2016年の投稿

キリスト教に未来はあるのか?

前田 達男 · 2016-06-05 00:32:38 UTC+9 · 投稿 #848

節子様

端的にお聞き致します。 キリスト教 カトリックにはたして未来はあるのでしょうか。
特に日本のカトリックに。高齢化著しく修道院もどんどん閉鎖されて言っている日本の現状で。
何か 源泉がとうとう枯渇してきたかなという印象を受けるのですが。2000年たって。
スポットライト うーん ここまで堕ちていたのか と驚きを新たにいたしました。
最も私に人を批判する資格はないのですが。何か構造的欠陥があるのでしょうか?カトリックには。

それにしても と思うのです。どうしてこう理屈と概念中心の キリスト教にしてしまったのだろう か?
西洋ヨーロッパは。そしてそれに追髄することしかできなかった日本のカトリック。
さみしいなーと思うわけです。 ユングは彼が属していたプロテスタント教会が 身体性を失っていることを強く批判しました。 確かに頭でっかち神学者の屁理屈などもううんざりと感じるわけです。ブルトマンに限らず中世スコラ哲学だって。(エックハルトは未だ禁書扱いなのでしょうか?)
トーマスマンの魔の山 あのイエズス会士 ナフタ 結構あれは現実というか象徴なのでしょうね。文学的誇張ではなく。

いい加減人間ながら実はカトリック大好き人間なので ぜひ ご教示いただけたらありがたいです。






(無題)

愚者 · 2016-04-19 13:15:25 UTC+9 · 投稿 #847

sekko様、皆様
満開の桜が姿を消すと、最もさわやかな季節が到来しました。緑のシンフォニーが目を喜ばせてくれます。
教皇様がイスラム教徒のシリア難民3家族12人をバチカンへ連れ帰ったニュースは日本の新聞も記事にしました。
欧州の全教区で難民家族を受け入れて欲しいと、教皇が呼びかけたのは去年の9月でした。その呼びかけに応えて、ドイツではたしかシリア人キリスト教徒の家族を受け入れた教区があったのですよね。
フランスなどドイツ以外の教区でも難民の受け入れは進んでいるのでしょうか?

日本では当分無理かもしれません。鹿児島から北関東の太平洋岸までの「中央構造線」に沿って地震が移動していて、大都市圏や西の沿線にある運転中の川内原発に波及するかもしれないのに、原発は止めないわオスプレーを救援に出動させるわ、憲法に「緊急事態条項」の導入をもくろわ、くらくらします。
オスプレーのみえすいた芝居に感心する人がいるとは思えないのですが。

先週、司教協議会常任司教委員会が発表した下の公文書には、緊急事態条項の危険性が指摘されていました。
「今こそ武力によらない平和を――安全保障関連法の施行にあたって――」常任司教委員会
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/doc/cbcj/160407.htm

この数年、「現場」を担当してこられた幸田司教様が過労で静養されることも影響したのか、危機感が伝わってきます。
「戦争法の廃止を求める統一署名」という運動にカトリック教会も他の宗教団体と並んで参加しているのはご存じと思います。去年の11月、中央協議会のサイトに各小教区主任司祭宛の協力要請の文書が載りましたし、今年2月の「カトリック新聞」にも司教団の協力呼びかけを取り上げた記事がありました。
ところが、中央協議会のサイトなにそれ?、カトリック新聞てなに?知らない、という信徒が少なくないらしいです。司教団が必死で呼びかけても、全然聞えていなかった、聞く気もない、という教会もあったようです。司教といえどもブチ切れるのは無理もないです。もっとも、東京大司教区には主任司祭がミサの後、大司教からの呼びかけに答えましょう、というサポートをしたところが多かったみたいですが。
締め切りは25日で、中央協議会のサイトから用紙を印刷できます。司教団に応えて一人でも多くの人の署名を届けたいと思います。
目標は2000万筆です。今月1000万筆を超えたというよいニュースがありました。
目標に届かなかったとしても平和運動の普遍性の象徴になるのではないでしょうか。
また、神学生が絶滅した現状が司教様方の大きな心労になっていると聞いたことがあります。現在の非暴力抵抗運動によって見えない危険な力に打ち勝つことができれば、教区司祭志願者が生まれるかもしれないと思います。

各地で市民と有識者による、原発再稼動、秘密保護法、マイナンバー法、安保法、TPP協定、リニア中央新幹線などの違憲・差し止め訴訟が相次いでいます。カトリックの人が中心的な働きをしているケースもあります。
具体的な健康、安全、プライバシー、財産などへの被害が確実に生じるので当然の対応です。沖縄だけではなくなってきています。
戦争はすでに始まっている、という教皇の言葉は現実だと思います。国家間の武力紛争ではない争い、多様な姿形で人間が始めた禍が進行しています。
長くて申し訳ありません。
地震で亡くなった方々に神様の慈しみが注がれますように。被災した方々に必要な助けが届きますように。
また地震が収束することを願って祈ります。


水蓮さま

sekko · 2016-03-15 21:03:38 UTC+9 · 投稿 #846

そうですね。

もともと中東の女性のスカーフというかベールは、「既婚女性」、すなわち特定の男の所有物なので性的対象にはできないという指標だったと聞いたことがあります。で、キリスト教で神への奉献生活をおくる女性も「イエスと結婚した」ということで、「結婚可能」市場から離れる意味でベールを被ったと。

それが逆に、いつか、髪を見せるのは男を挑発している、みたいな考えにも向かったようで、子供以外の女性はすべて「髪を隠せ」、のようになり、あげくは、髪を隠していない女=不信心者、あるいは異教徒だから乱暴してもOKとまでの逸脱があるのが現状です。

ケルンでの暴行について、イスラム差別と言われるのをおそれて口をつぐむメディアをエリザベト・バダンテールらが女性擁護の視点から激しく弾劾しています。

私がパリである講演をしたとき、参加するのに服装規定はあるでしょうかという問い合わせがあり、驚いていたら、イスラムに改宗された日本女性でスカーフをつけていたからでした。

日本人にとってのイスラムとかフランス人にとっての仏教とか、文化的に大きな隔たりがある宗教に成人以後に改宗する人、特に女性は、「かたち」へのリスペクトもとても重要であるような気がします。

日本のカトリック教会のベール、私も大晦日にテレビの「ゆく年くる年」で「はい、長崎の教会」というシーンで女性がベールを被っているのを見てはエキゾティックだなあと思っていました。スペインでは黒のマンテイーリャが今でも見られますね。

パリでは聖ピオ10世会系の教会のミサでは、さすがに被っている人がいますが、別に誰が潜入しても、見とがめられたりしません。(聖体拝領するとまずいのかな)

バリ島の寺院の観光でパレオのようなものが配られてそれを身に着けて入ったり、東京のモスク観光で女性がスカーフを配布されたり、プラハのシナゴーク観光で男性がキッパを配布されたり、パリの仏教寺院でフランス人も靴を脱がされたり、など、いわゆる「聖なる場所」で、人々がドレスコードみたいなのを守るのは当然のような気がします。

でも、住んでいる界隈でそれが強要される圧力があるのは、そこ全体が「聖なる場所」だと言われているようで、「聖性」とは関係のない支配構造を感じてしまいますよね。

特に、マイノリティとはいえ数的には人類の少なくとも半数を占める女性が自由に生きられない限り、他の差別や支配構造も本当に解消することはないでしょう。

スカーフ、ベール・・・

水蓮(♀) · 2016-03-15 19:33:57 UTC+9 · 投稿 #845

ブログでイスラムのスカーフについてお取り上げでしたので、また出てまいりました。

私の住む町にはトラムが走っていますが、先日トラム内で見た女性…おそらく北アフリカ系なのですが…ごく普通の事務所勤め人風の外見でしたが、トラムを降りるなり、バッグから?ポケットから?スカーフを取り出して被って歩いて行きました。おしゃれスカーフでなく、イスラームの女性が被る、あのスカーフです。彼女にとってのスカーフは、イスラームがどうこうと言うのでなく、自分の居住区へ戻るための必需品、他の住民に「私も共同体のメンバーです」と示すための、そこの男たちに「あばずれ女」扱いされないための道具でしかないのではないかと思ったのです。

もともとイスラームのスカーフは、人中で女性が目立たないようにという目的だったそうですが、現在のフランスでは効果は逆で、識別道具となっています。私はスカーフを被った女性とすれ違うたびに、その宗教と男尊女卑思想を顔面に突きつけられたような気分さえします。実際、日本人でイスラームに改宗したある女性(故人)はその入信記で「ヒジャーブを被ることで、私はムスリムです、と口を開かなくても証言することが出来ます。黙ったままでも居るだけで絶えずアッラーの存在を人々に喚起することができる」と書き、本来の「目立たぬように」とは随分違った着用目的をもっておられたようです。

翻って、私がまだ日本で教会に通っていた頃、ある日見知らぬ年配女性からミサの後で呼び止められて、信者であるか否かを質され、信者なら聖堂ではベールを被るようにとお叱りを受けました。「イエス様も聖書でそうおっしゃってるから」だそうで(はああ???)女性の頭の被り物を言ったのは聖パウロで、当時のユダヤ教の…と反対にこの方に説明したいのをグッとおさえてその場をおさめました。後に知ったのは、この女性はベールを被らず聖体拝領した人がいると後で声をかける…ということを自らに課しておられたらしいです。つまり、彼女はベール=識別道具としていたのでした。(男性のチェックはしなかったのか?とつっこみたいところです。)

イスラームのスカーフもカトリックのベールも、神や信仰は二の次で、実は他の人間に見せるために身につける人が多いんじゃないか?なんて感じるのです。長々と失礼いたしました。

takio-oshioさま

sekko · 2016-03-15 03:58:30 UTC+9 · 投稿 #844

いやいや、フランスも残念ながらビジネス、政治、共にしっかり強者の既得権益を守るのが基本の「汚い」世界です。

一応、自由、平等、兄弟愛という「共和国理念」が建前としてあるので、時には正論を言って評価される人もいますが。

それでも、現教皇が言ったことですが、「政治の世界が汚い」と言って関わらなければもっと悪くなる、キレイな人が政治に入らないから汚いままなのだ、ということもあり、takio-oshioさまのように、たとえ志が果たせなくても、不正を正すという方向の「社会改革案」を出し続ける人がいることは決して無駄ではないと思います。

目先の利益で視野が限られがちなビジネス界に近い所でお仕事をなさっていた方が「汚い」ことに耐えられない感性を持ち続けていらしたことは希望でもあります。

次世代のためにも体験を語りアドヴァイスをあげてください。takio-oshio様にしか語れない貴重なことがきっとたくさんあると思います。

社会改革

takio-oshio · 2016-03-13 01:28:57 UTC+9 · 投稿 #843

1950年生まれで高校三年生の時に東大、東京教育大学、東京外国語大学の入学試験が中止されたので、私の人生設計は大変狂いました。
大学卒業後二年半の公務員生活、その後公認会計士になって監査法人勤務三十年。ビジネス界に不正経理は蔓延、数年前の民主党の政権下で政策秘書の話があっても政治の世界も汚ない環境。私の社会改革案は出来ずじまい。フランスはキレイなビジネス界、政治の世界ですか?

sekko様

愚者 · 2016-02-25 00:51:35 UTC+9 · 投稿 #842

去年の私の投稿へのお返事ありがとうございました。
21日のヴェルダンの戦いの記念日、日本では国会議事堂と各地で「stop!辺野古」をテーマとする抗議行動が行われ、国会前には28000人が集まりました。
また、ご存知の方が多いかもしれませんが、川内原発から50キロの桜島が噴火したり、20日には再稼動した高浜原発で放射性物質を含む水が漏れるトラブルが起きたりもしています。
信用できない弁護士も珍しくないことはご指摘のとおりです。現政権与党で要職に就く弁護士の議員が目立ちますし、大阪にも弁護士が売りのデタラメな首長がいます。
しかし日本では検察や裁判所はさらに酷いともいわれますので、マスコミや政府の発表こそが信じるに値するものだと思っている人に対して、そうではないと説くにあたっては、説得力と信頼性のある反証のひとつが日弁連の会長声明であることは間違いではないかと思います。
ところで、『福音宣教』という月刊誌があるのはご存知ですよね。
フランス史の坂野正則氏による新連載「重なり合う軌跡・響きあう信仰―近世フランスの宗教と地理」が面白そうだったので『福音宣教』を開いてみたら、もうひとつの新連載「聖フランシスコの「清貧」の精神と現代社会」が目につきました。ウォール街で投資銀行を経営していた神谷秀樹(みたにひでき)氏のエッセイです。アッシジのフランチェスコの清貧の思想に拠って現代社会を痛烈に批判しています。『福音の喜び』『ラウダート・シ』も参照されています。
坂野氏の連載についてですが、政治思想や社会学的なアプローチの宗教史が、引用された文献を理解していないと腹にストンと落ちない感じがあるのと違って、歴史と地理からのアプローチはそれほど消化しにくくなく、現代に近づくにつれて面白くなりそうです。
この掲示板をご覧になっている皆さまにも面白いのではないでしょうか。お薦めします。

水蓮さま

sekko · 2016-02-22 00:35:10 UTC+9 · 投稿 #841

水蓮さまは女性ですか?

私は「女性が自由な服装で外出できるだろうか? 」みたいなところまでは考えてもいませんでした。フランスがイスラム化した近未来小説とかではありますけど。

それよりも、フランスの今のムスリムの若い女性などが共同体の男たちから受けている圧力とかに本気で誰かが介入すべきではないかと思います。

私も周りにいろいろな例を見聞するので。

同時に、たとえ今「自由な服装で外出できる」と自由を謳歌しているかと思っているような「普通の女性」も、知らず知らずに実はメディアその他によるさまざまな同調圧力やconformismeの犠牲になっているのではないかということも心配です。

信仰も含めて、私たちは他者の目から本当に自由なのだろうか? などと考えます。

日本にいたら普段の生活ではそんなことは思いもつかないので、そういうことを考えさせてくれるだけでも、多民族社会に住んでいることは貴重ですね。

今はウェブ上で日本の「普通の女性」の家庭や職場でのいろいろな悩みなども目にするので、複雑な思いです。

お礼

水蓮 · 2016-02-21 23:41:32 UTC+9 · 投稿 #840

お返事ありがとうございます。
そうですね。私は、「受け入れると治安が悪いとかコストがかかりすぎるとかいう当面の問題」はあまり気にしていなくて、長期的にはどうなるか?と考えているのですが。やっと当面の問題解決のメドがついたとき、キリスト者に信仰の自由は残っているだろうか、女性は自由な服装で自由に外出できるだろうか?など。

恐れをあおるような言葉からは気をつけて距離をおいていますが、それでも、日常生活で宗教から来る価値観の違いを思い知らされるようなことが多いため、つい考えてしまいます。いずれにせよ、いろいろご教示いただいきありがとうございました。

水蓮さま

sekko · 2016-02-21 03:50:25 UTC+9 · 投稿 #839

今、毎日2000人の難民が来るというドイツのことを考えてもショックですが、レバノンなんか今や人口の四分の一が難民だと聞いて暗澹とします。

日本の「原発難民」のことも考えます。

一見中東とは関係ないように思われますが、差別はされないか、戻れる見込みがあるのか、どういう条件で ?、そして地震や津波の可能性はこれからもあるわけで、廃棄物の処理さえメドの立たない原発がある限り根本的な解決はできない、ということなど、一部の軍産や企業の利権や欺瞞がことを悪化させていることも共通しています。

中東からの難民についてのEUの対応について歴史的政治的に思うことはいろいろありますが、「人はすべて同じ体の一部分」というキリスト教イメージで考える時もあります。

自分自身、一時右腕が使えなくなった時、他の部分は右手に同情しても責めることはなく、できるだけのフォローをしました。

その結果、最もがんばった左腕が過労のために倒れ、いわば共倒れになったのですが、がんばる以外に選択肢はなかったし、共倒れの状態でまたいろいろ工夫して、できることとできないことを仕分けしつつ全体を動かしていったことがあります。(「たかが、肩」ブログ)

ISのことをガン細胞だと形容する人がいて、いくら空爆でシリアやイラクから追い払ってもリビアやエジプトやアフガニスタンなどに「転移」してもっとひどくなると言います。
それはほぼ確実でしょう。

で、ガンは手術するな、免疫力を高めろ、というように、ISも外交と政治だけで根治していくべきだと言うわけです。

その比喩を続けると、難民問題も、受け入れると治安が悪いとかコストがかかりすぎるとかいう当面の問題だけで受け入れたり拒絶したりできるような問題ではなくて、
人類はみんな「同体」だと思えば、みんなでフォローしあって、その結果生活の質が落ちようとも、寝込むことになろうとも、長い目で見れば、生活習慣をラディカルに変えて、体質改善をすれば、抵抗力、免疫力もついて再スタートすることも可能かもしれません。

そういう「変革」を受け入れない限り、病巣からは遠い他の部分がいくら「現状維持」したくて見ぬふりをしても、いつかもっと激しいリアクションにみまわれて壊滅することになります。

もっとも、「寛解」して再出発できたところで、やがてまた別の不都合、不具合、が起こるかもしれず、「機能」だけに注目していればいつかは必ず破綻したり停止したりするのは自明です。

それも視野に入れ、それを恐れず、「うまく機能する」こととは別のあり方、生き方(肉体の不具合や生死にかかわらず)がある、そこに招かれていると「信じる」ことではじめて恐れから解放されるのかもしれません。

お答えになっていないので恐縮ですが、「恐れ」を利用する人たちが発する言葉から距離を置いて冷静に考えようと思う時にいつも頭に浮かぶことを書いてみました。

難民問題とキリスト者のジレンマ

水蓮 · 2016-02-20 21:02:54 UTC+9 · 投稿 #838

竹下先生、いつもブログ拝読しています。在仏のクリスチャンです。竹下先生とは各論ではちょっと違うけど総論では一致(笑)する者です、とでも申しましょうか。
今日のブログにもありましたが、難民問題をもうずっと考えています。キリスト者としては苦しんでいる人、困っている人を助けるのは当然・・・。でも、その先に何があるのでしょう?特に、フランスに大勢のイスラーム教徒難民が一気に定住することになったら?
フランス社会では、イスラム以外の宗教者は、皆公共の場では自分の宗教をもちださないライシテのルールを守っています。でも、イスラム教徒は少しずつ、じわじわと、あちこちで自分たちのやり方を、非イスラーム教徒も巻き添えにするような形で例外を獲得しています(ハラル食の要求とか)。
すでにフランスに住んでいるイスラム系住民を取り囲む問題が山積しているのに、さらにフランス語も話せない、すぐに職業につけず福祉に頼らざるを得ないイスラム人口が膨らんだら、どうなるのでしょう?反社会組織(犯罪系、過激宗教系、テロ系)が彼らを取り込もうと動き出すのは当然ではないでしょうか?人数が大きくなることで大胆になり、フランスの共和国的価値観を脅かすことにはならないのかと?
キリスト者がキリスト教的価値観により行動することで、長期的にはヨーロッパのキリスト教的基盤(さらにはそこから派生した人道主義的人権思想、男女同権などの価値観)が崩壊するという最悪のシナリオが頭をかすめます。ご意見いただけましたら幸いです。(*以上のようなことを書きましたが、当方決して国民戦線支持派ではありません。)