sekko · 2014-11-17 23:52:37 UTC+9 · 投稿 #799
ご連絡ありがとうございます。
私は明日日本に発ちます。日本での主な予定はブログに書きました。
http://spinou.exblog.jp/22999275/ このブログはコメント閉鎖していますが私のトリオのブログ
http://nitetis.cocolog-nifty.com/blog/ のコメント欄はあいていましてウェブ上には出ないメールアドレスが書き込めますので、ご連絡いただければこちらから折り返しメールいたします。今週は私用がありますが、来週は東京に、週末のみ大阪におります。
もしお会いできたらこちらこそいろいろご教示いただきたいです。
音楽仲間は私の話してあげた電子意志論に夢中です。
Doraemon3 · 2014-11-17 20:57:32 UTC+9 · 投稿 #798
竹下様
拙著「量子力学・・・」お読み頂き有難うございます。
ご返事が遅くなり申し訳ありません。ブログを書き変えた際に、貴女のコメントも消えてしまったために、ご返事が遅くなりました。ブログの使い方にまだ慣れておりません。
それにしても楽器の弾き方が変わるほどの影響を与えてしまいまして恐縮です。日本へお出での節にご連絡いただければ、是非お目にかかりたいと思いました。ご迷惑でなければお知らせください。私は子供のころ教会に通い聖書も呼んだことが有るという程度で、貴女ほど深くキリスト教を研究したわけではありませんが、キリスト教も時代と共に変化してきたと思います。勉強させてください。それにしても宗教関係の沢山のご著書をお持ちですね。
どうぞ宜しくお願いいたします。
山田廣成
sekko · 2014-11-04 23:24:17 UTC+9 · 投稿 #797
ありがとうございました。
仲間に伝えます。
あの空間で、あのような組み合わせでやれたことは貴重だと思います。私たちはよくフランスの教会で弾くのですが、須弥壇の前というのはやはりインパクトがありました。「境界領域」を取り込む「自由」をねらう意図にはぴったりでした。
仲間が日本語のナレーションがまったく分からないので難しい点もありましたが、逆に曲に集中できる面もあったと思います。
大阪や宇部でやった子供のためのバロック童話も好評だったのでそのうち何かの形にしたいと思っています。
ニテティスのナレーション版は次は3月にパリでやります。
それまでにたまった仕事も片づけなければなりませんが、仲間や友人たちとコラボでき、コンサートで皆様と同じ時間を共有できることは、普段ものを書いて後で読んでもらうという仕事をしている者にとっては至福の別世界です。
ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。
A.N · 2014-11-03 10:26:03 UTC+9 · 投稿 #796
こんにちは。先日のコンサート@築地本願寺の後、楽屋にご挨拶に伺った者です(その後、近くのお店でも皆様とすれ違いました!)。 本当に素晴らしかった!これまでバロックの生演奏を聴く機会にはなかなか恵まれませんでしたので、何もかもがとても新鮮でした。現代人の感覚からすると、緊迫感のある場面には少し不似合いかしら?とも思える穏やかな旋律に、奥深さというか、温かみ、寛容の精神などを感じました。ナレーターの丸山さんの独特の存在感とも相まって、本当に魅力的なステージでした。素晴らしい時間をありがとうございました。
エトワール · 2014-06-22 16:20:23 UTC+9 · 投稿 #795
最近(とはいっても昨年の9月のことですが・・・)パリ国立高等音楽院ギター課を首席卒業した松尾俊介氏が、マニエル・マリア・ポンセの伝ヴァイス集の譜面を現代ギター社から出版しました。運指付のものなのですが、例えばバレットなどは、発表当時、セゴビアがその演奏でハイポジションを多用した運指ではなく、ローポジションの運指が付されています。この贋作群の作品の価値は、いかほどのものか賛否が分かれるところですが、私は組曲イ短調やバレットを名作だと評価しています。ただ、演奏方法としては登場の時代背景を踏まえ、セゴビアの運指での演奏にこそ価値があると考えています。マルセロ・カヤトなど、現代の多くのギタリストが録音しています。これらの作品群の今の欧州での評価はどのようなものなのでしょうか。また、演奏するとすれば、セゴビアの運指復刻風の演奏をすべきなのではないものでしょうか。セゴビアの同時代人、例えば、タンスマン、テデスコ、トローバなどの演奏においても、セゴビアの文法を模した演奏は追及されてしかるべきもののようにも思うのですが、松尾俊介氏の譜面のような考え方は、これからの主流になるものなのだろうかと思案している次第です。
エトワール · 2014-06-07 08:18:40 UTC+9 · 投稿 #794
詳しい説明をありがとうございました。
天使というのは、不思議なものだと思います。ラグエルを入れてあげて正当そうなのは、ミカエル、ラファエル、ウリエル、ガブリエルの5天使のようなので、方角にあてると、通説では、ミカエル東(エデンの東にたっているといわれています)、ラファエル西(治癒の天使といわれています)、ウリエル南(火の天使とも呼ばれています)、ガブリエル北(水の天使とも呼ばれています)なので、残ったラグエルは真中においてあげると天使曼荼羅ができあがります。
これは、仏教の曼荼羅とよく似ています。薬師如来(東)、阿弥陀如来(西)、宝生如来(南)、釈迦如来(北)、大日如来(真中)です。
「東と西が、逆だったら、ピッタリなのに・・・」とずっと思っていたのですが、最近、ふと思いました。「そうか、西洋の東、東洋の西か。」ミカエル=阿弥陀、ラファエル=薬師、とても綺麗ですね。
曼荼羅の成立と天使の成立が、どこかでつながっている可能性はゼロではないと思いますが、「西洋の東、東洋の西」まで、考えた方がいたのなら、それは、とても素敵なことだと思います。西の極楽浄土にいる阿弥陀如来とエデンの東にいるミカエルは、実は同じキャラクターだったとしたら、世界は、もっと平和になれるのかもしれないと思うからです。
sekko · 2014-06-04 22:00:24 UTC+9 · 投稿 #793
ああ、私は普通にウリエルと了解しています。
14世紀頃にはPietro Cavalcaという神学者が広めたせいで洗礼者ヨハネの聖人伝が出回っていたので、それをもとに「洗礼者ヨハネの生涯」のような絵は広く描かれていたと思います。
聖書の福音書に記述のない部分には事実上、外伝というか人々の想像を許容するゆるい伸びしろみたいなのがあったので、それはイエスの子供時代の画像にも現れています。で、マリアにイエスの受胎を告げたのがガブリエルなので洗礼者ヨハネの受胎を告げたのはウリエルということになり、その後もウリエルはヨハネの守護天使みたいな位置づけで、ヘロデ王の幼児虐殺を避けるために先にエジプトに逃げていたイエス一家に合流するように促したのもウリエルです。その後ヨルダンの山の上でヨハネとウリエルが直接出会ったり、それでヨハネが自分の召命を7才で悟ったとか、いろいろあります。
だから、ウリエルが亡命中のイエスのそばに座って、避難させてきたヨハネを指差しているのだとしたら、「これが将来あなたに洗礼を授けるヨハネちゃんですよ」と言っているようにも見えます。
でも、ウリエルの名やヨハネとの関係が正典にはなく、一方ガブリエルの方は聖母の受胎告知で名が記されていて、エジプトへの逃避行や戻るタイミングをヨセフに指示したのも、そのままガブリエルだろうということになっているので、逃避先の洞窟に付き添っているのがガブリエルだとしてもおかしくないかなという感じはします。
実際、「ヨハネによるイエスの洗礼」を描いた絵のそばに2人の天使が並んでつきそって、「やれやれ、やっとこの日が来たよね」と言っているかのようなのもあります。
このダヴィンチの絵も、イエスの子供時代の視点で見ればガブリエル、ヨハネの子供時代の視点で見ればウリエル、実際は2人の天使が仲良く2人いたのだけれど、天使は人格ではなくてイエスとヨハネを守るという「機能」なのですから、「絵柄」的には1人でいいかな、という感じでいいのではないのでしょうか。
エトワール · 2014-06-04 19:22:47 UTC+9 · 投稿 #792
レオナルド・ダ・ヴィンチの「岩窟の聖母」は、ほぼ同じ構図、構成で描かれた2点の作品があり、パリのルーヴル美術館とロンドンのナショナル・ギャラリーに、それぞれ所蔵されています。両方とも高さが2mもある大作で、油彩で描かれています。
主題となっているのは幼児キリストへの幼い洗礼者ヨハネの礼拝ですが、このようなエピソードは聖書には記されていません。
ここに描かれている天使は、ウリエルだという説とガブリエルだという説があります。
ちなみにルーヴル美術館公式ウェブサイトでは、「岩窟の聖母」に描かれている天使は大天使ガブリエルだとされています。
謎の多い作品ですが、描かれている天使は、何者とお考えかお尋ねしたかったわけです。
この天使は、とても美しく、レオナルド・ダ・ヴィンチの作品のなかでも、もっとも華麗なキャラクターだと思います。
Weil de Bernard · 2014-05-25 22:35:01 UTC+9 · 投稿 #791
ありがとうございます。
私はSekkoさんのように実力も能力もなく、海外に出るチャンスが二度ありましたが、逃してしまいました。
日本流に言えば、これも何かの縁、そしてカトリック流に言えば神の恩寵かも知れません。そして恩寵には、
苦しみも伴いますね・・・ その点で私はシモーヌ・ヴェーユに魅かれています。そして不適応にトピックスを戻せば、どうも最近思うには私は、どっぷり日本に居ると駄目になる傾向があるのがようやくわかって来ました。
自分では、どうしようも出来ません。出来る限りのことをして、恩寵に身を委ねるだけです。
Merci
sekko · 2014-05-24 23:08:31 UTC+9 · 投稿 #790
そうですね。
でも、考えたら、日本社会に不適応と自覚している人がみな日本を出て行ってしまったら大変で、私のように外にいることでようやく日本にとって役立つ建設的なことを考えることができそうな人間や、日本にとどまることで多様性の力を与えて、次の世代のあり方を養う人など、「不適応のマネージメント」にもいろいろな形があるかと思います。今はこうしてウェブ空間のおかげで、さまざまな方と居住空間を越えて触れ合えるので、何か大きな流れにも参加できるような期待が生まれています。
Weil de Bernard · 2014-05-18 11:53:34 UTC+9 · 投稿 #789
ありがとうございます。
ユダは私にとっても、ずっとテーマでした、早速、注文します。
アメリカの方は良い方が多いです、バージニアの研究所のCL博士などは典型的なナイスガイ。
私にとって気になるのが、中途半端にアメリカ文化に傾倒している今に日本。モザイク社会の
アメリカの裏側は凄まじいものがあります。これは実体験です。それでも、アメリカにはサーモスタットの
ような制御装置がまだある(そう信じたい・・・)。
私は日本では不適応者ですね・・・ 日本の外に出ると元気になります(泣・笑)。
自分の本心かずっと遠ざかって来た私です・・・
そして本心に立ち返らなければ回心なぞ出来ませんね・・・
フランスはカトリックであり、東方霊性の素晴らしさも伝えていたりしますね・・・
フランスに住めたら本望ですね・・・
Merci
sekko · 2014-05-18 07:31:41 UTC+9 · 投稿 #788
ありがとうございます。
先頃日本に帰国していた時に国際司法裁判所で日本の調査捕鯨禁止の判決が出ました。フランスで以前からこのことについてのニュースがある時はいつもアングロサクソンの番組の放映ばかりで不愉快だったので、どうして日本はフランス語でフランスに働きかけないのだろうかと思っていました。
今回の判決では、最初反捕鯨の立場だった10ヶ国のうちフランスだけが、オーストラリアを支持しませんでした。そして捕鯨支持国だった6ヶ国のうちロシアと中国がオーストラリア支持に回ったと読みました。
前にブログで東京裁判の時にアングロサクソン国を批判したフランス人判事について書いた本について触れましたが
http://spinou.exblog.jp/20794074/ フランスは当事者からちゃんと話を聞くと自然法に照らし合わせたり論理を重んじたりするので、「大勢に与しない」ことを恐れないで独自の判断を恐れない国だということは確かだと思います。
アメリカ人は一人一人は正義感あふれるいい人たちが多いと思いますが、「政治」の局面では大義や論理よりも平気で国益を優先するので、大義や論理に訴えても無理なんですけどね。ロシアや中国に至っては期待など全くできないし。日本はもっと各国のメンタリティを研究しながら立ち回ってほしいと思います。
Weil de Bernard さまのサイトなどまた教えてくださいね。
先月出した『ユダ』(中央公論新社)ももし読んでいただければまた感想をお聞かせ下さい。
Weil de Bernard · 2014-05-17 17:40:53 UTC+9 · 投稿 #787
ひょんなことから竹下さんの著作に出会い、私が思っていたこととにかなり近く、そして、それ以上に教えられて感謝しています。今の日本はあまりにも、アメリカに傾倒し過ぎており、かつて欧州駐在を体験した私には住み心地が悪く、先日もアメリカのIvyリーグ出身の某日本の大学教授から攻撃されたのがキッカケで竹下さんの著作に出会えました。
一日であっと言う間に読みました。スッキリしました。欧州のキリスト教文化を体験せずして、現代社会をの理解するのは難しいと思います。米国駐在経験もある小生ですが、欧州州在が先にあったからこそモザイク模様なかの文化も何とか許容出来ました。昨年は出張でイルドフランスへ久々にゆけましたが、今年はお預けですね。私もWEBがありますが、全く整備していないので、近々、書き直したらお知らせします。Merci, Weil de Bernard
sekko · 2014-05-09 23:09:42 UTC+9 · 投稿 #786
この映画、フランスでもTVで放送されました。
そうですね。聖母についてもまだまだ書きたいことだらけなのですが、マグダラのマリア、マドレーヌについては、以前にもぜひと言ってくださった人がいるのですがまだ果たせずにいます。
フランスはノートルダムもマドレーヌも国民聖女化しちゃったような国なのでネタには事欠きません。
フリーメイスン、キリスト教、ナポレオン、の3作の次にはぜひマグダラのマリアに挑戦したいです。
マリアたちがどのような女性であったかということよりも、人々が彼女らに託してきたものへアプローチしようと思います。
ありがとうございました。
kei · 2014-05-09 17:22:07 UTC+9 · 投稿 #785
竹下様は「Mary of Nazareth」という映画をご存知でしょうか?
この映画はもともと2012年にイタリアのTVで、「Maria di Nazareth」というタイトルで放映された200分にものぼる大作で、ベネディクト16世もご覧になったとのことで、日本では「イエスと2人のマリア」という題名でDVD化され、最近ようやくレンタル店に出て見ることができました。
内容は「女たちの新約聖書物語」といってもいいもので、聖母マリア、マグダラのマリアに代表される女性、そして悪役としてヘロデア(サロメ)まで、時代をそれぞれ生き抜いていった女性が積極的に描かれています。
義父ヨセフも含めて、竹下様の描かれるキリスト教の歴史の中で積極的に活動していた女性たちの姿を見る思いでした。
自由な女性としてのマグダラのマリアのフィクション部分は鮮明ですが、聖母マリアについても、息子として1信徒としてイエスと共に歩む(なおかつ最後には弟子を鼓舞する)マリアの姿を非常に説得的に描いておりました。
よく考えれば新約聖書というものは、主イエスが書かれたものではなく、弟子たちの見たイエスの姿です。この映画は、従来の視点ではなく、両マリアの視点から描かれているため、イエスの行状は大胆にカットされておりますが、これも説得力がありました。
改めて主イエスの受難ですが、それ自体としては映画「Passoin」のようにグロテスクなものです。
しかし絵画の場面ではヨハネ両マリアトリオがたいていの場合付いており、聖母マリアの悲嘆を媒介にして、主の受難の悲しみを共有できるものだと思われます。やはり聖母マリアはキリスト教にとって簡単に1信徒として扱われるものではないかと。
聖母マリアについては、どの解説書もまず地母神の代替として書かれております。
しかし息子の死を嘆く母というのは地母神のカテゴリーをはみ出しており、ここでも十字架上の神と同じく、従来の神話から見て「突然変異」のようなものがあると存知ます。
母という存在は、子供の生に直結すると同時に、死亡率が高かった時代にはまた死を見取る存在でもあり、そういう存在としても共感を持ちえたのではないでしょうか。
マグダラのマリアにつきましては中公新書岡田温司著「マグダラのマリア」を読んでおりますが、プロヴァンスですね。
死後も含めまして、この数奇な女性の伝説はある意味聖母マリアよりも興味深く、フランス在住の竹下様にぜひお書きいただきたいものです。
Ps YouTubeにはイタリア語版は全部あがっております。ドイツで、スペインでも放送され、もともと英語なのでアメリカで上映されておりますが、フランスでの痕跡を見つけることができませんでした。
http://www.maryfilm.com/ 投稿内の動画を開くsekko · 2014-05-09 06:58:28 UTC+9 · 投稿 #784
旅行中などでお返事遅れてすみません。
リンクをはってくれた先の演奏はすてきですね。この曲のギタリスティックな魅力を最大限に引き出してくれている気がします。
ヴァイスのシャコンヌやいくつかのメヌエットなどがポンセ作というのは解説でも見たことがありますが、私は別に驚きませんでした。よくできていると思います。
でも、踊りの曲という観点から見ると、ヴァイスのものも、ポンセのものにしても、少しずれています。バッハのシャコンヌはさすがに踊りとしての味もありますが、私はやはり18世紀半ばのフランスもののシャコンヌばかり弾いたり研究したりしているので、ヴァイスのシャコンヌからは踊りが見えてこないと思ってしまいます。
ミオンとロワイエのパサカリア(この二つは管弦楽)、ビュリィとデュフリィのシャコンヌ(これはチェンバロ)を三台のギターで弾くことをここ3年ほどしていて、シャコンヌやパサカリアの構造と踊りの関係がよく分かってきたのです。この4曲はとてもギタリスティックで、私のアンサンブルが秋に日本で予定している公演でもすべて弾くのでご縁があれば聴いてみてください。
エトワール · 2014-05-01 06:57:41 UTC+9 · 投稿 #783
シルヴィウス・レオポルト・ヴァイス(1687年10月12日-1750年10月16日)は、ドイツ後期バロック音楽の作曲家・リュート奏者で、ヨハン・ゼバスティアン・バッハと親交があり、ヨハン・フリードリヒ・ライヒャルトは、2人が即興演奏を楽しんだとする言い伝えを記録しています。
「ファンタジー」と「ロジー伯爵の死を悼むトンボー」がよく演奏されますが、他に「シャコンヌ」も人気があり、セルシェルなど多くのギタリストが録音しています。
最近のことですが、以前、ロンドンの王立音楽大学に通っていた女性ギタリストから興味深い噂話を聞きました。ヴァイスの「シャコンヌ」は、実は、マヌエル・マリア・ポンセ・クエラル(1882年12月8日―1948年4月24日)の作品なのではないかというものです。
「エストレリータ」の作曲者として知られるポンセは、アンドレス・セゴビアに頼まれ、ヴァイス作曲ということで「組曲イ短調」、「バレッタ」などヴァイス作とするいくつかの偽作を書いています。
「シャコンヌ」は、ヴァイスの真筆と信じていたのですが、そういわれれば近代風の感じもしてきたりします。
http://www.youtube.com/watch?v=nHFuYESTGEM 「シャコンヌ」は、好きな曲なのですが、この噂話の真相について、どう思われますか。
Sekko · 2014-01-21 00:34:28 UTC+9 · 投稿 #782
前にパリでお会いした後、東日本大震災があって、私は春の日本行きをキャンセルしてしまいました。そのまま連絡せずにすみません。
その後で夏の終わりに東京に行った時は、教えていただいた大山町の治療道場に行きました。その時のことを健康ブログに載せています。
http://sallyamour.at.webry.info/201108/article_2.html http://sallyamour.at.webry.info/201108/article_3.html などです。安田さんのロルフィングの感想もその前に述べました。
あれから3年ですが、左腕にはまだ可動域縮小の後遺症が残っています。
今回の公演はなんとシャルパンティエのオペラと能の融合ですか。すごく興味があります。西平直さんの『世阿弥の稽古哲学』は演奏と踊りにおいて私の考えることの一番大切な部分が一致していて、能とフランス・バロックの近さにはいつも注目しているので。何よりも今の全てデジタル化された音源や映像がデフォルトとなっている社会ではどんどん理解してもらえなくなってくることが多すぎます。この続きは直接メールで書きますね。
槻宅です · 2014-01-20 13:29:51 UTC+9 · 投稿 #781
竹下節子様
2011年2月にパリでお目にかかった能楽師の槻宅(つきたく)です。たいへんご無沙汰しております。2月18日から23日まで仕事でパリに参ります。お時間がありましたらまたお目にかかりたいと思いますが、ご都合は如何でしょうか。公演会場はパリ日本文化会館、宿はmercure-paris-suffren-tour-eiffel。19日は場当たり、リハーサルなどですがスケジュールがまだはっきりしません。2月20日と21日が20時開演、2月22日が17時開演ですので、本番前の日中が自由になると思います。
私はときどきミサに行くくらいであまり教会と深く関わっていませんが、天台宗の摩多羅神に関わる芸能の復興に取り組みつつあります。
槻宅 聡(つきたく・さとし)
能楽師・森田流笛方
携帯電話090-8049-7866
e-mail: tktk@wind.email.ne.jp
?