女のキリスト教史 - 「もう一つのフェミニズム」の系譜

本の紹介
キリスト教は女性をどのように眼差してきたのか。聖母マリア、ジャンヌ・ダルク、マザー・テレサ…、世界を動かした女性たちの差別と崇敬の歴史を読み解く。
目次より
序章 フレンチ・フェミニズム――ジャンヌ・ダルクからカトリーヌ・ドヌーヴまで
第一章 イヴの登場――すべてはエデンの園から始まった
第二章 イエスの登場――イエスを育てた女たち
第三章 聖母の登場――マリア崇敬が女神信仰を温存した
第四章 聖女の登場――マグダラのマリアからマザー・テレサまで
第五章 魔女の登場――聖女になれない女たち
第六章 女性リーダーの登場――女子修道院と神の国
終章 神はフェミニストなのか?
書誌情報
- 出版情報
- ちくま新書 新書判 272頁 定価 本体860円+税
- 刊行
- 刊行 12/05
- ISBN
- ISBN 9784480072733
- JANコード
- JANコード 9784480072733
著者のコメント
この本のもとになったのは、もう長い間温めていたフレンチ・フェミニズム本のプランと「#MeToo」運動の広がりだ。
もともと、アングロサクソンの犠牲者フェミニズムやジェンダーレス、同権論などと、フランスのユニヴァーサリズムに基づく平等主義とは全く方向が違う。そのフランスにさえ、冷戦後にはしっかりとアングロサクソン型新自由主義と同時に、共同体ロビー型フェミニズムがはびこってきた。
数年前、『「オバサン」はなぜ嫌われるか (集英社新書)』を書かれた社会学者の田中ひかるさんとお近づきになれた。で、フレンチ・フェミニズムを紹介するために「フランスにはなぜオバサンがいないのか」というテーマで、田中さんと往復メールをはじめ、発表したかったのだけれど、どの出版社からも、日本では「フェミニズム」本は難しい、と言われてしまった。けれども、アメリカ発の「#MeToo」運動が知られるようになったので、今こそフレンチ・フェミニズムについての本を出せるかも、と思ったのだ。
これまでも、アングロサクソンの共同体主義に対してフランスのユニヴァーサリズムを擁護する本を書いてきた。私が擁護すべきなのはユニヴァーサリズムだと最初にはっきり意識したのは、2003年初頭に米英軍がイラクに侵攻する前のいろいろなやり取りを通してだった。
それに合わせて、私にとってのユニヴァーサリズム擁護三部作である「バロック音楽はなぜ癒すのか」「聖女の条件」「アメリカにNOと言える国」を出すことになった。守備範囲としているバロック音楽からカトリック文化、猫好きに至るまで、私が学んできたユニヴァーサリズムの流れにあることをはっきり意識したからだ。
で、アングロサクソン型のフェミニズムとフランス型フェミニズムの違いも、実は、プロテスタント型メンタリティとカトリック型メンタリティの違いから発している。
いや、「カトリック型」といっても、ローマ帝国父権主義メンタリティと「イエス・キリスト」型メンタリティは全く違う。そして、プロテスタント型メンタリティといっても、ローマ帝国父権主義メンタリティのヴァリエーションのようなものだ。そこのところをはっきりさせるために、『女のキリスト教史』を書いた。
「女と神とキリスト教」というのが私のイメージだった。その「女」というのは共同体主義の中で社会的マイノリティの一グループとして扱われる意味での「女」ではない。この本でそのことが少しでも伝わることを祈っている。
2019年11月に訪日したローマ教皇フランシスコは、その超「父権的」な構造で「パパ」さまという仰がれ方をされているのにかかわらず、イエス・キリスト的なユニヴァーサリズムは徹底的に相対的弱者の側に立つということを明確にしている。イエスの養父であるヨセフは徹底的に聖母子に仕えた。「聖父」フランシスコの敬愛する聖人の筆頭が「聖ヨセフ」だ。フランシスコ教皇の発する本音が権力のある男たちに嫌われるのも、無理はない。