ヒルデガルドの部屋 |
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喜びのビスケット エスカトロジーと・・・ 喜びのビスケットヒルデガルドについていつかまとまった論考(女性と権力と神秘主義の関係)を書いてみるつもりですが、ここでは、彼女が残したレシピから、「喜びのビスケット」のレシピを紹介。これを「しょっちゅう食べると毒になる体液が減り、血によいものが分泌され、神経が強固になる」というのが800年前の聖女の託宣です。ムスカド(ニクズク)45g、シナモン45g、ジロフレ(丁子)のつぼみ10gを混ぜて粉状にし、そこにスペルト小麦1500g、と水少々、ブラウンシュガー、塩、卵の黄身、つぶしたア−モンド、ベーキングパウダーを混ぜて練り、冷暗所で寝かせて、平らにし、まるく切り取り、200から220度のオーヴンで5分から10分焼きます。子供は1日3枚、大人は5枚食べると、老化を防ぎ、心のわだかまりを取り除き、5感を活発にし、喜びに満ちたエスプリを与えてくれるはずです。(『聖女ヒルデガルドの喜びのレシピ』D.Maurin J.Fournier-Rosset / Ed. TEQUI ) ほんとに効くかどうかということですが、効きます。というか、大体、新しいレシピに挑戦しようという人は、すでにやる気があって、クリエイティヴな波に乗ってるので、これを作って、自分で食べても、満足感があってますます元気になるし、それを食べさせられる人も、そのオーラのおすそ分けをもらって、元気になる。落ち込んでいる人はセンシティヴな状態なので、中世的な自信に満ちたレシピの暗示にもかかりやすいですし。シナモンや、ジロフレやニクズクは、もともと血をきれいにし、活力を与え、ヒルデガルドに「熱い」と分類される「喜びの調味料」なので、このビスケットを自分で作って常備してサプリメントとして食べると、他のお菓子やを間食するよりずっといいと思います。 後、ヒルデガルドは、飲み物のベースがワインで、ワインの中に、実に色々なハーブを入れて薬用ワインにして飲んでます。各種フルーツや花を入れ、蜂蜜を足してあたためて飲むのが多く、寒いシーズンには、いかにもおいしそうです。中世に80以上の長生きをして、説教、旅行、博物学、作曲、共同体のリーダーと、大活躍だったヒルデガルドにあやかりましょう。 エスカトロジーと・・・フランス人の趣味で不思議だと思うのに中世マニアがある。中世の下着から服、靴や用具を再現する専門店があってそれを着たり使ったりする騎士団だの軍団だのというグループがたくさんあるのだ。日本だとアニメのキャラクターのコスプレの感覚だが、歴史ものだし、地方の保守的年配者のグループのイメージもある。明らかに地域振興とか観光誘致の一環というグループもあるが、日光江戸村のようなものではない。フランスの中世は江戸時代より古いし、日本には平安時代の鎌倉時代のマニア・グループなどないような気がするが。 さて、そういうマニアご用達の雑誌があって、その中で、ビンゲンのヒルデガルドに関する記事を読んでいたときのことだ。彼女の幻視を語った最初の本『スキヴィアス』のファクシミリ32番のアンテクリストの細密画の解説で、アンテクリストが、処女を装った遊び女の股から生れ落ちて、死んで復活したりして人々をだますが、最後には雷に打たれて山から地に落ちると言うのがあった。アンテクリストの母は上半身がマリアのようで、下半身は毛むくじゃらで太腿から血が噴き出している。アンテクリストは獅子舞の獅子のような形相だ。 私が驚いたのは、アンテクリストが落ちたという山が「糞の山」とあることだった。細密画を見る限りでは分からない。そして、解説に、この落下によって、スカトロジーとエスカトロジーが混じりあうのだ、とあった。私はこの駄洒落のようなコメントに驚いたのだ。実は、昔ソルボンヌの高等研究所で講義を受けていたとき、教授が「エスカトロジー(終末論)」と発音するたびに、私は「スカトロジー(糞尿学)」を連想して、自己嫌悪に陥っていたのだ。しかも、定冠詞をつけると母音とリエゾンするから、本気でスカトロかとどきっとしたこともある。日本語でスカトロと言えば、ちょっとアカデミックな文脈か、あるいは糞尿愛好の性的変態を指すのに使われる。それをエスカトロジーのようないわば専門語から連想するなんて他のフランス人にはあり得ないことなのかと思っていたのだ。自分で話すときも、「これはエスカトロジックなイメージですね」、なんていう時に、うっかり「スカトロジックですね」、なんて言ってしまわないように緊張したこともあった。語源的には、エスカトロジーは最後をあらわすギリシャ語のeskhatosを基に、スカトロジーもギリシャ語で糞を意味するskorの属格skatosを基に、それぞれ19世紀になって出来た造語だというから、ビンゲンのヒルデガルドがその類似に気づいていたわけもない。それなのに、ヒルデガルドの幻視の中で「スカトロジーとエスカトロジーが混じりあう」という解説を目にしてはじめて、フランス人でも、同じ連想をしていたのだと知った。 そういえば、2004年の4月に、狂言の茂山千作一門がパリでスーパー狂言『王様と恐竜』の公演をおこなったことを思い出した。梅原猛さんによるこの新作狂言は、金儲けのために他国に戦争を仕掛けようとする独裁者が、水爆のスイッチのかわりに、世界中に糞を撒くスイッチを押してしまうという話で、最後のシーンでは、舞台の上に吊られていたクス玉が割れて、金色の紙ふぶきが降ってくる。まさにエスカトロジーのかわりにスカトロジーというわけだ。世界中が黄金に覆われ、しかも臭い、と、王様役の人間国宝、茂山千作さんが嘆く。金色に塗った発泡スチロール製のリアルなウンチも混じっていた。笑いをとるのに糞を降らせるなんて、何か安易で幼児っぽい発想だなとその時は思わないでもなかったのだが、ビンゲンのヒルデガルドの終末観と共通しているとは、今思うと奥が深い。 この公演のプロデューサーは、その前年に私の日本への演奏ツアーに協力してくださった方だったので、私は会場にお花を贈らせていただいていた。最終日に花の容器を回収しに行くと、着替えてフロアに出てきた千之丞さんが、「これ、記念にさし上げましょう」、ととぐろを巻いた発泡スチロール製のウンチを私に差し出した。その「記念品」は、捨てるわけにもいかず、今でもうちのサロンの家具の上に置いてある。最初のうちは、それをいただいた経緯を見る人に話しておもしろがらせていたのだが、そのうちいちいち説明するのも面倒になってきたので、なるべく人の目につかない奥へと追いやってしまった。次に誰かに説明するときは、「こうやって、舞台でスカトロジーとエスカトロジーが混じりあったわけなんですよね」という一言を付け加えてみよう。 |
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