迷える大羊 · 2010-12-24 20:14:22 UTC+9 · 投稿 #558
うーん、そうですか。じゃあ、例のコミックス・コードは近年、緩和されてきているんですかねぇ?でも、私も含めて、やっぱり、アメコミっていうと単純明快、勧善懲悪なスーパーヒーローものしか思い浮かべられない現況は残念ですよね。
しかし、いくら保守的な50年代とはいえ、よくあんな、最近の日本の都条例どころでない悪法がまがりなりにも民主主義国のアメリカでよく通ったなぁ、って思います。あちらの出版社やマンガ家は抵抗しなかったんでしょうか?なんやねん?アメリカ民主主義批判って?離婚家庭も出せないって?ムチャクチャやん、としか言いようがないんですが。
いや、今の流れからして、そのうち日本も「愛国戦隊大日本」みたいなマンガばっかりになって、「いや~、日本にも昔は多種多様なマンガがあったんですけどねぇ」なんてなつかしむ時代がきたりして・・。
一応、キリスト教に関わりのある身からすると、例のコミックス・コードの成立に関し、キリスト教会がその熱心な推進者だったっていうのもなんとも残念としか・・。イエスのような道徳的過激派、破壊者(当時のユダヤ教会からみて)を開祖としている宗教なのにどうなってるのよ、って感じで。
フランスではさすがにこんなアホな規制話は出なかったようですね。バンド・デシネについては、特別詳しくない私でもメビウスくらいなら知ってます。有名なのは名作SF映画「ブレードランナー」の未来都市、ガジェットのデザインを手がけた人ですよね。あの映画は公開されて4半世紀以上経ちますが、未だに古さを感じないですしね。どちらかというと芸術色が濃く、玄人好みとの印象がありますね、バンドデシネは。
岡田氏とシュダット氏の対談でも触れられていますが、日本マンガの成功はテレビとの連携、融合にうまく成功し、関連商品などで利益を出すシステムを作り上げたことが大きいでしょうね。
Sekko · 2010-12-24 07:21:37 UTC+9 · 投稿 #557
大羊さん、それはあまりに一方的な決め付けですよ。
アメリカには一方で確かにピューリタン的な変な規制がありますが、サブカルチャーの世界では優れたものもたくさんあると思います。
前にどこかで書いたのですが、私はアート・スピーゲルマンのファンですし、名作『マウス』は今検索したら日本でも訳が手に入るようですよ。
フランス語圏のコミックもすぐれたものがいっぱいあります。
昔ながらの大判ハードカバーが今でも主流で値段も高いのですが、その代わり画質も色もきれいでちょっとした美術作品のように長く鑑賞できるものもあるし保存版です。
これについても、日本で『BDベーデー第九の芸術』古永真一(未知谷2940円)という解説書が出ているようです。
素晴らしく哲学的な作品もあります。思想的、政治的、社会的なテーマのものは優れたものも多いです。ナンセンスものやアフォリズム的なものも味があります。古典もけっこうコミック化しています。
ただ、言えるのは、BDのフランス人が日本のマンガの訳を読むより、日本のコミックで過飽和している日本人がフランスのBDの訳を読むのはずっと敷居が高いでしょうね。コストの関係もあるし。
日本のコミック作家でフランスのBDの影響を強く受けた人もいますよ。少なくともフランスではそう言ってます。それは谷口ジローさんで、彼の『遥かな町へ』を実写映画化したベルギー映画は最近公開されて私も見ました。『犬を飼う』などの単行本も私は数冊フランス語訳をフランス人が貸してくれたので読みましたよ。まあ私はもともとビッグコミック・オリジナル系を読み続けているので、なじみがあり、フランスの影響は特に感じなかったんですけれど。
質と量とジャンルと創作人口を平均したらまあ日本がコミック大国(?)なのは間違いないと思いますが、どの国にもすぐれた作家はいて、普遍性も持っていると私は思いますよ。
日本であまりはやらなくていまいちなのは「一こまマンガ」かもしれません。なぜでしょう。
そのごくごく一端とはいえ、日仏英語のコミックに直接触れることのできる私はラッキーです。
迷える大羊 · 2010-12-23 10:38:35 UTC+9 · 投稿 #556
っていえば、極彩色でマッチョな男がへんし~ん。悪党どもをすぽぽーん、とやっつけて、みたいなのを思い浮かべる、っていうか、そんなのばっかり、といった印象があります。子供向けなのかもしれないけど、今時、そんなヒネリのない話、誰が読むんだ?てな感じで。
それにしても、疑問に思うのは、アメリカ人ってそんなに単純な人たちばかりなの?ってこと。そんなことはないわけで、小説とか実写映画、ITの分野では独創的な面白いものをいろいろ出しているのに、なぜ、コミックはああなのか?
それにはちゃんと理由がありました。
元ネタはアメリカ人のマンガ研究家のフレデリック・シュダット氏と大阪芸大講師、岡田氏との対談です。以下長いですが、その抜粋。
http://www.netcity.or.jp/OTAKU/okada/library/books/otakusemi/No5.html 『岡田 四〇年代・五〇年代の黄金期はアメリカでもいろんな種類のまんがが出ていて発行部数も多かったみたいですけど、その当時は人口の三、四パーセントしか読んでいないなんてことはなかったんですよね。
ショット ええ。現在と比べて出版社の数も多かったですね。
岡田 それだけ盛んだったのが、なんで現在みたいに人口の数パーセントしか読まないようなものになってしまったんでしょう。それにジャンルも、昔は豊富だったのにいまでは「マッチョが悪人倒してスポポ~ン」という形式に収まってしまったのも不思議なんですが。
ショット アメコミが廃れていった背景ですね。そのひとつとして、五〇年代の保守的な社会風潮があったんです。まだアメリカでもテレビが本格的に普及していなかった頃の話なんですが、現在「テレビが子供に悪影響を与えている」というのと同じ論調で、「まんがは子供の教育に悪い」ということがよく言われていたんですよ。たしかにホラーコミックなどかなり残酷な描写をしているものが流行っていたんですが、それらをPTAや政治団体、教会などが厳しく叩いていたんです。その運動は連邦政府にプレッシャーをかけるほど大きなもので、アメリカ上院の某委員会で「まんがは青少年を非行の道へ導く」というようなことが論じられてしまい、それで出版社サイドがビビってしまったんですね。プレッシャーから自主検閲制度を開始したわけです。その自主規制の内容なんですけど、現在のアメコミでもよく表紙に「Comics Code Authority」という表記が入っていることがあります。このコードはひじょうに細かい部分まで規制しているんですよ。たとえば離婚した夫婦を描いてはいけないし、裁判官や警察官を悪く描くのもダメ。アメリカ民主主義への批判もダメなんです。
岡田 離婚家庭を描いてはいけないってのは、かなり厳しいですよね。
ショット かなりキツいですね。離婚家庭がダメだというだけでもう、まんがとして表現できるテーマや内容がかなりの制限を受けてしまいますし。
岡田 そうすると主人公の家はどこも健全な両親がいて……。
ショット もう「善良市民万歳!」という感じで(笑)。そんな状況でしたから、どうしてもスーパーヒーローを描くしかなかったんですね。
岡田 なるほどね。スーパーヒーローしか描けませんよ、実際。なんで敵キャラたちが悪いことをするのかという必然性についても、「それは貧困が悪いからだ」なんて言えませんし。そうなると「アメリカに貧困なんてあってはならない。だからよその国の貧困にしよう。いや、いっそよその惑星の貧困にしてしまおう」という具合になっちゃいますから。
ショット そうなんです。どうしても勧善懲悪の単純なテーマになりがちで、そのためコミックスコード実施後はどの出版社も発行部数が急激に落ちて、つぎつぎに潰れていったんですよ。もう恋愛モノもホラーコミックも出せなくなってしまって、最後に残ったのがスーパーヒーローものだったんです。 』
対談中にもあるように、離婚家庭描くのも×、アメリカ民主主義批判も×、暴力、性描写ももちろん×、裁判官、警察官を悪く描くの×、み~んな「青少年の健全な育成」に悪いから、って何を描けというんだ~って感じですね。なんだか、マンガ好きとしては聞いているだけでゾッとするような話ですが、なるほどね、それじゃ廃れるのも納得です。
ところで、フランスのバンド・デシネについてはどうなんでしょう?こんな規制が議論された時代があったんでしょうか?みたところ、アメコミほどひどくはないようですが。
迷える大羊 · 2010-10-11 23:14:35 UTC+9 · 投稿 #555
制服、というと僕らの頃はオシャレの対象、という感覚は間違ってもなく(実際、今の制服とは比べ物にならないくらいダサイのが多かった)、「管理教育の象徴」みたいなネガティブなイメージの取られ方をすることが多かったような記憶があります。女子にも男子にも制服を改造して自己主張をする輩もいましたが、それはオシャレではなく、「反抗」の意味合いが濃厚でしたし。たまに私服の学校があると「えらいリベラルやねぇ」と驚いてました(はっきりいって偏差値の高い学校です)。
今は制服にそんなネガティブなイメージを持つ中高生はほとんどおらず、むしろ、制服のカッコ良さで学校を選んだり、学校側も学校側で少子化もあって如何にファッショナブルな制服で生徒を集めるか?に気を使っていたりするのですから、世の中変わったものです。
原宿にはなんと学校の制服、というか制服風のファッションをウリにするお店まであるのですから驚きます。
英国の学校文化は感覚的に日本に近いものがあるのかもしれませんね。名門校限定とはいえ、制服があって、その「オシャレ」をめぐって父兄・教師と生徒の攻防が繰り広げられたりなんて、日本でもよくあること。
>女子高生という年代を強調しながら足を出している、というのが戦略的になるような文化が日本にあるような
それはありますね。彼女たちにしたって制服以外の私服ではあんなに足を露出させてませんし、卒業してからの服装もそう・・。あの年代、あのシチュエーションだけのファッションと心得てやってますね。
>もちろんパリとその近郊だけですが、ジーンズ系が圧倒的に多いです
そうですね、私が知る限りでもその(ファッションの本場みたいな)イメージとは裏腹にフランスの一般人は地味で真面目そうな人が多い感じですね。日本人の方がよほどオシャレ、悪く言えば華美に走っているような・・。冷静に考えれば、毎日のようにシャネルだのジバンシーだのを身につけ、ミシュランで紹介されるようなレストランで飲み食いしてれば財布が持つわけがないんであって、論理的に考えればわかることなんですが、刷り込まれたイメージ、ステレオタイプは根強いものがありますねぇ。
Sekko · 2010-10-10 22:28:04 UTC+9 · 投稿 #554
私はこちらでもう何十年も音楽の個人レッスンをしてるので、中学高校生の女の子を連続してウォッチングしていますが、全体にいえることは、もちろんパリとその近郊だけですが、ジーンズ系が圧倒的に多いです。
リセで教えていたこともありましたが、基本はジーンズ系。高校生ですごいミニスカートをはいてる子もいましたが、そういう子は化粧も濃く、「女子高生」を売り物にしているというよりは、本人は「女」を売りにしてる感じです。
日本の女子高生には知り合いがいないので何とも言えませんが、町で見る限り、女子高生という年代を強調しながら足を出している、というのが戦略的になるような文化が日本にあるような気がしました。
一つには「女子高生=15-18歳くらい」という含意が日本では成立するからでしょう。フランスでは飛び級も落第も多いから、「13-20」歳くらい、いろいろです。大学生系も、女の子はジーンズ系がほとんどで、セクシーにしたい子は「大人の女」系を狙うので、やはり、「セクシーで若くて」のアンバランスとかをねらう場合はすごく少ないと思います。
前にどこかに書きましたが、何年か前、ハンガリーで行われたある国際医学会で、東欧系の女子学生や若い女医はみな胸のあいた服やミニスカートで発表するので、フランス人はすごく驚き、男性は目のやり場がないと言っていました。彼女らはフランスなどのモード雑誌を見てフランス女性はそういう恰好なのかと思っているのかもしれない、と言っていました。
学会で発表するフランス女性は、若いほど、黒いパンツスーツとかがほとんどです。フランスの女性研究者も、ある年配を超えて、地位も確立すると、これはまた、ミニスカートに真赤なタイツみたいなかっこうでも違和感がなくなります。
大人は自由におしゃれし、若い子はセクシーな大人に見せようとするか、セクシーさを封印するかの両極端に分かれるかなあ、という感じですね。
迷える大羊 · 2010-10-10 21:05:49 UTC+9 · 投稿 #553
いつぞや、アニメ、マンガの話に絡んで、最近、というか90年代以降の日本の女子高生の制服に対し、
「日本の女子高生の超ミニスカートとかはマンガの世界だけのものかと思っていたら、日本で、実際に普通に町を歩いてるのを見て驚いたことがあります。信じられないです。自分がそういう時代に女子高生じゃなくてよかったし、そんな日本で娘たちがそういう格好をしてるのも信じられません」
とお嘆きになられていたと思いますが、これ、どうも、日本だけの話じゃないみたいですね。
日本のサブカルと関係なく、英国でも同様の現象があるようで、とある伝統校では、足を露出しすぎたスカートをよしとせず、生徒や保護者と論議の末に、全員ズボン着用でスカートを禁止してしまったそうです。
短いスカートをおしゃれと思い楽しみたい生徒、苦々しく眺める保護者と教師という構図は日本と全く同じで笑ってしまいました。元記事はこれ。
http://www.dailymail.co.uk/news/article-1213664/Secondary-school-bans-skirts-claiming-girls-hitching-hems-boys-attention.html 英国ウェスト・ヨークシャー州にあるビングリー・グラマースクールは1529年に創立し、11歳~18歳の男女6学年、1900人が在籍する名門校。
学校側は女子生徒たちのスカートがを短く、足をさらすことで男子の注目を浴び過ぎるとして、保護者や生徒と1年にわたる協議の末に全員ズボン着用とした。
のだそうです。もちろん、生徒側の反発はあったそうですが、
「もともと同校ではスカートとズボンの選択制だったために、しぶしぶながらも受け入れられた」んだそうな。
学校側によると、オシャレは成長過程において自然なことではあるが、競い合うようにスカートを短くするようになっていたため、地域や保護者からのクレームが大きかったとのことです。
もちろん今も反発はあり、男の子みたいなズボンは嬉しくない、ファッションを楽しみたいと思っている女生徒は少なくなく、保護者にもこの決定に失望している人はいるようです。
まあ、40代以下の親ですと自分たちも散々その手の「ファッション」を楽しんだ人も多いでしょうし、いくらなんでもズボンはやりすぎじゃ?と思っちゃいました。
思わず日本に留学すれば?と不埒なアドバイスをしてしまいたくなりました・・、と冗談半分に思っていたら、東京都内で電車に乗っているとたま~にですが、日本の高校に留学していると思われる欧米系の女子高生を見かけることがあるんですよね、もちろん、日本の女子高生と同じ制服着て・・。そんなに高頻度で見かけたわけではありませんが、一度や二度ではなかったことは確か。まさか、実行している?(笑)
だから何?と言われると困るんですが、まあ、どこの国も十代から二十歳そこそこの子たちが考えることなんて同じだなぁ、と。SEKKO先生がおっしゃる通り、最近の「文化の違い」というものは、国より世代の差が大きいのかもしれないな、と思う次第・・。
成瀬和之 · 2010-09-23 16:42:45 UTC+9 · 投稿 #552
3年生のクラスメートの康宗憲が本を出しました。「死刑台から教壇へ」(副題:私が体験した韓国現代史、角川学芸出版、1700円税別)です。読んでみて下さい。もし郵送する方がよいのなら手元にありますので今日にでもお送り出来ますが、もちろん書店でも購入できます。
Sekko · 2010-09-19 01:00:59 UTC+9 · 投稿 #551
仙酔島って、すてきですね。そのあたりはまったく知りません。ダンサーの湯浅さんが運転なさるので連れて行ってもらう候補地にします。
二年前に直島に行ったとき、岡山が大阪から近いので驚きました。まあ、直島はそこからがまたけっこう遠かったですが。
これまでそのあたりのフランス人ご用達の観光は宮島、広島ばかりでした。
メンバーは宮崎ファンなので仙酔島はツボかもです。
成瀬和之 · 2010-09-18 06:38:41 UTC+9 · 投稿 #550
岡山と言えば、新幹線の各駅停車で広島方面へ向かうと次は福山です。福山からバスで約1時間で「鞆の浦」につきます。宮崎駿の「崖の上のポニョ」の撮影舞台です。絶景です。そこに「仙酔島」(仙人があまりの景色の美しさに酔っぱらって島になってしまった)があります。人の少ない午前中が素敵です。いつか機会があればお連れしたい場所です。
25日午後の「伏見稲荷」などご一緒させてください。「学生の街」京都ではカレーライスが似合うかも。
Sekko · 2010-09-18 02:58:21 UTC+9 · 投稿 #549
なるほど、観光シーズンですものね。
だから、あまり遠出をしないで、駅の近辺にとどまろうと思います。25日午後は、外人受けする「伏見稲荷」とかを考えています。そして翌日は、前回奈良に行っていないので、日帰りで奈良公園や大仏かなあと。まあ、メンバーへのサービスなので単純なところになると思います。
岡山ではダンサーの湯浅さんが地元の方なので案内してくれますので、少し観光できますし。
お申し出ありがとうございました。いつかゆっくり回りたいと思います。
成瀬和之 · 2010-09-17 23:56:13 UTC+9 · 投稿 #548
メールは無事届きましたか?
成瀬和之 · 2010-09-17 23:54:42 UTC+9 · 投稿 #547
10月25日(月)は午後から後半休が取れます。退職前半年は案外時間休が取りやすいです。まずは、風神雷神図の臨済宗本山」の建仁寺、法然上人、平清盛ゆかり六波羅蜜寺はいかがでしょう?祇園の近くでアクセスが容易です。何せ、10月下旬から12月上旬の紅葉の京都は人だらけですから車は避けた方が無難です。その他、リクエストがあればおっしゃってください。市バスの中で「日本に京都があってよかった」というキャッチコピーを目にしました。本当に京都は「日本のふるさと」という気がします。京都にはご案内したいところが山ほどあります。私の最寄りの新大阪駅からは岡山は1時間で行けます。岡山のコンサートに参加させていただきます。
迷える大羊 · 2010-08-02 22:09:13 UTC+9 · 投稿 #546
>少年週刊誌や少女週刊誌の創刊も全部体験
いやはや、それは羨ましい限り。私の見る限り、海外で人気のある日本マンガは集英社の「少年ジャンプ」系のものが多いですね。ドラゴンボール、デスノート、ワンピース・・etc。まあ、私としては、「ナニワ金融道」とか「課長・島耕作」みたいな大人向けのマンガももっと知られてくれないかな?と思ったりしますが。
>フランスのハードカバーBDは美術的に優れていると思いますし、基本的に保存版です。日本のマンガが広まっても、別路線ですみ分けてます
なるほど。最近、フランスのメディアが一頃のようなヒステリックなアニメ・マンガ叩きをしなくなった背景にはこういう事情もあるんですね。しかし、フランスのTV番組を動画サイトでみたんですが、フランスって世界第二位のマンガ消費国なんですってね(一位はもちろん日本)。意外でした。
>「輸出向け」を考えなくてもすんだどころか、海外に追従することも、ハクをつける、っていう必要もなく、すごく独自で日本的な特殊性が自然な形で出ていて、その「本物らしさ」が、「特殊が普遍につながる」
最近、日本の評論家たちは、例えば、規格が世界で主流の規格を採用せず、世界シェアが低い日本の携帯電話を取り上げて「ガラパゴス」と称し、「だから、日本はダメなんだ、もっとグローバルに・・」なんていうんですけれども、私個人はホントかな?と思ったりします。
グローバルとか「世界標準」っていうと聞こえはいいけど、それってどこの国でやっても作っても同じ、ってことを意味するわけで・・。それだと、必然的に人件費が日本の10分の1、20分の1とかいう国の製造業と競争する羽目になるわけで、行き着く先は国内製造業の空洞化、デフレ(現にそうなってる)なわけで。
よく考えれば、世界的に高く評価される日本の技術とかコンテンツ、例えば新幹線とかハイブリッドカーとかウォシュレットにしても、別に「グローバル」市場だとか「外国人」を意識して、開発、販売されたわけじゃないですよね。あくまで、日本の市場の都合で開発され競争により、磨き上げられたものが結果として世界で通用しているわけで。
アニメ・マンガについても全く同じ。「グローバル」とか「国際化」(その実、英米基準に合わせて)なんていって、ディズニーとかアメコミの出来損ないみたいなものを作っていたら、到底、現在のような高評価は得られなかったでしょうね。世界で競争力をもてる(すなわち高く売れる)コンテンツ、製品、サービスは必然的に「ガラパゴス」になるものなんじゃないの?なぜなら、それらのコンテンツ、製品、サービスは「他の国には存在しない」から・・。
だと思うんですけどね、私個人は。とにかく、私にとって日本のメディアとかそこに登場する文化人、評論家のいう「国際化」だとか「グローバル化」なんて類のセリフは、どうにも安っぽく、軽く聞こえてしょうがないんですが・・。フランスなんかですと、私と同じような考えを持つ人間は多そうに思えますが、どうですかね?
sekko · 2010-08-02 12:08:12 UTC+9 · 投稿 #545
私はたとえば日本のコミック雑誌を小さいときから読んできた世代です。貸本漫画もずいぶん読みましたが、少年週刊誌や少女週刊誌の創刊も全部体験しました。自分でもせっせと描いてきました。(そのスキルのおかげで今でもフランス人に尊敬の目で見られます)
日本のマンガはレベルが高く、同様のものは見つかりません。フランスのハードカバーBDは美術的に優れていると思いますし、基本的に保存版です。日本のマンガが広まっても、別路線ですみ分けてます。BD作家を目指すのは、いわゆるメチエの系譜上にあり、ハードルは高く、裾野も狭いです。
でも、フランスでも、日本風マンガは、今は子供たちも描き始めています。イラストレーターが絵入りブログを始めて書籍化されるというのも始まっています。今までならこちらでさかんな「ひとコマ諷刺マンガ家」になろうとしていた人の一部分は日本風マンガに向かうでしょう。
これだけ日本のマンガのレベルが上がったのは、ビジネスとして成り立つからで、裾野が広いこともありますし、もっと言うと、週刊誌や隔週間誌で何十年と休みなく連載というケースがあるように、製作現場が工房化していて、作者もアシスタントもフランスではありえないような労働時間をこなしているからでしょう。
そして、それをペイするだけの国内市場があるので、「輸出向け」を考えなくてもすんだどころか、海外に追従することも、ハクをつける、っていう必要もなく、すごく独自で日本的な特殊性が自然な形で出ていて、その「本物らしさ」が、「特殊が普遍につながる」ということで、多くの人の心をとらえたと思います。
まあ、フランスの場合は、若者がマニアックな方に走りたくても、「大人の文化の壁」が結構厚く立ちはだかっているので、日本のオタクカルチャーの中に、新しい地平を見出したのはあるでしょうね。キワ物も含めて。
注目したいのは、日本でも一昔前までは、マンガだとかアニメだとかは、大人になると「卒業する」もので、世代別のすみわけがあったのに今はありませんよね。フランスも、そろそろ、日本風マンガで育った世代が、大人になってもずっとそれを抱えて発展させていってる傾向が生れています。
30年位前、日本の映画は面白いものが少ないと思いました。でも今はコミック原作ものも続々あるし、映画もコミックの手法やスタイルに影響されて、面白くなってると思います。選択肢が多いこと、いろんな分野やいろんな国の感性が影響しあって行くことは、わくわくします。、
迷える大羊 · 2010-08-01 23:02:49 UTC+9 · 投稿 #544
最近、オタク文化絡みの話が多くて、申し訳ないな、と思いつつ・・。以前から、ここ十数年位のアニメ・マンガを中心とした日本のオタクカルチャーの世界への広がり(あくまで、サブカルチャーではあるものの)は驚かされることが多く、実際、日本にいてもオタクの聖地(?)秋葉原を歩けば、世界中の国々からの観光客(巡礼者?)を見かけることができます。ネットをのぞくと、日本で放送された人気アニメ番組は数日もしないうちに英語、ドイツ語、中文、スペイン語・・と世界中の言語の字幕がついた、いわゆる「FANSUB」「FANDUB」動画で溢れかえります。
なぜ、私がこの日本のオタク文化の国際的広がりに興味を感じるか?というとそこに強烈な皮肉を感じるからです。日本のいわゆる文化人、クリエーターたちは西欧に受け入れられることを芸術や知的営みの到達点としてきましたね。海外で賞を取るとハクがつくし、えらくなりますし。
一昔前まではミュージシャンなんかは国内での販売促進活動の話題作りのためだけでアメリカでCD出して、売れてもいないのに「全米で大ヒット」と宣伝したりして。
また、メディアも三船敏郎氏とか坂本龍一氏などに「世界のミフネ」とか「世界のサカモト」なんて手垢のついた、一体、いつのセンスだよ?といいたくなるような、なんとも恥ずかしい表現を使って紹介したがりますし・・。
世界=欧米で売れる、賞を取る。それが日本ではステイタスとなるわけです。これがアフリカのなんたらとかいう国で大人気、というのではハクがつかないわけです。
そんな中、多くの日本人、中高年は「いい歳した奴がこんなものに夢中になるようでは日本も終わり」などといい、若者は若者で「暗い、ダサイ、カッコ悪い」と思っている、アニメを筆頭とするオタク文化が売り込みらしい売り込みをほとんどかけていないのに、ほぼ世界中に浸透してしまったという構図がなんとも痛快というか、笑ってしまいたくなるというか・・・。
日本人、特に文化人は「国際化」とか「国際人」という言葉が大好きですが、こともあろうに、これまで、暗い、ダサイ、いい歳して、と見下していたアニメ・マンガをはじめとするオタク・カルチャーが実質的に日本の現代文化の中で最も「国際化」されている状況はもう喜劇としかいいようがないです。
逆に日本の「ふつー」の音楽、文学、映画の海外での人気はイマイチ(個別にみれば人気があるものもありますが・・)。先日も職場のウィグル人(日本にもいるんです)と飲んで話したのですが、彼も日本のアニメ・マンガを絶賛する一方で、「フツー」の日本のTVドラマ、映画は「あんまり面白くない」とはっきりいっておりました。
どうしてこういうことになるんでしょうね?海外在住の視点からみて、どうしてオタク・カルチャー(決してメインにはなれないものの)がこれだけの世界的普遍性をもち、その他の現代日本文化がイマイチな原因って何か思い当たりますか?
もちろん、すべてのマンガやアニメがフツウの小説・映画より高尚、なんていうつもりはまったくないですし、また、すべてのオタクが素晴らしい存在だ、なんていうつもりも全くないのですが。
Sekko · 2010-07-06 08:50:03 UTC+9 · 投稿 #543
ようやく新しいサイトができました。まだ工事中の部分もありますが、このサイトの記録はほとんど残します。新刊のお知らせもあります。
この掲示板にはForum3というところからいままでどおりリンクできますので引き続きお使いください。 新しいアドレスは
http://setukotakeshita.com/ です。
まい · 2010-05-22 05:23:50 UTC+9 · 投稿 #542
布はけっこう近くまでいけましたし、布の前で5分間ほど祈ったり鑑賞する時間をいただけました。聖骸布の男という御本、アマゾンで検索してみました。ガエタノコンプリ神父が監修された本ですよね。とても面白そうですね。早速オーダーしてみます。ありがとうございました。
Sekko · 2010-05-21 22:41:56 UTC+9 · 投稿 #541
いいですね。私も今回はぜひ見に行こうと思っていたんですが、あきらめて、でも、ケース越しに遠くから止まらないで見るだけなら私は目が悪いしあまり意味がないかなあと思ってたんですが、ぼやけた感じがかえって本物って雰囲気もあるんですね。私は、聖骸布は一世紀のものだと思います。
前に講談社から『聖骸布の男』というのを出して、実物大の精密写真を付録に付けたんですが、私は実物大コピーをなめるように見た時にはじめて、これは尋常じゃないなあと思いました。「母の視点」で考えたことはなかったですが、なまなましい「息子の遺品」なんて見たくないです。あれだけの出血と暴力の後での復活の姿がどうなってたのかを考えるだけで怖いし。ルルドはその点生々しさがないので落ち着きます。いつかどうぞ。
まい · 2010-05-20 06:29:12 UTC+9 · 投稿 #540
昨日トリノの布を見に行ってきました。ネットで拝観の予約をしていったのにもかかわらず、1キロ前後の巡礼ルートを90分かけてゆっくいゆっくりすすみ、ものすごい人でした。単なるシミ? ってかんじのぼやけたかんじがかえって本物、って思わせぶりでした。キリストの時代のものではなくとも、13世紀になぜ写真のネガの様な技術があったのかそれはとっても不思議です。いばらの冠や鞭、釘のサンプルも展示してあって、半信半疑でいったのにも関わらず、イエス様がおうけになったであろう苦しみと母マリアが我が子の傷ついた体をみて思った悲しみは伝わってきました。
キリスト教の不思議ストーリーはけっこうはまりますね。今度はルルドにいってみたいです。
Sekko · 2010-03-11 21:48:32 UTC+9 · 投稿 #539
今日、ハイチから救助と治安にあたっていた米軍が引き上げたというニュースを聞きました。後二ヶ月したら今度はハリケーンのシーズンだそうです。
政府はあってなきがごとしだし、救援物資は一部の人の私有物になったり、アメリカのような大国のすぐそばにこんな国があること自体ショックです。この国のこんなシーンでは、ほんとうにカトリック系の援助組織に期待したいです。あるいは基盤のしっかりした中立的なNGOの活躍を。私はフランス財団のハイチ支援に一応協力しましたが、周りにもハイチの子供を養子にした知り合いが何人かいるのでいろいろ考えさせられます。
まい · 2010-03-03 07:10:33 UTC+9 · 投稿 #538
前回Iさんのご冥福をお祈りするメールをうったあと、ハイチに出張、今日帰ってきました。まだおしゃべりルームが続いていて良かったです。大地震の爪痕は本当に想像を絶するもので現地で感じたことを消化するのにだいぶ時間がかかりそうです。でも竹下先生がも一つのブログで書かれておられたハイチ人のパラレルワールドの感覚は知っておいて良かったです。天災、人災と不幸が続いてばかりのハイチですが、ハイチ人のresilience, というか打たれ強さには本当に頭がさがります。まだ死体がうまっているであろう建物の隣で(がれきの除去にすごい時間がかかっているのです)プラスチックのテントをつくりmesseを行い、人々はなにもかも無くしたのに精一杯着飾って、礼拝にいく、それは美しいし感動的でした。カトリックもプロテスタントの美しい教会軒並みがれきの山と化してて悲しかったですが。ブードウーやアフリカの在来の宗教とキリスト教の融合についてこれからもご教示ください。
marie · 2010-02-25 18:17:51 UTC+9 · 投稿 #537
Pickyさんは、私の親しい若い友人でした。私とは親子以上の年齢差がありますが、常に頼りにできる方でした。フランス語が上手で古都、奈良のフランス語ガイドグループの責任者、フランス語読書会のリーダー、日仏協会の理事でもありました。またパソコンを自由に使いこなし、そのメンテナンスの技術は、専門家なみでした。我が家のPCのメンテは全部、彼女がやつてくれました。PCの買い物まで付き合つてくれました。またゴスペルグループのメンバーで、読書会ではゴスペルも教えてくれました。皆、そtれをとても楽しみにしていました。
彼女は畑仕事も好きな女性で読書会のメンバーのお家に大きな畑があり、常に手伝いにご夫婦でいつていました。週日はお二人とも、会社員で働いていますが、週末はこのように、又多忙な生活をおくつていました。2年半前、子宮がんの診断が下りましたが、その時お腹に赤ちゃんができていました。彼女は手術を回避しました。なんとか赤ちゃんを助けたかつたのでしょう。しかし、赤ちゃんは流れてしまいました。このとき、手術を受けてくれていたら・・と我々はどんなに嘆きましたことか。「手術を受けてよ」とすでに経験のある私は真剣にいいましたが、それが彼女をひどく傷つけることになりました。赤ちゃんのことを私は後でしつたのです。
彼女は私との関係を一時絶ちましたが、竹下先生のお勧めで、また読書会にでてくるようになりました。2009年の1・15に今から思えば、最後の読書会がおこなわれました。その時使つていたのはピツキーさんが選んで竹下先生がプレゼントしてくださつた、エマヌエル・シュミツトの、<Oscar et la dame rose>でした。翻訳では「神様に出した12通の手紙」となつています。末期がんの少年がマダム・ローズの勧めで神様に手紙をかきます。一日は一年で12通書くうちにかれは大人になり、安らかになくなつてゆきました。
ピツキーさんの本当の苦しみは読書会後の激しい腰痛から始まりました。すでに骨転移をおこしていましたが、彼女はぎつくり腰と考えていたようです。
60代のお母様が地方にお父様を一人おいて、看病に奈良にこられました。それから一年間、主に、在宅闘病、歩けなくなり、一時入院で放射腺治療、また自宅療養をくりかえしました。2009年の暮れには一時よくなり、お母様は地方にかえられましたが、今年1月3日、激しい痛みで再入院。私と友人は1・21にお見舞いにゆきました。
すつかり容貌のかわつたピツキーさんを見た時、私達は胸をつかれました。彼女は口もきけなくなつていました。
友人の渡した「不思議のメダイ」を涙してにぎりしめ、最後まで「これで治るんよ、おかあさん」といつていましたとか。1・31、夜中に「窓を開けて・・外に出して・・助けて、助けて・・」といいつづけたといいます。「朝になつたらね」と夫君が声をかけている間に息が止まりました。
彼女の死は、皆の心に大きな痛みをのこしました。われわれはこれから2度にわたり、供養の場を設けております。今、叩いているPCのある部屋に、彼女は200回以上、きていました。この場で12,3名の友人があつまり、それぞれの思いを語ることにいたしました。
遺影の傍に大浦天主堂のマリア像がおかれることになりました。また聖霊のイコンも架けました。この二つは、皆の心を心配して、わざわざ2時間かけて、遠方からきてくださる精神科医の先生がくださつたものです。この先生はピツキーさんをご存知ありません。しかし、先生を知るおおくの友人の苦しみをご存知で話を聞いてくださることになつたのです。
不思議といえば、こんな不思議な出会いはありません。
竹下先生にたいするピツキーさんの信頼は、終生変わりませんでした。先生は彼女の憧れのお方であり、共に仕事をさせてもらいたいと、常に望んでいました。
このサイトの仕事を最後まで、降りる意志はなく、ここに、希望を持ちつづけていたとおもいます。おおくの方々がお悔やみのお言葉を入れてくださいました。私もいれたのですが、うまくはいらなかつたのです。一番、親しかつたのに、何もできなかつた自分を悲しむばかりですが、多くの友人が夜中まで看病にあたつてくれるなど、彼女のまわりには若い、やさしい友人が沢山いました。この人たちとまた、語り合い彼女の供養をしてゆきたいと、おもつております。合掌
迷える大羊 · 2010-02-09 21:14:14 UTC+9 · 投稿 #536
久しぶりにこちらのHPを覗いたら、なんと主催者の方がお亡くなりになっていたとは。表紙のプロフィールでは196X生まれとのこと。まだまだ、全然お若いのに残念でなりません。宗教のことなんて全く考えたことがなかった私が成り行きでキリスト教と関わりをもつことになり、その奥深くも不思議な世界について、いろいろとこちらで語らせていただきました。そんな場を提供していただけたことを感謝する次第です。
ご冥福をお祈りいたします。
juka · 2010-02-09 04:34:47 UTC+9 · 投稿 #535
初めて書き込みます。私もIさん(Pickyさん)のご冥福をお祈りします。お亡くなりになるなんて夢にも思わず、生前に感謝の言葉を伝えられず、非常に残念です。今更ですが、それでも一言、「素敵なサイトを作ってくださってありがとう。安らかにお眠りくださいね。」
先生の今後のサイト運営については、今のところ、コメントつきのブログにするくらいしか思いつきません。妙案が浮かんだら書き込みます。
朝川 渉 · 2010-02-05 23:43:41 UTC+9 · 投稿 #534
1998年にフランスのテレビで「モンテ・クリスト伯」が放映されたそうで、そのDVD版を先日買いました。主演はジェラール・ドパルデューという役者さん。これがとても気に入ったので、ご報告のためにこの掲示板をみたら、Pickyさんは他界されたんですね。突然なことで言葉を失い、おどろいています。
実際にお会いしたことはありませんが、こちらのサイトは気に入っていました。竹下節子さんという素敵な女性の著書にふれるきっかけにもなりました。
Pickyさんのおかげで竹下さんの本を読み、フランス文化に親しみをもつきっかけを与えてくださいました。地上からは聞こえないかもしれないけど、「ありがとう」とお礼を申しあげます。