2007年の投稿

成人の日

Sekko · 2007-01-08 20:04:33 UTC+9 · 投稿 #259

今日は成人の日だったんですね。すっかり失念していて、複数の方に、仕事日だとばかり思ってメールで今日お会いできないかと聞き、リアクションがないので、変だなあと思ってたんですよ。昨日の夜、はじめて気づきました。学校もお仕事も明日からって方が多いんですね。失礼しました。それで今日はスケジュールがあいてしまったので、楽器の練習をした後は図書館へ出かけました。外は新成人の着物姿で眼福ものでしたが、みな一様に振袖に白いファーのストールと、似ていて、20歳の娘とかいなくてよかったと思いました。自分はどうでも気にしないですが、子供に「みんなと同じようにしたい」と言われたら悩むと思います。「いつまでも元気」信仰の話じゃないですが、格差社会になりつつあるとは聞いても、豊かできらびやかな人たちを見てると、疲れて、図書館の自習室に行ったら受験生が外のお祭り騒ぎと無縁に黙々と勉強しているので落ち着きます。この子達も無事合格したら、1、2年後には振袖やスーツ姿で華やぐのでしょうか。20歳でまだ受験生だとつらいでしょう。21歳の浪人生の妹殺しの事件が記憶に新しくて、考えさせられました。
しかし、たとえば、私たちは、天才ピアニストの演奏を聞いて感動させてもらったり、天才アスリートの演技やスポーツ選手の活躍を見て楽しませてもらっても、別に、自分もああなりたいとか、いつかああなろうなんて思いませんし、自分はああできないからだめだと落ち込むこともないですよね。特殊な分野に特殊な才能を持つ人が努力したり運に恵まれたりして花開いてるのを楽しんで見てるだけです。
でも、95歳で階段を二段とびで上がり降りする医者とか、85歳で舞台ででんぐり返りできる女優だって、それは、特殊技能じゃないでしょうか。それなのに、そういう人の記事を読んで、彼はこういう生活をして、彼女はこういう訓練をしてるとか知って、自分もあやかりたいとか、普通の人が感じちゃうのはなぜでしょう。たとえば日野原さん自身も「生き方上手」なんて、単に誰でも工夫ひとつで真似できる上手下手のような印象を与えてるので
一見ハードルが低そうに見えますけど、お掃除の工夫じゃあるまいし、生き方上手ってマニュアルがあるような幻想を与えるのって・・・ 松井選手が「野球上手」とか荒川選手が「スケート上手」とか言っても、本当にその道を目指している人なら参考にするかもしれませんが、普通の人は、全然真似しようとかいう発想もないですよね。
もちろん今60歳でまだ若さに自身がある人などが、日野原さんたちを見て、そうか、後30年も現役でがんばれるぞとか思うのはポジティヴでけっこうですが、それで、途中で事故にあったり病気になれば挫折感が起こるかもしれないし、やはり、何歳までとか後何年とかいう数字の目標はどこか不自然だと思うんです。
たとえば、本来は、勉強して知識や方法を身につけるのが目的のはずが、いつの間にか点数や、順位や偏差値を上げることが目的化する、カンニングしようと、不正入学であろうと、ライヴァルのおちこぼれを願おうと、結果オーライになる世界と似た「本末転倒」に陥りやすいと思うのです。年取っても運良く元気にいれたからそれを還元しよう、働き続けようというのでなく、何歳まで元気にいること自体が目的化して、そのためには手段を選ばず、金も惜しまないような強迫観念になりがちで、そしてそれを煽り商売にする人たちもたくさんいて・・・・また、何歳まで、とかいうのは何点とるとか何円稼ぐとかと同様、線的な数字なので、比較や勝ち負け感があって、弱い人にはつらいですし。
そういえば、キリスト教には「キリストのまねび」という伝統があって、イエスの生き方に倣えっていうのがありますが、あれはそう考えると不思議ですね。だって、イエスって、「生き方上手」の対極にある人ですから。30過ぎて2年ほど公に活動しただけで、弟子に裏切られて、33歳で屈辱的で苦しい刑死、なんて、普通絶対、憧れたり真似したりできません。だからそれに倣えっていうのは、もちろん、年齢とか、世間的な幸福度とかの問題じゃなくて、そういうものを超えたもの、いや生死さえ越えたメッセージをキャッチするということなんでしょう。
Fusakoさま、PAULはパリでも簡単に見つけられるNordの店なんですよ。うちはNord出身なので、クラミックとかを買いに時々PAULに行って冷凍しときます。ガレットも冷凍が効くので、冬にフランスにいなかった家族が帰ったときに食べることも。私はここ数年、ポワラーヌのガレットを買って、その年が刻んである陶製の豆をコレクションしてます。ポワラーヌのガレットの王冠は金の月桂樹をかたどっているのも特徴です。
1月11日から市谷の山脇ギャラリーで、新田健二さんのルルドを中心としたグロッタ-洞窟の聖母という写真展が始まります。私は11日に行きます。興味のある方は新田さんのサイトを検索してください。新田さんは今風に言うとスピリチュアルですごくユニークな方です。私は13日帰仏です。今日まで、初詣もできませんでしたが、母が、自分がその年初めて詣でるときが初詣よ、と言ってたので、そうかあ、と思いました。

今年もよろしくお願いします

Nao · 2007-01-07 19:22:32 UTC+9 · 投稿 #258

竹下様、1月4日のお話に、思わず、そうだ 、そうだ、と手をうちました。元気印の日野原さんや寂聴 さんは、そりゃ、えらいでしょう。でも病人にはやりきれないことだつて、おおいんです。自称95歳のうつくしい腕みせられて、これをうつくしい、と思うひとばかりだと当人はおもつているんですかね。老人である私だって気持ち悪く感じます。やはり、老いは老いです。
体はいやおうなく老いるん です。「あと10年は元気でとか、何歳までは、とか、偏差値みたいに数字を目標にするような生き方じゃなくてせいぜい今年一年いいものを社会に還元できるよう、しつかりやろうとはおもつています」と先生はお書きくださつています。胸がスーツとしました。私は若い人々の幸せを祈る毎日にしたいです。一年がぶつそうで一月単位ですが、、毎日思い出す限りの若い人々の顔をおもいだして、幸せをいのつていたら、いつお迎えがきても、満足!なんて、生意気にもかんがえています。
能力のある人もいいですけど、病人だからこそできることもあるんですよね。じつと体の不調に耐えて、祈る。これつて、いままでできなかついたことなんですよ。うつになるか、祈れるか。その差は大きいですよね。
先日アランをよんでいて、メランコリーのところでこんな文章に出会いました。アランは気は病からと考えるひとだからこういえるんですけど。「悲しみとは病気 にすぎず、いろいろ理屈や理由をかんがえたりしないで、病気として、我慢しなければならぬ。・・・・・もう人を責めたりはしない。がまんする。そのうちに心がやすまる。こうして、まさに申し分のない仕方で悲しみにうちかつ。祈りというものがめざしたのはそれであつた。なかなかうまいことを発見したものだ。対象の測りしれない大きさを前にして、すべてを知りなにひとつ見落とさないこの知恵を前にして、理解をこえるこの威厳を前にして、うかがいしれないこの正義を前にして、敬虔な人は思想を形つくることを放棄した。熱心に祈りをおこなつて、まもなく大いに得るところがなかつたということはおそらくあるまい。憤怒に打ち勝つことこれだけでもたいしたことだ」
古くてもなんだか、こころに響くものがありました。
時々あそんで、楽しんで、仕事には余裕をもつてあたれて・・そして、祈る。今年の生き方はそれですね。まあ・・けつこうじゃありませんか!お若いかたは私が祈つていることをあてにしていいですよ。ある神父さまの「本当の喜び、福音にたちかえりなさい 」というメツセージは神父様にしていえる 言葉です。ピシリと心にひびいてきたのは、やはり老いの知恵というものが私にもできてきたからかもしれません。

今年もよろしく

Fusako · 2007-01-06 20:12:33 UTC+9 · 投稿 #257

昨日、仕事帰りに、職場の近くにあるパン屋さん、「PAUL」に寄ってみるとありました、ガレット・デ・ロワ。で、やっぱり買ってしまいました。フランスに住むのはおろか、行ったこともないのですが、こういう季節もの、って好きで。もっとも、クリスマスやバレンタイン・デーのようにあまりに商業化しすぎたのは、興ざめですが、フランスから来たパン屋さんの店先に1月になると飾られるタルト、とか、冬になるといきつけの洋風飲み屋さんで出るグリューワイン(ヴァン・ショー、ですか)とか、楽しみなものです。
それこそ、四季に富んだ日本では、こういう季節の慣わしって多いのですが、それを楽しむゆとりなんか全然なくなっているのが残念。羽子板市には行けませんでした。仕事納めも仕事始めも、挨拶どころか、ぶっとおしで仕事、片付けもせず、冬休みに入り、出勤すると、もうお正月なんてどこへやらでいきなり残業、という最近です。
あらら、どんどん愚痴になってしまう前にここで止めて、今年もよろしく。

新年おめでとうございます

Sekko · 2007-01-04 17:28:37 UTC+9 · 投稿 #256

みなさま新年おめでとうございます。今年もよろしくお願い申し上げます。
年末年始は母と石垣島で過ごしました。24度で、厚かったです。3年前に沖縄本島でお正月を過ごした母が、セーターで外を歩けるわよと言ってましたが、沖縄本島よりも台湾に近い石垣では、半そでTシャツの人が標準でした。さすがに海には入りませんでしたが、インドア海水プールがあって、海水で体が軽く感じたので、浅かったのに、久しぶりで私にしてはたっぷり泳いで快適でした。離島だなと実感したのは、元日の新聞を読めなかったことです。夕方八重山毎日新聞と沖縄タイムスが届きましたが、本土の新聞は2日になってもついてませんでした。新聞をチェックするたびにサダム・フセイン死刑のニュースが第一面のままで気分が悪いでした。
それで、ローカル紙の元日号を読んでると、沖縄県は平均身長が日本一低く、平均体重は日本一重く、長寿国という形容も今は昔、生活習慣病のリスクの高いところだと書いてあり、記者二人のダイエット記録が始まるとのことでした。その記事を読んだ後、お土産グッズに「長寿の国沖縄のヘルシー食」と書いてあっても、ちょっと不信感が・・・
でも、お約束の水牛車に乗って西表島から由布島へ渡ったり、竹富島で仲間河を遡ってマングローブを見ながら大木を見学したり、石垣島で鍾乳洞を見たり、しっかり観光もやりました。本島と違って米軍上陸がなかった分、歴史の暗さがなく、屈託なく自然を楽しめたのでよかった。
神奈川の実家に戻ってようやくたまっていた新聞を読むと、正月気分になれました。朝日には新藤兼人と市川崑両監督の対談が。91歳と94歳の現役なのですね。さすが日本はすごい、と関心。でもお二人とも、「いい職人になりたい」というような趣旨で、老大家となられてもテクニックにこだわられる様子も日本的かもしれません。アラン・レネなんかは、年老いてなおポエジーの追及という面が多いようだったから。
パリからの飛行機では韓国映画の『漢江の怪物』とかいうモンスター映画を観まして、子役も含めてみな演技力があり、特撮も迫力、話もハリウッドものではありえない陰影があり、引き込まれました。
日本に来てから買って読んだ本は2冊、ブルーバックスの『皮膚感覚の不思議』というのと、『非対称の起源』で、どちらもトリビアといえば言えますがとても面白い本でした。後者は前に読んだ『左右の民俗学』という本と別の切り口で、美術作品の人物の利き手を調べたり、すごいこだわりの一篇です。後は母のところにある古い雑誌をぱらぱら。あらためて、高齢者マーケットの凄さを感じます。高齢者用健康雑誌のスターはいつも日野原重明さん、森光子さん、宇津井健さん、瀬戸内寂聴さん、辰巳芳子さん、田辺聖子さんとか、のメンバーで・・自分が病気になったら95歳のお医者様には別に診てもらいたくない気もしますけど・・皆さんそれぞれ凄い人ですけど、新藤兼人とか市川崑さんのようにチームをまとめて90代で映画をとる人はやはり大したものですね。
でも、81歳でこういうのを読んで励みにしている母のような人は、結局自分も元気があるからなのでしょう。そうじゃない人は、こういう元気印の人たちのパフォーマンスを見ているのが辛くなるときもあるかもしれません。後10年は元気でとか、何歳までは、とか、偏差値みたいに数字を目標にするような生き方じゃなくて、せいぜい、今年一年、いいものを社会に還元できるようしっかりやろうとは思っています。
これはネット・カフェで書いてます。個人メールへの返事は明日まとめて書きます。(急ぎの方は携帯へ電話してください。)