聖者の宇宙

本の紹介
古代、中世から現在に至るまで、カトリックが認定した様々な聖者の逸話を辿りながら、誕生の過程とシステムを分析する。神と人の間をとり結ぶ聖者 が各々に果たす役割を論じつつ、民衆の想像力や祈りの意味を問い質す「聖者論」の決定版。
書誌情報
- 出版情報
- 文庫: 377ページ
- 出版社
- 出版社: 中央公論新社
- ISBN-10
- ISBN-10: 4122054036
- ISBN-13
- ISBN-13: 978-4122054035

古代、中世から現在に至るまで、カトリックが認定した様々な聖者の逸話を辿りながら、誕生の過程とシステムを分析する。神と人の間をとり結ぶ聖者 が各々に果たす役割を論じつつ、民衆の想像力や祈りの意味を問い質す「聖者論」の決定版。
著者のコメント
1998年に青土社から発行された単行本に加筆修正を加えた文庫版です。この10余年の間に、21 世紀が始まり、ローマ教皇が代替わりし、イスラム過激派がアメリカを直接攻撃したことで宗教と無関係ではいられない戦争がアフガニスタンやイラクで展開されました。「聖者の宇宙」をかかえるキリスト教的に見ても、緊張の絶えない時代に突入しているわけです。
カトリックにおける聖人崇敬はプロテスタントの多くからは否定されてきたものなのですが、偉い神さまや尊顔を拝することのできない神さまよりも、そんな神さまを信じて人間としての生を全うした「人間仲間」の聖人さまにすがってみたい、という気もちはいつの世にも人情なようで、いろいろな聖人たちは21世紀でも大いに頼られています。
カトリック教会の聖人とはこの世での生はすでに終えた人々ですし、その認定も、死後かなりの間を経たものとされていますから、認定されたからと言って直接の利害が生まれるわけでもありません。もちろん認定された時代の政治の思惑やら民衆感情と無縁でないものもありますが、何しろ定員がないし任期もないので、増えるばかり、「政治利用」されたり個人のエゴや名誉のために利用されることはありません。
今回の加筆では、p166から、日本が関係した「奇跡」に触れています。そこでは日本はいい役どころではありませんが、「文庫本のためのあとがき」で書きましたように、日本では2008年に、江戸時代初期に幕府の迫害で殉教した日本人キリシタンの列福(聖人認定の前段階)が、日本人主導で実現しました。
これはなかなかすてきなことだと思っています。
なぜなら、中国やベトナムでは、ヴァティカン主導の殉教者の列福があると、抗議行動が起こることを考えてしまうからです。自国の殉教者とは、当時の政府の禁止に反抗した犯罪人であり、「宣教師の手先」の国賊だと見なされるので、殉教者の美化はあり得ません。ところが日本は、江戸時代の政府の「反逆者」であった殉教者を自分たちで聖人にしようとしました。それに対する抗議行動はないし、いや、実際、江戸時代の当時でさえ、信仰を捨てずに従容として死を受け入れたキリシタンへの畏敬やリスペクトを示した領主や領民も少なくなかったのです。
中国の民主運動家の劉暁波さんが2010年のノーベル平和賞を受けたことに対して、中国政府が情報統制などして遺憾の意を示したことは記憶に新しいですが、そのニュースを聞いた時に、殉教者の列福のことを思い出してしまいました。
それにくらべて、日本人の宗教的感世の中の、「八百万(やおよろず)の神」的な何でも共存のちょっとアバウトでシンクレティックな部分は、キリシタン迫害の凄惨な歴史を超えて、健康的に機能しているなと思います。
実際のところ、突き詰めて考えれば、聖人システムに関する「聖徒の交わり」と言われている教義は、死者も生者もすべての人が神の愛の中で分ちあい交信し合うという考え方なので、生と死とか善悪とかも超えてしまう「異なるみんなが一つの体の中で支え合いながら生きる」というイメージです。聖者の宇宙は、誰でも参入できる開かれた宇宙というわけです。複雑なようで実は懐の深い世界です。
どうぞのぞいてみてください。
キリスト教国では子供の名をつける時の参考に聖人本はたくさんありますが、日本では全貌をコンパクトにまとめた一般向きの本は少ないので役に立つと思います。