2007年の投稿
さっきの審議は真偽の変換ミスです。
昨日のカナル・アンシェネ
昨日のカナル・アンシェネには、サルコとシラクの裏取引(シラクの裏金問題で)のことがすっぱ抜かれてました。たった今、ラジオのEUROPE1で、サルコが出てて、ジャン=ピエール・カヴァッシュからインタビューされて、その審議を聞かれて、「C'est faut, grotesque, blessant, insultant!」と答えてました。確か、シラクの裏金疑惑のほとんどはすでに訴求できなくなっていて、この後、罪に問われるとしても、大したものは残ってないということでした。
シラク「猿支持表明」のウラ
竹下さんのフランス語の方の記述も読みましたが、シラクの「3選不出馬表明」なんですが、そのときは「後継」については、明言してなかったんですが、その後、「サルコジ支持」を表明してんですよね。確か、そのころの日経の外電面でしたが、大統領を辞めると「不逮捕特権」がなくなるじゃないですか。で、「一市民」に戻ったシラクに対して、パリ市長時代の例の裏金ギワクについても捜査の手が伸びるのではないかとの観測が流れていたことを報じていて、シラクの「サルコジ支持表明」はその直後なんですよ(笑)。で、それとほぼ同じ頃に、(なぜか)日本の産経新聞(だけ)に、サルコジの腹心を「当選後の司法大臣含み」で、UMPから下院選に出馬させるとの記事が出てて、じつにわかりやすいですよね。サルコジもサルコジでヌイイ市長時代に購入した例の高級住宅の転売疑惑をカナール・アンシェネにスッパ抜かれていて、まあ、どっちもどっちでしょうが(笑)、それで私は少しシラクにがっかりしたところはあります。「その程度で、政敵にシッポを振るのかよ」という感じです。「現実政治」は、そんなキレイゴトだけでは動いていませんよ。まあ、竹下さんが足場を置くアカデミズムとは無縁の世界です。私のブログにも書きましたが、サルコジが外交でアメリカとは距離を置くような声明を出した日、また、ナント郊外でマリ人の食肉精肉工場労働者が不法滞在で一斉検挙されたのは、そのカナール・アンシェネがスッパ抜いた同じ2月28日ですし、また、パリ北駅でのキセル乗車移民拘束も、シラクとの「裏取引」で内相を辞任し、UMPの党首として選挙戦に専念できる体制の整った直後じゃないですか。そういう「足元」をよく見ておかないと、ですよ。そこに私が彼の政治手法として、「策を弄する」と批判しているところなんです。
お久しぶり
裏金、反響はどうですか?
3冊同時とはすごいですね。
大統領選については、フランス語のコーナーにもちょっと書いてます。今朝のラジオでル・ペンが、あなたのうちに来た招待客が、おじいちゃんの安楽椅子に腰掛けるのは変だろう、サルコジは自分がハンガリー移民の子だと売り物にしてたんだから大統領になるのはおかしい、と言ってました。でもそれじゃ、フランス人の三分の一に上る移民の子孫を敵に回しますよ、とインタビュアーに言われて、「私の妻は半分ギリシャ人だけど、私はそれを売り物にしない、サルコは売り物にするからおかしいんだ」と答えててました。サルコはコミュノタリストなんで、司教にも政治的発言をしてもらうとか宗教コミュニティにも尻尾を振ってます。アングロサクソンのメディアは、シラクやビル・クリントンには慈愛の雰囲気がある、サルコにはそれがないし、セゴはお高くとまってるし、慈愛深そうなのはバイルーだけ、と書いてました。しかし慈愛深そうで人気のボルローはつい最近サルコ支持を公言しました。そういえば、サルコ夫人のセシリアは自分にフランスの血が一滴も入ってないのを誇りに思うって、言ったことがあるそうです。ミシェル・オンフレイはサルコのヒステリックな態度について証言してます。エマニュエル・トッドも面白いことを言ってます。在仏日本人のブログでサルコの怒りぶりのYoutubeやオンフレイのブログを紹介しているのがあります。http://neshiki.typepad.jp/nekoyanagi/
見てみてください。
3冊同時とはすごいですね。
大統領選については、フランス語のコーナーにもちょっと書いてます。今朝のラジオでル・ペンが、あなたのうちに来た招待客が、おじいちゃんの安楽椅子に腰掛けるのは変だろう、サルコジは自分がハンガリー移民の子だと売り物にしてたんだから大統領になるのはおかしい、と言ってました。でもそれじゃ、フランス人の三分の一に上る移民の子孫を敵に回しますよ、とインタビュアーに言われて、「私の妻は半分ギリシャ人だけど、私はそれを売り物にしない、サルコは売り物にするからおかしいんだ」と答えててました。サルコはコミュノタリストなんで、司教にも政治的発言をしてもらうとか宗教コミュニティにも尻尾を振ってます。アングロサクソンのメディアは、シラクやビル・クリントンには慈愛の雰囲気がある、サルコにはそれがないし、セゴはお高くとまってるし、慈愛深そうなのはバイルーだけ、と書いてました。しかし慈愛深そうで人気のボルローはつい最近サルコ支持を公言しました。そういえば、サルコ夫人のセシリアは自分にフランスの血が一滴も入ってないのを誇りに思うって、言ったことがあるそうです。ミシェル・オンフレイはサルコのヒステリックな態度について証言してます。エマニュエル・トッドも面白いことを言ってます。在仏日本人のブログでサルコの怒りぶりのYoutubeやオンフレイのブログを紹介しているのがあります。http://neshiki.typepad.jp/nekoyanagi/
見てみてください。
仏大統領選スタート
どうもご無沙汰しています。私の方はようやく「裏金」の本が出て、「やれやれ」といったところです。今回の仕事は本当に時間と手間がかかりました。「仏大統領選」に関する竹下さんのコラム、興味深く拝読させて頂きました。昨年秋から、フランスの政治というより、もっぱら「政局」(=権力闘争)マターで自分のブログには延々と書いてきたのですが、ここで少しアタマを冷やして見つめてみるのもいいような気がしています。現段階になって初めて言えることですが、私の「シラク3選支持」というのは、サルコジに対する最高級の牽制です。内相としての彼の「毒」を薄めるには、これ以外に選択肢がなかったと私は思います。まさに「毒をもって毒を制す」です。ある意味、サルコジも「損」な役回りをシラクに押し付けられた部分はありますよね。ひょっとして思うのですが、サルコジの強硬路線も、「深層心理」の部分では、シラクに対する「反発」、「あてつけ」の部分もあったような気がします。ただ、逆に言えば「シラクVSサルコジ」という、ある意味、保革共存よりは強烈な「コアビタシオン」によって、EU憲法草案否定後の「緊張感」が政権内部に生まれてきたとは思いますので、それはそれで悪くはなかったとは思いますが。しかし、サルコジの「新自由主義路線」なんか、かつてのシラクそのまんまですものね。でも、サルコジはあまりにもポピュリスティックで、「言ってること」と「やってること」との間に整合性がなさすぎる。策を弄しすぎる。それと、統治者として、マイノリティに対するいたわりや寛容さがなさすぎる。ですから、「3者」の中で選ぶとすれば、バイルですかね。サルコジ、セゴレーヌに比べたら、派手さはなく、アカ抜けてもいないが、実直にやるべきことはやりそうな気がする。前回は「シラクVSルペン」の決選投票でしたが、今回はFNをはじめとする極右系の票はサルコジに流れますからね。むしろ、バイルの方がセゴレーヌより「左」に行っているでしょう(ここでいう「左」とは経済政策というより、かつての左派が大事にしていた、人権だとか、マイノリティに配慮するといった「良質な価値観」という意味です)。セゴレーヌは要は「オンナ」というだけで、それを超える「資質」がなかなか私には見いだしにくです。その意味では、もし、私に投票権があったら、今回は2回ともバイルですが、ただ、「2回目」が「サルコジVSセゴレーヌ」になったら、本当に難しいですね。まさに「猿」として何をやらかすかわからないサルコジに入れるか、とりあえずは無難なセゴレーヌに入れるか、じつに難しいですね。
日本にて
今月23日まで滞在します。東京での桜の開花予想が18日ということなので、来週から合流する米国人達に桜の花をみせられそうです。
さて、先日「レオナルド・ダ・ヴィンチ 伝説の虚実」を手にとりました。中身を見てビックリ、私が若いころ感銘を受けた「饗宴注解」の著者M・フィチーノとその弟子ミランドラが紹介されているわ、バロック美術論あり、フリーメイソンと神智主義あり、予想以上に興味深い本です。”「ダヴィンチ・コード」の安っぽい便乗商法”というイメージが払拭されました。まだ読み始めですが、新しいお気に入りになりそうです。ご本の中で、当時のフィレンツェの思想を「魂至上主義」と評価されてますが、この的を得た表現に辛辣さを感じるのは、私の若いころのノスタルジーのせいでしようね。
さて、先日「レオナルド・ダ・ヴィンチ 伝説の虚実」を手にとりました。中身を見てビックリ、私が若いころ感銘を受けた「饗宴注解」の著者M・フィチーノとその弟子ミランドラが紹介されているわ、バロック美術論あり、フリーメイソンと神智主義あり、予想以上に興味深い本です。”「ダヴィンチ・コード」の安っぽい便乗商法”というイメージが払拭されました。まだ読み始めですが、新しいお気に入りになりそうです。ご本の中で、当時のフィレンツェの思想を「魂至上主義」と評価されてますが、この的を得た表現に辛辣さを感じるのは、私の若いころのノスタルジーのせいでしようね。
Massimoさんへ
日本にいらっしゃるのですね、いつまで? 私は1980年以来、春のはじめの日本を見てません。来年あたりトライしたいです。でももう4月のような陽気だとか聞いてます。いかがですか? パリにずっといる友人の何人かと、最終的に日本に戻って暮らす気があるかとか、日本で暮らせるかという話が時々出てきます。インタネットのおかげで、コミュニケーションの問題は限りなく国境を超えましたね。外国にいても日本人でいられるけど、日本にいたら日本人でしかいられない感じはしますけど。
Massimoさんはルネサンス・ポリフォニーがご専門ですか。ルネサンスポリフォニーって、私にとっては石造りの教会のような箱というか器と一体のイメージです。
Massimoさんはルネサンス・ポリフォニーがご専門ですか。ルネサンスポリフォニーって、私にとっては石造りの教会のような箱というか器と一体のイメージです。
古川さんの『日本の裏金』
古川利明さんのブログを先ほど見て、『日本の裏金』3部作を同時刊行されたことを知りました。おめでとうございます。ブログがずっと10月25日付けだったので、どうしたのか心配してましたら、10月16日付けに延々と続きがつながってたんですね。もうそろそろフランスに来る頃? また連絡してください。明日セゴレーヌが100人の質問に答えるTV中継があります。今の私はセゴレーヌに失望して、それでもセゴレーヌ大統領で、DSK首相ならOKかと思ってたんですが、つい最近DSKが在外フランス人に課税することで予算を増やすと言ったのにがっかりしてます。シラクについての本もさわりは読みましたよ。
猿居士の方は、彼を分析した面白い本が出ました。彼はフランスの保守の3つのタイプの複合形だというんです。つまり、イデオロギー的にはオルレアニスト、政治的には、ボナパルティスト、カルチャー的にはレジティミストって言うんです。この3種をうまく使い分けてるんで、企業トップにも宗教コミュニティにも一般人にも受けがいい。この分析ですごくクリアーになりました。しかも、これは雑誌で読みましたが、セゴレーヌもそうですが、猿居士にはフリーメイスンのアドヴァイザーがついてて、どの演説にもレピュブリック(共和国)という言葉を最低2回は使うようにとアドヴァイスされてて、自分は共和国理念を遵守するってアピールは忘れません。
私はいまや、フランソワ・バイルー寄りですが、ある意味で猿居士のような男は、内務大臣やってるよりは、大統領になった方が毒が薄まるかなとも思います。今回セゴレーヌが大統領になったとしても、猿居士はまだ50になったばかりですから、次回はもっと毒性を強めて登場するでしょう。
首相がボルローなら我慢できます。最近の調査では、猿居士がますます優位なので、あきらめムードです。泡沫候補の中には、ゴーリスムの本流を目指す若手の政治家もいますが、リアリティはないですね。ヴィルパンもまだ若いので、もう一回り大きくなって戻ってきてほしいですが。
Fusakoさんへ。日本に貧困の実態を把握する公的な統計がないというのに驚きました。それでなくとも、ニートを親が抱え込んだり、ネットカフェ・ホームレスがいたり、生活保護の「施され感」が受給を思いとどまらせたり、日本は実態がつかみにくそうです。そこに、自由競争的価値観が拡大してますから。
右足と左足は勝ち負けを争わないし、右足をいためると、自然に左足が全体重を支えようとします。利き手はもう一方の手を頼らずに黙々といろんなことをこなします。その利き手が怪我したら、利き手じゃないほうの手が、不器用だけど、できるだけ仕事をこなします。手どうし足どうしが「ふん、あいつは楽しやがって」とか「この役立たずが」とか憎悪や差別感を抱くようにはなりません。社会もそんなふうに大きな有機体みたいになればいいんですが・・・・
猿居士の方は、彼を分析した面白い本が出ました。彼はフランスの保守の3つのタイプの複合形だというんです。つまり、イデオロギー的にはオルレアニスト、政治的には、ボナパルティスト、カルチャー的にはレジティミストって言うんです。この3種をうまく使い分けてるんで、企業トップにも宗教コミュニティにも一般人にも受けがいい。この分析ですごくクリアーになりました。しかも、これは雑誌で読みましたが、セゴレーヌもそうですが、猿居士にはフリーメイスンのアドヴァイザーがついてて、どの演説にもレピュブリック(共和国)という言葉を最低2回は使うようにとアドヴァイスされてて、自分は共和国理念を遵守するってアピールは忘れません。
私はいまや、フランソワ・バイルー寄りですが、ある意味で猿居士のような男は、内務大臣やってるよりは、大統領になった方が毒が薄まるかなとも思います。今回セゴレーヌが大統領になったとしても、猿居士はまだ50になったばかりですから、次回はもっと毒性を強めて登場するでしょう。
首相がボルローなら我慢できます。最近の調査では、猿居士がますます優位なので、あきらめムードです。泡沫候補の中には、ゴーリスムの本流を目指す若手の政治家もいますが、リアリティはないですね。ヴィルパンもまだ若いので、もう一回り大きくなって戻ってきてほしいですが。
Fusakoさんへ。日本に貧困の実態を把握する公的な統計がないというのに驚きました。それでなくとも、ニートを親が抱え込んだり、ネットカフェ・ホームレスがいたり、生活保護の「施され感」が受給を思いとどまらせたり、日本は実態がつかみにくそうです。そこに、自由競争的価値観が拡大してますから。
右足と左足は勝ち負けを争わないし、右足をいためると、自然に左足が全体重を支えようとします。利き手はもう一方の手を頼らずに黙々といろんなことをこなします。その利き手が怪我したら、利き手じゃないほうの手が、不器用だけど、できるだけ仕事をこなします。手どうし足どうしが「ふん、あいつは楽しやがって」とか「この役立たずが」とか憎悪や差別感を抱くようにはなりません。社会もそんなふうに大きな有機体みたいになればいいんですが・・・・
日本での論議
今、国会では、「格差国会」とか「労働国会」ということで、けっこう、「ワーキングプア」の話が出ています。
ホームレスについては、今年は「ホームレス自立支援法」(10年の時限立法)の中間見直しの年なので、本来は国会で話題になっていいはずなのですが、労働基準法とかワーキングプアとか少子化とかの影に霞んでいるようです。でも、ワーキングプア、ってホームレスに直結するんですけれどね。
論議をみていて二点について、日本の政策が大きく間違っていると思います。
一つは、「ワーキングプア」というのは、日本では単にマスコミ用語であるに過ぎません。アメリカでは、これは、統計的に把握された貧困層を示す公的な用語なんですけれどね。イギリスにも貧困の統計があるようです。でも、日本では、国民の貧困の実態を公的に把握した統計がなくて、やれ格差があるだのないだの、議論のための議論しかしていないように見えます。日本の「ワーキングプア」とは、生活保護水準以下の収入しかない人たち、特に世帯(独立の生計単位)の人たちを指していますが、生活保護水準以下の収入で、でも、保護を受けていない人たちってたくさんいるんですよね。たぶん、一番大きいグループは、子どもをかかえて離婚して、でも、実家に帰れない、というシングルマザーではないかと思います。もしかして違うかもしれませんが、とにかく、政府が国民の貧困の実態を把握していないということ、それ自体がまず問題ですね。
次に、救済策として、「自立」と、つまり、仕事に就け、と、そればっかり言うのですが、安定した仕事に就くには、まず、安定した居住がなければ無理なのに、住宅政策って全然ないです。就労支援、ばっかり。東京都が、とにかくホームレスを公園から出したくて住宅提供をしましたが、期限つきの措置です。
事実を客観的に把握しない、基本の保障をしない、そして、ガンバレだけ言う、これって、政府だけでなくて、そもそも国民がやっぱりそういうところがあるんだと思うんですけどね。基本的な事実や対処について考えないで、ただ、ガンバレ、と言うだけ、という。
スコットランドの話、ありがとうございました。
ホームレスについては、今年は「ホームレス自立支援法」(10年の時限立法)の中間見直しの年なので、本来は国会で話題になっていいはずなのですが、労働基準法とかワーキングプアとか少子化とかの影に霞んでいるようです。でも、ワーキングプア、ってホームレスに直結するんですけれどね。
論議をみていて二点について、日本の政策が大きく間違っていると思います。
一つは、「ワーキングプア」というのは、日本では単にマスコミ用語であるに過ぎません。アメリカでは、これは、統計的に把握された貧困層を示す公的な用語なんですけれどね。イギリスにも貧困の統計があるようです。でも、日本では、国民の貧困の実態を公的に把握した統計がなくて、やれ格差があるだのないだの、議論のための議論しかしていないように見えます。日本の「ワーキングプア」とは、生活保護水準以下の収入しかない人たち、特に世帯(独立の生計単位)の人たちを指していますが、生活保護水準以下の収入で、でも、保護を受けていない人たちってたくさんいるんですよね。たぶん、一番大きいグループは、子どもをかかえて離婚して、でも、実家に帰れない、というシングルマザーではないかと思います。もしかして違うかもしれませんが、とにかく、政府が国民の貧困の実態を把握していないということ、それ自体がまず問題ですね。
次に、救済策として、「自立」と、つまり、仕事に就け、と、そればっかり言うのですが、安定した仕事に就くには、まず、安定した居住がなければ無理なのに、住宅政策って全然ないです。就労支援、ばっかり。東京都が、とにかくホームレスを公園から出したくて住宅提供をしましたが、期限つきの措置です。
事実を客観的に把握しない、基本の保障をしない、そして、ガンバレだけ言う、これって、政府だけでなくて、そもそも国民がやっぱりそういうところがあるんだと思うんですけどね。基本的な事実や対処について考えないで、ただ、ガンバレ、と言うだけ、という。
スコットランドの話、ありがとうございました。
スコットランドの話
スコットランドのホームレス政策のレポートを読んだので、ちょっと紹介したくなりました。「またか、うるさい」と思われる方は読まずにスルーしてくださいね。フランスは、ホームレスが市町村に対して住居の権利を求めることができる法案を作るにあたって、今たぶん世界で唯一この法律を施行させているスコットランドの実態を調べました。ちなみにスコットランドの議会は1999年以降、教育、保健、農業、社会正義について、ブリティッシュ議会から独立しています。United Kingdom の国際政策に反することはできません。
それで、このホームレス法(Homeless Scotland Act_)が2003年にできるまでに、1985年から議論が重ねられてきました。今は、2012年までにすべてのホームレスに尊厳ある住居を提供するという計画になっていて、3分の2くらい達成できたといいます。まず1987年に、母子家族を優先して住居が提供され、しかし、前の住居を家賃不払いで追い出されたときに本当に収入がなかったかなどの審査がありました。2001年の新法で、この審査がなくなり、その代わりに住居提供1年後に生活状態のチェックを受けることになりました。2003年には、高齢者、慢性病者、知的障害者、精神障害者、刑務所や病院や軍隊から出てきた人で職業教育を受けられなかったひと、性産業やドラッグやアルコールの犠牲になりそうな18歳から20歳の青年らが対象者となり、住居申請をしている人の75%が該当するそうです。2012年にはこれらの条件も撤廃して、一人のホームレスもなくすることが目標だとか。
この対策のためにNGO と市町村の住居課と政治家が共同することになり、市町村はホームレス援助のボランティア・サーヴィスを組織せざるを得なくなりました。首都のエディンバラでは、45万人の人口に対して5000人のホームレスがいて、市のサーヴィスに申請すると、パーソナルなカウンセラーがつきます。観光地であるエディンバラ城のすぐ下にある元兵舎が、回想されて一時宿舎になり、そこでは、30人の入居者のために20人の人が働いていて、その費用は入居者一人当たり一日150ユーロ(2万円ちょっと)になるそうです。20平米の個室で、ペット可、大体4ヶ月で、新住居に移ります。それまでのホームレスの一時避難所は、暴力が支配していたり、犬を連れていけないので拒絶する人が多かったそうです。
知的障害があるために特殊施設を回ったあと、社会から排除されて4年間路上で暮らしたロスさん(52歳)の例がありましたが、今は2K のアパルトマンを与えられて、住宅手当150ユーロと、The Big Issue(ホームレス機関紙)を売ることで得られる収入を計算して予算を組んでくれるアシスタントがついています。彼の愛犬であるシェパードのロッキーの餌代もちゃんと予算に入ります。
それまでは、福祉の住居を提供する時は、文句があるならそれまで、という態度だった福祉課の人が、お客に接するかのように、福祉受給者の満足度を第一に考えるようになった、それは意識の革命だったといいます。
しかも、これだけ聞くと、そんな金、いったいどこから払うんだ、と思うかもしれませんが、実は、公共の場からホームレスをそのつど排除したり、抜本的解決なしにあちこちの福祉施設をたらいまわしにしていたときの方が、金がかかっていた、というのです。考えさせられます。
スコットランドとフランスでは規模も違いますし、移民の深刻さも違うでしょう。でも、このロスさんが、熱帯魚の水槽もある快適そうなリヴィングで愛犬とくつろいでいる写真を見ると、他人事ながら、こちらの精神衛生にいいなあとつくづく思いました。パリにもシェパードをつれて物乞いをしてる人をよく見かけますが、物乞いをするような人がシェパード飼うなよ、犬がかわいそう、と感じたこともありました。でもある若いカップルのホームレスが、動物愛護協会から犬を手に入れてから少しずつ社会に復帰する意欲が生まれてくるドキュメンタリーを見て以来、偏見はなくなりました。犬といい関係を築けた人は自分に自信をとり戻せます。
これからもホームレス対策先進国スコットランドのことを時々チェックして、希望を分けてもらいたいです。
それで、このホームレス法(Homeless Scotland Act_)が2003年にできるまでに、1985年から議論が重ねられてきました。今は、2012年までにすべてのホームレスに尊厳ある住居を提供するという計画になっていて、3分の2くらい達成できたといいます。まず1987年に、母子家族を優先して住居が提供され、しかし、前の住居を家賃不払いで追い出されたときに本当に収入がなかったかなどの審査がありました。2001年の新法で、この審査がなくなり、その代わりに住居提供1年後に生活状態のチェックを受けることになりました。2003年には、高齢者、慢性病者、知的障害者、精神障害者、刑務所や病院や軍隊から出てきた人で職業教育を受けられなかったひと、性産業やドラッグやアルコールの犠牲になりそうな18歳から20歳の青年らが対象者となり、住居申請をしている人の75%が該当するそうです。2012年にはこれらの条件も撤廃して、一人のホームレスもなくすることが目標だとか。
この対策のためにNGO と市町村の住居課と政治家が共同することになり、市町村はホームレス援助のボランティア・サーヴィスを組織せざるを得なくなりました。首都のエディンバラでは、45万人の人口に対して5000人のホームレスがいて、市のサーヴィスに申請すると、パーソナルなカウンセラーがつきます。観光地であるエディンバラ城のすぐ下にある元兵舎が、回想されて一時宿舎になり、そこでは、30人の入居者のために20人の人が働いていて、その費用は入居者一人当たり一日150ユーロ(2万円ちょっと)になるそうです。20平米の個室で、ペット可、大体4ヶ月で、新住居に移ります。それまでのホームレスの一時避難所は、暴力が支配していたり、犬を連れていけないので拒絶する人が多かったそうです。
知的障害があるために特殊施設を回ったあと、社会から排除されて4年間路上で暮らしたロスさん(52歳)の例がありましたが、今は2K のアパルトマンを与えられて、住宅手当150ユーロと、The Big Issue(ホームレス機関紙)を売ることで得られる収入を計算して予算を組んでくれるアシスタントがついています。彼の愛犬であるシェパードのロッキーの餌代もちゃんと予算に入ります。
それまでは、福祉の住居を提供する時は、文句があるならそれまで、という態度だった福祉課の人が、お客に接するかのように、福祉受給者の満足度を第一に考えるようになった、それは意識の革命だったといいます。
しかも、これだけ聞くと、そんな金、いったいどこから払うんだ、と思うかもしれませんが、実は、公共の場からホームレスをそのつど排除したり、抜本的解決なしにあちこちの福祉施設をたらいまわしにしていたときの方が、金がかかっていた、というのです。考えさせられます。
スコットランドとフランスでは規模も違いますし、移民の深刻さも違うでしょう。でも、このロスさんが、熱帯魚の水槽もある快適そうなリヴィングで愛犬とくつろいでいる写真を見ると、他人事ながら、こちらの精神衛生にいいなあとつくづく思いました。パリにもシェパードをつれて物乞いをしてる人をよく見かけますが、物乞いをするような人がシェパード飼うなよ、犬がかわいそう、と感じたこともありました。でもある若いカップルのホームレスが、動物愛護協会から犬を手に入れてから少しずつ社会に復帰する意欲が生まれてくるドキュメンタリーを見て以来、偏見はなくなりました。犬といい関係を築けた人は自分に自信をとり戻せます。
これからもホームレス対策先進国スコットランドのことを時々チェックして、希望を分けてもらいたいです。
釜ヶ崎住民票削除問題
sekko様
この掲示板はブログアドレスを貼れないので、転載してしまいました。すみません!
削除・編集機能がないので、管理人様お手数ですが私の投稿2つ削除してください。
釜ヶ崎住民票削除についての要望書
http://briefcase.yahoo.co.jp/bc/luv_beer901/lst?&.dir=/2b43&.src=bc&.view=l
この掲示板はブログアドレスを貼れないので、転載してしまいました。すみません!
削除・編集機能がないので、管理人様お手数ですが私の投稿2つ削除してください。
釜ヶ崎住民票削除についての要望書
http://briefcase.yahoo.co.jp/bc/luv_beer901/lst?&.dir=/2b43&.src=bc&.view=l
住民票の問題
住民票の問題は、私の身近でもいろいろあって、日ごろ考えている問題のひとつです。情報をありがとうございました。できればコピペでなくリンクだけにしてください。あまり重そうな問題では引いてしまわれる方もあるし・・・ブログのほうは読ませてもらってます。すごく参考になります。過労死が自己責任という話や、日本とEUの覇権労働の違いなど、ちょっとショックです。
緊急に訴えたいという問題があれば私に直接メールください。役に立てそうならこのサイトで、自分の意見を書きます。よろしく。
緊急に訴えたいという問題があれば私に直接メールください。役に立てそうならこのサイトで、自分の意見を書きます。よろしく。
転載ミスのようですので
釜ヶ崎住民票削除
こんにちは。
先日長居公園のホームレスを強制排除したばかりの大阪市ですが、今度は住民票削除の暴挙を行うようです。
釜ヶ崎といえば、日本のピエール神父ともいえるであろう、本田神父が活動している地区です。
詳細を転載させてください。
******以下転載********
●[AML 11818] 【お願い】釜ヶ崎住民票削除反対署名
(メール転載歓迎)
人民新聞社の一ノ瀬と申します。
日頃の皆さんのご活動に、敬意を表します。
大阪市西成区にある日雇労働者の街=釜ヶ崎のいわゆる「架空住民登録問題」に関して、住民登録削除反対署名のお願いです(〆切:2月22日必着)。
昨年12月のマスコミの「釜ヶ崎解放会館に釜ヶ崎労働者3300人が住民登録」といった報道により、大阪市はそれまで20数年にわたって放置していた責任を取ることなく、釜ヶ崎労働者の住民票を一方的に削除しようとする暴挙に出ています。
住民基本台帳法に基づき、「居住実態のない住民票は削除する」と大阪市はいいます。しかし、日雇労働者の生活実態は、決してそんな法律で網羅できるほど単純ではありません。
仕事から帰ってきて泊まるドヤ(宿泊所)は毎日同じ、というケースはまれです。
飯場仕事で全国各地をまわり、半年・1年と釜ヶ崎を留守にすることもあります。
仕事がなければ野宿せざるを得ないこともあります。まさにこれまで日雇労働者は100円ライターのごとき「使い捨ての労働力」として利用されてきたのです。
そんな日雇労働者の実態に配慮することもなく、釜ヶ崎で対策がされるわけでもなく、自ら西成区役所やあいりん労働者福祉センターの窓口が「解放会館で住民登録できるから」と「指導」してきたのにも関わらず、一方的に住民票削除に踏み切ろうとするのは、憲法に保障される生存権・労働権・生活権・選挙権などの基本的権利を踏みにじるものであり、断じて認めるわけにはいきません。
たとえば、「在外選挙」という制度があります。海外に暮らす邦人でも、一定の手続きを踏めば国会議員選挙の投票ができる、というものです。これは、在外邦人選挙権制限違憲訴訟における2005年9月の最高裁大法廷の判決、「立法の内容又は立法不作為が国民に憲法上保障されている権利を違法に侵害するものであることが明白な場合や、国民に憲法上保障されている権利行使の機会を確保するために所要の立法措置を執ることが必要不可欠であり、それが明白であるにもかかわらず、国会が正当な理由なく長期にわたってこれを怠る場合などには、例外的に、国会議員の立法行為又は、立法不作為は、国家賠償法の規定の適用上、違法の評価を受ける」等によるものです。
これは、先の「居住実態のない住民票は削除」と言い張る大阪市が行政上の不作為を問われるべきである、と読み替えることが出来ます。
「住民票削除(法的には「消除」というそうですが)」が作為的に簡単に行われてしまうのであれば、大問題になります。例えば02年に地方自治体が送った住基コード番号票ですが、各自治体で「宛先不明」で返ってきたものが多いのです(大阪市では、送った118万世帯のうち、16万8533通が戻ってきた、と明らかにしています)。これもいわば「居住実態がないもの」と判断していますが、この住民票も削除するのでしょうか。
あるいは、DV被害者が加害者から避難するために、現実に居住している場所を住民票に登録してくとも支障ないように配慮されています。
また、この間、新聞報道などで取り上げられている日雇いフリーターの存在があります。彼らの中には、ネットカフェなどに泊まり、そこから派遣労働に出かけるという生活を送る人が多いと言われます。そんな彼らの「住民票」もまた削除されるのでしょうか?
大阪市は今月いっぱいで住民票を削除すると躍起になっています。この問題は、直接には釜ヶ崎労働者の問題ではありますが、ネオリベ化・格差社会化を押し進めるいまの日本の政治のありようの一端だともいえると思います。
以下のURLに、大阪市長宛の「釜ヶ崎労動者の住民票削除反対署名」(PDF)をupしています。ぜひ、署名へのご協力をお願いする次第です。
http://briefcase.yahoo.co.jp/bc/luv_beer901/lst?&.dir=/2b43&.src=bc&.view=l
もしお時間がなければ、私のメールアドレス(high-time@jimmin.com)までお名前・ご住所をお知らせいただいても結構ですが、できましたら、印刷の上署名いただいたものをお送りいただければ幸いです(送り先は署名用紙にあります)。
お問い合わせは、私の携帯080-1433-7668まででも結構です。
〆切はとりあえず2月22日(木)必着ということでお願いできないでしょうか?勝手な話で恐縮ですが、どうぞよろしくお願いいたします。
-----
一ノ瀬 輝博@人民新聞社 2007/02/11(日)
[編集部]電話:06-6572-9440 FAX:06-6572-9441
http://www.jimmin.com
釜ヶ崎住民登録消除中止を求める要望書釜ヶ崎住民登録消除中止を求める要望書
要望趣旨要望趣旨
「居住実態のない住民登録は住民基本台帳法に則って消除する」 「居住実態のない住民登録は住民基本台帳法に則って消除する」?この当たり前に聞こえる措置によって、?この当たり前に聞こえる措置によって、
大阪市は日雇い労働者の市民権を奪い、大阪市は日雇い労働者の市民権を奪い、野宿者を社会福祉の枠外に放り出そうとしています。野宿者を社会福祉の枠外に放り出そうとしています。
昨年一二月、 昨年一二月、釜ヶ崎解放会館への住民登録報道を受けて、釜ヶ崎解放会館への住民登録報道を受けて、大阪市は大阪市は「住民基本台帳法に基づいて適正化「住民基本台帳法に基づいて適正化
を行う」を行う」として、として、住民票削除の基本方針を打ち出しました。住民票削除の基本方針を打ち出しました。その後対象は、その後対象は、NPO釜ヶ崎支援機構NPO釜ヶ崎支援機構・・ふるさふるさ
との家にも拡大されました。との家にも拡大されました。
住民登録は、住民登録は、当たり前の社会生活を送る基礎を提供しています。当たり前の社会生活を送る基礎を提供しています。「住所」「住所」があることで、があることで、国民健康保険の加国民健康保険の加
入、入、郵便局郵便局・・銀行の口座開設、銀行の口座開設、運転免許証の切り替えにはじまり、運転免許証の切り替えにはじまり、就労、就労、日雇い手帳の交付、日雇い手帳の交付、特掃特掃(高齢者(高齢者
特別清掃事業)特別清掃事業)登録も可能となるのです。登録も可能となるのです。つまり住民登録削除は、つまり住民登録削除は、行政や民間が提供している様々なサービ行政や民間が提供している様々なサービ
スの対象から排除することを意味しています。スの対象から排除することを意味しています。
日雇い労働者は、日雇い労働者は、泊まるドヤが毎日同じというのはむしろ特殊です。泊まるドヤが毎日同じというのはむしろ特殊です。飯場仕事で長期にわたって釜ヶ崎か飯場仕事で長期にわたって釜ヶ崎か
ら離れるケースも少なくありません。ら離れるケースも少なくありません。その間もカラ家賃をドヤに払い続けなければならないのでしょうか?その間もカラ家賃をドヤに払い続けなければならないのでしょうか?
また、また、仕事がなくなれば野宿もあります。仕事がなくなれば野宿もあります。住民票削除は、住民票削除は、こうした日雇い労働者の生活実態を無視した措置こうした日雇い労働者の生活実態を無視した措置
に他なりません。に他なりません。
「住民登録適正化」「住民登録適正化」は、は、日雇い労働者日雇い労働者・・野宿者に限られた問題ではありません。野宿者に限られた問題ではありません。悪質な消費者金融からの借悪質な消費者金融からの借
金やDVをはじめとした家庭の事情で実際の居所では住民登録できない人もいます。金やDVをはじめとした家庭の事情で実際の居所では住民登録できない人もいます。長期にわたる遠隔地へ長期にわたる遠隔地へ
の派遣労働を繰り返している労働者の住民登録も、の派遣労働を繰り返している労働者の住民登録も、居住実態がないとして削除するのでしょうか?居住実態がないとして削除するのでしょうか?
私たちは、私たちは、大阪市による住民票消除の措置が、大阪市による住民票消除の措置が、日雇い労働者日雇い労働者・・野宿者の基本的人権を奪うという意味で憲野宿者の基本的人権を奪うという意味で憲
法に反する可能性がある措置であり、法に反する可能性がある措置であり、不安定な生活を強いられている全ての人々の市民権を奪う措置として不安定な生活を強いられている全ての人々の市民権を奪う措置として
大阪市に次の要望を行うものです。大阪市に次の要望を行うものです。
要望事項要望事項
一、一、大阪市は、大阪市は、釜ヶ崎解放会館、釜ヶ崎解放会館、NPO釜ヶ崎支援機構NPO釜ヶ崎支援機構・・ふるさとの家で住民登録しているふるさとの家で住民登録している
人々の住民票消除をやめよ人々の住民票消除をやめよ
二、二、日雇い労働者日雇い労働者・・野宿者が諸々の社会サービスを受けるに必要な住民登録を行いうる代替野宿者が諸々の社会サービスを受けるに必要な住民登録を行いうる代替
措置を早急に講じよ措置を早急に講じよ
三、三、安定した住所をもつことができない人々に対して、安定した住所をもつことができない人々に対して、住民登録を可能とする制度運用又は、住民登録を可能とする制度運用又は、
法整備を行え法整備を行え
200200 77 年年 22 月月
釜ヶ崎釜ヶ崎・・住民登録消除を考える市民の会 住民登録消除を考える市民の会
連絡先連絡先::大阪市港区港晴大阪市港区港晴 3-3-183-3-18 1F 一ノ瀬輝博 1F 一ノ瀬輝博
電話電話::06-6572-944006-6572-9440 080-1433-7668080-1433-7668
大阪市長 關淳一殿大阪市長 關淳一殿
*******転載終わり*******
ホームレスだけでなく、日雇い労働者も排除したいのでしょうか。
フランスでは考えられない暴挙だと思うのですが。
先日長居公園のホームレスを強制排除したばかりの大阪市ですが、今度は住民票削除の暴挙を行うようです。
釜ヶ崎といえば、日本のピエール神父ともいえるであろう、本田神父が活動している地区です。
詳細を転載させてください。
******以下転載********
●[AML 11818] 【お願い】釜ヶ崎住民票削除反対署名
(メール転載歓迎)
人民新聞社の一ノ瀬と申します。
日頃の皆さんのご活動に、敬意を表します。
大阪市西成区にある日雇労働者の街=釜ヶ崎のいわゆる「架空住民登録問題」に関して、住民登録削除反対署名のお願いです(〆切:2月22日必着)。
昨年12月のマスコミの「釜ヶ崎解放会館に釜ヶ崎労働者3300人が住民登録」といった報道により、大阪市はそれまで20数年にわたって放置していた責任を取ることなく、釜ヶ崎労働者の住民票を一方的に削除しようとする暴挙に出ています。
住民基本台帳法に基づき、「居住実態のない住民票は削除する」と大阪市はいいます。しかし、日雇労働者の生活実態は、決してそんな法律で網羅できるほど単純ではありません。
仕事から帰ってきて泊まるドヤ(宿泊所)は毎日同じ、というケースはまれです。
飯場仕事で全国各地をまわり、半年・1年と釜ヶ崎を留守にすることもあります。
仕事がなければ野宿せざるを得ないこともあります。まさにこれまで日雇労働者は100円ライターのごとき「使い捨ての労働力」として利用されてきたのです。
そんな日雇労働者の実態に配慮することもなく、釜ヶ崎で対策がされるわけでもなく、自ら西成区役所やあいりん労働者福祉センターの窓口が「解放会館で住民登録できるから」と「指導」してきたのにも関わらず、一方的に住民票削除に踏み切ろうとするのは、憲法に保障される生存権・労働権・生活権・選挙権などの基本的権利を踏みにじるものであり、断じて認めるわけにはいきません。
たとえば、「在外選挙」という制度があります。海外に暮らす邦人でも、一定の手続きを踏めば国会議員選挙の投票ができる、というものです。これは、在外邦人選挙権制限違憲訴訟における2005年9月の最高裁大法廷の判決、「立法の内容又は立法不作為が国民に憲法上保障されている権利を違法に侵害するものであることが明白な場合や、国民に憲法上保障されている権利行使の機会を確保するために所要の立法措置を執ることが必要不可欠であり、それが明白であるにもかかわらず、国会が正当な理由なく長期にわたってこれを怠る場合などには、例外的に、国会議員の立法行為又は、立法不作為は、国家賠償法の規定の適用上、違法の評価を受ける」等によるものです。
これは、先の「居住実態のない住民票は削除」と言い張る大阪市が行政上の不作為を問われるべきである、と読み替えることが出来ます。
「住民票削除(法的には「消除」というそうですが)」が作為的に簡単に行われてしまうのであれば、大問題になります。例えば02年に地方自治体が送った住基コード番号票ですが、各自治体で「宛先不明」で返ってきたものが多いのです(大阪市では、送った118万世帯のうち、16万8533通が戻ってきた、と明らかにしています)。これもいわば「居住実態がないもの」と判断していますが、この住民票も削除するのでしょうか。
あるいは、DV被害者が加害者から避難するために、現実に居住している場所を住民票に登録してくとも支障ないように配慮されています。
また、この間、新聞報道などで取り上げられている日雇いフリーターの存在があります。彼らの中には、ネットカフェなどに泊まり、そこから派遣労働に出かけるという生活を送る人が多いと言われます。そんな彼らの「住民票」もまた削除されるのでしょうか?
大阪市は今月いっぱいで住民票を削除すると躍起になっています。この問題は、直接には釜ヶ崎労働者の問題ではありますが、ネオリベ化・格差社会化を押し進めるいまの日本の政治のありようの一端だともいえると思います。
以下のURLに、大阪市長宛の「釜ヶ崎労動者の住民票削除反対署名」(PDF)をupしています。ぜひ、署名へのご協力をお願いする次第です。
http://briefcase.yahoo.co.jp/bc/luv_beer901/lst?&.dir=/2b43&.src=bc&.view=l
もしお時間がなければ、私のメールアドレス(high-time@jimmin.com)までお名前・ご住所をお知らせいただいても結構ですが、できましたら、印刷の上署名いただいたものをお送りいただければ幸いです(送り先は署名用紙にあります)。
お問い合わせは、私の携帯080-1433-7668まででも結構です。
〆切はとりあえず2月22日(木)必着ということでお願いできないでしょうか?勝手な話で恐縮ですが、どうぞよろしくお願いいたします。
-----
一ノ瀬 輝博@人民新聞社 2007/02/11(日)
[編集部]電話:06-6572-9440 FAX:06-6572-9441
http://www.jimmin.com
釜ヶ崎住民登録消除中止を求める要望書釜ヶ崎住民登録消除中止を求める要望書
要望趣旨要望趣旨
「居住実態のない住民登録は住民基本台帳法に則って消除する」 「居住実態のない住民登録は住民基本台帳法に則って消除する」?この当たり前に聞こえる措置によって、?この当たり前に聞こえる措置によって、
大阪市は日雇い労働者の市民権を奪い、大阪市は日雇い労働者の市民権を奪い、野宿者を社会福祉の枠外に放り出そうとしています。野宿者を社会福祉の枠外に放り出そうとしています。
昨年一二月、 昨年一二月、釜ヶ崎解放会館への住民登録報道を受けて、釜ヶ崎解放会館への住民登録報道を受けて、大阪市は大阪市は「住民基本台帳法に基づいて適正化「住民基本台帳法に基づいて適正化
を行う」を行う」として、として、住民票削除の基本方針を打ち出しました。住民票削除の基本方針を打ち出しました。その後対象は、その後対象は、NPO釜ヶ崎支援機構NPO釜ヶ崎支援機構・・ふるさふるさ
との家にも拡大されました。との家にも拡大されました。
住民登録は、住民登録は、当たり前の社会生活を送る基礎を提供しています。当たり前の社会生活を送る基礎を提供しています。「住所」「住所」があることで、があることで、国民健康保険の加国民健康保険の加
入、入、郵便局郵便局・・銀行の口座開設、銀行の口座開設、運転免許証の切り替えにはじまり、運転免許証の切り替えにはじまり、就労、就労、日雇い手帳の交付、日雇い手帳の交付、特掃特掃(高齢者(高齢者
特別清掃事業)特別清掃事業)登録も可能となるのです。登録も可能となるのです。つまり住民登録削除は、つまり住民登録削除は、行政や民間が提供している様々なサービ行政や民間が提供している様々なサービ
スの対象から排除することを意味しています。スの対象から排除することを意味しています。
日雇い労働者は、日雇い労働者は、泊まるドヤが毎日同じというのはむしろ特殊です。泊まるドヤが毎日同じというのはむしろ特殊です。飯場仕事で長期にわたって釜ヶ崎か飯場仕事で長期にわたって釜ヶ崎か
ら離れるケースも少なくありません。ら離れるケースも少なくありません。その間もカラ家賃をドヤに払い続けなければならないのでしょうか?その間もカラ家賃をドヤに払い続けなければならないのでしょうか?
また、また、仕事がなくなれば野宿もあります。仕事がなくなれば野宿もあります。住民票削除は、住民票削除は、こうした日雇い労働者の生活実態を無視した措置こうした日雇い労働者の生活実態を無視した措置
に他なりません。に他なりません。
「住民登録適正化」「住民登録適正化」は、は、日雇い労働者日雇い労働者・・野宿者に限られた問題ではありません。野宿者に限られた問題ではありません。悪質な消費者金融からの借悪質な消費者金融からの借
金やDVをはじめとした家庭の事情で実際の居所では住民登録できない人もいます。金やDVをはじめとした家庭の事情で実際の居所では住民登録できない人もいます。長期にわたる遠隔地へ長期にわたる遠隔地へ
の派遣労働を繰り返している労働者の住民登録も、の派遣労働を繰り返している労働者の住民登録も、居住実態がないとして削除するのでしょうか?居住実態がないとして削除するのでしょうか?
私たちは、私たちは、大阪市による住民票消除の措置が、大阪市による住民票消除の措置が、日雇い労働者日雇い労働者・・野宿者の基本的人権を奪うという意味で憲野宿者の基本的人権を奪うという意味で憲
法に反する可能性がある措置であり、法に反する可能性がある措置であり、不安定な生活を強いられている全ての人々の市民権を奪う措置として不安定な生活を強いられている全ての人々の市民権を奪う措置として
大阪市に次の要望を行うものです。大阪市に次の要望を行うものです。
要望事項要望事項
一、一、大阪市は、大阪市は、釜ヶ崎解放会館、釜ヶ崎解放会館、NPO釜ヶ崎支援機構NPO釜ヶ崎支援機構・・ふるさとの家で住民登録しているふるさとの家で住民登録している
人々の住民票消除をやめよ人々の住民票消除をやめよ
二、二、日雇い労働者日雇い労働者・・野宿者が諸々の社会サービスを受けるに必要な住民登録を行いうる代替野宿者が諸々の社会サービスを受けるに必要な住民登録を行いうる代替
措置を早急に講じよ措置を早急に講じよ
三、三、安定した住所をもつことができない人々に対して、安定した住所をもつことができない人々に対して、住民登録を可能とする制度運用又は、住民登録を可能とする制度運用又は、
法整備を行え法整備を行え
200200 77 年年 22 月月
釜ヶ崎釜ヶ崎・・住民登録消除を考える市民の会 住民登録消除を考える市民の会
連絡先連絡先::大阪市港区港晴大阪市港区港晴 3-3-183-3-18 1F 一ノ瀬輝博 1F 一ノ瀬輝博
電話電話::06-6572-944006-6572-9440 080-1433-7668080-1433-7668
大阪市長 關淳一殿大阪市長 關淳一殿
*******転載終わり*******
ホームレスだけでなく、日雇い労働者も排除したいのでしょうか。
フランスでは考えられない暴挙だと思うのですが。
こんにちは!
sekkoさんご紹介ありがとうございます。
古いエントリーはどんどん流れてしまうので、ページリンクをしてみたのですが、やはり、投稿できないようです。
「大阪市強制代執行とフランスのホームレス事情」で検索してみてください。
管理人様、sekko様、ファンに嬉しいサイトの運営ありがとうございます。
古いエントリーはどんどん流れてしまうので、ページリンクをしてみたのですが、やはり、投稿できないようです。
「大阪市強制代執行とフランスのホームレス事情」で検索してみてください。
管理人様、sekko様、ファンに嬉しいサイトの運営ありがとうございます。
ブログ
下記、るかさんのブログは「言ノ葉工房」で検索してみてください。
なぜかブログのアドレスが入らないので・・・。
なぜかブログのアドレスが入らないので・・・。
ホームレスのこと、
るかさんという方がブログで、ここ数回にわたる私のホームレスの
話を紹介してくれました。そのご縁でそのブログを読み、大阪の長居公園の
テント撤去の記事を読んでると、なんだか胸が詰まりました。
フランスの団体が日本大使館に抗議に行ったという話もそこで知りました。
市民団体というとなんだか「自分ちの権利」を守ってる人をイメージしてたんで
すが、国境なき市民団体って、いいですね。るかさんがフランスを「相対的理
想国」というのも笑えました。昨日の夜はネオリベのサルコジが2時間にわたっ
て、100人の有権者の質問に答える番組がありました。「働け、働け」って、労
働礼賛でした。サルコはイギリスや北欧モデルを手本にしろって言ってました。
フランスがいろんな矛盾をかかえながらも、るかさんみたいな人から「相対的
理想国」って呼ばれ続ければいいのにと願います。
話を紹介してくれました。そのご縁でそのブログを読み、大阪の長居公園の
テント撤去の記事を読んでると、なんだか胸が詰まりました。
フランスの団体が日本大使館に抗議に行ったという話もそこで知りました。
市民団体というとなんだか「自分ちの権利」を守ってる人をイメージしてたんで
すが、国境なき市民団体って、いいですね。るかさんがフランスを「相対的理
想国」というのも笑えました。昨日の夜はネオリベのサルコジが2時間にわたっ
て、100人の有権者の質問に答える番組がありました。「働け、働け」って、労
働礼賛でした。サルコはイギリスや北欧モデルを手本にしろって言ってました。
フランスがいろんな矛盾をかかえながらも、るかさんみたいな人から「相対的
理想国」って呼ばれ続ければいいのにと願います。
またホームレスなど
私はカトリック生活という雑誌に『カトリック・サプリ』というエッセイを連載しているんですが、去年の10月号に『もう一つのワールドカップ』というのを書いて、9月の末からケープタウンで行われたホームレスのサッカーワールドカップのことを紹介しました。パリで毎週土曜、ホームレスがコーチ付で練習していて、そのキャプテンはトーゴ人だという話。住居証明がないのだから絶対滞在許可証もないと思うし、ましてやパスポートなんかもないと思われますが、彼らがフランス代表として南アフリカに行きました。主となる資金を出しているのは、フランスのサッカー連盟で、各地のサッカークラブが連盟規約に違反したときの罰金とかをためてるという話でした。規約違反の罰金を使って、フランスの不法移民みたいな人たちを堂々とケープタウンに送り込んでまた帰らせるという法律侵犯をやっちゃうのが痛快です。法律よりも人間が大事という原則が優先なのがはっきりしている。「この地球に外国なんかない」と言って不法移民を守るフランスのカトリック教会の支援も大きいみたいです。サッカー連盟なんかは自由意志で加入するのだから規則厳守というのは分かりますが、貧しい国に生まれて、移民先で住まいを失うというのは自分の力ではどうにもならない部分が多く、それでもスポーツを通して連帯できるというのが彼らの尊厳の一部であり、法律に例外を設けてもそれを支えるキャパシティがこの国には一応あるのでしょう。
それで、最近、読者から、このワールドカップに日本は参加しましたか?という質問がありました。答えはノーです。第4回ホームレスのワールドカップ、48カ国参加で行われ、ロシアが優勝したようです。日本が参加してないのは、ホームレスの尊厳は最低減の福祉でOKと思っている人が多いですから、メディアがつかないと、つまりスポンサーがつかないと、こういう活動が日本では難しいのかもしれませんが、何よりも、ホームレスのチームを外国に遠征させるための特別のパスポートとか、お役所手続きの段階で不可能な気がします。フランスにいるトーゴ人でもOKなら、日本でもブラジル移民で不法滞在になりホームレスになってる人とかいれば結構強いチームができそうだと想像しちゃいますが、あり得ないのかな・・・
ちなみにこのワールドカップのホームページは
http://www.homelessworldcup.org/content/teams
です。
といっても、アベ・ピエールの死のニュース一色だった厳寒の一週間が過ぎて、今週は寒さも急に緩み、もう誰もアベ・ピエールのことを口にしません。われわれの日常の安逸に刺さったトゲを彼と一緒に埋葬してしまったのかもしれません。それでも私は、アベ・ピエールとホームレスのことがずっと頭から離れませんでした。むしろ、彼に死なれて、初めて胸にトゲが刺さったみたいです。そして、偶然、彼の葬儀の後の一週間、引きこもりがちの私には珍しく三回外出したのですが、複雑な気持ちでした。最初は、うちの町のバロック・フェスティヴァルのオープニングコンサート、次はパリのエドゥアール七世劇場でヴァレリーの『固定観念』、昨日はヴィレットの科学産業博物館の技術革新観測所コーナー新設披露のパーティでした。先の二つについてはアート評論やバロック音楽室にコメントを載せます。
昨日は、立派な展示場を見て、ヌーヴェルキュイジーヌ風の美味なビュッフェを味わい、興味深いコーナーもありました。たとえば、遠近両用レンズの技術革新の歴史のコーナーで、鏡を利用して、目の前にある赤い棒と、はるかに高い天井につけられた黄色い四角の板を同時に見えるようにしてあるのです。ボーっと見てたらどちらもみえるのですが、どちらかを凝視したら、片方が視界から消えていくのですね。人間の目は遠近どちらかに焦点を合わすと片方は消失するという仕組みになっていてそれを体験するわけですが、遠くの黄色を見てると見えてたはずの赤がだんだん消え、赤を見てると黄色がふっと消えるのには、怖くなりました。よく近視眼的な見方をするな、とか比喩でいいますけれど、本当に、近くの物を見ると遠くの物が存在しなくなんですね。逆もまたそうです。天下国家を論じてる人が家庭で家人をかえりみなかったり、日常に埋没してると、世界で何が起こってても無関心とか、そういうメカニズムは生存戦略の一つなのかもしれませんが、「当座は見えないからといっても存在していないわけではない」モノやコトがたくさんあるというのは肝に銘じておかねばならないと思いました。
それで、このパーティは招待された人150人くらいいたでしょうか。もちろんプレス関係者のコーナーもありましたが、なんというか、微妙な違和感があり、要するに、いわゆる白人しかいないんですね。黒人はもちろん、アジア人も私を除いて、全然見かけませんでした。中国人のジャーナリストとか、インドの研究者とか、もうちょっと国際的でもいいのに。招待してる側は文化通信大臣がトップで、「フランスの技術革新にもっと力をいれよう」的な演説もあったので、まあ、愛国的プロジェクトだったのかもしれませんが、普段、フランスとはもう白人のフランスじゃなくて、共和国の公民のフランスというイメージがあるので、やや意外でした。そしてそこに来てる人は、この博物館に来たければチケットを買えるだろうし、おいしい食事をしたければレストランに行けそうな人ばかりなのに、みんなタダで入って、繊細な料理を楽しんでいるんです。その空間では凍えるホームレスとか不法移民者や炊き出しとかの世界は、遠景の黄色の板と同じで見えていず、存在しないんですね。
ヴァレリーの対話劇の上演の劇場もそうでした。満席でしたが、私の見る限りでは、ただ一人の黒人も私以外のアジア人もいません。もちろん、ヴァレリーの芝居を観たいという人は、フランス語が分かりある程度の年配で、というのは分かりますが、博物館も劇場も、一歩外に出れば、アラブ人、黒人、ツーリストというパリの風景になじみの人々が歩いてる場所にあるんです。それなのにそこに突然ゲーテッド・コミュニティが出現したような別世界です。
パリ郊外にあるうちの町の劇場もそうです。通りにはここ15年で10倍くらい増えた黒人が普通にたくさん歩いてるのに、いったん劇場に入ると昔ながらのフランスの村のおじさんおばさん、みたいな人たちが和気あいあいとやってるんです。後のカクテルパーティも、シャンペンにプチフール、さすがフランスで、いつもなかなかお味がいいんです。みんなリラックスしてる、そう、リラックスしてるんですね。ホームレスの見えるところ、移民がたむろしてるところでは、「古きよきフランス人」はリラックスできない、この現実。それもショックです。このバロック・フェスティヴァルは、やはり、招待状を持って参加したのですが、なければ金を払ってチケットを買ったと思います。しかし、こういう招待状は、偶然、もともとチケットを買う能力のある人の所に来るんでしょうか。フランスはユニヴァーサリズムの公民主義の国なので、住民のエスニック別の統計が禁じられています。だからアファーマティヴ・アクションのような逆差別はありません。でもまったく機会均等なら、エスニックの現実を反映していてもおかしくないのに、現実は、「格差」が存在し、教養のある美食家がますます教養をつけておいしいものを提供されるんですね。
アベ・ピエールの葬儀の最前列にエマウスの代表者といっしょにずらりと並んでた政治家や著名人たちは、毎日夜になったらディナーやカクテルパ-ティへと出かけていくんでしょう。ソシアルのフランス、そしてブルジョワのフランス、二つが厳然として存在する。当たり前かもしれませんが、うちにいてパソコンの前にいるか楽器の練習してるか、ネコとごろごろしてるという毎日ではつい忘れてしまうのもまた現実です。
ええと、でもフランスのユニヴァーサリズムの名誉のために一言書いておくと、そこに黒人がいたとしても差別されないと思います。「そこに来た」と言うこと自体が人種を超えたラベルになるからです。これがコミュニタリズムの国なら、金持ちの黒人が金持ちの白人の住む地域に引っ越すと有形無形に差別されます。でもパリなら、金持ちの地域にアラブの金持ちや日本の金持ちが来ても「金持ち同士」で受け入れてもらえます。ちょっとエキゾチックならむしろ故なく尊敬されたりさえします。(そういう意味では私はどちらかと言えば得してきたのでフランスは住みやすいと思ってきました。もちろん金持ちのグループじゃない「普通のフランス人」グループでの話ですが・・)
今日はこれから、今週4回目の外出です。ポルト・ド・ヴェルサイユでやってるプレタポルテの見本市です。これはバイヤーだけの閉じられた場所ですが、少なくとも国際的なはずです。音楽とか演劇とか国の威信をかけた技術革新とかじゃなく、商売というのはプラグマティックなグローバル世界だし。日本のブランドももちろん出店してます(末娘がロンドンから来てマヌカンのバイトをやってるのでちょっと見せてもらおうと思って)。
週末はエマウスに娘たちがもう着ない服を持って行かなくては。アベ・ピエールの残した刺の先をなでながら、博物館の天井の黄色い板のことを思い出しています。
それで、最近、読者から、このワールドカップに日本は参加しましたか?という質問がありました。答えはノーです。第4回ホームレスのワールドカップ、48カ国参加で行われ、ロシアが優勝したようです。日本が参加してないのは、ホームレスの尊厳は最低減の福祉でOKと思っている人が多いですから、メディアがつかないと、つまりスポンサーがつかないと、こういう活動が日本では難しいのかもしれませんが、何よりも、ホームレスのチームを外国に遠征させるための特別のパスポートとか、お役所手続きの段階で不可能な気がします。フランスにいるトーゴ人でもOKなら、日本でもブラジル移民で不法滞在になりホームレスになってる人とかいれば結構強いチームができそうだと想像しちゃいますが、あり得ないのかな・・・
ちなみにこのワールドカップのホームページは
http://www.homelessworldcup.org/content/teams
です。
といっても、アベ・ピエールの死のニュース一色だった厳寒の一週間が過ぎて、今週は寒さも急に緩み、もう誰もアベ・ピエールのことを口にしません。われわれの日常の安逸に刺さったトゲを彼と一緒に埋葬してしまったのかもしれません。それでも私は、アベ・ピエールとホームレスのことがずっと頭から離れませんでした。むしろ、彼に死なれて、初めて胸にトゲが刺さったみたいです。そして、偶然、彼の葬儀の後の一週間、引きこもりがちの私には珍しく三回外出したのですが、複雑な気持ちでした。最初は、うちの町のバロック・フェスティヴァルのオープニングコンサート、次はパリのエドゥアール七世劇場でヴァレリーの『固定観念』、昨日はヴィレットの科学産業博物館の技術革新観測所コーナー新設披露のパーティでした。先の二つについてはアート評論やバロック音楽室にコメントを載せます。
昨日は、立派な展示場を見て、ヌーヴェルキュイジーヌ風の美味なビュッフェを味わい、興味深いコーナーもありました。たとえば、遠近両用レンズの技術革新の歴史のコーナーで、鏡を利用して、目の前にある赤い棒と、はるかに高い天井につけられた黄色い四角の板を同時に見えるようにしてあるのです。ボーっと見てたらどちらもみえるのですが、どちらかを凝視したら、片方が視界から消えていくのですね。人間の目は遠近どちらかに焦点を合わすと片方は消失するという仕組みになっていてそれを体験するわけですが、遠くの黄色を見てると見えてたはずの赤がだんだん消え、赤を見てると黄色がふっと消えるのには、怖くなりました。よく近視眼的な見方をするな、とか比喩でいいますけれど、本当に、近くの物を見ると遠くの物が存在しなくなんですね。逆もまたそうです。天下国家を論じてる人が家庭で家人をかえりみなかったり、日常に埋没してると、世界で何が起こってても無関心とか、そういうメカニズムは生存戦略の一つなのかもしれませんが、「当座は見えないからといっても存在していないわけではない」モノやコトがたくさんあるというのは肝に銘じておかねばならないと思いました。
それで、このパーティは招待された人150人くらいいたでしょうか。もちろんプレス関係者のコーナーもありましたが、なんというか、微妙な違和感があり、要するに、いわゆる白人しかいないんですね。黒人はもちろん、アジア人も私を除いて、全然見かけませんでした。中国人のジャーナリストとか、インドの研究者とか、もうちょっと国際的でもいいのに。招待してる側は文化通信大臣がトップで、「フランスの技術革新にもっと力をいれよう」的な演説もあったので、まあ、愛国的プロジェクトだったのかもしれませんが、普段、フランスとはもう白人のフランスじゃなくて、共和国の公民のフランスというイメージがあるので、やや意外でした。そしてそこに来てる人は、この博物館に来たければチケットを買えるだろうし、おいしい食事をしたければレストランに行けそうな人ばかりなのに、みんなタダで入って、繊細な料理を楽しんでいるんです。その空間では凍えるホームレスとか不法移民者や炊き出しとかの世界は、遠景の黄色の板と同じで見えていず、存在しないんですね。
ヴァレリーの対話劇の上演の劇場もそうでした。満席でしたが、私の見る限りでは、ただ一人の黒人も私以外のアジア人もいません。もちろん、ヴァレリーの芝居を観たいという人は、フランス語が分かりある程度の年配で、というのは分かりますが、博物館も劇場も、一歩外に出れば、アラブ人、黒人、ツーリストというパリの風景になじみの人々が歩いてる場所にあるんです。それなのにそこに突然ゲーテッド・コミュニティが出現したような別世界です。
パリ郊外にあるうちの町の劇場もそうです。通りにはここ15年で10倍くらい増えた黒人が普通にたくさん歩いてるのに、いったん劇場に入ると昔ながらのフランスの村のおじさんおばさん、みたいな人たちが和気あいあいとやってるんです。後のカクテルパーティも、シャンペンにプチフール、さすがフランスで、いつもなかなかお味がいいんです。みんなリラックスしてる、そう、リラックスしてるんですね。ホームレスの見えるところ、移民がたむろしてるところでは、「古きよきフランス人」はリラックスできない、この現実。それもショックです。このバロック・フェスティヴァルは、やはり、招待状を持って参加したのですが、なければ金を払ってチケットを買ったと思います。しかし、こういう招待状は、偶然、もともとチケットを買う能力のある人の所に来るんでしょうか。フランスはユニヴァーサリズムの公民主義の国なので、住民のエスニック別の統計が禁じられています。だからアファーマティヴ・アクションのような逆差別はありません。でもまったく機会均等なら、エスニックの現実を反映していてもおかしくないのに、現実は、「格差」が存在し、教養のある美食家がますます教養をつけておいしいものを提供されるんですね。
アベ・ピエールの葬儀の最前列にエマウスの代表者といっしょにずらりと並んでた政治家や著名人たちは、毎日夜になったらディナーやカクテルパ-ティへと出かけていくんでしょう。ソシアルのフランス、そしてブルジョワのフランス、二つが厳然として存在する。当たり前かもしれませんが、うちにいてパソコンの前にいるか楽器の練習してるか、ネコとごろごろしてるという毎日ではつい忘れてしまうのもまた現実です。
ええと、でもフランスのユニヴァーサリズムの名誉のために一言書いておくと、そこに黒人がいたとしても差別されないと思います。「そこに来た」と言うこと自体が人種を超えたラベルになるからです。これがコミュニタリズムの国なら、金持ちの黒人が金持ちの白人の住む地域に引っ越すと有形無形に差別されます。でもパリなら、金持ちの地域にアラブの金持ちや日本の金持ちが来ても「金持ち同士」で受け入れてもらえます。ちょっとエキゾチックならむしろ故なく尊敬されたりさえします。(そういう意味では私はどちらかと言えば得してきたのでフランスは住みやすいと思ってきました。もちろん金持ちのグループじゃない「普通のフランス人」グループでの話ですが・・)
今日はこれから、今週4回目の外出です。ポルト・ド・ヴェルサイユでやってるプレタポルテの見本市です。これはバイヤーだけの閉じられた場所ですが、少なくとも国際的なはずです。音楽とか演劇とか国の威信をかけた技術革新とかじゃなく、商売というのはプラグマティックなグローバル世界だし。日本のブランドももちろん出店してます(末娘がロンドンから来てマヌカンのバイトをやってるのでちょっと見せてもらおうと思って)。
週末はエマウスに娘たちがもう着ない服を持って行かなくては。アベ・ピエールの残した刺の先をなでながら、博物館の天井の黄色い板のことを思い出しています。
ホームレス
前の話を書いた後、MLにこういう感じの投稿がありました。 一部転載します。
『 まず大阪北区の扇町公園でテント生活をする山内さんの原告敗訴の判決言い渡しから、野宿問題を考えはじめたのです。裁判のよしあしは私にはなんともいえないんですが、市側の勝訴といつても、宿無しのひとはどこにいつたらいいのか?なにも問題は解決しません。対策として自立支援センター5箇所(収容数計490人)があるそうですが、問題は入居期間が最長半年で、利用者は5割だというのです。大阪城公園内の仮設一時避難所(110人)にも約2割しか入居していないということです。
どうして、ホームレスは入居するところがあるのに、でてゆくのか?これがまず?です。
そんなとき、フランスの記事をよむ機会がありました。竹下先生がサイトにかいてくださつたことがでていました。フランス国家はすべてのホームレス(des personnes sans-domicile fixe)に住居をあたえることを保証する」というのです。すでに「ドンキホーテの子ども達」(Les enfants de Donquichotte)は200のテントをくみたて、パリのサン・マルタン運河にそつて、テントをならべました。これは航布でつくられた、ドラム缶のようなかたちになつています。屋根のある人にもキヤンペーンのために、そこに泊まるように勧めています。国は5年以内に90万個の住宅をたてなければならない、もし約束がはたせなければ、訴訟にかけることもできる。とかいてありました。竹下先生のサイトによると、その法律が通りそうですね。
このようなとき、アベ・ピエールがなくなりました。彼のつくつたエマウスはホームレスや貧しい人々に衣食住を提供、フランス国内だけでなく、世界28か国に拠点を広げました。
竹下先生。「ドンキホーテの子ども達」もまたエマウスの活動なのでしょうか?エマウスは『人間の尊厳を回復させる』ということを目的にしていますね。』
ということです。扇町公園の話、知らなかったので、NETで検索しましたら、就職のために住民票が必要だったのでという話なのですね。そして、就職してないと住居を確保するのは困難なのですから、悪循環を断ち切るためには行政がームレスを援助するしかありません。アベ・ピエールのエマウスは刑期を終えた元囚人の受け入れ先が始まりでした。刑期を終えて釈放された人は、仕事も住まいもないことが多く、その少なくともどちらかを援助されなければ社会的存在に戻れず、累犯者となるケースも多いようです。
日本では、累犯障害者などは特に、一度刑務所に入った時点で福祉とのつながりが切れて、刑務所だけが福祉の機能を果たしていたりするという話を読んだことがあります。
フランスでも、SDF(ホームレス)のための宿泊センターに行くことや入ることを拒否するSDFが少なからずいて、彼らの言い分は、そのセンターが、「汚い」、「プライバシーがない」ことなどです。
無料配布される公共浴場の回数券は受け取る人が多くて、シャワーを浴びて洗濯して、清潔にしながら、プライバシーの保てるテントに戻るというドキュメンタリーを見ました。多くの人は、少し前まで、普通の暮らしをしていたのが、失業と離婚が重なって家を失ったようなケースでした。
なんか、誰でも明日はわが身と思えてくるような人たちですよ。ベビーブーマーの人も多いです。
扇町のケースで、いくつかのブログに、公園に勝手に住み着いて自分のものだというのは虫がいいとか、福祉は必要最低限にとか、裁判起こす暇があったら仕事して普通に住めばいいのにとかいう意見が上がっていました。公園を所有物と言っているわけではないし、豊かで戦争もない今の日本で最低の生活では生活といえないこと、住むところがなければちゃんとした仕事ができないことなどへの想像力が欠けている人が多いと思いました。
ドンキホーテの子供たちはエマウスの活動ではありませんが、アベ・ピエールの影響が大きいことはもちろんで、彼からの支援を受けていました。でも彼が死んだ後、ひとコママンガで、ホームレスの人がため息をついて、「僕らはこれで孤児になった、アベ・ピエールはもういなくなったし、ドンキホーテは存在したこともないし・・」というのがありました。一つの運動に具体的な顔がある、シンボルがあるというのは人間的でいいと思います。喜劇役者のコリューシュが始めた冬場の炊き出しも、彼の事故死の後もずっと続いてますし。
若年の低所得層は日本では親のうちに抱えられていることが多いようですね。フランスでは、coーlocationという若者同士のアパルトマンのシェアが多いです。比較的大きなアパルトマンを4、5人で借りているケースもあります。親のところからはひとまず出たいというのが基本という気がします。30代でもシェアから抜けられない人も多いようです。まあ、腐ってもソシアルの国、低所得者への住居手当は割と充実してるようです。
でもホームレスの問題って、やはり基本的人権にかかわることなのでしょうね。考えるだけでもつらいです。自分のうちの庭を見ながら、うちの庭には電気もあり水もあり、トイレへのアクセスもあるから、少なくとも10人ぐらいはテント生活できるはずだとつい考えたりします。もっとも、家のほうにも20人ぐらいは泊めるキャパがあるかも、とか・・・ でも光熱費や維持費や税金などもすでにかさんでるので、やっていける自信はないし。早く春が来ないかなと、無意識に問題先送りしてる卑怯な日常です。
『 まず大阪北区の扇町公園でテント生活をする山内さんの原告敗訴の判決言い渡しから、野宿問題を考えはじめたのです。裁判のよしあしは私にはなんともいえないんですが、市側の勝訴といつても、宿無しのひとはどこにいつたらいいのか?なにも問題は解決しません。対策として自立支援センター5箇所(収容数計490人)があるそうですが、問題は入居期間が最長半年で、利用者は5割だというのです。大阪城公園内の仮設一時避難所(110人)にも約2割しか入居していないということです。
どうして、ホームレスは入居するところがあるのに、でてゆくのか?これがまず?です。
そんなとき、フランスの記事をよむ機会がありました。竹下先生がサイトにかいてくださつたことがでていました。フランス国家はすべてのホームレス(des personnes sans-domicile fixe)に住居をあたえることを保証する」というのです。すでに「ドンキホーテの子ども達」(Les enfants de Donquichotte)は200のテントをくみたて、パリのサン・マルタン運河にそつて、テントをならべました。これは航布でつくられた、ドラム缶のようなかたちになつています。屋根のある人にもキヤンペーンのために、そこに泊まるように勧めています。国は5年以内に90万個の住宅をたてなければならない、もし約束がはたせなければ、訴訟にかけることもできる。とかいてありました。竹下先生のサイトによると、その法律が通りそうですね。
このようなとき、アベ・ピエールがなくなりました。彼のつくつたエマウスはホームレスや貧しい人々に衣食住を提供、フランス国内だけでなく、世界28か国に拠点を広げました。
竹下先生。「ドンキホーテの子ども達」もまたエマウスの活動なのでしょうか?エマウスは『人間の尊厳を回復させる』ということを目的にしていますね。』
ということです。扇町公園の話、知らなかったので、NETで検索しましたら、就職のために住民票が必要だったのでという話なのですね。そして、就職してないと住居を確保するのは困難なのですから、悪循環を断ち切るためには行政がームレスを援助するしかありません。アベ・ピエールのエマウスは刑期を終えた元囚人の受け入れ先が始まりでした。刑期を終えて釈放された人は、仕事も住まいもないことが多く、その少なくともどちらかを援助されなければ社会的存在に戻れず、累犯者となるケースも多いようです。
日本では、累犯障害者などは特に、一度刑務所に入った時点で福祉とのつながりが切れて、刑務所だけが福祉の機能を果たしていたりするという話を読んだことがあります。
フランスでも、SDF(ホームレス)のための宿泊センターに行くことや入ることを拒否するSDFが少なからずいて、彼らの言い分は、そのセンターが、「汚い」、「プライバシーがない」ことなどです。
無料配布される公共浴場の回数券は受け取る人が多くて、シャワーを浴びて洗濯して、清潔にしながら、プライバシーの保てるテントに戻るというドキュメンタリーを見ました。多くの人は、少し前まで、普通の暮らしをしていたのが、失業と離婚が重なって家を失ったようなケースでした。
なんか、誰でも明日はわが身と思えてくるような人たちですよ。ベビーブーマーの人も多いです。
扇町のケースで、いくつかのブログに、公園に勝手に住み着いて自分のものだというのは虫がいいとか、福祉は必要最低限にとか、裁判起こす暇があったら仕事して普通に住めばいいのにとかいう意見が上がっていました。公園を所有物と言っているわけではないし、豊かで戦争もない今の日本で最低の生活では生活といえないこと、住むところがなければちゃんとした仕事ができないことなどへの想像力が欠けている人が多いと思いました。
ドンキホーテの子供たちはエマウスの活動ではありませんが、アベ・ピエールの影響が大きいことはもちろんで、彼からの支援を受けていました。でも彼が死んだ後、ひとコママンガで、ホームレスの人がため息をついて、「僕らはこれで孤児になった、アベ・ピエールはもういなくなったし、ドンキホーテは存在したこともないし・・」というのがありました。一つの運動に具体的な顔がある、シンボルがあるというのは人間的でいいと思います。喜劇役者のコリューシュが始めた冬場の炊き出しも、彼の事故死の後もずっと続いてますし。
若年の低所得層は日本では親のうちに抱えられていることが多いようですね。フランスでは、coーlocationという若者同士のアパルトマンのシェアが多いです。比較的大きなアパルトマンを4、5人で借りているケースもあります。親のところからはひとまず出たいというのが基本という気がします。30代でもシェアから抜けられない人も多いようです。まあ、腐ってもソシアルの国、低所得者への住居手当は割と充実してるようです。
でもホームレスの問題って、やはり基本的人権にかかわることなのでしょうね。考えるだけでもつらいです。自分のうちの庭を見ながら、うちの庭には電気もあり水もあり、トイレへのアクセスもあるから、少なくとも10人ぐらいはテント生活できるはずだとつい考えたりします。もっとも、家のほうにも20人ぐらいは泊めるキャパがあるかも、とか・・・ でも光熱費や維持費や税金などもすでにかさんでるので、やっていける自信はないし。早く春が来ないかなと、無意識に問題先送りしてる卑怯な日常です。
sans abris
いわゆる「ホームレス」について少し調べたことがあるのですけれど、フランスにはSamusocialという、大きな支援団体があって、宿泊施設や診療所はもとより、ドクターヘリまで持っている、とかいうのをきいたことがあります。日本では、ホームレスは、2002年の立法時に多少問題になりましたが、その後大きくとりあげられることはないように思います。高度成長期に建設現場で日雇いで働いていた人が、その後仕事がなくなってホームレス化しましたが、高齢者は一応生活保護を受けられるので、今はそれでいったんしのいでいるという感じがします。けれども、高齢ホームレスではなく、若年ホームレス、ホームレス予備軍の問題はこれからだと思います。
日本には公的な住宅政策がなく、居住と居住を基礎とした世帯形成は個人の努力によっていますが、若年の低所得層を世帯の中に抱えている団塊の世代がリタイアしてゆくのが今年からなんですよね。
日本には公的な住宅政策がなく、居住と居住を基礎とした世帯形成は個人の努力によっていますが、若年の低所得層を世帯の中に抱えている団塊の世代がリタイアしてゆくのが今年からなんですよね。
アベ・ピエールのこと
94歳のアベ・ピエール、98歳のシスター・エマニュエル、この二人はなんとなく不死身かなあと思ってたので、月曜の朝ラジオで、早朝に彼が死んだというニュースに私も驚きました。最も、彼は、元気いっぱいで階段を駆け下りる同年輩の日本のお医者さんと違って、最近は車椅子で、耳も遠く、言葉もはっきりせず、かなり痛々しく衰弱しきってましたから、ご苦労様と言うところです。折から、「ドンキホーテの子供たち」のサンマルタン運河テント作戦が実を結んで、いよいよ「屋根の下に住む権利」が基本的人権として認められ、路上生活者が市や国を訴えることができる法律が通過しそうなので、アベ・ピエールへのはなむけになったというところです。彼もほっとして旅立てたのかも。しかも彼の死んだ日から、フランスは急に冷え込んで、1954年冬のパリの凍死者が彼の戦いのはじまりだったことも想起されます。それにしても、いまや、住居対策は大統領選の候補者が右も左も優先的に掲げていて、彼が死んだとたん、右も左も我こそはアベ・ピエールの継承者みたいな顔をしていることは、滑稽ですが、フランスで一番人気のあった彼が、これだけ政治を動かしたということで、感慨深いです。月曜、活字のニュースを見たくて、午後にキオスクに出たばかりの夕刊紙『ル・モンド』を買いにいきました。これ、今出たやつね、と確認すると、化粧の濃い目の売り子のおねえさんは、第一面のアベ・ピエールの訃報に気づいて、「えっ! いつ?」と叫びました。「今朝五時半よ、肺炎で、もう一週間前に入院してたんですって」と私が言うと、「偉大な人だったね」と言い、「いつも弱い者のために戦う人が必要なのに、残念だ」と惜しがっていました。「でも、94歳か、十分がんばってくれたよね、使命感があれば人間は生きるんだね。生かされてたんだね」とも。新聞を手に帰る途中、今まで話したこともないキオスクの姉さんとさえ会話を成り立たせてしまうアベ・ピエールってすごい、やっぱりフランスのアイドルだったんだと改めて感心しました。「高齢なのにがんばってる」のが売り物ではありません。日本の高齢者有名人のように、「私もあれくらい年取ってもあれくらいがんばれるかもしれない」と高齢予備軍に希望(幻想?)を抱かせる人ではなく、アベ・ピエールやシスターエマニュエルって、普通の人はもう絶対真似できない、良心の代表者みたいな尊敬を勝ち得ていました。あの人たちをすばらしいと口にすることで、普通のエゴイストもかろうじて良心のかけらを守り、同時に、自分がふがいないとか、ヌルイとか、偽善者だとか怠け者だとかいう現実を認めることがまたわずかな良心の証しになるような、そんな存在だったかも。彼のことを、1954年以来、我々の日常の安逸に刺さったトゲだったと評した人もいます。
月曜の追悼番組で、1954年の運動の間は、睡眠時間2時間で、アンフェタミンを服用して生き延びてたとか、この世の悲惨と不公平に絶望して抗鬱剤を常用してたという証言を聞きました。そんな話を聞くと、戦うヒーロー像を汚すようで最初ちょっと複雑な気分でしたが、よれよれになってもがんばる生身の人間だったんですね。
IKU さんがメールで質問なさった、反ユダヤスキャンダルのことですが、あれは1996年のガロディ事件です。ロジェ・ガロディは元共産党員で、96年に『イスラエル政治の創生神話』といういわゆる歴史改竄本と言うか、ガス室はなかったという感じの本を出し、旧友のアベ・ピエールが推薦しちゃったんですね。ガロディはフランスでナンバーワン人気のアベ・ピエールを利用したかったんでしょう。アベ・ピエールは友情に目がくらんで信頼しちゃったんですね。でもレジスタンスの闘士(アベ・ピエールというのはその頃使った偽名が通称になったもの)でユダヤ人の子供を多く救った人ですから、非難されてからさすがにまずいと思って全面謝罪しました。これはしょうがないです。アベ・ピエールはなんといってもメディアを政治に利用した最初の人で、その意味ではまあサルコジの先駆者みたいな人ですし、すぐれたコピーライターでもあり、黒ベレーに黒マントという自分のシルエットをロゴにした戦略家でもあります。自分の人気や影響力も知り尽くして、それをすべて、弱者の救済に役立てた人です。マーケティングも知り尽くしている。修道院の中で祈ってる純粋無垢な聖人ではありませんでした。だから、いくら友情のためとはいえああいう軽率なまねをすべきではありませんでした。彼もそれを理解して、謝罪したのでしょう。彼はすでに一個人でなく、アベ・ピエールというブランドだったのですから。
女性司祭OKとか、神父の結婚OKとか、ホモのカップルOKとか言って、若い頃にアシスタントの女性と関係を持ったことまで最近の本で告白したり、カトリック教会にとってはちょっと問題ありで、パリ大司教も、「ほら、彼はもう年だから・・」とごまかしたりしてましたが、死んだとなると、明日はノートルダムで国葬だし、早くも聖人の列に加えられるにはどうするか、という話も出ています。マザー・テレサがスピード出世(?)で聖女への道を歩みすでに福者となっている例があるからでしょう。でも、アベ・ピエールは一度も誰にもいわゆる「布教」とか「宣教」とかはせず、教会的にはかなり異端児で、政治家(実際に下院議員もした)で社会活動家だったんですから、死後、カトリック教会がどこまで取り込めるかは問題ですね。彼は若い頃フランシスコ会系のカプチン会士(ブラザー・フィリップという名でした)で5年くらい隠遁の修道生活を送ったんですが、虚弱で共同体の生活に耐えられなくて、修道誓願をローマ法王に解除してもらって、司祭の生活に入り、グルエス神父となり、それから戦争とレジスタンスでアベ・ピエールが誕生したんですね。
ただ、今複雑なのは、彼がパリの路上生活者の悲惨を訴えた1954年よりも、現在は、路上生活者の数がはるかに多く、ますます悲惨な状況になってるんですね。戦後の色がまだ濃かった54年より今のほうが、社会はずっと豊かになってるはずなのに、その豊かになり方は、一方で貧困を生むような仕組みになっているわけです。豊かになればなるほど構造的貧困が生まれて、じゃあ、彼の戦いはいったい何だったんだ、ということになり、抗鬱剤を飲みたくなるのも分かります。しかも、です。アベ・ピエールのやってるソシアルはフランスという共和国の旗印(憲法の最初に、フランスは民主主義で、ソシアルだと明記されてます)なんで、彼がそれこそドンキホーテみたいにがんばることには、誰も面と向かっては、口をはさめなかったんですね。でも、フランスがあれだけ嫌ってるイギリスでは、サッチャーの保守改革の前と後では、路上生活者が十分の一になったというんですよ。それだけ比べても仕方がないですが、なんか、アベ・ピエールがかわいそう。マザー・テレサも、いくらがんばってもインドの政治的社会的改革にはつながらないと批判する人がいましたが、アベ・ピエールが人気がある限りフランスのソシアルがいつまでも社会の足を引っ張ってるとも言われそうで。もっとも、アべ・ピエールは弱者を助けるんじゃなくて仕事を与えるんだといっていました。誰でもそれなりにやることがある、尊厳とはそういうことだと。それで、日本にまで支部のあるエマウスの会が生まれたんですね。
聖書に出てくるエマウスは、そこへいく途上で弟子が復活のイエスに出会ったのに、気づかなかったという話です。それが、一緒に食事の席につきパンを分けた時、イエスだと分かった、人は食事を分かち合うときに始めて神に会うという話で、エマウスの共同体では誰もが分かち合い、役割を与えられます。『1954年冬』の映画でアベ・ピエール役を演じたランベール・ウィルソンは、ルポ番組で路上生活者に変装し、自分だとばれるんじゃないかと心配したが、誰も自分を見ようとしなかった、皆が視線をそらして、自分は存在しなかった、それが一番つらかったと、月曜の追悼番組で言ってました。アベ・ピエールは社会にとって存在しない人に、住居や毛布を与えもしましたが、何よりも、存在を取り戻させたかったのです。
アベ・ピエールのよびかけで、パリのメトロは夜、いくつかの駅を開放しました。今もサン・マルタン運河にテントが並び、家のある人が連帯のために寝泊りしたりします。アベ・ピエールの追悼で、弱者をアシストするのがフランスの尊厳でフランスの美だ、と言う記事も読みました。どこかの国の首都が路上生活者を追い出したり、国家の品格やら美しい国やらと声を上げているのと比べると、「路上生活者の尊厳を回復させることが国の尊厳なのだ」という国は、内臓の奥をすこしあっためてくれます。フランスの出生率が女性一人当たり「2」に回復したというのも、どこかそういう信頼があるからかもしれません。
アベ・ピエールの葬儀のある明日の朝は、パリはマイナス4度だとさっき天気予報が言ってました。アベ・ピエールという良心のトゲが、葬儀とともに埋葬されてしまわなければいいな、と思います。
月曜の追悼番組で、1954年の運動の間は、睡眠時間2時間で、アンフェタミンを服用して生き延びてたとか、この世の悲惨と不公平に絶望して抗鬱剤を常用してたという証言を聞きました。そんな話を聞くと、戦うヒーロー像を汚すようで最初ちょっと複雑な気分でしたが、よれよれになってもがんばる生身の人間だったんですね。
IKU さんがメールで質問なさった、反ユダヤスキャンダルのことですが、あれは1996年のガロディ事件です。ロジェ・ガロディは元共産党員で、96年に『イスラエル政治の創生神話』といういわゆる歴史改竄本と言うか、ガス室はなかったという感じの本を出し、旧友のアベ・ピエールが推薦しちゃったんですね。ガロディはフランスでナンバーワン人気のアベ・ピエールを利用したかったんでしょう。アベ・ピエールは友情に目がくらんで信頼しちゃったんですね。でもレジスタンスの闘士(アベ・ピエールというのはその頃使った偽名が通称になったもの)でユダヤ人の子供を多く救った人ですから、非難されてからさすがにまずいと思って全面謝罪しました。これはしょうがないです。アベ・ピエールはなんといってもメディアを政治に利用した最初の人で、その意味ではまあサルコジの先駆者みたいな人ですし、すぐれたコピーライターでもあり、黒ベレーに黒マントという自分のシルエットをロゴにした戦略家でもあります。自分の人気や影響力も知り尽くして、それをすべて、弱者の救済に役立てた人です。マーケティングも知り尽くしている。修道院の中で祈ってる純粋無垢な聖人ではありませんでした。だから、いくら友情のためとはいえああいう軽率なまねをすべきではありませんでした。彼もそれを理解して、謝罪したのでしょう。彼はすでに一個人でなく、アベ・ピエールというブランドだったのですから。
女性司祭OKとか、神父の結婚OKとか、ホモのカップルOKとか言って、若い頃にアシスタントの女性と関係を持ったことまで最近の本で告白したり、カトリック教会にとってはちょっと問題ありで、パリ大司教も、「ほら、彼はもう年だから・・」とごまかしたりしてましたが、死んだとなると、明日はノートルダムで国葬だし、早くも聖人の列に加えられるにはどうするか、という話も出ています。マザー・テレサがスピード出世(?)で聖女への道を歩みすでに福者となっている例があるからでしょう。でも、アベ・ピエールは一度も誰にもいわゆる「布教」とか「宣教」とかはせず、教会的にはかなり異端児で、政治家(実際に下院議員もした)で社会活動家だったんですから、死後、カトリック教会がどこまで取り込めるかは問題ですね。彼は若い頃フランシスコ会系のカプチン会士(ブラザー・フィリップという名でした)で5年くらい隠遁の修道生活を送ったんですが、虚弱で共同体の生活に耐えられなくて、修道誓願をローマ法王に解除してもらって、司祭の生活に入り、グルエス神父となり、それから戦争とレジスタンスでアベ・ピエールが誕生したんですね。
ただ、今複雑なのは、彼がパリの路上生活者の悲惨を訴えた1954年よりも、現在は、路上生活者の数がはるかに多く、ますます悲惨な状況になってるんですね。戦後の色がまだ濃かった54年より今のほうが、社会はずっと豊かになってるはずなのに、その豊かになり方は、一方で貧困を生むような仕組みになっているわけです。豊かになればなるほど構造的貧困が生まれて、じゃあ、彼の戦いはいったい何だったんだ、ということになり、抗鬱剤を飲みたくなるのも分かります。しかも、です。アベ・ピエールのやってるソシアルはフランスという共和国の旗印(憲法の最初に、フランスは民主主義で、ソシアルだと明記されてます)なんで、彼がそれこそドンキホーテみたいにがんばることには、誰も面と向かっては、口をはさめなかったんですね。でも、フランスがあれだけ嫌ってるイギリスでは、サッチャーの保守改革の前と後では、路上生活者が十分の一になったというんですよ。それだけ比べても仕方がないですが、なんか、アベ・ピエールがかわいそう。マザー・テレサも、いくらがんばってもインドの政治的社会的改革にはつながらないと批判する人がいましたが、アベ・ピエールが人気がある限りフランスのソシアルがいつまでも社会の足を引っ張ってるとも言われそうで。もっとも、アべ・ピエールは弱者を助けるんじゃなくて仕事を与えるんだといっていました。誰でもそれなりにやることがある、尊厳とはそういうことだと。それで、日本にまで支部のあるエマウスの会が生まれたんですね。
聖書に出てくるエマウスは、そこへいく途上で弟子が復活のイエスに出会ったのに、気づかなかったという話です。それが、一緒に食事の席につきパンを分けた時、イエスだと分かった、人は食事を分かち合うときに始めて神に会うという話で、エマウスの共同体では誰もが分かち合い、役割を与えられます。『1954年冬』の映画でアベ・ピエール役を演じたランベール・ウィルソンは、ルポ番組で路上生活者に変装し、自分だとばれるんじゃないかと心配したが、誰も自分を見ようとしなかった、皆が視線をそらして、自分は存在しなかった、それが一番つらかったと、月曜の追悼番組で言ってました。アベ・ピエールは社会にとって存在しない人に、住居や毛布を与えもしましたが、何よりも、存在を取り戻させたかったのです。
アベ・ピエールのよびかけで、パリのメトロは夜、いくつかの駅を開放しました。今もサン・マルタン運河にテントが並び、家のある人が連帯のために寝泊りしたりします。アベ・ピエールの追悼で、弱者をアシストするのがフランスの尊厳でフランスの美だ、と言う記事も読みました。どこかの国の首都が路上生活者を追い出したり、国家の品格やら美しい国やらと声を上げているのと比べると、「路上生活者の尊厳を回復させることが国の尊厳なのだ」という国は、内臓の奥をすこしあっためてくれます。フランスの出生率が女性一人当たり「2」に回復したというのも、どこかそういう信頼があるからかもしれません。
アベ・ピエールの葬儀のある明日の朝は、パリはマイナス4度だとさっき天気予報が言ってました。アベ・ピエールという良心のトゲが、葬儀とともに埋葬されてしまわなければいいな、と思います。
アベ・ピエール追悼
一昨日アベ・ピエールが亡くなられたというニュースを聞いて、なんだか妙な感じがしています。(他にどう表現してよいかわからないのですが・・)アフガニスタンのマスードの時とは違って”彼はやることはみんなやって亡くなった”と思うので、ショックとか惜しいとか言うのではなくて、なんか心のどこかに隙間が出来たような・・。その日から急激に気温もさがり、今夜は-3℃とか・・。遺体の安置しているシャペルには沢山の人が並んでいましたね。「あいにくの寒さで・・」という人も居ましたが、私は「このピリッとした寒さがアベ・ピエールにふさわしい」と思います。より一層彼のやってきたことをみんなに思い起こさせてくれるでしょう。
帰仏しました
夕べフランスに帰りました。お天気もよく寒くなく乾いてなく、年末に出てきたときよりいい気候です。だれている猫たちに各種芸の再教育をし、荷物を片付け、明日の朝はもうトリオの練習と午後は生徒たち3人のレッスンがあります。日本でも練習してたので、ブランクはあまりないはず。3月9日にこういうバロックフェスティヴァルに出ます。http://www.lecercleamusique.com/
4月にはノルマンディで。
東京での最後の2日間は、11日に市ヶ谷で新田さんの『聖母マリア巡礼』写真展に行き( http://www.nittakenji.com/ )、ついでにパワーも注入して貰いました。私はあまり感じなかったんですが、その後で新年会したTVの友人が急に眠たくなったのはそのパワーのせいだとか言ってました。
次の日、代々木八幡にある白寿ホールに招待していただきました。残響がなくしかも音全体を安定して増幅してピアニシモもたっぷり聞かせるホールは、ギターにぴったりです。私の聴いたのは大岩千穂さんのソプラノリサイタルです。この前『ルチア』で堪能したとこですが、ああいう声量をスポーツみたいに楽しむときには、一度、耳が痛くなるくらいのヴォリュームで聞いてみたい、という、音楽とは関係ない欲望が生まれます。それで、白寿ホールの前のほうの席でスピントのきいたソプラノを聴いて、その願いがかないました。ドナウディ、ロッシーニ、ヴェルディ、すごい迫力でしたが、ほんとに耳が痛くなり、あと1時間聴き続けてたら、一時的難聴になってたかも。
このホール、リクライニングシートもあって、眠りますか?聴きますか?というキャッチフレーズがあるくらい、心地よく、音の捉え方と発射の仕方が有機的で、フランス・バロックやフレンチ・エレガンスにぴったりです。いつかここで弾いてみたいですが。そしたらその夜、TVの12ch で、森麻季さんというソプラノが、大岩さんと同じ椿姫の「ああそはかの人か」のアリアを歌われました。めったに聴かないのに、同じ日に2度とは、シンクロニシティ? 大岩さんもフレンドリィでトークもあって素敵でしたが、森麻季さんは優雅で知的で美しく、ファンになりました。
では明日から聖ヨセフの仕上げに向けてがんばります。
4月にはノルマンディで。
東京での最後の2日間は、11日に市ヶ谷で新田さんの『聖母マリア巡礼』写真展に行き( http://www.nittakenji.com/ )、ついでにパワーも注入して貰いました。私はあまり感じなかったんですが、その後で新年会したTVの友人が急に眠たくなったのはそのパワーのせいだとか言ってました。
次の日、代々木八幡にある白寿ホールに招待していただきました。残響がなくしかも音全体を安定して増幅してピアニシモもたっぷり聞かせるホールは、ギターにぴったりです。私の聴いたのは大岩千穂さんのソプラノリサイタルです。この前『ルチア』で堪能したとこですが、ああいう声量をスポーツみたいに楽しむときには、一度、耳が痛くなるくらいのヴォリュームで聞いてみたい、という、音楽とは関係ない欲望が生まれます。それで、白寿ホールの前のほうの席でスピントのきいたソプラノを聴いて、その願いがかないました。ドナウディ、ロッシーニ、ヴェルディ、すごい迫力でしたが、ほんとに耳が痛くなり、あと1時間聴き続けてたら、一時的難聴になってたかも。
このホール、リクライニングシートもあって、眠りますか?聴きますか?というキャッチフレーズがあるくらい、心地よく、音の捉え方と発射の仕方が有機的で、フランス・バロックやフレンチ・エレガンスにぴったりです。いつかここで弾いてみたいですが。そしたらその夜、TVの12ch で、森麻季さんというソプラノが、大岩さんと同じ椿姫の「ああそはかの人か」のアリアを歌われました。めったに聴かないのに、同じ日に2度とは、シンクロニシティ? 大岩さんもフレンドリィでトークもあって素敵でしたが、森麻季さんは優雅で知的で美しく、ファンになりました。
では明日から聖ヨセフの仕上げに向けてがんばります。
ミイラと狂乱の場
なんかすごいタイトルですが、昨日上野の文化会館にベルガモ・ドニゼッティ劇場のオペラ『ルチア』を観るついでに、同じ上野の科学博物館でエジプトのミイラ展を観たので、その二つについて。感想を聞かせてほしいという友人がいるので、ここに書きます。
ミイラ展は、3Dシアターの映像がすばらしいというので期待して行きました。まず入れ替え制のシアターを経てから展示場にいけるという作りで、3Dメガネをもらってわくわく、アトラクション・パークの人気シミュレーションを待ってる感じです。保存状態のいいミイラの包帯をとらず、CTスキャンに入れるという画期的な話で、その体の中に3D映像で入っていくというのですが、結果的に、あまり感動しませんでした。昔初めて大英博物館に行ったとき、パリのルーブルよりもミイラの展示が多く、その即物的な敬虔さのなさ、に感じ入りました。ヨーロッパでエジプトコレクションを見るたび、帝国主義とか盗掘とか、無邪気なモラルのなさに見てる方まで後ろめたくなります。
日本では昔ツタンカーメンの黄金の棺の展示を見ました。ミイラの干からびたイメージとは無縁の輝きで、罪悪感はなかったです。3Dで、ミイラの体の中に侵入していく感じもあるんですが、普通の特撮映画みたいで、『ミクロの決死圏』(古い!)の感じです。
ツタンカーメンという名が、すばらしい響きを持ってたのに対して、このミイラさんの名は、「ネスペルエンネブウ」といって、コピーライターが提出したとしたらすぐ却下されそうな名です。コピーとしていいのは、展覧会の副題の「ザ・インサイド・ストーリー」ですね。
実際の棺の外側は、色鮮やかですばらしく、しかしさっき親しく中身に侵入した記憶に比べるとフラストレーションが起こります。展示品では、両側がハヤブサの頭と人間の手である細長い香炉が気に入りました。後、ミイラは内臓はいったん取り出されて塩を振りかけられて乾燥させられ、また布にくるまれて体に戻されるんですが、心臓だけはそのまま体内に残したままなんですね。脳はほとんどゴミみたいに鼻から掻き出されて捨てられます。脳と心臓の運命の違いはおおきい。しかも、死後の世界の生前の善悪審判で、心臓が、生前の悪行を暴いて不利な証言をしないように、スカラベ型の護符をおいておきます。心臓に裏切られるかもしれないとは! でも心臓を残さないといけないというのは、心臓は元々お目付け役で、体の中で、来世と結びついているスパイみたいな特殊器官なのでしょうか。悪いことをするとき、心臓がドキドキするのは、警告か、記録してるからなのだと思っていたのでしょうか。第一、生前悪いことをしても、死後、心臓に護符を置いて口を封じさえすればOKというご都合主義も可笑しいです。生きてるうちに罪障消滅のシステムがなかったんですね。カトリックなら、告解して赦してもらうとか、免罪符をもらうとか、死んだ後、残った人に煉獄から出してもらえるよう祈ってもらうとか、何らかの「罪のあがない」の仕組みがあります。そして、死後の善悪の審判というのは、まさにエジプトのような地中海文明の影響で、ヨーロッパ固有ではないのですが、本家のエジプトでは、罪をあがなわなくても、口をぬぐって隠していればOKだったなんて。
第2会場の、CTスキャンからミイラの健康状態の診断をしてるのはおもしろいでした。日本人の骨とかを展示して比較しながら、大英博物館と別の所見をしてるのが愉快です。たとえば、大英博物館が歯の磨耗と言ってるのを虫歯と診断したり。
そんなわけで、ミイラ展は期待はずれだったのですが、常設展を見て、牛の胃腸とライオンの胃腸の比較とか見て楽しめました。最近パリの自然史博物館のドラゴン展など何度か行ってるので、目新しいものは発見できませんでしたが、干支シリーズ2007があって、触れるイノシシの剥製があり毛の感触を確かめたり、ウリ坊も見たり、賢そうなハチ公の剥製を見たことが、日本的です。外には、30メーターの実物大シロナガスジクジラのジャンピングのオブジェがあり、それが一番感動的でした。
それから文化会館のオペラです。「ランメルモールのルチア」という言葉を聴いただけで、どきどきします。観るのは初めて、マリア・カラスの全曲のLPを持ってましたが、CDは持ってないので、もう長いこと聴いてません。そのカラスが死んだ頃に生まれたデジレ・カントーレ(パレルモ出身ですが、デジレはフランス語名ですからフランス人の血を引いてるかも)が29歳で絶頂期にあり、この種のプリマドンナ・オペラを聴くには最高という贅沢です。30年以上前、日本でカラスのコンサートに行きました。最後、舞台に近づいて握手してもらったら、汗と香水の臭いが強烈だったことを覚えています。でもすでに晩年で、ヴィルチュオジテを楽しめるというより、オーラを拝みに行った感じです。
狂乱の場はLPで何度も聴いたのでそらで覚えてますが、ルチアが死んだ後の最後の場は全然記憶になく、今回エドガルドのアリアに感心しました。スペイン人テノールのアントニア・ガンディアです。デジレ・カントーレは最初からすばらしく、狂乱の場の期待がますます膨らみます。コロラトウーラ・ソプラノですが、全ての音域が豊かでたっぷりしていて、テクニック的には私には難しいところがない、表現だけが問題とインタヴューに答えているように、安心して堪能できます。
幕間にグラスハーモニカのおじさんが注入器で32のグラスの水量をチューナーを使って調節してるのを見物しました。グラスの縁を触っただけで音がでるような手と指が洗い上げて真っ白なのが印象的です。
それで、いよいよ狂乱の場です。会場が興奮していくのが分かります。これって、要するに、スポーツ観戦なんですね。トリプルアクセルの成功が約束されてるフィギュアスケートを見るみたいです。すばらしい着地技を約束されてる鉄棒演技とか。超絶技巧を商品にして成り立ってる世界です。イタリアオペラのスターシステムの典型例です。フランスのバロックオペラやイタリアの前期バロックオペラはテーマパークの楽しみで、充実したコーラスとか、祝祭性とか、ふんだんに踊りがあって、イメージとしてはこちらも祭りに参加している気になります。でもプリマドンナオペラって、一人のヒロインと、彼女の鑑賞者=消費者たちという構図です。その意味では、一人の男役トップのために全視線が集められる宝塚とちょっと似てますが、宝塚は別に超絶技巧を求められているわけじゃなくファンの熱気が一緒になって作るスターの存在そのもののオーラなので、見所が集中しているわけではありません。
バロックオペラから、バレーが独立して、バレーの方も超絶技巧のスターシステムになっていきました。たとえば白鳥の湖で黒鳥の32回転ピルエットがいかに安定していて美しいかというのが求められたり、アラベスクで両脚が180度以上開いたり・・
そして、バレーを失ったオペラのほうも、テクニックのためのテクニックへ進化していくのですね。声が楽器と共に高性能を競っていきます。
そういうプリマドンナオペラとしてのルチアですが、デジレ・カントーレはすばらしいでした。はじめは、なんだか表情がヒラリー・クリントンみたいで、悲劇のヒロインっぽく見えなかったのですが、さすがに狂乱の場にくると、もう彼女のこれしかないというくらい、圧倒的な存在感でした。実際に見たことはないけれど、狂乱の場はマリア・カラスのドラマチックでパセティックな顔と結びついていて、寝衣を血に染めて短剣を手に持って現れるイメージだったのですが、緋色の布を白い階段に広げ引きずりながら降りてくるカントーレは痛々しくて、その劇的表現は説得力がありました。しかし、会場の全聴衆が固唾を呑んで待っているのは、人間技と思えない高音域のヴィルチュオジテの部分であり、芸術とスポーツが遊離してる、不思議な感覚です。カントーレは、その人が出てきてそこにいるだけでいいという、確立したスターではありません。見せ所のトリプルアクセルで転倒したら、彼女にもオペラ全部にも意味がなくなる、そんな危うさ、がちょっと倒錯的です。バロックオペラとあまりにも違う方向に進化してきたなあとあらためて感慨深いでした。
これからカントーレのプリマドンナ・オペラをちょくちょく観にいこうと、楽しみです。同時に、こういうオペラのイメージでラモーのバロックオペラを観る人がいるかもしれないと思うとあせります。ラモーのオペラは音楽的にはもっと難しいのですが、概してフランスオペラは、スターという「人につく」んじゃなくてバレー団やコーラスやからくりをかかえたオペラ座という「場所につく」形で発展してきたんですね。スポーツとしても、わいわい型のサーカス風かしら。ルチア頭より歌舞伎頭で観てほしいです。
ミイラ展は、3Dシアターの映像がすばらしいというので期待して行きました。まず入れ替え制のシアターを経てから展示場にいけるという作りで、3Dメガネをもらってわくわく、アトラクション・パークの人気シミュレーションを待ってる感じです。保存状態のいいミイラの包帯をとらず、CTスキャンに入れるという画期的な話で、その体の中に3D映像で入っていくというのですが、結果的に、あまり感動しませんでした。昔初めて大英博物館に行ったとき、パリのルーブルよりもミイラの展示が多く、その即物的な敬虔さのなさ、に感じ入りました。ヨーロッパでエジプトコレクションを見るたび、帝国主義とか盗掘とか、無邪気なモラルのなさに見てる方まで後ろめたくなります。
日本では昔ツタンカーメンの黄金の棺の展示を見ました。ミイラの干からびたイメージとは無縁の輝きで、罪悪感はなかったです。3Dで、ミイラの体の中に侵入していく感じもあるんですが、普通の特撮映画みたいで、『ミクロの決死圏』(古い!)の感じです。
ツタンカーメンという名が、すばらしい響きを持ってたのに対して、このミイラさんの名は、「ネスペルエンネブウ」といって、コピーライターが提出したとしたらすぐ却下されそうな名です。コピーとしていいのは、展覧会の副題の「ザ・インサイド・ストーリー」ですね。
実際の棺の外側は、色鮮やかですばらしく、しかしさっき親しく中身に侵入した記憶に比べるとフラストレーションが起こります。展示品では、両側がハヤブサの頭と人間の手である細長い香炉が気に入りました。後、ミイラは内臓はいったん取り出されて塩を振りかけられて乾燥させられ、また布にくるまれて体に戻されるんですが、心臓だけはそのまま体内に残したままなんですね。脳はほとんどゴミみたいに鼻から掻き出されて捨てられます。脳と心臓の運命の違いはおおきい。しかも、死後の世界の生前の善悪審判で、心臓が、生前の悪行を暴いて不利な証言をしないように、スカラベ型の護符をおいておきます。心臓に裏切られるかもしれないとは! でも心臓を残さないといけないというのは、心臓は元々お目付け役で、体の中で、来世と結びついているスパイみたいな特殊器官なのでしょうか。悪いことをするとき、心臓がドキドキするのは、警告か、記録してるからなのだと思っていたのでしょうか。第一、生前悪いことをしても、死後、心臓に護符を置いて口を封じさえすればOKというご都合主義も可笑しいです。生きてるうちに罪障消滅のシステムがなかったんですね。カトリックなら、告解して赦してもらうとか、免罪符をもらうとか、死んだ後、残った人に煉獄から出してもらえるよう祈ってもらうとか、何らかの「罪のあがない」の仕組みがあります。そして、死後の善悪の審判というのは、まさにエジプトのような地中海文明の影響で、ヨーロッパ固有ではないのですが、本家のエジプトでは、罪をあがなわなくても、口をぬぐって隠していればOKだったなんて。
第2会場の、CTスキャンからミイラの健康状態の診断をしてるのはおもしろいでした。日本人の骨とかを展示して比較しながら、大英博物館と別の所見をしてるのが愉快です。たとえば、大英博物館が歯の磨耗と言ってるのを虫歯と診断したり。
そんなわけで、ミイラ展は期待はずれだったのですが、常設展を見て、牛の胃腸とライオンの胃腸の比較とか見て楽しめました。最近パリの自然史博物館のドラゴン展など何度か行ってるので、目新しいものは発見できませんでしたが、干支シリーズ2007があって、触れるイノシシの剥製があり毛の感触を確かめたり、ウリ坊も見たり、賢そうなハチ公の剥製を見たことが、日本的です。外には、30メーターの実物大シロナガスジクジラのジャンピングのオブジェがあり、それが一番感動的でした。
それから文化会館のオペラです。「ランメルモールのルチア」という言葉を聴いただけで、どきどきします。観るのは初めて、マリア・カラスの全曲のLPを持ってましたが、CDは持ってないので、もう長いこと聴いてません。そのカラスが死んだ頃に生まれたデジレ・カントーレ(パレルモ出身ですが、デジレはフランス語名ですからフランス人の血を引いてるかも)が29歳で絶頂期にあり、この種のプリマドンナ・オペラを聴くには最高という贅沢です。30年以上前、日本でカラスのコンサートに行きました。最後、舞台に近づいて握手してもらったら、汗と香水の臭いが強烈だったことを覚えています。でもすでに晩年で、ヴィルチュオジテを楽しめるというより、オーラを拝みに行った感じです。
狂乱の場はLPで何度も聴いたのでそらで覚えてますが、ルチアが死んだ後の最後の場は全然記憶になく、今回エドガルドのアリアに感心しました。スペイン人テノールのアントニア・ガンディアです。デジレ・カントーレは最初からすばらしく、狂乱の場の期待がますます膨らみます。コロラトウーラ・ソプラノですが、全ての音域が豊かでたっぷりしていて、テクニック的には私には難しいところがない、表現だけが問題とインタヴューに答えているように、安心して堪能できます。
幕間にグラスハーモニカのおじさんが注入器で32のグラスの水量をチューナーを使って調節してるのを見物しました。グラスの縁を触っただけで音がでるような手と指が洗い上げて真っ白なのが印象的です。
それで、いよいよ狂乱の場です。会場が興奮していくのが分かります。これって、要するに、スポーツ観戦なんですね。トリプルアクセルの成功が約束されてるフィギュアスケートを見るみたいです。すばらしい着地技を約束されてる鉄棒演技とか。超絶技巧を商品にして成り立ってる世界です。イタリアオペラのスターシステムの典型例です。フランスのバロックオペラやイタリアの前期バロックオペラはテーマパークの楽しみで、充実したコーラスとか、祝祭性とか、ふんだんに踊りがあって、イメージとしてはこちらも祭りに参加している気になります。でもプリマドンナオペラって、一人のヒロインと、彼女の鑑賞者=消費者たちという構図です。その意味では、一人の男役トップのために全視線が集められる宝塚とちょっと似てますが、宝塚は別に超絶技巧を求められているわけじゃなくファンの熱気が一緒になって作るスターの存在そのもののオーラなので、見所が集中しているわけではありません。
バロックオペラから、バレーが独立して、バレーの方も超絶技巧のスターシステムになっていきました。たとえば白鳥の湖で黒鳥の32回転ピルエットがいかに安定していて美しいかというのが求められたり、アラベスクで両脚が180度以上開いたり・・
そして、バレーを失ったオペラのほうも、テクニックのためのテクニックへ進化していくのですね。声が楽器と共に高性能を競っていきます。
そういうプリマドンナオペラとしてのルチアですが、デジレ・カントーレはすばらしいでした。はじめは、なんだか表情がヒラリー・クリントンみたいで、悲劇のヒロインっぽく見えなかったのですが、さすがに狂乱の場にくると、もう彼女のこれしかないというくらい、圧倒的な存在感でした。実際に見たことはないけれど、狂乱の場はマリア・カラスのドラマチックでパセティックな顔と結びついていて、寝衣を血に染めて短剣を手に持って現れるイメージだったのですが、緋色の布を白い階段に広げ引きずりながら降りてくるカントーレは痛々しくて、その劇的表現は説得力がありました。しかし、会場の全聴衆が固唾を呑んで待っているのは、人間技と思えない高音域のヴィルチュオジテの部分であり、芸術とスポーツが遊離してる、不思議な感覚です。カントーレは、その人が出てきてそこにいるだけでいいという、確立したスターではありません。見せ所のトリプルアクセルで転倒したら、彼女にもオペラ全部にも意味がなくなる、そんな危うさ、がちょっと倒錯的です。バロックオペラとあまりにも違う方向に進化してきたなあとあらためて感慨深いでした。
これからカントーレのプリマドンナ・オペラをちょくちょく観にいこうと、楽しみです。同時に、こういうオペラのイメージでラモーのバロックオペラを観る人がいるかもしれないと思うとあせります。ラモーのオペラは音楽的にはもっと難しいのですが、概してフランスオペラは、スターという「人につく」んじゃなくてバレー団やコーラスやからくりをかかえたオペラ座という「場所につく」形で発展してきたんですね。スポーツとしても、わいわい型のサーカス風かしら。ルチア頭より歌舞伎頭で観てほしいです。
新年あけましておめでとうございます。
節子さま、皆さま。
すばらしい1年が皆様に訪れますように。
(節子さまが神秘主義のミステリー小説を書き上げてくれますように。)
すばらしい1年が皆様に訪れますように。
(節子さまが神秘主義のミステリー小説を書き上げてくれますように。)