vino · 2007-08-20 19:05:01 UTC+9 · 投稿 #230
SEKKOさんや塩梅さんのように見識豊か、理路整然とはいかないので、自分なりに教会で感じることなど、お話してみようと思います。カト~もかなり、政治的だったのですね。これまた、わが身の無知を改めて感じました。K団は2001年のテロの時も素早く、ブッシュへの抗議文なんぞを出したり、他にも靖国問題、9条、天皇制等に関し、共産党と重なるような言動確かに多いですよね。非・クリ~の夫は私が何か言うと、「君はK党なの?」とか冗談で言うくらいです。戦争に協力してしまったという過去があるからこその平和への思いが今の日本では左っぽい言動とリンクするのでしょうね。個人的には政治的にそんなには濃く動いている方と出会ったことはないのですが、クリ~として外で奉仕をされている方を観る機会はありますね。教会での御用でも精一杯、自分のことで精一杯な人間がほとんどだと思いますので、そのお働き、尊いとは思います。当然ながら個人差あり、それぞれ事情もあり、教会員すべてに同じ働き、心情を求める事は無理・・・だと思います。職業とは違い、気持ちや思いで動く世界なので温度差・・・も出てきます。動ける数人の人にたくさんのお仕事が集中し、一方ではあまり、お役に付いていない人はなんとなく、手持ち無沙汰と言うか、居場所も無い感じもして・・・。 代々その教会の信徒・・・という家族には牧師も遠慮があったり、そのご家族には又、それぞれ大変な事情もあったり・・・。両親が教会のことで忙しく、なおかつ、人間関係で疲弊しているのを見て、子供世代はもう、教会には来なくなったり・・・。無理のない程度に自分のできる事をいくつか引き受けて<これ以上は無理>のスタンスを取らないと潰れます。男性の場合、今の時代でしたらやはりPCを使いこなして編集や広報、何と言っても財務・会計が基本でしょうか。会社や友人、恋人、それこそ家族でもある程度の年齢になったら距離が必要です。<ウチの会社>と思うほどには会社はこちらを思っていないように、依存すると、ツライお返しが待っています。100%依存しても良いのはペットの犬や猫くらいでしょう。 牧師本人も自分を守るため、家族のバランスを取る為、信徒それぞれへの良い働き・・・を考えると信徒も牧師の存在はサラリーマン的なものと踏まえるくらいで旨くいくようです。同じ教会でも牧師が変わると来なくなる人、それこそ転会して行く人があるくらいですし、牧師に楯突くことが趣味みたいな人もいます。
かつてK団出版局<信徒の友>では<疲れない教会>なんて特集も組まれていました。100%向き合って良いのは神様とだけです。細く長く適度な距離と温度を保つのが無難かなと思います。
vino · 2007-08-20 19:02:30 UTC+9 · 投稿 #229
SEKKOさんや塩梅さんのように見識豊か、理路整然とはいかないので、自分なりに教会で感じることなど、お話してみようと思います。カト~もかなり、政治的だったのですね。これまた、わが身の無知を改めて感じました。K団は2001年のテロの時も素早く、ブッシュへの抗議文なんぞを出したり、他にも靖国問題、9条、天皇制等に関し、共産党と重なるような言動確かに多いですよね。非・クリ~の夫は私が何か言うと、「君はK党なの?」とか冗談で言うくらいです。戦争に協力してしまったという過去があるからこその平和への思いが今の日本では左っぽい言動とリンクするのでしょうね。個人的には政治的にそんなには濃く動いている方と出会ったことはないのですが、クリ~として外で奉仕をされている方を観る機会はありますね。教会での御用でも精一杯、自分のことで精一杯な人間がほとんどだと思いますので、そのお働き、尊いとは思います。当然ながら個人差あり、それぞれ事情もあり、教会員すべてに同じ働き、心情を求める事は無理・・・だと思います。職業とは違い、気持ちや思いで動く世界なので温度差・・・も出てきます。動ける数人の人にたくさんのお仕事が集中し、一方ではあまり、お役に付いていない人はなんとなく、手持ち無沙汰と言うか、居場所も無い感じもして・・・。 代々その教会の信徒・・・という家族には牧師も遠慮があったり、そのご家族には又、それぞれ大変な事情もあったり・・・。両親が教会のことで忙しく、なおかつ、人間関係で疲弊しているのを見て、子供世代はもう、教会には来なくなったり・・・。無理のない程度に自分のできる事をいくつか引き受けて<これ以上は無理>のスタンスを取らないと潰れます。男性の場合、今の時代でしたらやはりPCを使いこなして編集や広報、何と言っても財務・会計が基本でしょうか。会社や友人、恋人、それこそ家族でもある程度の年齢になったら距離が必要です。<ウチの会社>と思うほどには会社はこちらを思っていないように、依存すると、ツライお返しが待っています。100%依存しても良いのはペットの犬や猫くらいでしょう。 牧師本人も自分を守るため、家族のバランスを取る為、信徒それぞれへの良い働き・・・を考えると信徒も牧師の存在はサラリーマン的なものと踏まえるくらいで旨くいくようです。同じ教会でも牧師が変わると来なくなる人、それこそ転会して行く人があるくらいですし、牧師に楯突くことが趣味みたいな人もいます。
かつてK団出版局<信徒の友>では<疲れない教会>なんて特集も組まれていました。100%向き合って良いのは神様とだけです。細く長く適度な距離と温度を保つのが無難かなと思います。
塩梅 · 2007-08-19 22:50:49 UTC+9 · 投稿 #228
> わからないでもないのですが、社民党はともかく、共産党に関してはどう考えているのでしょうね?
↑
明石書店や新日本出版社などから「解放の神学」系、ほか途上国援助、フェミニズム関係の著書をだしている聖職者・修道者は結構います。9条の会やら無防備平和運動他に賛同してたり、部落解放、靖国訴訟などに関与している方々もあります。運動自体の趣旨はともかく、バックに特定政党・政治勢力などがついている部分に偏りを感じるものがあります。
さてこれをどう理解するかですが、「解放の神学」というのがあるのですが、御存知でしょうか?
ある程度までご存知だと、理解が出来るところがあるかも知れません。
こちらは神社さんのブログですが、意外と分かりやすく書かれてます。
http://d.hatena.ne.jp/nisinojinnjya/20070510 あと聖職者・修道者の講演録です。
http://www.wa.commufa.jp/~momochan/kaiho/soma.html(故・相馬信夫名古屋司教)
http://www.jca.apc.org/gendai/salon/ezln/kaiho.html(メルセス会弘田しずえ修道女)
ちなみにこれについては今の教皇さまが枢機卿時代にインタビューに応じた本「信仰について」(ヴィットリオ・メッソーリ著・ドンボスコ社)のなかで見解を出されています。一部、抜粋します。
(以下、『信仰について』247~248p)
「解放の神学は、マルクス主義を踏襲するその形態からして、けっしてラテン・アメリカ、
あるいは他の発展途上国地域の人民の骨折りによって、ほぼ自発的に生まれ成長していったと
いうような、原地の、土着の所産ではない。少なくとも根源は知識人、富める西側諸国で
生まれたか、あるいはそこで教育を受けた知識人の創案である。それを手がけた神学者たちは
ヨーロッパ人であり、それを南アメリカで成長させた神学者たちはヨーロッパ人-----あるいは
ヨーロッパの諸大学で教育された者-----である。あのスペイン語、あるいはポルトガル語の
背景には、実際、ドイツ語、フランス語、アングロ・アメリカ語がちらつく」
↑
つまりヨーロッパの理論家によって第三世界に輸出され、実験されているイデオロギーの一つである、と。実のところ輸出先が実験先なので、この神学が言っている「人民の側に立つ」神学者たちが本当に人民に影響を持てるかどうか全て実証されなくてはいけない、と。
そんなもんだから、今の教皇さまが決まった時は…カトリック新聞で聖職者が匿名で「ガッカリ」なんてコメントを出してたり、著書で「ラッツィンガーは敵だ」なんて書かれた司祭さまもありますし、今の教皇さまが嫌いだから祝日以外に教会に行かないなどと書かれた信者さんサイトなども結構あります。
迷える大羊 · 2007-08-19 09:10:55 UTC+9 · 投稿 #227
>だから、社会主義的左翼運動と親和性があるのは理解できます。
わからないでもないのですが、社民党はともかく、共産党に関してはどう考えているのでしょうね?宗教否定ですよね、共産党とか共産主義って・・。でも、遠藤周作氏だったと思いますが、共産主義とは「裏返ったキリスト教」だ、といっていましたが、確かにそうかも、と思うことあります。キリスト教も共産主義も共に、弱者救済、既存の共同体のヒエラルキーを否定するところから始まった、共にすさまじい「異端狩り」「粛清」の歴史があり、様々な分派がある、どちらも「聖書」「資本論」という「聖典」がある、などなど、正反対の立場にみえて共通するところはとても多い気がしますね。
>イエスのいいところは、政教分離を貫いて、党派性や教条主義から自由になったところでしょう
「カエサルのものはカエサルに、神のものは神のものに・・」っていうのは聖書きっての名言だと思いますし、キリスト教の「近代性」がよく出ていることばですよね。でも、2千年前にはこういう考え方はなかなか理解されなかったんでしょうねぇ、きっと。
>パンチパーマの髭無しイエスとかもあったんです
パンチパーマですか・・(笑)。今は優男のイメージが強いイエスですが、筋骨たくましいマッチョなイエス像っていうのはあったんでしょうかね?祭壇で大暴れしてますし、単なる優男でもない気もしたりしますが、どうなんでしょうね。でも、そういうイエス像だと、キリスト教の姿も微妙に違ったものになっていたかな?今みたいに女性信徒が多数を占める、なんてことはなかったのかな?と想像が広がりますね。
後、よく考えるとおかしいな、と思うのは、ハリウッド映画や欧米のメディアのイエス像。聖書にイエスの容姿についての説明がない、ということは当時としては特に書くこともない、至って普通のユダヤ人だったと考えられるわけで、その中東の「普通のユダヤ人」が絵に描いたような金髪、青い目の白人だなんて、そんなことないだろ?、とツッコミたくなりますが、どうなんでしょうね?
Sekko · 2007-08-18 16:21:19 UTC+9 · 投稿 #226
留守しててレスが遅くなりました。
イエスも仏陀もムハンメドも、普遍宗教の創始者って、要するに既存の共同体のヒエラルキーを否定する形で出てきたので、必然的に弱者救済のソシアルの人だったと思います。だから、社会主義的左翼運動と親和性があるのは理解できます。でも歴史的には世俗権力側の御用宗教になってるケースが多いので、国家主義とか右翼的言辞とも繋がるわけでなかなか複雑ですね。
でも、アメリカのF派もそうですがイデオロギーと結びついて党派的になるのは、本来の政教分離の精神と乖離していますよね。イエスのいいところは、政教分離を貫いて、党派性や教条主義から自由になったところでしょう。ヨーロッパ近代は、世俗と教会の権力の葛藤を経て非宗教ライシティという理念の空間を気づき上げたわけですが、イエスは当時のユダヤ社会でライシティを先駆的に体現していたとも言えます。それは、しかし、他者の自由をも保障するものでなくてはなりません。対話とは説得ではないし、相手が同意しないから排斥するなどは問題外です。
福音書のイエスを見ていると、キーワードは、「ライシティの中の自由とポエジー」です。愛とか思いやりとかはもちろんなんですが、重要ポイントは、自由とポエジー(詩想)だと思うんですよ。自由とポエジーのないカリスマ性は、独善や権力性を免れないと思います。このへんについてはまたあらためてどこかに書きますが、どこの教派のどこの教会でも、自由とポエジーが実現していないところは、本当の意味でのイエスの精神から離れていると思います。
イエスの顔のステレオタイプは、トリノの聖骸布が出発点なんですよ。あれが出て来る前は、パンチパーマの髭無しイエスとかもあったんです。『聖骸布の男』のムックを見てたら「モノ」の迫力ありますよ。でもそのイエスはわりとハンサムで、マリアと瓜二つと言われてるのですから(マリアの変形クローンみたいなものだとしたら当然ですが)、じゃあ、マリアもそれなりに美人だったかなあと思います。正教のイコンはマリアの生前にルカが描いたというのを含めてみな細面なので、フネさんってのはあり得ないと思いますけど・・・
迷える大羊 · 2007-08-15 01:44:28 UTC+9 · 投稿 #225
塩梅さん、はじめまして、そしてレスありがとうございます。先日、自宅近くのカトリック教会のミサに出てみたところ、季節柄、平和の祈りを行っていましたが、別に特定の政治勢力、主張への攻撃や肩入れを感じさせる内容の話は出ませんでした。件の元信徒の方の教区、教会ではどうだったんだろう?と気になるところです。
しつこいようですが、私自身はそのようなカトリック聖職者、信徒に直接お会いしたことはないのですが、そういう政治色の強い聖職者、信徒の一団に辟易している一般信徒の方の声を、件の元・信徒の方とは無関係にネットでも現実でも複数聞いたことがあり、これは「火のないところに~」かな??と思った次第なのです。
>司教協議会はカトリック学連の廃止を決定したそうです。
そうだったんですか。個人の独断と偏見ですけど、この当時の司教協議会はとても「まっとうな」判断を下したと思います。一個人として安保反対運動、政治運動に熱を上げるのは勝手だけど、教会や信仰の名を使ってやるな、って、安保反対、賛成に関わらず、私がもし当時カトリック信徒や聖職者であったなら、きっと考えると思います。
思うに、歴史上、宗教戦争、紛争と思われている事件のほとんどは、実は宗教だとか神だとか信仰はあまり関係なくて、特定の政治思想、志向を持つ勢力がたまたま、ある特定の宗教に属していて、神や信仰の大義名分を拝借しているってパターンが大部分ではないか?という気がします。
>明治政府の強い監視がかかったのは事実です
もちろん、キリスト教会が国家主義だとか政治の右傾化に警戒心をもつことは歴史の行きがかり上、ある程度は理解できるのですが・・・。でも、靖国問題などで政教分離を訴える一方で、別の政治勢力、団体に肩入れしている、としか思えないようなことを主張するんじゃ、何のための「政教分離」なんだか、と思ったりもしますね。
>平和を願うことは良いことなのに、それが明らかな政治思想と(意識的に)繋がった結果、意見の違う人を排除したり敵視したり…対話も無しに『悪者』のレッテルを貼ることは失礼かつ良くないことですね。
今、「「世界征服」は可能か?」(岡田斗司夫著、ちくまプリマー新書)って本がなかなか面白くて読んでます。内容は、仮面ライダーだとか、007、オースチンパワーズなどなどマンガや、映画、TV番組、ドラマに出てくる「悪の組織、帝国」を題材に組織や国家、理念とは何なのか?などを考えた、表面的な話とは裏腹になかなか真面目な本です。
その中に、「皆殺し、というと残虐非道な極悪人たちに聞えますが、その正反対です。意外にも正義感がなければ人は皆殺しなど考えません(中略)正義感が強く、不正が許せないタイプのあなた、世界征服をするときはくれぐれも気をつけて下さいね。」なんて一節がありました。
この類の人々のことを聞くにつけ、まさしく言い得て妙、という感じですね。思えば、ヒトラーだって「ユダヤ人はドイツ民族の害毒」、それこそ「平和の敵」という「正義感」に燃えて、あれだけの大虐殺を実行したわけですし・・・。キリスト教の異端狩りやら十字軍なんかもそうで、宗教でも、政治でも何事も一方的な決め付けや、激しい思い込みは怖いですね。
塩梅 · 2007-08-13 23:04:24 UTC+9 · 投稿 #224
お答えになるか、分からないのですが。
迷える大羊さま>
いい資料の一つと思うので、ご紹介しますが、聖母の騎士社から出ている「神父様、納豆好きですか?」(フェルナンド・アカソ著)という本に『カトリック学連と安保闘争』という章があります。
その記述によりますと、著者である神父さまは京都にある二つの大学のカトリック研究会に顔を出されていたそうで、第二バチカン公会議(1962年~1965年)が打ち出すいろいろな新しい姿勢を受け止める際に行き過ぎた部分を感じておられたそうです。しかし、やんわり言っても受け入れられるどころかますます政治的な色合いを濃くしたそうでして。で、日米安保の更新(S35年)の折だそうですが、東京の「カトリック学連」は新宿駅での騒動にカトリック学連の旗を掲げて参加したそうで、このことによって、当時の司教協議会はカトリック学連の廃止を決定したそうです。
そもそも、第二次大戦前後にキリスト教全体(教派神道などもそうですが)に明治政府の強い監視がかかったのは事実です。また「チマッティ神父さまの手紙」(ドンボスコ社)の中にも、「上智大学事件」発生と同じ年に『別府不敬事件』の発生について記述があります。チマッティ神父さまの手紙には『この国ではカトリックは容認されているのであって、承認されてない』といった趣旨のことが書かれています。
今もよく取り上げられる上智大学事件、また戦時中のカトリックのことについては、まずこちらご覧下さい。他、キリスト教全体のことをご覧になりたい場合、「平和遺族会」「戦責告白」などのキーワードでの検索をお勧めします。
ウィキペディア:
土井辰雄
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E4%BA%95%E8%BE%B0%E9%9B%84 田口芳五郎
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E5%8F%A3%E8%8A%B3%E4%BA%94%E9%83%8E 個人的な見方として、戦死者・戦災遺族の立場の世代そして「団塊の世代」とその指導司祭というのが『政治的な活動をしている聖職者、信徒の一団』の第一世代と見ます。
元・信者さんのお気持ちも分からなくないです。平和を願うことは良いことなのに、それが明らかな政治思想と(意識的に)繋がった結果、意見の違う人を排除したり敵視したり…対話も無しに『悪者』のレッテルを貼ることは失礼かつ良くないことですね。
こういう人たちの一番宜しくないところは「左に巻きギレたこと」ではなくて、自分が良いことをしていると強烈に信じておられることと、他者に対する自己優越思想です。私もこういうタイプの方にお会いしたことがありますが、”人のためになること”というより”人のためになっている自分”に満足しておられるところがあります。運動の目的が”社会、また自分の生活を良くすること”じゃなく、”自分のやりがいのため”になっちゃってます。
こういう人たちに「被害者」とか「弱者」だとか祀り上げられて、いわば囲い者になり、どうしようもなくなった人も知ってますが…ああはなりたくない。運動家を利用し利用される『共生関係』の外にある人たちには、何の益にもならないどころかむしろ迷惑なんですよ。
>教会、教区によってかなりムードが異なるんでしょうか?
異なる部分もあります。教区内でも、その教会を司牧しているのが教区か修道会か、また修道会によっても違います。ただ良し悪しの部分については、一口では言えない部分がありますね…。
迷える大羊 · 2007-08-11 11:08:09 UTC+9 · 投稿 #223
あんとに庵さんのブログで述べた内容と重複してしまいますが、ご容赦を。先日、別のキリスト教サイトで知り合った元カトリック教徒の方とお会いして話をしたのですが、彼女(女性です)は期間は短いながら、熱心なカトリック信徒でした。それがなんでまた離教したのか、教えていただけました。理由はいろいろあったようですが、その中で私的に気になる点がいくつか・・・。
一つは政治的な活動をしている聖職者、信徒の一団がいて、そのこと自体は悪くもなんともないのですが、問題はそれを教会の中に持ち込んで、無関係の信徒を巻き込もうとすること。政治的な活動、というのは憲法9条改悪反対、国旗、国家への反対を熱く語る、といった類のもので、少々大雑把ですが党派的にいえば社民党、共産党的な感じのするものです。
どうも、彼女は教会内で奉仕などしているうちに、そういう類の運動に賛同、あるいは参加することを求められたらしいのです。
彼女がそういった運動に与する意図がないことを伝えたら、信徒からなのか、聖職者からなのかは定かではないですが、「お前は戦争が好きなのか」なんて無茶苦茶な決め付け方をされたそうで、本当ならとんでもない話。
大体、社会問題に関する答えって一つに簡単に決められないと思うし、自分に賛同しないから「戦争大好き」なんて決めつけは信仰面での原理主義者そっくりでイヤです。こりゃ、辞めたくなるわ、と思いました。
誤解を招くと困るので、申し上げると、その元信徒の彼女にしても、あんとに庵さんにしても、私にしても、社民、共産、憲法九条万歳ならダメで、その逆、つまり自民マンセー、憲法改正GOGO、ならいい、ということではありません。別の党、政治的見解への賛同であってもやっぱり同じように嫌気が差してくるだろうと思います。
あと、古株の信徒の一群には今も「ミサにこないのは罪」と考える人々がいて、新入りを捕まえて、あれこれ説教してきたり、これまた自分たちの活動に巻き込もうとする人々がいるそうで「大羊さんも(もしカトリック教会に関わるなら)、気をつけた方がいいよ」とのことでした。
元信徒の彼女がいうには、自宅近くにカトリック教会があるのに、わざわざ遠くのカトリック教会に電車を使ってまでやってくる信徒がいるのは、そういう人間関係に嫌気が差して、という人なんだ、ということでした。
お断りすると、以上の話はあくまで私が元信徒の方から個人的に聞いた話です。私自身が体験した話ではありません。私自身はそういった場面を近くのカトリック教会で目撃したことはないです(もっとも、忘れたころにちらっとミサを覗くだけなので、本格的に中に入るといろいろあるかもしれませんが)。
ちなみに、その元信徒の方が関わった教会と私の自宅近くの教会では教区が違います カトリック教会、と一口に言っても、教会、教区によってかなりムードが異なるんでしょうか?また、皆さんは、今回、話題にした元信徒の方の話のような場面に普段通われている教会で出くわしたことありますか?
迷える大羊 · 2007-08-11 02:15:43 UTC+9 · 投稿 #222
マリア様の容姿の話が出ましたが、肝心のイエス様の容姿はどうだったんでしょうね?
昔からあるステレオタイプは痩身でひげ面、長髪の優男、ですが、聖書には背が高いとか低いとか、ブサイクだった、とかイケメンだったとか何にも書いていない(ヨハネ黙示録で鬼気迫る化け物じみた、イエス描写がありましたが、ま、これは文書の性質上、リアリティがあるとはいい難いのでパスです)ですよね?確か。
ちなみに私、「トリノの聖骸布」は全く信じてません。なんだか、あそこに出てくるイエスの似姿ってあまりにステレオタイプ(ロン毛、ひげ面など)にはまりすぎで、話出来すぎ、と思えて・・・。
ところで、今週講談社の青年向けマンガ誌「モーニング増刊」を読んでいたら、「聖なるお兄さん(SAINT YOUNGMEN)」ってイエスと仏陀が下界で仲良く、首都圏にアパート借りてバカンスを楽しむ、なんてマンガが連載されてました。大爆笑はしないけど、キリスト教や仏教を多少なりとも知っている人間なら、ついフフフ、と笑わせられるギャグが随所に入ってます。
今週号ではイエスはカナヅチだったことが明かされて(?)おり、キリスト教の洗礼が頭に水をかけるだけなのは、パブテスマのヨハネが要求する潜水洗礼にカナヅチのイエスが応えられず、ヨハネに泣きついて、ハードルを下げてもらって、水をかけてもらうだけになった、という珍説(?)が登場しております(笑)。
「布教時代に泳ぐことなかったの?」の仏陀の質問に対し、「ああ、沈みかけた舟を助けに行かなきゃならない時があったけど、気合で5km湖面を歩いたからね・・」と返答。すかさず仏陀に「泳ぐ方が簡単な気がするけど・・・」とツッコミを入れられて、なんて感じで話が展開していきます。
もっとも、こういうギャグってある程度宗教に興味と知識がないと、何が面白いのか、わからないわけで、宗教音痴の多い日本のサラリーマン向けマンガ雑誌でどこまで善戦するか疑問な気もしますが・・。このマンガの著者、中村光さんってどういう人なんだろう?って気になりますね・・・。
>15でイエスを生んだとして、ピエタの時は40代後半
うーん、それだと美しい聖母、というよりサザエさんのフネさん(サザエやカツオのお母さん)のイメージになっちゃいますね(笑)。
なんかマンガの話ばかりしちゃいました、失礼・・。
Sekko · 2007-08-09 18:43:10 UTC+9 · 投稿 #221
カトのその道では偉い方に聞いたんですが、マリアさまって、不細工だったんですって。15でイエスを生んだとして、ピエタの時は40代後半、昔の人って、ふけてた感じがするので、普通のおばさんだったかもしれません。そのマリアが、被昇天する時は輝くように美しくなり、御出現する時も美しかったそうです。その方によると、臨終の秘跡を受けらた病人はすうっと美形になるんだそうです。でも、すぐに亡くならないとまた元に戻るそうで、その効果は24時間くらいだとか・・・すみませんつまらない話で。べつに意味はありません、でもこういう話ってわりとすきなんで。マリアとか聖人とかキャラが多いほうがアナザライフで楽しめます。
vino · 2007-08-08 17:03:50 UTC+9 · 投稿 #220
大羊様、本当にいろいろとお勉強なさってますね。知識の点では私なんぞより、遥かに勝っている・・・と思われるだけに本当にご苦労が多いですね。私も今のこの環境には苦しいものを感じますが、今まで全く、交流の無かったFの方々(個人的には良い人達です)と知り合えたこともこれもお勉強と思い、このコーナーで皆さんとお話できるご縁も感謝しています。普通に自分の教派だけにいたらFとKなんて出会いませんもの。(ご縁・・・という言葉もFの方々は使わないことでしょう。) マリア様、ダメ・・・みたいですものね。8月15日は聖母マリア被昇天の日・・・と話したところ、イエス様の昇天と同じ意味・・・と知ってびっくりされた方もいらしたくらいです。 日本人には仏教の菩薩信仰と重なるようで、マリア様への崇拝は判り易い・・・と考えるのはABOUTなK団の考えなのだと自分を納得させました。 私のKの知り合いはお子さんの幼稚園は別にこだわりも無く、カト~だったという人いますよ。家から近いとか、車の運転ができないとかの理由です。職場はカト~の学校なんて人、いくらでもいますし。FだけGOING MY WAYですね、やっぱり。 塩野七海さんのエッセイでマリアに抱かれて永遠の眠りにつくイエスの絵画や彫刻は数多いが、マリア様のほうが若く表現されている事が多い・・という文章があり、わたしにはとても印象的に感じます。若く美しい、優しい母のもとで永遠の眠りにつく・・・これは世の男性の究極の望みだと彼女は言うのですが、息子を持つ母としてはあってはならない事ですが、そう思ってくれていたら嬉しいような、でも私は唯のおかんですしね。人間が制度や組織や教義を定めたところで絶対に超えられない本能や業・・のようなものってやはりあると思うのです。こんなことを言うと、それはボーン・アゲインしていないからだ・・・の答えが返って来る事でしょう。 8月は戦争に絡み、行事も多い月ですね。お盆もあって、命や平和の大切さを考える良い機会です。比叡山では宗教を超えた会議も開かれました。このあたりをきっかけにお二人で歩み寄れると良いですね。
迷える大羊 · 2007-08-04 18:48:07 UTC+9 · 投稿 #219
>私が痛切に思いますのは、F派とK団の組み合わせはちょっとツライでしょうという事ですね
F派とK団以上につらいのがF派とカトリックですね。F派系出版社のいのちのことば社から出ている高校生向けキリスト教入門本「キリスト教なんでもQ&A」(HI-BA著)にこんな一節が・・・。
「Q19.カトリック信者でも救われますか?」です。内容はカトリック教徒のキリスト信仰、社会的貢献は認めつつも、予想がつくかと思いますが、聖人、マリア信仰、煉獄など、聖書にない教義が批判の対象に上っています。
さらにこれはまずい、というか余計なお世話では?と思える1節に「(カトリック信徒には)あなたは救われていますか?とかあなたは今死んだら天国に入れるという確信がありますか?と質問し、聖書を開いて救いの道を示してあげたらよい、と思います」とか「個人として福音的信仰を持ちながら、なおそのような教えを持つ(聖書から逸脱した教義ですね)教会の一員として主に仕えること生きることに矛盾はないのか?」なんてのがあります。
うーん、ちょっとこれはなぁ、何も入門本でこんなこと話題にせんでも、と思わされましたね・・。
ちなみにHI-BAってなんなのか? というと「HIGH-SCHOOL BORNAGAINERS」の略(出ましたね、ボーンアゲイン)で高校生対象の伝道グループだそうです。
カトリック信者の皆が皆、教会の言うことを100%真に受けているとは限らないように、F派信徒のすべてがこれら真に受けているわけではないにしても、F派教会の大ざっぱな思考様式を理解する上で、この本は格好の教科書かもしれません。
>数のかたから、「大羊さんて、なんて素敵な男性なんだろう」といつているのをききました。みなさん、注目しています
いやぁ、実物は単なるオヤジ年代も近いサラリーマンに過ぎません(笑)。まあ、リアルワールドで面と向かってストレスを、表現に注意しつつ、書き散らしてストレス解消しているだけなんです。ネット外では彼女と以外、宗教、信仰の話などしません。
ちなみに、私が教会にちょくちょく行っていることを知らない会社の同僚に、冗談めかして「俺、教会に行ってんだ」と行ったら、「おまえが?教会?ミサ?、似合わねぇ」と大笑いされました。いつも、品のないジョークを言い、お世辞にもファッショナブルとはいえない私は、日本におけるクリスチャン(なぜか品行方正でハイソな、ある意味ハタ迷惑なイメージがある・・)のステレオタイプに合わないらしいです・・・。
nao · 2007-08-04 09:52:14 UTC+9 · 投稿 #218
自然に投稿になつてしまいました。VINOさま、また関西人の特性など、お考えになられたことをお話くださいませ。とても参考になります。
大羊さま、たしかにFとKは対極みたいですね。悩み深いですね!!このサイトを見ている、複数のかたから、「大羊さんて、なんて素敵な男性なんだろう」といつているのをききました。みなさん、注目していますよ。自分の信仰に無意識だつた面が、意識にのぼつてきて、生き方を修正する大きな力になつております。感謝で一杯です。
nao · 2007-08-04 09:42:38 UTC+9 · 投稿 #217
VINOさまから、関西人の懐・・をお褒め?頂き、うれしかつたです。関西に生まれ育ち、関東とは絶えず接点はあつたものの、仕事と身内を訪れるくらいでしたので、私は狭いところで生涯をおわることになりそうです。だから、関西人の特性に無意識になりがちです。はじめて仕事をはじめたころ(もう40年も前でしが)「関西、とくに大阪では、実積があがつて、なんぼのもの」とよくいわれました。大阪の人間は「できる、できない」に焦点をあてるから、地位、名誉なんて、なんにもならないんだ、ともきいていました。それが信仰とどう関係するのか、わかりませんが、「心にぴつたりこないことは自分のものじゃない」とおもつてきました。カトだからといつても、さつぱりわからんこともある、そいじゃ、仏教もやつてみようか・・というわけでそれが自然でした。でもカトには最後までとどまつたわけですから、不思議というほかないですね。
私はカト、ミツションの出身ですから、体にしみついたのかもしれませんね。教育とは恐ろしいものです。ロザリオ、ベールなど、やはり美しいイメージでしたね。メダイ、スカプラリオなど、いつも身につけている高校時代の友達もいましたので、自然にそのような信心もそだちました。
神戸に近いところで仕事を20年あまりしました。友達は阪神間がおおいです。でも私の住まいはそこから2時間あまりはなれています。関西はまつたく、イメージの異なる京都、神戸、大阪、奈良が通える距離にあり、その点、関東よりめぐまれています。
Massimo · 2007-08-02 22:05:05 UTC+9 · 投稿 #216
漢字変換ってこんなに面倒だったんですね。ローマ字に戻りたくなってしまう・・・でも、日本ではみなさん普通にやってることだし、はやく慣れようっと。
スカプラリオ自体がもともと修道服の一部を小さくしたものだから、会員特典みたいな側面があるのは納得出来ます。
絵柄なんですが、それぞれ3つとも心臓が描かれていますね。パーレル・モニアルの聖マルグリート・マリ・アラコクもそうですが、こういう心臓を信仰の対象にすることってフランスの女性に由来するものが多い気がします。
でもなんで心臓?しかも図案化されたハートじゃなくてモロ臓器。はやくから解剖学が盛んだったとか。でもなんで女性???
儒教思想の根強い日本みたいな国では、この手の臓器崇拝ってどんな風に受け止められるんでしょうね。(生殖器崇拝なら聞いたことあるけど)
謎だらけのフランス臓物信仰にワクワクしている私です。大きい声で言うのはちょっと憚られる気がしますが。
vino · 2007-08-02 18:56:54 UTC+9 · 投稿 #215
nao様、関西の方らしい懐の深さを感じます。私も関西には長く居りまして(私の個人的な環境などは一部、フィクションで通させて頂きますね。)何と言うか、<まぁ、ええやん、ボチボチで。所詮、人間なんやから・・・>なノリはキリ~の教えに通ずるものを感じます。 我が息子たちは関西系のノリでして、末の小学生なんぞは「ここの人達、日本の教会の人より濃くて熱い」などと申します。 若かりし頃、ヨーロッパに住んでおりまして、日本の学校で長く教えられたというシスターに聖書クラスを開いていただいていました。彼らは仏教や神道のお勉強もとても熱心で、私達・日本人へのリップ・サービスもあるでしょうが、「やはり、これも真実。」と仰います。 私は最近では香取慎吾くんの<西遊記>を観ても<同じだわ>と思ってしまいます。 カト~は女心を揺らす環境ですね。ロザリオとか、横文字の名前、百合の花、ベール・・・。非クリ~の我が夫なんぞは女性がクリ~に多い理由には洋風なものへの憧れにもあるのでは・・・と申します。 大羊さま、この機会に良くお勉強なさってくださいね。私が痛切に思いますのは、F派とK団の組み合わせはちょっとツライでしょうという事ですね。外から見るとK団は権威的に映るそうですし、おかしな言い方ですが、右と左・・・の反応ですよね。ダン・ブラウンへの理解の仕方なんておもしろいくらい逆ですもの。アマースト大出身のダン・ブラウン、同じアマースト出身の同士と共にD大を創設したのが新島譲ですものね。この溝はなんとも表現できません。
nao · 2007-08-02 16:39:38 UTC+9 · 投稿 #214
>もう、イエス様もマリア様もお釈迦様もニコライさんもみんなドーンと来いや~って感じです
仏教の研究つて、とてもいいですね。私も随分やりました。キリスト教理解に大いにやくだちましたよ。改心の言語化は仏教のほうがすぐれていますね。
Sekko · 2007-08-02 06:13:17 UTC+9 · 投稿 #213
日本語環境できてよかったですね。
Scapulaire rouge のことですね。Scapulaire vertの方が有名かと思います。1840年ですね。私の思い違いでなければ、聖母はその使い方を教え、その中に、最初に使う前に祝別されなければならないという話だったと思います。
それで、祝別したものは売ることができませんから、おのずと、いわゆる売店には出ないのだと思います。祝別前のものを買って、後で司祭に祝別してもらえばいいわけですが、すでにアクセスが簡単な不思議のメダイがあるので、大量販売用としては淘汰されたのでしょうね。カルメル山のスカプラリオとか有名ですが、それも信心会のメンバーの徽章みたいな使われ方なので、不特定多数の人に売られる不思議のメダイのような広がり方はしなかったんでしょうね、
逆にいうと、不思議のメダイがあまりに成功したんで、柳の下に2匹目のドジョウ・・じゃなかった、次は内輪用というか、もうちょっとハードルの高いグッズを開発したのかもしれません。マリアもいろいろ考えますね。
確かに、愛徳姉妹会のプラグラマティクでエネルギッシュな活動と、相次ぐ御出現は一見ミスマッチですが、1830年からの20年って2度の革命が起こった激動期で、特にパリは大変な時期だったので、そんなところで社会活動をした愛徳姉妹会には、アドレナリンを促すようなイヴェントが必要だったのかなあ、とも思います。
Massimo · 2007-08-02 00:38:59 UTC+9 · 投稿 #212
やっと日本語が書けるようになりました。
ところで、最近ある方から「赤いスカプラリオ」というのを頂きました。一緒にもらった由来書によれば、1849ねんにパリの愛徳姉妹会のApollineAndriveauという修道女が受けたイエズス(イエス)の啓示にもとずく信心具だそうです。
さらに、驚いたことに「緑色のスカプラリオ」というのもあって、こっちは、1939年にJustineBiqueyburu修道女(パリ愛徳姉妹会)に出現した聖母に命じられて製作したのが始まり。
パリの愛徳姉妹会といえば、あの「不思議のメダル(奇跡のメダイ)」の修道会ですよね。あの御出現が1830年だから、約20年の間に3人のシスターが啓示を受け、3種類の信心グッツを世間に発信していたことになります。
その間愛徳会は救貧活動に従事していて、「霊能巫女集団」みたいにならなかった自己管理力もすごいけれど、シスター達の啓示を握り潰さない個性尊重主義みたいなところにも感心します。
それにしてもリュ・ドゥ・バックではメダルしか売ってませんよね。なんでだろ?
Sekko · 2007-07-31 08:32:29 UTC+9 · 投稿 #211
なんかもりあがってますね。スピリチュアルな日々、いいですね。スピリチュアルと言っても変な前世がなんとかにはまってるよりは、各種伝統宗教の方が教養はつきますし・・・
こっちの哲学雑誌で男脳女脳の話を読んだら、男は集団への忠誠心か群のリーダーへの帰依が強く、女は個人への思い入れが強いとありました。男は集団で狩とかしたからで、女は自分の子供に愛情をそそぐからだそうです。
だから女の方がイエスに夢中、状態になるのかなあ、とも思いました。でも集団への帰属意識より、イエス個人に惹かれてるのなら、集団や集団の生きた教祖とかに盲従してるよりも融通がきくかもしれないですね。まあ、男の聖人でもマリア命、みたいな人もいますが・・
ちなみに私はカルピスでも糠漬けでもないですね。ミッションスクール文化とは縁がなかったし、福音書のイエスはすぐに好感が持てましたが、なんか気の毒で・・同情の方が大きかったです。
でも、今、無神論について研究していて、啓蒙時代以降のキリスト教無神論者たちの言い分を聞けば聞くほど、私にはストア派の哲学者たちが結局キリスト教に傾いていった心情が分かるような気がして、哲学が信仰になる機微を追体験しているところです。それはやっぱり、「今ここで」の世界の中で、超越というものをどうとらえるかということで、イエスを神であり人であると言ったキリスト教の強引さがもたらした「救い」というのはすごかったと思います。
でも、戦争や疫病のない国で「今ここで」を生きている若くて力ある人々にとっては、「救い?なにそれ?」となる方が普通で、それでもいいと思います。でも、「今ここ」が閉塞したり、力を失ったりすることも人生では必ず起きるので、そんな時に救いのレトリックを知っておくことは有効ですね。
知識がブレイクスルーして生きる支えになってくれる時って、あるんですよ。人生は長い長い回心の道で、いつか超越の方から来る光に照らされることを期待してそっちの方に顔を向けておくのを忘れないようにしたいと思います。
迷える大羊 · 2007-07-31 00:30:18 UTC+9 · 投稿 #210
>前回、少々、悪口に走ってしまったので
その辺りは私も反省してますね。でも、信仰にまつわるストレス解消ってこういうところでしか、できないのもまた一つの現実ですものね。お気持ちはお察しします。
公平を期すために言っておきますと、F派だっていいところはありますよ。なんといっても相談事とか信仰にまつわる議論なんかは、なんだかんだいってもF派の関係者の方が真面目に対応してくれること多いです(私の狭い経験で見る限りですが)。全部が全部そうだってわけではもちろんないですけど、(大手)は時々、やる気あんのかなぁ~?的な対応のところも結構あるんで・・。もう、本当に昔なじみのお得意さんだけ相手にして気楽にやってりゃいいや~みたいな・・。
営業努力は明らかにFな人々の方が上です。もっとも、あの独特の熱さ、あまりの純粋さがその長所を帳消しにしてしまうくらい、私を引かせてしまうのですが・・。
>神様との関係もそれこそ、中年夫婦の関係のようで空気・・・のようになっていると言うか、日々、普通にあるほうじ茶や糠漬けと同じ、ベタな愛情にも似た感覚・・・と言うか
F派の場合、伝統的教会に比べると歴史が浅いところが多く、今は青年期で熱く、燃えていますが、あと数十年もして、今の若い信徒たちが老年になるころには良くも悪くも意外と角がとれて、幅が広くなるかも、と想像しますが。それとも逆にさらに頑固になってしまうか?どうなんでしょうね?大体、プロテスタントの成り立ち自体、一種の信仰復興運動で、今のF派っぽいところがあったんじゃないか?と個人的に思ったりしますし。
でも、今、手元に「日本における福音派の歴史」(いのちのことば社刊)がありますが、それによれば、カリスマ派、ペンテコステ系とそうでないところでは分裂やら対立やらがあるようですし、「聖書は誤りなき神の御言葉」とする教義もどこまでが「誤りなき」なのか、などでいろいろ論争があるみたいで、そう単純でもないようですね。
>うちの教会には若いひとも子どもも沢山いますよ。
そういえば、カトリック教会って子供が多いなぁ、という印象があります。幼児洗礼があって、「お家の宗教」って感じの人が多いのかな?
>外人が半分を占めています。
このユニバーサルなところがカトリックの長所ですね。sekko先生がおっしゃるとおり神父の高齢化問題も外国人神父の「調達」でなんとかなりそうな気もします。ところでnaoさんって関西の方だったんですね?
>初恋は必ずさめて、ぬかずけになる可能性ありと考えられたところに身をおいてほしいとおもつた
宗教、信仰は細く、長~くが一番健全で賢い付き合い方だな、と思ったことはありますね。適度に距離を置いた、大人の付き合いというか、なんといいますか。
ところで、ここ最近の私は本当にスピリチュアルな日々です。金曜日は東京のF派教会のイベントに彼女の付き合いで行き、また、あるときは会社近くのカトリック教会の聖書講座
に参加し、先日は、別のキリスト教サイトで知人となった仏教(曹洞宗)の僧侶見習いの方に東方正教会の信徒の方が加わって、一緒にお食事、散歩なんかをしてたりして・・。
もう、イエス様もマリア様もお釈迦様もニコライさんもみんなドーンと来いや~って感じです。
nao · 2007-07-30 19:26:12 UTC+9 · 投稿 #209
私はカトリツクですが、最初は初恋でしたね。でもどういうわけか、宣教はいつさいしませんでした。私の恋したイエスは他のひとには説明できない、とおもつていましたから、言葉になるまで、沈黙していました。中年になつて、ぬかずけ、になつてきたころから、言葉が体から、出だした(たいした言葉にはならなかつたにしても)と思います。大手は別に高齢化してばかりじゃありませんよ。うちの教会には若いひとも子どもも沢山いますよ。神戸中央教会なんて、外人が半分を占めています。神父の高齢化はたしか。この皮袋はなんとかかわつてゆくでしょう。長年きたえられてきた大手のなかの信徒のこころはやはりはじめは初恋ですが、こりかたまつてはゆきませんね。大羊さんも初恋は必ずさめて、ぬかずけになる可能性ありと考えられたところに身をおいてほしいとおもつた次第です。VINOさまのお話、いつも楽しみにしております。
vino · 2007-07-30 12:28:58 UTC+9 · 投稿 #208
前回、少々、悪口に走ってしまったので、今日は反省を含めて、<上手に距離を保ち、皆さんとお付き合いする方法>を私なりに考えてみました。 その成り立ち、戦時中のお上に屈した経緯などから<大手>は学校を多く運営していますよね。授業・単位に宗教の時間が決められていて、朝の礼拝も毎日持たれるところがほとんどだと思います。そんな環境の中ですと、信仰を持つ事に対して抵抗感はなくなると思います。学校ですから、強制的な宣教・・・という感じではなく、歴史や理論も教えますし、それこそ、Y~っぽい感じで平和、環境などを大切に考えるようになるというか・・・。生徒も無意識に噛み砕いて消化・吸収し、いつしか、骨や血になっていくプロセスを取り、大人になった時ふと、気づいて、教会へ通い始め、なんとなく、クリ~になっていたような・・・。(私もそうですが)<殊更>ではないタイプが<大手>には多いですね。 それこそ、家族がクリ~の方なんぞは<ボン・クリ>って自虐的におっしゃいますしね。 神様との関係もそれこそ、中年夫婦の関係のようで空気・・・のようになっていると言うか、日々、普通にあるほうじ茶や糠漬けと同じ、ベタな愛情にも似た感覚・・・と言うか。それこそ、<あってあるもの>なのですが・・・。 対してF派の場合、初恋につっぱっしっている少女のノリ・・・を感じます。いつも、360度全方位から大好きな人を見つめ、彼好みの女の子になろうと必死に努力を重ね、周りの人に彼の魅力を熱く語り、自分と同じ意見を期待し・・・。恋愛中毒なるものもありますし、SEKKOさんもアディクトという言葉を用いてましたね。 中年夫婦の糠漬けか、初恋少女のカルピスか、どちらも<乳酸>の働きですが、<大手>は超高齢社会、F派には若者が多く集うのも判る気がします。 白黒はっきりつけ、善悪を決めたがるのは、若者の特徴ですものね。 <大手>は司祭や牧師の説教も日常の生活に引き寄せて受け手が自分なりに噛み砕いて解釈する部分も多いと思います。F派はストレートの一本道とでも申しましょうか? <国家の品格>に自由に考え、自分で選ぶ事はじつは大変な労力を要し、それに疲れると、決められたことに乗っかるほうが楽なことに気づく・・・というような事が書いてありました。若者たち、疲れているのですね? やっぱり、悪口かしら?
迷える大羊 · 2007-07-28 02:56:09 UTC+9 · 投稿 #207
今年初め、謎めいたCMをテレビ、雑誌に大々的にうち、その広告主の非公開、秘密主義何かと物議をかもしたデモス財団の「POWER FOR LIVING」。週刊誌では、アメリカの宗教右派とのつながりが取りざたされたり、カルト疑惑も招いた財団、本です。その「POWER FOR LIVING」を彼女(くどいようですが、F系クリスチャン)の集会(といってもジャズコンサート)に付き合いで見た帰りに、配布していたし、彼女が勧めるのでもらってきました。
さぞかし、F派な内容か?と構えてみましたが、普通のキリスト教エッセイ、入門本でした。文章もわかりやすいものだと思います。まあ、最後はイエス様がいるから安心よ的な内容で・・。
ただ、巻末の「推薦」図書を見ると、ああ、これはF派の出版物なんだなぁ、と改めて認識させられました。
というのはそこでの「推薦」される聖書は「新改訳」聖書、「リビングバイブル」。「文法的に正確であり、多くのクリスチャンに読まれてきました」とありますが、「多くの方に読まれてきた」ということならずっと部数の多い「新共同訳」も紹介すればよさそうなものですが、そっくり抜かしてます。別に気にしなければ良いといえばよいのかもしれませんが、これはやはりキリスト教、それも特定の立場から書かれた本で、その辺をぼかして、あんな大々的なCMを打つのはどうだろうな~、って気がしますね・・。
迷える大羊 · 2007-07-27 00:09:32 UTC+9 · 投稿 #206
実際に足を伸ばしてはいませんが、ネットでは調べてみました、YMCA。「Young Men’s Chiristian Associasion」の略で「キリスト教青年会」といった感じなんでしょうか。活動内容を見ると、ユースホステルだとかボランティア、語学と多岐に渡り、確かにいろいろと充実していそうですね。YWCAというのもあって、こちらはMen’sがWomen’sになっているわけで、男女別々なんですね、意外とお堅いです(笑)。YMCAの日本支部は四谷に本拠がありますね。
ところで、私としては、YMCAでどうしても思い出してしまうのは、西城秀樹の往年の大ヒット曲「ヤングマン(YMCA)」なんですけど、原曲はアメリカのディスコミュージックグループ「ヴィレッジ・ピープル」の曲。で、このヴィレッジ・ピープルってグループってルックスを見ると一目瞭然なんですが、まあ、なんていったらいいのか、ゲイのイメージ(私生活でもそうなのかは不明)で売っているグループ。それがまた、なんで「YMCA」なのか?というと全米各地にあるYMCAの宿泊施設には、団体の性質上、また、宿泊費が安いことから若い男(YOUNGMEN)が大勢やってくるわけです。そういう場所をいかにも(ゲイ)、という面々が「最高だ、素晴らしい」なんていっているのが、あの曲なわけで、ほとんど冗談みたいな曲らしいんですね、元の曲は(それでも全米2位の大ヒット)。
それが日本にやってきて、西城秀樹氏の手にかかると、健全きわまりない青春謳歌ソングになってしまったのだから恐ろしい、というかなんというか。能天気に「わ~いえむしーえー」なんて振り付け付で歌っていた私って一体?高校野球の行進曲にまでなっちゃったぞ、どうしよう、てな感じです。大ヒットから20数年以上たってやっと気がつきました・・。洋楽ファンの間では常識だったみたいですが。
ちなみにあの「わ~いえむしーえー」の人文字パフォーマンスは西城秀樹氏オリジナルだそうで、本家の方に逆輸入され、世界に広まったらしいです。
くだらない話、すみません。思わず笑ってしまったもので、つい。