカのセネガルで、子供を救う会議に出席した折、養護施設で、15歳以下の6人の少年に「服を脱がせて躍らせた」などの行為を告発されていた。有名な人で人格者だと認識されていたせいか、今回有罪に確定するまで、一度も留置されていない。

告発者は、今は20代の若者である少年たちと、養護施設のディレクターターだ。この告発が陰謀だという噂も根強かった。彼等が得る金は、セネガルの物価 からすると、嘘を正当化するに足る莫大なものだし、ルフォール神父の部屋から押収されたという小児性愛の雑誌類というのも、小児売春組織に対して戦ってい た神父が収集した資料だという弁解も十分説得力がある。私はどちらかというと、気の毒な冤罪かなあと思っていた。ところが、裁判中に、証言した黒人の青年たちのインタビューを聞くと、とにかく、自分たちが売春をしていたとか、嘘をついているとされることだけが悔しい、金も要らないし、刑期が一日だけでもい い、自分たちの尊厳が認められたい、とそろって、涙ぐみ、真に迫り、嘘をついているとはとても思えない。少なくとも、自分でも信じ込んでいる雰囲気だ。神父の有罪が確定した時もそろって嬉し泣きしていた。それで、神父はというと、一度も事実を認めず、無罪を主張し、陰謀の存在を訴え、周りにも彼を支援する グループが少なからずいた。しかし、彼は上告しなかった。

これを、自分の罪を暗に認めたと見るか、これ以上子供たちに虚言の罪を重ねさせないためと見るかは意見が分かれるだろう。ともかく、神父か、青年たちの どちらかが嘘をついているわけだ。私が思ったのは、この結末が一番妥当だったかもしれないということだった。もし、青年たちが真実を語っていて、神父が罪 を犯していた場合、青年たちを嘘つきにして神父を放免することは、最もあってならないことだ。青年たちは、最初は神父に、次に社会に、2重に虐待されたこ とになる。医師であり宗教者であり社会活動家であった神父の責任は大きい。

逆に、同じ裁判の誤りでも、青年たちが嘘つきで神父が無罪なのに有罪にされてしまったという場合は、意味が大分違う。真実を語っているのに社会に分かっ てもらえず、不当に罰せられるということは誰にとってもつらく残酷な試練だが、真実を語った神父にはそれが耐えられると思う(もし神父が嘘をついたならそ れは人間の弱さというもので、また別の試練だろう)。むしろ、自分たちを貶めかねない嘘をついてまで金が欲しかった子供たちのために祈るだろう。神父たち が師と仰ぐイエスなら、多分そうしたに違いない。無実の罪を被って他人の罪を購うというのはキリスト教の根本命題なので、もしも、神父か、子供たちか、どちらかがそんな目にあわねばならないとしたら、神父はそれを引き受けるのに合意すると思うのだ。

満員電車でサラリーマンが痴漢に間違われないようにするテンションは大きい。大体は叫んだ方が勝つし、後で無実を証明しても、人生がずたずたになるかも しれない。それで、女性専用車。銀行やマクドナルドでさえも男女が分けられるサウジアラビアの平和は本当の平和なのか。小児性愛の冤罪を怖がっていては、 医師も聖職者も、もう子供たちを助けに行けなくなる。個室で子供たちの打ち明け話を聞いてやれなくなる。

変な話だが、こういう話を聞くと、私は自分が女でよかったと思う。私にはピアノやギターの個人授業をしている男の子の生徒が数人いて、7歳1人と、8歳 3人、10歳1人、12歳1人だ。関係はいたって良好だが、もし、これが男の先生で、子供のだれかと親が、何かのきっかけで虐待妄想に入ったら、いったい どうして無実を証明できるだろう。言い訳すればするほど怪しくなるかもしれない。そして、何とか冤罪が晴れたら、もう、個人授業はやめるだろう。犠牲者主義が支配し、恐怖が人間関係を痩せさせる。

また、こういう話が出ると必ず、カトリック司祭は独身を強要されるから性的なフラストレーションが犯罪に走らせるのだと論ずる輩が必ず出てくるのにもうんざりする。カップルで小児性愛の斡旋をしている犯罪者すらたくさんいるのに。むしろ、カトリック司祭は、独身だから、たとえ冤罪にあっても妻子を巻き添えにせずにすむから、冤罪を恐れずに、一人でどこへでも飛び込んで子供たちを救って欲しいと期待したいところだ。無罪となったヴィエル神父と有罪となった ルフォール神父、ルフォール神父がたとえ本当に有罪だとしても、これまでのキャリアの中では、真剣に子供の命を救い、身を呈して尽くしたことがあったこと は間違いがない。彼も、8年の刑期が終えたら、また子供たちを救うために懲りずに再出発するくらいの、自分の使命への信頼感をみせて欲しい。明暗が分かれた二人の神父のこれからをひそかに見届けたいと思っている人は、多分、私だけではない。 (2005.11.25)

ロジェ修道士の死

8月16日の夕方、フランスのソーヌ・エ・ロワール県にあるテゼ修道院で、2500人の巡礼者の目の前で、90歳のロジェ修道士が殺された。 殺人者は、36歳のルーマニア女性。ルーマニアでは正教が優勢だがこの女性はカトリックだった。刃物で首に二回切りつけ、その一つは気管も切り裂いた。喉 をかき切られたのだ。女性は「フリーメイスンの修道士が修道会を危機に陥れる」ことをロジェ修道士に訴えたかったと供述している。修道院は騒然となった が、修道士たちのはからいで、パニックは避けられ、ただ、祈りに沈潜した。

テゼ修道会はどの宗派にも属さない混合型の修道会だ。フランス語圏スイスでフランス人の母とカルヴィン派の牧師の父の間に生まれた彼は、自らも牧師に なったが、プロテスタントでは軽んじられている修道生活に若いころから憧れて、ベネディクト会の精神に近い修道会を創設した。終身の独身の誓願もある。

この修道会が有名になったのは、なぜか、世界中から、若者が集まるようになったからだ。修道士は100人ほどだが、年間10万人以上の若者が、数日から 数ヶ月の滞在やら黙想にやってくる。ロジェ修道士のカリスマ性が大きいからだが、彼自身は、自分が若者とキリストの間を隔てる仕切りにならないようにとい つも心配していた。1970年代に若者の宗教会議を開き、JP2はそれにヒントを得て「世界青年の日」をはじめたと言われる。J23やP6からも信頼されていた。 マザー・テレサとも仲良しで、29年前、彼女から託された瀕死の赤ん坊をフランスにつれてきて、まる一月の間、ベッドに横になれず、赤ん坊を ずっと腕に抱いて面倒を見たこともある。今年4月のJP2の葬儀では、車椅子のロジェ修道士が、未来のB16の手から聖体拝領するのをTVで見た(カトリックは、聖餐についてのカトリックの見解を容認するプロテスタントには聖体拝領を認める)。

彼はアルザスにいて、カトリックに改宗した母方の祖母のところで暮らしたこともあり、カトリックに親近感を持っていたが、最後までジュネーヴの牧師会のメンバーのままだった。今のテゼにはカトリックが過半数で、ミサはカトリック式が主流、自分の葬儀ミサもカトリックでOKと言い残していた。8年前に任命した後継者は、今51歳のドイツ人カトリック神父だ。音楽家でもあり、若者のためにたくさんの祈りの歌を作曲した。同じ年、ドイツ人がB16としてローマ 法王になったことも偶然かもしれないが、感慨深いものがある。

ロジェ修道士の死に方は、ショッキングだし、不条理だ。最近は車椅子なしで歩けていたというのに。JP2は1981年にヴァチカンでトルコ人テロリスト に狙撃されたが、「奇跡的」に一命をとりとめ、その後も活躍した。90歳で皆に尊敬されている人が、衆人環視のもとで女性に刺された。仏教なら「何の因果で」と思うところだ。JP2も、晩年は苦しみ、痛み、殉教者のようだと言われ、気管切開されて声を失って死んだ。でも、ヴァチカンの自室で、世界中の信者に祈られつつ、まあ大往生 (これも仏教語なので不適切だが) といえるだろう。

ロジェ修道士は、政治的な発言もしたし、修道士たちの労働や組合運動も支援した。キリストのために生きる者は人間のために生きる、弱者を救うために政治にかかわるのは当然だとしていた。カトリックが「解放の神学」や「労働司祭」の問題でギクシャクしたのとは大違いの明快さだ。

それでも彼がカトリックに惹かれていたことは、示唆深い。キリスト教の諸派統合のリーダーシップをとるには、中央集権的で求心力のあるカトリックが向いているからだ。若者たちも、そういう求心力を必要としている。しかし、巨大なカトリックには、動きが取れなくなっている部分がたくさんある。過去の誤りもひきずっているし、異教的なものも包含しているし、『ハウルの動く城』の城みたいに、ごそごそざわざわ、がちゃがちゃどたどた、がくんがくんとして、それでもとまらずに動こうとしているのがいじらしいし、信頼感もすこしそそる。誰かがそっと乗っても降りても、部品を落としても、わかんないだろうという感じもあって、伴走もしやすい。テゼは、誰でも歓迎の間口が広く、ヘテロ的だったことが人をひきつけた。カトリックに近く、しかしロジェ修道士がプロテスタン トだったことが、より自由な立場に立てて、人を安心させたのだ。

そして、この殉教の死。カルヴィン派にはもちろん列聖システムはない。カトリックは、死ぬまでカルヴィン派の牧師だったロジェ修道士を聖人にすること は、現段階では不可能だ。しかし、タイトルはどうあれ、彼の生き方はまさに聖者のそれだったし、死に方は殉教者のそれだった。しかし、テロリストや独裁者に殺されたのではなく、社会的にも精神的にももっとも弱い病める女性に殺された。90という高齢で。不条理だが、これしかなかったような気もしてくる。聖者の痛みはいつも誰かの身代わりの痛みであり、聖者の死は、いつも誰かや何かの身代わりの死なのだから。(2005.8.30)

ケルン世界青年の日大会

B16が法王に就任してから最初の「外遊」が母国ドイツで、しかも、今やカトリック世界の希望に満ちた看板行事となっているワールド・ユース・デイの出席とは、まさに「天の配剤」のようなタイミングだった。加えて戦後60年だ。8月19日にケルンのシナゴーグに現れてホロコーストを「前代未聞の犯罪」と断罪できたことは、もう、これだけで、B16が誕生した意義があった。ホロコーストの時代にカトリック家庭にかくまわれて、後に洗礼を受け枢機卿にまでなった改宗ユダヤ人のもとパリ大司教リュスティジィエもB16に同行した。ドイツの宗教的政治的大物も顔をそろえた。ナチの時代にケルンには1万5千人のユダヤ人がいて、そのうちの1万1千人が収容所で殺された。シナゴーグももちろん壊された。今のシナゴーグは1959年再建で、5000人のメンバーのうち、500人がB16に会いに来た。その中にはアウシュヴィッツの生き残りの婦人もいる。その人は、ケルンのシナゴーグにローマ法王が来る日があるとは想像もできなかったと感慨をもらした。しかもポーランド人法王でなくドイツ人法王だ。

B16は宗教間対話を第一のマニフェストに掲げ、ユダヤ人代表からも「宗教間の懸け橋」と形容された。皮肉なことに、教理省長官時代の「プロテスタント差別発言」のせいで、むしろプロテスタントとの話し合いの方が緊張をはらんだ。ルター派、バティスト、メソジスト、オーソドックスなど30にのぼる諸派と会い、神学上のデリケートな問題には触れなかったものの、「誠実さとリアリズム、忍耐と持続」によって違いを乗り越えようと言った。ドイツは領邦国家ごとにカトリックとプロテスタントの棲み分けがあった歴史もあり、今でも、カトリックとプロテスタントが結婚した時の微妙な問題が取り沙汰される。フランスで は全体としてカトリックが多いせいもあるが、少なくともルター派と改革派とカトリックの間では、結婚した時の不都合が問題になることはまずない。

それにトルコ人移民の問題がある。ヨーロッパ憲法がフランスで否決されたことについて、ドイツでは、トルコの加盟の検討についてドイツがフランスに早々と肯定的な意見を出させたことがフランス国民の反発を招いたのだと反省する人がいる。実際はヨーロッパ憲法はトルコ加盟と直接の関係はなかったのだが、トルコ排斥派が憲法反対派に加わったので、否決後、トルコ移民の多いドイツではますます不穏な雰囲気になったのだ。

イスラムの問題、ユダヤの問題、そして、キリスト教諸派の共存の問題、ドイツはまさに世界の問題の縮図を抱えているわけだ。JP2はカトリック国ポーランド出身だった。東西イデオロギー冷戦時代には最高の人選だったが、ポスト・イデオロギー時代の今、中南米カトリック国出身の法王が選ばれていたとしたら、宗教間の微妙な調整に適任ではなかったかもしれない。ドイツ人法王B16は、第二次大戦を真に終わらせて、世界の平和の鍵を握る最適任者に見えてく る。宗教が戦争を生むわけではないが、宗教の問題を解決すれば、戦争解決の糸口が見つかるかもしれない。JP2は1987年にアッシジで最初の世界宗教者 会議を開き、ボスニア戦下の1991年、アメリカ同時多発テロの後の2002年1月と、平和の危機に世界の宗教者を集めた。ドイツ人のB16がそれを継承できたらその意味は大きい。世界青年の日だって、おひざ元のケルンだから人が集まりやすいという話ではなく、むしろ、ドイツだったからこそ状況は微妙で、その成功は意義深い。世界青年の日が盛り上がっても教会はガラガラで聖職者志願の若者は増えないとはよく聞く話だが、少なくとも、「宗教」を戦いのアジ テーションとしてでなくお祭りの呼びかけだととらえて若者が集まるというのは喜ばしいことだ。(2005.8.25)

JP2の奇跡

JP2の帰天後3ヶ月経つ6月28日に、列福調査が正式に始まる。ここに来て、司教からすでに正式に奇跡と認められたブラジルの若者の治癒が浮上してきた。今年20歳の青年で、15年前にJP2がブラジルを訪問したとき、両親が、白血病の子供を祝別してほしいと頼んだのだ。JP2は子供に触れ、白鳩を放ちなさいと言った。両親は言われた通りにした。子供は完治し、その後両親とともにヴァチカンにお礼の巡礼をしている。彼がJP2に触れられたときの事を覚えていて証言しているのをTVニュースで見たが、朴訥そうで健康そう、信頼性をそそる。祝別シーンも白鳩を放つシーンもお礼参りのシーンも、奇跡認定の発表シーンも全部撮影 されているので、まるでよく出来た物語のようだ。

聖人候補の死後に取次ぎを祈って奇跡的治癒を得るというふつうのケースだったらもっとパーソナルだし、いつどこで起こるか分からないのでなかなかこうはいかない。でもJP2の人気を見ると、これから、さぞやいろいろな奇跡の報告が来るだろうと楽しみにしていていたので、もうすでにこんなに明快な治癒があったのは何か残念だ。(ちなみに、奇跡の治癒とは、突然で、完全で、再発がない、治癒の理由がその時点での医学知識では説明できない、などの条件があって、複数の医学者によってチェックされる)

それにしても、聖人候補に奇跡が求められるというのは、不思議だ。そんな超能力を持っていたり、 神に取次ぎを聞いてもらえる人がいるなら、奇跡の治癒がそんなちらほらでもいいのかとか、どういう 基準で治る人とだめな人がいるのかとか、いろいろ考えさせられてしまう。

確かに、死後5年の猶予期間を置かないJP2の列福審査だから、すでに再発せずに15年経っている「奇跡の治癒」は難がないし、治癒されたのが5歳の子供だったというのも、「奇跡とメリット」をめぐって 時として起こる不条理の感じを和らげてくれる。でも、JP2の治世の26年の間に、どんなに多くの罪なき子供たちが病や障害を得たり、戦争で殺されたり、災害で死んだり、変質者の手にかかったりしたかなどと思ってしまうと、15年前に子供一人を救ったことが華々しい聖人の証なのか、と水を差すような考えも頭をよぎる。別にJP2への信仰フィーバーを揶揄するわけではない。あの人ならそれぐらいするだろうと思うし、今この瞬間でも、世界中で、絶望した人たちが神への取次ぎを彼に祈っているに違いないし、彼の思いは、苦しむ人の願いに応えようとして、地上にいたときよりもきっともっと熱く燃えていることだろう。

それに、この世に起こる膨大な不幸を数えたてるより、ささやかでも与えられた「奇跡」を喜ぶ方が慰められる。ひょっとしたら、無垢の人の膨大な苦しみや不当な死が、別の一人の「奇跡」の治癒を可能にしたのかもしれない。ある人が、どこかが痛いとか苦しいとか、誰かに傷つけられているとかいう情況は、そこだけ取り出したら不当感、不公平感があっても、それがどこかで、他の誰かの苦しみの除去に役立っているのかも しれないと思えれば、受け止め方が変わってくるかもしれない。

この考えを、単に敗北主義だとか、マゾヒスティックだとか思わさない何かが、キリスト教の根幹に横たわっている。全ての人類を救うために自分のひとりごを生け贄にした神、それを受け入れたキリストのイメージだ。聖人伝などの中には、「私の苦しみを捧げます」なんていう表現がよく出てくる。苦しみを取り除いてもらうことばかりが「奇跡」ではなく、苦しみを受け入れ捧げることも、奇跡に劣らない恩寵なのかもしれない。
(2005.6.26)

バイオテクノロジーと民主主義

6月の12日13日のイタリアの国民投票は、棄権が50パーセント以上で流れた(投票率25.9パーセント)。これは、イタリア社会でまだカトリックが影響を及ぼしているかを確かめる試金石だと言われていて、教会が棄権を呼びかけるキャンペーンをしたのだから、B16の治世のすべり出しとしては まあまあの成功だ。前に離婚や中絶の合法化についての国民投票があった時は、あえなく通ってしまったのだから。

フランスのカトリック教会は共和国主義を優先しているから、こんな政治キャンペーンはしないが、まあイエスかノーでなくて、そもそも「命にかかわることについて投票などで決めてはいけない」というのが今回のイタリア教会のスタンスだったのだから、政治とかデモクラシーを超越する価値を標榜する宗教としてはそれなりに筋は通っている。内容は、不妊の夫婦に他人の精子や卵子を提供できるかとか、人工授精において3つ以上の受精卵を同時に扱えるかとか、医学目的で胚細胞を使った研究を出来るかとかそういったテーマだった。 確かにこういうテーマはデリケートだから、「多数決なら正しい」という論理でなく、「生命の神秘を尊重する」という正論を誰かがしつこく言ってくれないと感覚がどんどん麻痺していくかもしれない。

ちなみに、カトリック教会は、試験管の中の受精卵そのものは生命としていない。古くなった冷凍受精卵を破棄しても中絶とはならない。それは、受精卵では、まだどこが脳になるかの軸が決まっていないからで、それは、受精卵が子宮に着床した時点で決まってくるのだ。つまり、生命が生命となるには、「環境」 が必要だということである。

考えてみたらイタリアは不思議な国だ。首都の中に独立した宗教国があって、その首長がドイツ人だったりポーランド人だったりして、わいわい内政干渉してくる。それでも、イタリア女性のジャーナリストがイラクで人質になったときは、教皇の呼びかけに人々が期待して、無事帰ってきた二人の女性はすぐに教皇に拝謁した。教皇の前に跪いた二人の目は潤み、顔は恍惚に輝いていた。政治的には反教権主義の伝統がすごく強いのだが、民衆レベルでは、「パパ」のオーラは まだまだ衰えていない。

そうそう、やや旧聞になるが、5月16日に、イギリスのアングリカン教会(聖公会)とロ−マ・カトリック教会が、聖母マリアについての神学的な和解に達したらしい。マリアの無原罪受胎や被昇天は聖書のエスプリに合致しているし、マリアは処女で、諸聖人の祈りのときに名を唱えてもよいとある。話し合いの委員会によるこのテキストはまだ両教会で批准されなくてはならないので、アングロ・カトリックはいいとしても、福音派のアングリカンには抵抗があるかもしれ ない。

そういえば、今年初め図書新聞に出た私の『聖女の条件』の書評は、立教大助教授で聖公会の牧師、西原廉太さんによるものだが、そこに、聖公会とローマ教会両者の対話は、マリア論を残してついに聖公会がローマ教皇の首位性を再受容するまでに至ったと書いてあった。 離婚再婚という個人の都合でローマを離れたヘンリー8世やそのために処刑されてしまったトマス・モアのことなど思われて、いまさら「再受容」とはなあ、とそれも驚きだった。しかも最後に残ったマリア論も、何だか結局ローマの立場を認める感じだ。カトリックが宗派間対話にこんなに熱心なのも、自分らの「首位性」によほど自信があるからなのかなあ と、感心する。

思えば人の信念など、普通は振り子のように揺れ動き、ものを知れば知るほど、智恵が増すほど、だんだん中庸化していくものだから、そんな中で敢えて、「自分が一番」と声をあげる大人の責任は大きい。成熟し、なお声あげるカトリック、聖霊に守られることを祈るばかりだ。 (2005.6.16)

レヴァダ 教理省長官、大丈夫かしら?

5月13日、アメリカ人としてカトリック史始まって以来の最高位に就いたレヴァダ大司教が、妊娠中絶を認めるケリー候補の破門を望んだことは前に書いた。彼によると、カトリック内部で異論があっても当然のテーマとそうでない テーマがあり、戦争や死刑の是非は前者、中絶と安楽死は後者であるという。

だから、ブッシュの政策はそれをクリアしているわけで、レヴァダはカトリックのケリーよりブッシュの支持に回った。死刑や戦争も人の命を断つことを容認しているのだから、そんなに単純に分けられるのかと思う が、そう言いきった人が教理省長官になるとは心配だ。

もっとも、アメリカのカトリック界は、小児性愛のスキャンダルにまみれてイメージを汚したので、絶対に法王にはなれないと言われていたし、B16もラ ツィンガー時代に怒っていた。 レヴァダがサンフランシスコの大司教に任命される前にいたポートランド司教区は、小児性愛の司祭の裁判や賠償金によって「破産」している。 性スキャンダルは、オーストリアの神学校でもアフリカでもあったから、アメリカだけではないのだが、レヴァダ が、世界で最もゲイ文化だのニューエイジだのが花開いているカリフォルニアにいたのも一見不思議だ。彼は、同性愛者同士の結婚にももちろん異を唱えている が、カリフォルニアでそれが同性愛差別として弾劾されないように当局と折り合いをつけていたという。

しかも、英国国教会系のアングロ・サクソン・プロテスタント各派とカトリックの連帯に強いらしい。ブッシュを支持していたのもそういうことかもしれず、原理主義っぽいキリスト教右派と組んでいるともいえるのではないか。アメリカという大国の複雑な宗教事情をうまく処理していけるという意味ではうまい人選 なのかもしれないが、何だか先行きが思いやられる。

カトリックの政治家がカトリックの教義を守るべきかということについては、ケネディが選挙活動中にさんざん追求された。ローマ法皇の意見とアメリカの国益が対立したらどちらを選ぶかと何度も聞かれ、ケネディはその度に、国益をとると答え続けたものだ。ケリーが最初から中絶OKで枢機卿と対立したのとは隔世の感がある。思い出すのは、1990年にベルギーで妊娠中絶を合法化する法律が出来たときに、カトリックとしてそこに署名することを拒否したボードワン前国王が、一時的に退位したことだ。一時的にカトリックをやめたのではなく、王をやめたのだ。昔、チベットの僧侶が戦争をせざるを得ないときに、殺生戒を解いてもらったことも思い出す。 ボードワン国王は、そんな敬虔なカトリックだったのに、自分はファビオラ王妃との間に子供に恵まれず、それも、すべての子供を愛するようにという神のみ旨だとしていた。

『アルケミスト』などで有名な作家パウロ・コエーリョは、ニューエイジの作家のように思われがちだが、ベネディクト系の修道会に入っているほどのカトリックだ。若い時にニューエイジ系カルトに入っていたらしいが今は「カトリック」だと強調しているので、「あなたにとって、カトリックであるというのはどういうことか」とインタビューされたことがある。彼は、「すべての宗教は同じ神に導いてくれる。ニューエイジはどこへも到達しない。カトリックのすべての教義を尊重する。規則には賛成できないものもあるが、それを教会の外であげつらうことを自分に禁じている。しかし信者同士や司祭とはいろいろ議論を戦わせ る」と答えた。つまり彼がケリーの立場だったら、中絶法OKのキャンペーンはしないわけだ。

フランスで、個性的な共和国主義の週刊誌『マリアンヌ』を出しているジャン=フランソワ・カーンのインタビューもおもしろい。カトリック雑誌に「宗教は一度も人生の助けにはなりませんでしたか」と聞かれ、「私の、信仰も、モラルも、価値観もカトリックのものです。カトリックが染み込んでいます。違うのは、神を信じてないことだけ。無神論じゃないですよ。無神論なら神を拒絶しますからね。私には神がいるとかいないかの仮説もありません。ただ信じていない だけ。」と言っていた。

フランスのような国では、カトリックは文化だから、「染み込んで」いても神の存在を気にせず生きていけるのだろう。 実際、神がいるとかいないとかいう問題が立ち上がってこないような生き方をしている人は多い。一昔前のフランスの知識人が、ある日突然信仰を失って愕然としたり、無神論の厳しさと対峙した りしたのとは大きな違いだ。

アメリカではやはりこうはいきそうもない。 宗教の重さと深さとのバランス、ヨーロッパとアメリカでは相当違う。ヨーロッパ人法王B16と、アメリカ人教理省長官レヴァダがチームを組むヴァティカンがこれからどうなるのか興味ぶかい。(2005.5.20)

JP2は聖人になるか

5月13日、B16がJP2の列福審査を開始すると発表した。5月13日は24年前にJP2が聖ピエトロ広場でテロリストに狙撃された日であり、ポルトガルの聖地ファティマに初めて聖母が現れた記念日でもある。九死に一生を得たJP2は、ファティマの聖母のお陰で救われたとして、腹の中から取り出 された弾丸を、後にファティマの聖母像の冠の中に奉納した。まるで予定されていたようにサイズがぴったり合ったそうだ。

JP2の葬儀ミサに広場に集まった群衆の中に、「SANTOSUBITO(すぐに聖人に)」という横幕がたくさん見られ、何度も叫ばれたことは記憶に新しい。葬儀を取り仕切ったB16も深い印象を受けたのか、まだコンクラーベの始まる前(つまりB16になる前)に早々と列福(福者の列に加える)審査の開始を求める署名運動を認める許可を出している。それも異例のことだった。もっとも、民衆の声が神の声を反映している( vox populi, voxdei )という伝統もあったから、それ自体は型破りというわけではない。しかし、列福審査の開始は、生存中から聖人の誉れ高い人が逝去した直後の民衆の一時の興奮を鎮めて距離を置いてから判断するという意味で、没後5年は最低待たなければいけないと1983年にJP2によって規則化されている(列聖という言葉を使い始めたのは11世紀初めのB8だった。列福列聖システムを最初に厳密なものにしたのは18世紀のB14で、1930年にピウス11世も手を入れた)。

JP2の没後41日というのは、特別措置の新記録だ。規則ができてから最も速く列福されたのは、マザー・テレサで、没後14カ月で列福審査が開始された。

列福されるには没後に少なくとも一つの「奇跡」が認定されなくてはならない。福者や聖人は、基本的に死後に神と人の仲介者になるということだからだ、それを確認するという意味合いがある。JP2の場合は、生前にすでに「奇跡」を起こしていたと、彼の個人秘書だったポーランド人神父が報告している。それは2002年のアメリカで、脳腫瘍患者が、JP2の手から聖体を拝受した後で奇跡的治癒を得たと言うものだ。その患者がユダヤ人だったというヴァージョンも ある。その時は、JP2が起こした奇跡というよりも単に「神の力の徴し」だと解釈していたそうだ。

没後にも、JP2の葬儀の翌日に、自分の喉の手術の後遺症が消えたと、Francesco Marchisanoという枢機卿が証言しているそうだ。一番分かりやすい「奇跡」は、墓へ巡礼した病人が祈った時に劇的に治るというタイプで、ヴァティカンのJP2の墓は今巡礼者が列をなしているから、多分、 「奇跡的治癒」の深刻にはこと欠かないだろう。

最初の50代のローマ法王は全員聖人と見なされている。しかし10世紀から20世紀まではローマ法王で福者や聖人になった人は少ない。聖人システムは非近代的だと考えられていた節もあるが、外ならぬJP2が、列福や列聖に熱心で、ピウス10世とヨハネ23世という20世紀の二人の法王も列福した。そればかりか、パウロ6世や、即位後33日で急死した前任者のヨハネ=パウロ1世に至るまで列福審査の開始を望んでいたという。

JP2の列福列聖インフレー ションの理由は、遠い時代の聖人だけでなく、できるだけ広くいろいろなタイプの「信者の模範」を提供したいという意図があったからだ。また歴代の教皇の列 福を再開したのは、そもそも教皇という働き自体に聖性が含まれているべきだという見地からだろう。ここでいう「聖人」は、偉いとか模範とかではなく、ひたすら神に仕えて人々に神の恵みを仲介する謙譲の意味を持つ。

B16はさすがに教皇全列福路線は凍結するようだし、現在審査中の多くの審査も慎重に続けると見られるが、に関してはこれほど速く列福に向かうとは、やはりJP2と同じメンタリティなのだろうか? 実は、かなりニュアンスが違う。たとえば、JP2はマザー・テレサを列福と同時に列聖したがっていたのを、教理省トップであったB16が反対したという。そして、B16は、列福のミサは枢機卿や司教に任せて自分は列聖式のみ執り行うと発表した。もともと福者はローカルな崇敬が許可される称号で、聖人は、「法王の無謬性」にかけて全教会での崇敬が許されるので、厳然としたヒエラルキーが存在する。それをはっきりさせるために、実は1971年までは、教皇は列聖式のみ行っていたのだ。しかし、特にJP2が膨大な列福列聖式を派手に執り行ったために、今は、福者が聖人になるのは時間の問題で、手続き上の名称の変化だという印象さえ生まれてしまった。

B16はその違いをもう一度はっきりさせようというわけだB16の繊細なバランス感覚がうかがえる。

彼はJP2の死で自動的に職務を解かれたヴァティカンの枢機卿たちを、自分の即位後すぐに元の職務に戻した。JP2の人事をそのまま継承したわけだ。しかし、自分がいた教理省トップという地位は空いたままだった。その任命は、事実上B16の行う最初の重要人事ということで注目されていたが、それも5月13日に発表された。サンフランシスコ大司教のウィリアム・ジョセフ・レヴァダだ。このポストにアメリカ人が就くのは史上初めてで、しかもこの大司教は、アイルランド系カトリックのジョン・ケリーが大統領選の選挙活動をしていた時に、ケリー候補を筆頭に中絶法を擁護する政治家に聖体拝領を拒否すると言っていた人だ。ドイツ=アメリカの連携をイメージせずにはおれないこの人事がどういう意味を持ってくるのかは、もう少し観察しないとよく分からな い。(2005.5.15)

B16とフランス改革教会

別にB16の回し者じゃないのですけれど、勝手にB16ファンになってるので、最新の嬉しいニュースです。5月のはじめ、フランスのエクス・アン・プロヴァンスで、フランスの改革派教会(ERF)の教会会議が行われました。フランスではマイノリティであるプロテスタントの宗教会議です。そこにB16がメッセージを寄せて代表者たちを驚かせました。そこには、「フランス改革派教会のすべての参加者に心からご挨拶します。皆様のためにお祈りすることをお約束します」とありました。この種の会議にカトリックの教皇がメッセージを寄せるなど前例のないことでした。例の Dominus Iesus の中で、プロテスタントは「教会」じゃなく「教会的な共同体」だみたいな言い回しがあったので、ERFの代表は、B16への懸念を表明していました。でも、このメッセージの中でちゃんと「教会」という言葉で呼びかけているので、安心したと言っていました。彼は、枢機卿時代、教書の中身はすべて、合議で決めるの で、自分はまとめ役に過ぎないといっています。これから聞こえてくるのが、彼の肉声だとしたら、ますます期待できるかも。

今、無信仰のジャーナリスト(ペーター・ゼーワルド)が枢機卿時代の彼にインタビューした本を読み返しているのですが、彼は一度も質問を事前によこせと言ったこともなく、付け加えも削除も要求せず、いつもリラックスして、肘掛け椅子のひじ掛けのところに足を乗せてしゃべることもあったそうです。この本はとても好感が持てます。1997年に出た『地の塩』という本です。例のヒトラー・ユーゲントのことも語っていて、神学校のために奨学金を得るためには、ヒトラーユーゲントの証明書が必要で、そのために一度だけ参加したら、とナチスの数学の先生に言われ、どうしても嫌だと答えると、分かったと言ってくれて、 結局証明書だけもらってくれたという経緯もあったそうです。(2005.5.12)

B16と『Dominus Iesus』

こういう目でB16を見てくると、彼が保守派で閉鎖的で、プロテスタントや他宗教を差別しているとかいう先入観は崩れてくる。大聖年の前に、聖母マリアをイエスと共同の「贖い主」にしようという署名運動がカトリック世界で高まった(私の『聖母マリア』の「ドグマ狂想曲」の章に出てきます)。棺の蓋にも十字といっしょにMの頭文字を彫らせたJP2は聖母マリア好きで知られていたから、新しい教義に一部の人々は期待した。結局この教義は流れたが、 当事、署名の束を前にして、教理省のラツィンガーは「私はこれにぐっと耐えているんですよ」という言葉を残している。考えて見れば、ドイツ人のラツィンガーは自国のマジョリティであるプロテスタントの事情をよく知っている。2004年1月にミュンヘンで哲学者ユルゲンス・HABERMASと討論したとき に、ラツィンガーは、文化交流の話題でこう語った。キリスト教と、西洋の理性主義は、どちらも、「すべての人類には通用しないし、理解もされ得ないのだという事実を認めなければならない」というのだ。「西洋の二つの大きな文化であるキリスト教信仰と非宗教的合理精神は、どちらも、決して普遍的なものではな い」と彼は強調した。あれほどポストモダンの「相対主義」に警鐘を鳴らしていたのに、「理性は、宗教的病理を正すものとして機能すべきだ」とも言っているし、宗教と科学は互いに限度を設けあい平衡を保ち合うべきであるともしている。1999年にアウスブルクで世界ルター派連合とヴァティカンが共同宣言した ときのヴァティカン側のネゴシエーターはラツィンガーだった。

B16は就任後すぐに、すべてのキリスト教徒の完全で目に見える団結のため全力を尽くすと言い切っている。もし新法王がイタリア人やラテン・アメリカ人であれば、プロテスタントとの和解にB16ほどの深い理解を示せ得るだろうか。他宗教についても、就任式で他宗教代表に挨拶して、「別の伝統の信仰者の方々に、相互理解と尊重と愛への努力の中で共に平和の徒となることを強く願い、要望します。・・・特にイスラム共同体のかたがたが来てくださったことを感謝 します」と言った。

つまり、B16は、カトリックが世界の「普遍」ではないことを認め、西洋合理主義のスタンダードさえ絶対ではないことを認めているのだ。

では、2000年の『Dominus Iesus』で彼が唱えたカトリックの優位とは何だったのだろうか。

答えはこうだ。それは、カトリックの優位性を世界の非カトリックに認めさせようとする護教ではなく、カトリックのカトリックとしての信仰告白だったのだ。つまり、彼は、カトリックや西洋の論理が絶対的でなく普遍的でもないことを認めている。その上で、他の伝統の人と、世界の平和のために共通に努力する相互理解の「場」を模索しようとしている。そして、その共通の「場」にたどり着く道はそれぞれの伝統や文化によって違っているだろうが、自分の道はこうである、と自分の信仰を明言しているのだ。宗教者として当然でもある。だから、それに対して、他の宗派が自分たちも自分たちの道や信仰を明言しても全然かまわない。自分の伝統の優位性(それは他者におしつける優位性でなく自分の中での優位性だ)を明らかにし、その上で、他者と共同し、譲り合ったりバランスを とったりして平和を実現する努力の場につく、と言っているのだ。

分かりにくいかもしれないから、もう一つの例を引こう。それは『Dominus Iesus』が出たと同じ2000年に、ラツィンガー枢機卿(以下B16)と、ローマのラ・スピエンツァ大学の倫理学教授で『信仰なき倫理』という著書を持つ無神論者パオロ・フロレス・D’Arcais(以下PFD)が 討論した内容だ。枢機卿と無神論者の討論だからさぞ話がかみあわないだろうと思っていたら、日本人の私から見たら驚いた。二人の言っている内容はほとんど同じなのだ。PFDも聖パウロや聖アウグスチヌスを自在に引用して、無神論が「無知」神論ではなくて、キリスト教無神論なのだということがよく分かる。

二人の唯一の違いは、PFDにとっての倫理のよりどころが、不定要素に満ちた人間の誕生から死までの実存に関するものだけであることだ。だから倫理や価値観は、その人生の中で選択され、行為に反映されるべきものである。そのキイは理性だ。

B16にとって倫理や価値観を導くものは、個々の人生の前と後が重要で、前は、神による創造であり後は魂の救済とか肉体の復活とかだ。たとえば誰も人を殺してはならないのは、神の被造物はそれだけで尊いからである。障害がある人も、受精卵も老人も「劣等民族」も極悪人も殺してはならない。当然、優生主義もホロコーストも中絶も姥捨山も死刑もペケである。(カトリック教会はもちろん歴史上多くの過ちを犯してきたが、十字軍も魔女狩りも今はペケ、正当防衛の 戦いは聖アウグスチヌス以来今もOKとなっているが、それについてはまだ流動的だ。)それで、そういう倫理観や価値観は、PFDも共有しているのだ。もち ろんどこからどこまでが命かというのは解釈の違いがあり得る。

受精卵か新生児か、脳死か心臓死かだとかなどだが、ともかく普通に、生きている人間の命のサイクルは、死も含めてまっとうされねばならない、ある人の生命の価値判断(生きていてもしょうがないとか、他人に迷惑だから消去するなど)は何人にも、許されない。ある共同体が全員一致である殺人を望んだとしても、そういう伝統(姥捨山だとか人身御供だとかリンチだとか)があったとしても、ある政府が合法的に決めたとしても、それは悪であり、正しいことではない。

二人はこの価値観が一種の自然法なのかどうかについて議論する。PFDは、はじめは、世界にはいろんな伝統があり、一方的な善悪は恣意的でしかない、自然法をふりかざすのは不寛容な絶対主義に陥る危険がある、親殺しやレイプが伝統である文化だって存在する、と少しポストモダン的な相対主義を展開するのだが、次第にB16と共振していく。つまり、ここで、「私と私達(考えるタネ)」に引用した、B16の「私達ドイツ人は」の発言が出てくるのだ。ドイツ人が 合法的にホロコーストを決定したけれどニュールンベルグ裁判は「たとえ全員が望んだとしてもそれを実行するのが不正であることが存在する」と言ったという 話である。この後の展開は、PFDも同意して、つまり、生命絶対尊重のような絶対善は、超文化、超伝統の先験的なものであるという結論になる。PFDも別の著作で、「モラルの諸要素はリアリティの染色体に組み込まれている」などと書いているらしくて、B16に「なんてすてきなフレーズだ」と引用されてし まった。

日本人の私から見れば、超伝統、超党派的な「人権」という概念自体が西洋キリスト教の歴史と文化の中で育まれ、失敗を繰り返して学習して得た「成果」である。それを、神のロゴスが云々と説明しようが、自然が云々と説明しようが、得られた「宗教的文脈」から飛び出した「人権」は共通してるので、基となった キリスト教の部分を不問に付しても付さなくても本質は変わらない気がする。人間が殺人をタブーとするかどうかは、確かに動物が同種族で殺し合ったら種族絶滅するから、縄張り争いをする二匹が、一方が腹を見せて負けを認めたらそれ以上は攻撃されない、など、本能に組み込まれた一種の「平和主義」があるかもし れないが、複雑な社会を創る人類ではそれは絶対ではない。

大体において、もし自然法ですべての人の権利が守られているという一種の性善説に立つのなら、どうしてどの宗教も口を酸っぱくして「殺すなかれ」の戒律を唱えなければならないのか、ということになる。B16はそれを「人間は自然に反して生きることのできる存在だからです」と言っているが、結局、「自分や仲間の利益優先」という「自然」をどこまで拡大していくかが、人間の進歩でもあって、大昔は隣の村とも殺し合っていたのが、「社会契約」を地方や国に広げ、防衛のための警察機構や司法などもつくり、国の同盟関係も創り、全体としてだんだん「平和」が広がってきたのは事実だ(大量破壊兵器などの問題は出て きたが、それはテクノロジーのコントロールというまた別の次元だ)。

『テロリズムの彼方へ』という本や『知の教科書キリスト教』でも書いてきたが、西洋キリスト教社会が、中世の暴力的な世界を通して、本来のキリスト教の持つ平和主義(非暴力)や普遍主義(人を性別や職種や共同体の違いで差別しない)の高い要求を前にして、偽善や覇権の誘惑と戦いつつ、あれこれごまかしたりアレンジしたりしてようやく、「人権」を超宗教化するに至った成果は認めるべきだ。その価値観の担い手だったヨーロッパの最後の「過ち」が第二次大戦のホロコーストであり、そこから立ち直るために、戦争していたヨーロッパは戦後すぐに独仏が協力体制を敷くという政策をとった。だから、戦後ずいぶん経っても、オーストリアで極右政治家が政府に台頭した時、ヨーロッパの他の国は猛烈に批判した。たとえどんなに民主的に多数決で承認されても、権力を与えてはならない思想がある、というのが彼らの学習したことだからだ。多数決によっても、民主主義によっても越えられない一線があり、ヨーロッパはその理念を何度も 確認しようとする。

その執拗さは、まさにキリスト教的伝統から来ている。たとえば、もともと気候温暖な農耕中心の島国で、家族や近隣さえ平和であれば、それ以上の視野でものを考えなかったり、多数派がそのまま正義となり、よそ者や反抗者をあっさり排除しても誰も罪の意識を持たないような環境で、祖霊や自然神に守られて生き ていたような民族には、なかなかそのような自問ができない。 しかし、今の世界のように、いやでも国際的に生きなければならない状況がある時、今いやおうなしに突きつけられる西洋製の「国際法」が、「超宗教的で理性的」である事実は、喜ばしいというほかはない。改宗を要求されるわけでもなく、どこかのローカルな習慣を強要されるわけでもない(キリスト教も、ユダヤ教徒に義務づけられていた割礼を廃したり、律法を「成就」してしまったとすることで、地縁血縁を越えた普遍宗教として成功した)。カトリック教会は、十字軍はもとより植民地政策や帝国主義、宗教改革における異教徒排斥や洗礼の強制、異端者の処刑などがすべて神の前に過ちであった、と謝罪しまくった。そうやっ てクリーンになって身軽になり、いわゆる領土も捨て、自分たちから生まれてきた「人類愛」という価値観を擁護するために国際社会の意見番としてヴァティカ ンは自己主張し続けている。

「あらゆる人の一生を安全にまっとうさせるのが善」という合意は、だから、カトリックも、カトリックの流れの無神論者も合意しているわけだ。カトリックはその「一生」の前後に天地創造や復活とカトリック教会の役割を信じ、その信仰を通して「善」を守ろうとする。無神論者は「一生」の部分における理性の力を信じる。そして彼らは別の宗教があるのも了解している。人どころか虫も殺してはいけないジャイナ教もあるし、人の「一生」を個別のものと見ず、輪廻転生 の流れや、死者も魂となって留まり続ける重層的世界観を持つ文化もあるだろう。今の「西洋の倫理」「人権思想」は、それらの個々の死生観や宇宙観の妥当性は問わない。しかしどのような文化からも、共通に、最低限、「すべての人は平等に安全に生きる権利がある」ことに同意してもらえると信じているのだ。繰り返すが、この思想は、キリスト教西洋からすんなり生まれたわけではない。数々の過ちと、それを認めることで学習してきた成果なのだ。その中心にあったキリスト教は、だから今更、その価値観に、宗教色を強要しようなどと思ってはいない。しかし、彼らは、彼らにとっては、その価値観は彼らの信仰に基づいてイン スパイアされて守られるものだと明言する権利がある。

ヴァティカンは独立国家であり、国際外交の舞台であり、法王は国際政治のキイパーソンでもある。JP2が東西冷戦の終結に華々しく活躍したので、ますますいわば中立的な「国」のイメージが大きくなった。けれども忘れてはならない。ヴァティカンは一つの宗教組織でもあり、ローマ法王は宗教の長でもあるのだ。彼らが自分たちの価値観が「普遍的」でないことを認め、宗教間の争いをやめるために対話を進め、「すべての人々の平和と安全の権利」に対して「宗教抜き」で他の伝統や文化を持つ人々と合意に至ろうと努力しているからと言って、彼らが自分たちにとっての真実はイエス・キリストだと言明していけないわけは ない。いや、そう言わなければ、彼らは宗教者として正直ではなくなる。

それが『Dominus Iesus』だった。その信仰告白を、どうして、世界中が反動と受け止めたのだろうか? それだけカトリック教会の権威が大きいのか、怖いのか、過去の覇権主義から受けたトラウマなのか?

言ってみれば、他の宗派も他の宗教も、次々と、自分たちの信仰告白をしてもいいのだ。「今、生きているすべての人間の平和と安全の権利を尊重する」というテーゼに合意できるならば、それが仏陀にインスパイアされていようがアニミズムに導かれていようがかまわないし、人は自分の信仰が自分にとっての真実の道だと信じて口にする自由がある(しかし、もしいまだ、年に一度たとえば少年少女を神の生け贄に捧げるという宗教や、彼岸での魂の救済のためにはこの世で人を殺しても許されるという宗教があったとしたら、死刑制度を保持する国や侵略戦争をする国や民族浄化をする国と同様に弾劾されたり制裁されるべきだとい うのが現代の国際法理念である)。

日本でキリスト教的でない環境で生まれ育った私の「常識」と「直観」は、この合意が「いいもの」だと思う。西洋キリスト教をルーツに持つ文化が世界を支配して優勢である現代世界で、キリスト教でもなく白人でもなく、外国に住んでいるから「外国人」でもあり、社会的弱者の女性で、これから年とってますます弱者になっていく自分のことを考えると、無条件に「すべての人」の権利における平等と安全をもって普遍的「善」としてくれる人権思想は大歓迎だ。それをがんばって広めてくれているカトリック教会が、その確信と力を、イエス・キリストにおける救いの信仰から汲み上げていると宣言してくれても全然かまわない。 そして彼らが、カトリック教会こそ、その最も正統な組織だと信じているのは当たり前というものである。プロテスタント教会は、それに異論があるからこそ生まれた。彼らにおいては、別のあり方で、別の道で、別の真実で、彼らの正統性を主張すればいいので、そこに成る「実」が「すべての弱者を守る」ものであれ ば、その「木」は、たとえカトリック教会の「木」でなくても「よい木」であるに決まっている。

他の土地に生えた木でもそうだ。「実」が安全と平和を守る中身を持っているなら、個々の木が、自分たちの花が一番美しいし、自分たちの枝振りが他に勝っていると自負してどこが悪いだろう。それは他の木を切れと言うわけでもなく、他の木の実は不味いと言うわけでもない。

思えば第二ヴァティカン公会議以来のカトリック教会はあまりにも、外部に対して普遍的メッセージを出して、護教や宣教的な言辞を控えていたから、なんだかヒューマニズムの団体かと勘違いしそうだったが、節目に『Dominus Iesus』くらい出しておくのは当然だったのだろう。それが彼らの信仰告白だと思えば、プロテスタントや他宗教がまるでヴァティカンから裏切られたかのように過剰反応したのがおかしいくらいである。

たとえは変だが、生徒たちのためにいつも誠心誠意尽くしている教師が「実は自分の子が一番かわいいんです」と言ったり、患者に尽くす医師が、「実は自分の健康のことが一番気になりまして」と言ったからといって、彼等の活動の価値が損なわれることはない。  と、長くなったが、2000年の『Dominus Iesus』にがっかりして、「ラツィンガーってあまりにもひどいよなあ、こんな時にこんなもの出しちゃって」、と思った私が、今、B16ファンになって、これをどうとらえなおしたかという思考過程を書いてみた。(2005.5.1)

B16(ベネディクトゥス16世)について その2

考えるタネの「私と私達」で書いたように、私は、自分でも思いがけなく今けっこうB16のファンになっている。今日は彼をめぐっての話をふた つ。ミーハーな話題と真面目な話題だ。

まず側近ふたりについて。

JP2の超側近はポーランド人だった。JP2はスター性があってなかなか華やかだったが、個人秘書のスタニスラス・Dziwiszはいかにもポーランドの片田舎からでてきた旧式の人間という感じだったし、JP2の世話をする修道女たちもただ忠実で地味で、伏し目がちで個性のない法王の盲目的崇拝者というイメージだった。

B16の側近は違う。秘書のゲオルグ・ゲンスヴァインは48歳の男盛り、長身で金髪で濃い青い目、ハリウッドスターのような彼はすでに法王専用車パパモビルに同乗して、フォトジェニックなところを見せているので、「ドン・ジョルジォ」としてすっかりローマっ子のハートをとらえているそうだ。ドイツの「黒い森」でスキー教師をしていた彼は、「生きるの大好き」な明るい人柄で、モットーは「見た目に惑わされずよく考えろ」だそうだ。教会法専門の優秀な神学者で、1995年にミュンヘン大学からヴァティカンに呼ばれて、そのユーモアと暖かさでたちまちドイツ人聖職者や神学生に慕われ、ほどなく教理省トップのラ ツィンガーの特別秘書となった。

フランスにも、何人か、家柄、学歴、容姿とも超一流で若くかっこよくスポーツマンでスーパーマンのような有名な聖職者がいて、そういう人を見ていると、その宗教が魅力的に見えてくる。世俗での成功を約束されているような人間が家庭も持たずに人生を捧げようとするものの正体を知りたくなるのだ。こういう時には、時代と合っていないといろいろ取り沙汰されていても、カトリックにおける「聖職者の独身制」がますますオーラを持ってくる。私は個人的には別に妻帯司祭が悪いとは思わないし、もちろん聖職者の質と容姿は関係ないと思っているが、すてきな人を回りに引きつけることでB16もますます輝いて見えるなあと ミーハー的に満足しているのだ。

もう一人は、B16の身の回りの世話をする女性で、イングリット・シュタンパさん。いつもにこにこしている気さくな55歳の彼女は、バロック音楽専門家だ! 北ドイツ出身で有名なハンブルク音楽院でヴィオラ・ダ・ガンバを弾き、コンサート活動もしていた。しかし神に捧げる生き方に憧れてローマの修道院に行き、そこでラツィンガー(未来のB16)と巡り合う。ラツィンガー枢機卿の世話をしていた彼の実姉が亡くなったので、代わりの女性が必要になったのだ。 14年前のことだ。イングリットはラツィンガーのためにバヴァリア料理をレパートリーにする。白い自転車に乗って買い出しに行き、毎日午後1時半と7時に 二人で食事をしていたそうだ。夕食の後は、彼女が枢機卿のためにドイツ文学を朗読する。お気に入りはヘルマン・ヘッセ。もちろん音楽と哲学の情熱も分け合い、意見が異なっても、じっくり話を聞きあい、枢機卿は彼女の内的自由を完全にリスペクトするという。彼女は多言語を話し、JP2の著作も数冊ドイツ語に 翻訳している。

この二人の写真を見てると、ふたりともとても楽しそうで充実していそうなのだ。B16がこんな人たちに囲まれているのを知ってほっとする。彼は体が弱いそうで、78歳の今、法王の激務にどれだけ耐えられるのか心配する人も多いからだ。

58歳のJP2が法王になった時、「怖がってはなりません」と檄をとばし、意気盛んだったが、B16は実は全然法王になりたくなかったのだそうだ。ラ ツィンガーといえば教理省の鷹派で虎視眈々と法王の座をねらっていて、JP2の葬儀以降すでに法王のようにふるまって越権行為までしていたというイメージも多少あったし、アメリカ進歩派のcatholics for a free choiceなどは、B16の登場を「懲罰する父」の帰還とまで形容したが、就任挨拶は何とも謙そんに満ちたものだった。JP2が病の床にあってもなおその上に全教会を支える岩のような存在だったのに、B16は、「自分は神の 弱い仕え人です、(・・・)この重い任務は一人ではとうてい支え切れません」と切り出した。彼は実は、JP2の時代と共に自分の任務も終わったと感じていて、ゆっくり引退して祈りの生活に入ることを夢見ていたらしい。自分より若い適任者が法王になることを望んでいたが、JP2の死の前は摂政のように、後はモーセのようにふるまわざるを得なくなり、全世界を前にしてJP2を継承することの重みに恐れをなした他の枢機卿たちはラツィンガーに依存する心理状態にあったらしい。それを感じたラツィンガーは、コンクラーベに入るのはギロチン台にのぼるようだったと言っている。じっさい、規定の3分の2をはるかに上回 り、超党派の多数票がラツィンガーに集まったらしい。「牧者であるということは愛するということで、愛するということは苦しむ用意があるということです。」とB16は言った。これでは、「懲罰する」強い父どころか、すでに晩年のJP2のように殉教者の苦悩が見えている。

ゲンスヴァインさん、シュタンパさん、B16を支えてあげて下さいね。 (2005.5.1)

ベネディクトゥス16世について

新ローマ法王ベネディクトゥス16世(以下B16)が即位したことで、それまでヨハネ=バウロ2世(以下JP2)の追悼一色だったメディアが急にB16の特集を組み始めた。JP2が教皇に選出された時はまだ58歳の若さで、穴馬の外国人法王というわけで多くのデータがなかったのだが、B16は、すでに20年もJP2の右腕として教理省のトップであり、枢機卿団のトップにまで登り詰めた人物だから、メディアにはB16の情報の膨大なストックが ある。だからこそ、出身国のドイツは、法王選出の翌日の夜にはもう特集番組を放映することができた。各種の新聞雑誌も、過去に掲載したさまざまなインタビュー記事をこぞって再録した。

B16は、そもそも、JP2からヴァティカンに呼ばれた時、著作活動を続けてよいという条件でOKしたという経緯がある。JP2は、それについて即答せず、回りの意見を聞き、前例が存在するということで著作活動を許可したそうだ。(このエピソード自体が、ローマ法王は独裁者のように言われているが、実際は何でも伝統を重んじて側近の意見も聞いて決める慎重な人柄なのだと教えてくれる。)だから、自伝を含むたくさんの著作や対話集などが刊行されていて、 B16の考え方というのは、広く知れわたっている。また、彼がJP2と共に書いたり教理省の名で出した教書や公式文書などもたくさんあり、その中には2000年に出した有名な『Dominus Jesus』もある。これは、救いへの道はひとつでないとして他宗教との共存を目指した第二ヴァティカン公会議(以下V2)の精神に逆行して、他宗教に対するキリスト教の優位、キリスト教の中でのカトリックの優位を明言して、諸宗教対話の前途に暗雲をもたらした と言われた。

女性司祭の禁止や避妊中絶の禁止など、JP2も保守的に過ぎるとカトリック進歩派から批判されてきたが、20世紀末頃からは、老いと病との戦いぶりがあまりにも壮絶だったので、JP2への直接の批判はすっかり鳴りを静めていた。その代わりといってはなんだが、異端審問官のようにこわもてのラツィンガー(B16)が、頑迷な保守として非難の矢面に立った観もある。結局、JP2は、何度も危篤を噂されながら21世紀の始まりを生き延びたので、2005年にようやく訪れた死の時点では、「勇気ある慈愛の父JP2」と「冷たく官僚的なB16「という構図がなんとなくできてしまっていた。

しかし実際は、どうだったのだろうか。今、公平にみて、JP2もB16も、司教として直接V2に関わった世代だ。V2の文書の中には確かに、救いに至る道は一つではないという趣旨のことがあるが、それだけではもう宗教としてのアイデンティティが危うくなる。成熟して老成した宗教の反省をこめた余裕でもあるが、実は、キリスト教や、カトリックの優位は否定されていない。JP2やB16が口にした一見「反動的保守的」と思える見解は、V2の精神に抵触しないし、教理の責任者としては当然の首尾一貫した言説なのだ。当事、私は、せっかくJP2が大聖年に向けてカトリックの歴史的過ち(十字軍からガリレオ裁判まで)を謝罪してまわったのに、ラツィンガーが『Dominus Jesus』で強硬に出たので友好的雰囲気がだいなしになったとがっかりしたが、キリスト教やカトリックの優位、救いにおけるイエス・キリストの絶対性は、彼らの拠って立つ「信仰」の部分なのであって理屈ではない。違うことを期待する方がおかしいのだ。たとえば妊娠中絶を悪と言い切ることをとっても、彼らの信仰から当然導かれる帰結でしかない。私は個人的には、中絶の決定は妊婦のみに属すると思っている。中絶が妊婦の心身にとってネガティヴなのは言うまでもないので、できるだけ出産に至れるような社会的経済的条件がつくられるべきだ。「生みたい」のに外的条件によって阻止されたりあきらめざるを得ないということがないように、養子システムもふくめたいろいろな援助や政策が欲しい。けれども、私の回りの普通のフランス人カトリックの人で、中絶するかしないかでローマ法王の意見に左右されるなど聞いたこともない。避妊についてと同様、一顧だにされていないのが実情だ(実際、ヴァティカンはエイズ予防の避妊具も否定するがフランス司教団は正式に認めているなど国によってニュアンスが違う)。 しかし、本当に、中絶すべきかどうか迷って法王におうかがいをたてたくなる立場の人がいるとしたら、そこで「どっちでもお好きなように」などと法王が言うわけにはいかないだろう。迷う人は、法王のお墨付きをもらって生むことができる。コソボの民族浄化でセルビア人兵士に妊娠させられた女性に対しても、ローマ法王の見解は「生め」だった。その時はひどいと思ったが、中絶できる人は迷わずとっくにしているだろうし、機を逸して生まざるを得なくなった人にはローマ法王の言葉が、生まれて来る子との関係を祝福してくれただろう。周囲の手助けも得られやすかったに違いない。

ローマ法王までが「中絶してもよい」などというと、生まれた子や生んだ母はいったいどんな気持ちになるだろう。そう思うと、JP2やB16の、信仰に拠り、大局に立った首尾一貫した明言を批判する気になどなれない。第一、彼らは、中絶禁止と言っているが、中絶してしまった人を罰するようなことは一切しない。離婚して再婚したカトリック信者は姦通の罪を犯しているとして聖体拝領できないが、誰かが中絶したかどうかは問われないし、告白しても贖罪の道が開か れている。(実は、B16は、再婚者に聖体拝領や既婚者の司祭叙偕を許可する教書をだいぶ前から用意しているそうで、正式認可が待たれている。) 実際、2004年の米大統領選挙キャンペーンで、カトリック候補のジョン・ケリーが進歩派の票集めのためか中絶合法化を唱えたとき、アメリカの枢機卿たちが聖体拝領禁止の運動をしてヴァティカンにも訴えたが、B16は曖昧に口を濁してしまった。彼はこれについて、カトリックだと自称する人間が政治に関わるときはカトリックとしての信仰にインスパイアされて欲しい、と語ったが、中絶合法即破門という原理主義的な発想でないことをはっきりさせた。教理省のトップの時代にも何かを独断で決めることはなく、人の話をよく聴き、合意のない時は祈ったそうだ。「解放の神学」を潰したことでも知られているが、件の神学者をお茶に招待して、雑誌のインタビューに出ることを控えてくれと丁重に頼んでいたという証言を読んだ。

JP2も神学者として教授職にあったインテリだが、年下のラツィンガーを尊敬していたという。ポーランド人にとってドイツの権威の歴史は根が深いそうで、ルブリン大学の教授のJP2は、ボン、ミュンスター、チュービンゲン、ラティスボンなど錚々たる大学で教鞭をふるったB16に教理省を任せることで、「田舎者」法王の治世に知的保障を与えたかったのだとする説もある。B16が若き日にヒトラー・ユーゲントに属していたことをスキャンダラスに書くメディアもあったが、1940年、13歳で強制的に学徒動員されたのでは選択の余地がない。16歳で、聖職志願を理由に後方支援にまわっている。2004年6月6日のノルマンディ上陸作戦の60周年記念式典のヴァティカン代表としてJP2が送ったのも、このドイツ人ラツィンガー枢機卿だった。B16には少なくと も「戦争責任」はあり得ない。

イタリアのジャーナリスト、メッソーリが昔、「法王庁がドイツにあった方がよかったと思っているのでは?」とB16に質問したとき、彼は、ドイツにあったら何もかもきっちりと組織され過ぎてよくない、イタリアだからこそ個人のイニシィアティヴも発揮できるし、パーソナリティに自由が与えられるんです、と いう趣旨で答えた。ユーモアもあるし、謹厳な原理主義的固さはない。最近『ダ・ヴィンチ・コード』のダン・ブラウンの処女作『天使と悪魔』というミステリーを仕事で読んだが、そこに出てくる、科学を目の敵にした秘密主義のヴァティカンとは全く違って、教理省トップの地位にあったB16は、1998年にヴァティカンの異端審問関係の文書を含む図書を世界の研究者に閲覧許可することを決めたし、禁書書庫にテレビカメラを受け入れて、ガリレオの禁書をいとしそうに繰りながら、これらをみな修復しなくてはと語った。「神が人間にくれた二つのプレゼントは芸術と 科学です」 ともテレビカメラの前で明言している。

兄のゲオルグ・ラツィンガー神父は教会合唱団の指揮者で、B16もピアノを弾く。父の名はヨセフ、母の名はマリア、雪の降る、復活祭の聖土曜日に生まれた。モーツアルトが好きと言いながら幸せそうにピアノを弾く映像も流された。B16を選出した枢機卿会の115人の枢機卿のうち、112人はJP2に任命された人たちだった。B16を含む3人だけが、JP2と同じくパウロ6世によって任命された枢機卿だったのだ。他の112人のうちの誰かが新法王になっていたら、JP3(ヨハネ=パウロ3世)と名乗る義務感にとらえられたかもしれない。JP2は、法王に選出された時、ポーランドの聖地チェストホーヴァの黒い聖母に関わりの深い「スタニスラス」という名を望んだそうだ。しかし、すでに史上初のポーランド法王というショックを与えるのだからそれ以上ポーランドを強調すべきではない、即位後33日で逝去したJP1(ヨハネ=パウロ一世)の後を受けてJP2にした方がいいとアドヴァイスされてOKしたという。その名がこれほどにメディアに刻み込まれた今、B16は、あえて他の名を選んだわけだ。しかも、聖ベネディクトゥスはヨーロッパの守護聖人だ。ポーランド法王の後は、今や世界のカトリックのマジョリティであるアメリカ大陸出身の法王が少なからず期待されていた。それがまた、ヨーロッパ、しかもカトリックと縁が深いがプロテスタントがマジョリティのドイツ、日本と同じく第二次大戦の敗戦国で大きな重荷を背負わされてきたドイツの枢機卿、ヨーロッパの守護聖人の名であり、第一次大戦の収拾に努力したベネディクトゥス15世の後を継ぐベネディクトゥス16世の名を選んだ枢機卿が法王になったのだ。彼がいったいどのような法王になるのか、国際社会にどのようなメッセージを送りどのような役割を果たすのか、当分、目が離せない。

お知らせ: 1998年にちくま新書から出した『ローマ法王』が6月25日に中公文庫から再刊されました。JP2の葬儀をめぐる新たなコメントもつけ加 えたのでぜひご覧ください。


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