神と金と革命がつくった世界史

本の紹介
キリスト教と共産主義の危険な関係
偶像崇拝なくして歴史はつくられなかった。
「普遍」を標榜する神と金と革命思想は、理想を追求する過程で偶像化され共闘や排斥を繰り返す。壮大な歴史から3すくみのメカニズムを解明する。
書誌情報
- 出版情報
- 280頁 2700円+税
- 出版社
- 出版社 : 中央公論新社 (2018/9/10)
- ISBN
- ISBN : ISBN978-4-12-005114-2

キリスト教と共産主義の危険な関係
偶像崇拝なくして歴史はつくられなかった。
「普遍」を標榜する神と金と革命思想は、理想を追求する過程で偶像化され共闘や排斥を繰り返す。壮大な歴史から3すくみのメカニズムを解明する。
著者のコメント
この本は、神・カネ・革命の3Kの危険な関係について考えてきたことをまとめたものだ。
これを一度きっちりと「総括」しておかなければ、次のステップに進めないと思ってきた。
明治維新から何年とか、戦後何年とかいう懐古的な語りが、いろいろな思惑と共に繰り出される一方で、歴史の改竄や憎悪や警戒心の醸成によって、本当の「平和」への感性がどんどんと鈍っていくような焦りをおぼえるからだ。
この本を書くことで、今まで発信してきたことへの自分のスタンスや、現在世界や東アジアで起こっていることを考えることの基盤が意識化されたので、自分にとっても必要な過程だったと思う。この本を読むことで同じように、世界の見え方がよりクリアになるという読者がいれば嬉しい。
このタイトルで「革命」というのは、近代革命とマルクス主義革命における非民主主義的な暴力による主流秩序の否定を念頭においてはいるけれど、広い意味では、他者を支配する「力」を意味している。
世界の各地で伝統や文化や自然観がばらばらだった時代から、交通、通信の発達で、世界中がつながってしまった時代において、それぞれの共同体の「価値観」の違いが露わになったにもかかわらず、「強いもの」が「弱いもの」を支配しようとする覇権主義は止むことがない。
「神」はどこでも支配者に利用されてきた。
一神教の神は本来ならば全ての被造物の創造者なのだから、被造物の平和な共生を促してもいいようなものだけれど、実際は、一部の権力者や一部の民族や一部の文明の覇権を正当化する道具になってきた。
「西洋近代」はそんな「神」から自立していく歴史のように思えたけれど、「神」にとって代わるはずだった「理性」は、生産合理性を正当化する道具になった。
今や、むき出しの「力」が人々を分断し、被造物である全自然を破壊する恐れが叫ばれている。
気がつくと、「神」の座には「カネ」(富・資本・金融)の論理が陣取っていた。
思えば、社会の主流秩序を決定する人々はいつも、「聖なるもの」や「力」を恣意的に分節しながら加工して「ストーリー」を作ってきた。始まりには、「カネ」にだってストーリーがあった。その一つの到達点が「西洋近代(モダン)」だったけれど、「ポストモダン」がこのストーリーをことごとく壊してしまった。
「近代」の指標だった「理性」は方向性を失った。価値相対化によって、「何も信じない」ことは、「なんでも信じる」こととセットになってしまったのだ。ストーリーは壊れても、ストーリーを補強していた偶像は残る。カルトもオカルトもヘイトもそこで養われる。
だからこそ、権威付けとしての「神」も、力とカネのあるところにはまだまだ生き残っているのだ。
でも、力や金を担保にしなければやっていけない「神」なんていらない、とつくづく思う。
偶像化し、覇権主義や功利主義におかされない「神」を養うのは「愛」だ
と、宗教者は言っている。
「愛」!
「愛」は、残念ながら、力にもカネにも負ける。
でも、「愛は死よりも強し」と言われるように、「愛」は「死」にだけは、「勝つ」。
「力」も、「カネ」も、「死」には負けるというのに。
この本のタイトルには「愛」という言葉がない。
「神」と「カネ」と「力」の三者のバトルの中で見えてこないものを、私たちは、どのようにすれば、見ることができるのだろうか、見せることができるのだろうか。