2017年の投稿

昨日の演奏会

吉岡 隆 · 2017-10-30 12:28:31 UTC+9 · 投稿 #1003

昨日10/29 信濃町 真生会館 2h pm (バロック音楽童話の実演)
鑑賞してきました。美しかったです。あまり心地よくて、夢うつつになってしまいました。
童話の場面に対する音楽が私自身の感性とはちがうなぁという部分もありましたが
素晴らしいひと時を過ごさせて頂きました。
次の機会を楽しみにしております。

吉岡

Sekkoさま

小寄道 · 2017-10-22 21:36:37 UTC+9 · 投稿 #1002

「双」ギャラリーでは、至福の時間を過ごすことができました。初めての生のバロック音楽に魅了されました。特に2部では、音楽童話に使うバロックは楽しさを感じたくらいです。子供に近い、音楽の理解力なんでしょうか。
クラシックに馴染みがなかったこんな私ですが、演奏の感想などブログに書きました。単に印象を書いただけで、竹下さんにとって何の参考にもならないと思いますが・・。

それと、一連のミーハーチックな私のふるまい、失礼をおかけしたかと思います。日本女性における最高の知性・感性を具現化する方だと私は思っていますので、どうかお許しください。

モノを書き、音楽もなさる方をリスペクトしてやまないのです。どうか、日本での公演が充実したものに、かつトリオの皆さんと共に素晴らしい滞在、ご旅行になりますことを切に祈っております。

(無題)

水蓮 · 2017-10-21 01:10:11 UTC+9 · 投稿 #1001

日本にいらっしゃったのですか!
「竹下ファン」としては、スケジュール見落としておりました!
コンサートが成功しますように!

水蓮さま

sekko · 2017-10-21 00:26:59 UTC+9 · 投稿 #1000

確かに日本語で良い人間とか、良い社会人とか言われると、世間とか、人様に迷惑をかけない、というのを連想しますね。同調圧力というのは、少なくとも初期のキリスト者たちがラディカル に否定したものでした。
明日日本での最初のコンサートなのでまた落ち着いたらゆっくりおしゃべりしますね。

キリスト教は「宗教」ではない、のブログ記事に関連して

水蓮 · 2017-10-20 19:24:29 UTC+9 · 投稿 #999

竹下先生、お久しぶりです。最後にここに書き込みして以来、先生と「おしゃべり」してみたい世界各地とフランス社会などでの出来事など、何度もあったものの、忙しさやらタイミングの悪さで今日までできませんでした。

今日やっと、ご著書「キリスト教は…」のご紹介記事にでてくる、以下の文章について「おしゃべり」できたらと思います。

>>>まず良い人間であるよう努力し、次に社会人としての責任を果たすことがカトリック信者の物差しで「良き信者」になることに優先する、というものだ。>>>

これは私は当初かなり納得して、「そうそう、これこれ。これこそが本来のキリスト教徒的(カトリック信者的)姿~」なんて考えていたものの、いろいろと考えているうちに、何でも話し合える友人たち(宗教ばなれした文化的にはキリスト教の欧米人たち)と私のあいだでときどき話題にするテーマと関連していることに気付きました。

つまり、「良き信者」である前に「良き人間」「良き社会人」であれ、というときの、何を持って「良き人間」「良き社会人」であるかを決める規準が、実は、そもそもキリスト教的価値観が起源であり、この考え方が特にうまくいくのはキリスト教の歴史が長い場所(つまり、単純に言えば欧米)においてではないか、ということです。(脱線:このお話しで、「良き社会人」という言い方にもちょっとこだわります…「良き市民」でないところが、日本的かな~なんて…)

日本に住んでいたとき、キリスト教的価値観にもとづく「良き人間」「良き社会人」であろうとすると、うまくいかないことがよくありました。人に親切にするとか、助け合うというような話だけではなく、社会正義とか人権問題とか、ねたみ心、赦し、のようなちょっとヤヤコシイ(?)話になったときです。死刑制度反対の立場を知られると、一部の人からは(被害者の遺族に対して)血も涙もない非常識人間扱いでした。

欧米人の友人たちと話題になるのは、宗教性を本当に完全に排除した道徳・倫理教育は可能か?ということですが、結局「我々」(キリスト教価値観を共有する者)が世俗的に道徳的、倫理的と認識するものも、もとをたどればキリスト教精神から出てるよね…という話になります。

ここからは、おそらく、「でも、そのキリスト教価値観と同じものが他の宗教や思想と共通のものなんです」という話になると思うのですが、もちろん一番肝心なところではその通りなんでしょうが、日常生活レベルでは、かなり違いが生まれます。各地の文化や政治体制の影響もありますし…。

話がゴチャゴチャしてきました…すみません。「おしゃべり」なので、おゆるしを。(おそらくご著書を拝読するべきなのでしょうが…。)

小寄道さま

sekko · 2017-10-15 00:51:45 UTC+9 · 投稿 #998

>>>ご友人は、ロレンソに心酔されている方なのでしょうね<<<

いえ、ご家族に片目失明者がいらっしゃって差別に抗議なさっている方です。信仰を持っていらっしゃる方だということもあって、エールを送るため、ロレンソのようなすごい人のことを知ってほしかったのです。

三つの疑問、

1.宣教師乃至司教によっては、ポルトガル貿易商人と連携することによって布教活動を円滑にした事例がある。
2.切支丹禁止令後、3代家光の時代初期まではそれほど厳しい取り締まりはなかった。が、九州地区でキリシタン信徒による仏教徒への差別、弾圧があった。それを契機に幕府の締め付けが強化され、島原の乱へと発展した。
3.切支丹大名のなかには、ポルトガル貿易の有利および藩富裕化のために(つまり便宜上)回心した大名がいた。

などですが、どれも一つ一つとしては事実です。
ポルトガル人がもたらした「種子島」の銃器が戦国の戦いの趨勢を変えたように、戦国から安土桃山、江戸初期においては、宣教、政治、軍事、経済がみな有機的に連関しています。

その一つ一つを恣意的に並べるとどんな「陰謀論」でも書けますし、とても複合的なので、そういうことに入り込まないように、ロレンソという傑出した日本人にスポットライトを当てて、初期に改宗した大名や知識人について書きました。
私の伝えたかったのは、今の時代に言われているような、キリスト教は舶来宗教で帝国主義的で日本の風土に合わない云々というような安易な言説を離れて、当時の日本人がいかに「論理」を重んじたのか、その結果改宗したのかという意外性を紹介しました。

もちろんその論理性は、合理性、実利主義にもつながり、権力者の思惑が変わっていったのも理解できます。

古代ギリシャの錚々たる知識人たちが結局キリスト教に改宗されていく不思議と同じですが、その後の展開は変わっていきました。

>>修道会の方も、商社なみのノルマのような縛りが、布教活動にもあったのではないか<<

これは私の知る限りはありません。
彼らの社会は記録社会で膨大な往復書簡が残されていますが、そういうマーケティング発想はなかったようで、あったのは人類学的、民俗学的発想でデータの集積というのは注目されています。
宣教の最前線にいた宣教師たちはむしろ本気で、殉教を意識していました。今の某宗教過激派のジハディストたちと変わらない熱烈な手紙に驚きます。
というか、某宗教もそうでしょうが、そういうタイプの人たちだけが使命感に駆られて出て行ったんでしょうね。
もう16、17世紀ですから、その後のプロテスタントのオランダ人と同じく、たいていの修道士はけっこう現実的だったと思います。日本に関していえばやはり特徴は異文化、エキゾティスムの憧れは昔も今も根強いような…。
ユーラシア大陸の東の果ての島国って立ち位置が、よくもわるくも、ほんとに特別だなあ、と日本を離れて暮らす私も思います。

Sekkoさま

小寄道 · 2017-10-14 22:25:43 UTC+9 · 投稿 #997

⇒ それでも「片目の聖徒」を残したのは、「片目失明者友の会」を支援している友人へのメッセージを込めたかったからです。

ブログに再録されたイルマン・ロレンソのエピソードを拝読しました。やはり、なにか特別のご事情があったのですね。若干、あのロレンソあたりの箇所が文脈からして、筆致が変化したように思いました。
上記の「片目失明者友の会」のご友人は、ロレンソに心酔されている方なのでしょうね。

当時は、布教がそれほど軋轢のない時代だったとはいえ、山田庄左衛門、結城忠正、清原外記らのキーパーソン、それも名うての仏教知識人を回心させたのですから、ロレンソのキリスト教の知識はもちろん、仏教、禅宗の僧ほどの教養をもっていたんですね。これはこれで興味深いエピソードでした。

ただ、ご著書の第4章「宣教師たちのキリスト教」のところでは、2,3の疑問を抱えながら読んだことをご報告します。

1.宣教師乃至司教によっては、ポルトガル貿易商人と連携することによって布教活動を円滑にした事例がある。
2.切支丹禁止令後、3代家光の時代初期まではそれほど厳しい取り締まりはなかった。が、九州地区でキリシタン信徒による仏教徒への差別、弾圧があった。それを契機に幕府の締め付けが強化され、島原の乱へと発展した。
3.切支丹大名のなかには、ポルトガル貿易の有利および藩富裕化のために(つまり便宜上)回心した大名がいた。

以上のことがらは、図書館で借りた山本博文氏「殉教」という新書(光文社?)で書かれていたことです。これら要因がかさなって、実質的な鎖国に至ったのであると書かれていました。
家光の過酷な弾圧も、庶民を檀家制度で管理していた寺・神社に対して切支丹教徒が反乱を起こした。それが家光の逆鱗にふれたのだ、と。オランダを選んだのも、貿易が「布教」とセットでないことが一番の理由から。
また、修道会の方も、商社なみのノルマのような縛りが、布教活動にもあったのではないかと、山本氏の著書に書かれていました。当時、東大の史料編纂所の教授でしたから、一級資料を読み込み、それなりの裏付けがある新説であると理解しましたが・・。どう、思われます?

以上、「殉教」が手元にないので確認できませんが、その史実(?)に強く印象に残っています。参考までにということで、コメントに書き置きます。

Sekkoさま

小寄道 · 2017-10-14 01:52:55 UTC+9 · 投稿 #996

僭越ながら、私も「キリスト教は『宗教』ではない」の感想をブログに書きました。お暇な時にご高覧ください。(小寄道:http://blog.goo.ne.jp/koyorin55
相当な知の刺激を受けました。その影響下の熱で書いたゆえに、構文もぎくしゃくしているかもしれません。素人の論評ということでお目こぼしを。また、間違い、失礼なことが書かれていたとしたらご指摘ください。
ロレンソ了斎について殆ど知らなかったので、ご著書における彼のポジションがあまり理解できませんでした。隠れキリシタン史について、もう少し学ぶべきかもしれませんが・・。

ありがとうございます。

sekko · 2017-10-11 18:05:36 UTC+9 · 投稿 #995

読者の感想、第一号です。感謝します。

私はネットで自分の本についてまったく検索しないので、こうしてご意見を頂けるのは貴重です。

出版社から新刊をフランスに送っていただく頃は次の本のことで忙しく、すぐに手に取ってみることはありません。でも、どなたかにこうして感想をいただいた後ではすぐに本をパラパラと読みます。それで、本当に読者とつながった気がします。
この新書は別のタイトルでキリスト教のガイドブックとして書き始めたのですが、途中で、キリスト教風に言うと突然聖霊が降りてきたというか、内容もタイトルも同時に「降りてきた」のです。
書かされたという感じでした。
カトリック雑誌にエッセイを連載しているのと、10/28,29のコンサートをカトリック真生会館で主催していただけることが決まっていたので多少は「まずいかな?」とも思いましたが、「聖霊」には勝てません。
ところが「キリスト教が分かる本」を依頼してくれていた編集者からは「護教的だ」と指摘を受けてしまいました。(幸い、理解してくださる編集者に恵まれ陽の目をみることができました。)

今は、神、金、革命の三つ巴が姿を変えては超越や普遍価値をいつも「偶像」に落とし込んでしまう人間性のメカニズムとそこからどうしたら抜け出せるかというテーマに取り組んでいます。

その方向で何か新しいネットワークが立ち上げられた時にはどうぞお声をおかけください。私にできることがあればお手伝いします。

10/21,24,25,28,29に日本でコンサートをします。場所と時間のご都合がつけばどうぞ。

著書への感謝

グラ · 2017-10-11 16:09:35 UTC+9 · 投稿 #994

竹下様
近著「キリスト教は『宗教』ではない」を拝読させていただきました。
時宜に適った好著だと思います。
その意味では、2017年は豊かな年だと思います。
5月に、経産省の若手官僚らが、プロジェクトを立ち上げ、「不安な個人、立ちすくむ国家」という提言を発表しました。ダウンロードは140万件を突破したそうです。
また、8月には、朝日新聞が「激動する世界と宗教」という連続シンポジウムを企画し、第1回「宗教と資本主義・国家」、第2回「宗教と暴力」が終わりました。第3回は来年3月を予定しております。

私は、こてこての「原理主義的な福音派」ですが、もはや、プロテスタント500年を記念する気力も喪失しておりました。私の認識では、日本の福音派は絶滅危惧種です。牧師の自己保身、信徒の自己満足が、教会の私物化をもたらし、是正も予防もできないくらいの制度疲労を起こしているようです。
しかし、これは現状を批判しているのではなく、そのようにしてしまった、私が所属する教会での、私の責任を感じているということです。どこで、道を間違えてしまったのだろうと思っております。
このままでは、信仰の継承も出来ないという危機感を持っております。
加藤典洋氏は、「敗戦後論」で、バトンを渡すのではなく、バトンは一旦置いて、それを拾い上げてくれるかどうかだ、という主旨のこと書いておりましたが、その意味でも、この「ご本」は参考になります。

この「ご本」から、新しいネットワークを構築出来たら、どんなに、日本の教会(カトリック・プロテスタントを問わず)にとって有益だろうと思います。

論文

sekko · 2017-10-01 03:29:42 UTC+9 · 投稿 #993

今はすべての大学(基本的に国立大学しかないので)の論文がネットで読めて、指導教官の名とテーマが分かっているので、探せると思いますが、ミンスクの文書にアクセスできなかった例として挙げられていたので探しませんでした。
文書の公開が楽しみです。インターネットは研究者の世界を劇的に変えました。後はリテラシーの問題です。

Sekkoさま

小寄道 · 2017-10-01 02:15:52 UTC+9 · 投稿 #992

ブログ上にて直にレスポンスしていただき感激です!
ほんとにフリーメイスンは秘密結社ではないのですね。欧米文化の一翼をつかさどる正統結社におもえてきました。

ニースの日本人研究者が気になります。研究成果は、何か論文で纏められているのでしょうか?

雑誌のサイトにアクセスしました。もちろん眺めるだけですが、コンテンツはきわめて正統ですね。編集者の矜持を感じさせます。そして、とてもフランス的です。

ありがとうございました。 あ、双Gには1週間まえに予約済です!

Sekkoさま

小寄道 · 2017-09-30 14:00:37 UTC+9 · 投稿 #991

ミッシェル・セールは健在だったんですね。「社会契約」ではなく、地球と人間の共生にもとづく「自然契約」。きちんと読んでなかったこと、反省しきりです。

ところで。
フリーメイスンの雑誌、あるんですか。需要があるからでしょうけど、部数はどのくらいですか?

それにしても、旧ソ連のKGBが何ゆえに、フランス・フリーメースンの大量の文書を保管していたのでしょうか? その目的とは・・。なんかワクワクしてきました。スターリン政権下だから、資金関係の分析か? もう少し掘って下さることを希望します。では!

小寄道さま

sekko · 2017-09-09 07:04:55 UTC+9 · 投稿 #990

いえ、おっしゃっていただいたからこそ追記もできましたから助かります。

私も確かにあのコラージュには驚いたのですが、ブログにも書きましたがそういうことも含めてフリーメイスンはオーストリアの観光資源のひとつなんだなあ、と思いました。少なくとも18世紀カルチャーの王道(王侯貴族が実際いたわけですから)のひとつであって、その後ナチスドイツに征服された反動で、ナチスに迫害されたメイスンの復権にますますコンプレックスがなくなったのかとも思います。

「西洋の学生の反応」と言われても、今の時代ですから、へえっと思った学生はネットで調べてどういうタイプの言説かすぐ分かるでしょうし、最初からサブカルに詳しい学生なら別にショックも受けないと思います。

それにすべての陰謀論とか終末論がそうなのですが、頭から信じてしまっている人は、いくら反証を挙げられても、矛盾を突かれても、真相を教えられても、動じないケースがほとんどです。

カリカチュアの対象になるような有名人はそんなレッテル貼りはいちいち気にしてられないでしょうし、実害はないと思います。

誤解

小寄道 · 2017-09-08 22:15:57 UTC+9 · 投稿 #989

いやー、誤解でしたね。
「巷にあふれるいい加減な話をまず出してから真相に迫る」というコンセプトでしたか!

でも、国立図書館といえばアカデミズムの一翼を担っています。なぜ、そんな搦め手のような手順なのだろうか。

私の第一印象はこうです。
フリーメイスンの300年の歴史を回顧するような企画展であるから、多様な切り口で様々なディスプレーがある。
その一つとして、万人受けするようなカリカチュアで、あえてポップなコラージュも展示した。

「巷にあふれるいい加減な話」に、法王やドイツの元首に登場させるというメンタリティーは、日本人の私にはとても理解できません。
つまり、懐ふかいというか、興味本位だけでフリーメイスンを紹介しても、なにも動じることはないものだと、かん違いしてしまいました。

教えていただきたいのですが、フリーメイスンをあまり知らない西欧の学生がいたとして、この展示をみてどんな感想をもつと思いますか?
国立図書館がなぜ、観客の好奇心をかきたてフリーメイスンの歴史の真相に迫るのか。
やはり一般の人の認識の齟齬とか、意識の乖離があるのでしょうか。

『フリーメイスン』を読み終えたのですが、しっかり読んだとはいえなくなりました。他のご著書も読んで、それからブログなぞに書きたいと存じます。

たいへんご迷惑をおかけしました。

誤解です。

sekko · 2017-09-08 18:47:52 UTC+9 · 投稿 #988

誤解があったようなのでブログに追記をつけておきました。
他にこのように読まれる方がいるかもしれないので。
こんな写真なら、ネットでいくらでも拾えますよ。
メイスンだけでなくイルミナティとか、他の悪魔教団とか、気分の悪いのは日本にいる外国人を湯呑の持ち方などで「認定」したりする画像です。

普通の人は、ゲームとして消費する以外は、すべての陰謀論を無視することが大切です。
その中には真実があるかもしれない、という考えもあるでしょうが、ではその「真実」を知ったところで、普通の人が何か対策を立てられますか?

疑心暗鬼で生きたり被害妄想に陥ったりするよりも、最低限の「防災」知識(避難できる場所の確認とか)をチェックして前向きに生きるしかないです。

Sekko様

小寄道 · 2017-09-08 11:07:58 UTC+9 · 投稿 #987

ウィーンの国立図書館の「フリーメイスン展」には驚きました。
ポップなコラージュ作品は、国立図書館の制作なのか、それとも個人の誰かの作品でしょうか?
ウォルト・ディズニーがメイスンであることは知っていましたが、現ローマ法王やメルケル首相もそうなんですか!
帰属を知らしめる、あるいは誇ること、本人にとってどれほどの名誉があるのか、門外漢の私には全く想像におよびません。
この写真をダウンロードして使用したいのですが、構いませんか。
「フリーメイスン」を読了したので、感想をブログに書いたとき載せようかと思いまして・・。
よろしくお願いします。

小寄道さま

sekko · 2017-08-28 23:47:21 UTC+9 · 投稿 #986

ご愛読ありがとうございます。

自分の本の宣伝ばかりで気が引けますが、一神教のはじまりについては、『キリスト教の謎』の第一章に書いてあります。ご参考に。
10月発売の新書でも、ユダヤ人でユダヤ教徒だったイエスを救世主とした人がどのようにキリスト教にシフトしていくのかについて書いています。

確かに私も日本にいたころは、一神教はみな混然一体として多神教に対立するものくらいに思っていました。

フリーメイスンについても、もう書くつもりはなかったのですが、別の切り口で分かりやすくもう一冊書いてみようと思い始めています。ウィーンで見た展覧会に刺激されました。

『フリーメイスン』途中ですが

小寄道 · 2017-08-28 17:45:39 UTC+9 · 投稿 #985

ご著書の『フリーメイスン』、いま第2章を読み終えたところです。オーセンティックかつ体系的に叙述され、フリーメイスンの何たるかがよく分かります。
情報量が半端ないですし、誤解しやすい所は実に丁寧に解説されていると思いました。

第1章の初めに、外科医のカィエ氏の体験談から入ることで、生きた実例から組織としての活動内容がすんなり理解できました。
第2章は、アメリカの独立とフランス革命におけるフリーメイスンが果たした役割がいかに絶大であったか、自分の歴史観がいかに浅薄であったか思い知らされるとともに、もう一度近代化の意味を問い直したいと思っています。

それにしてもアメリカという国の成立ちは、特殊というか複雑ですね。今後は分断がかなり深刻になるでしょうし、USAとしての統治がどんなものになるか、見逃せないし不安をおぼえます。

さて、陰謀論については随所に喚起されていて、このことについては刷り込まれるように、自分の誤った理解、思い込みを訂正いたしました。
ただ、フリーメイスンという組織は、人的ネットワークと産業利益をめざしつつ、私利も包含する結社です。つまり、国家や支配層の転覆などの陰謀は画策しようとは思わないのではないか。なぜ、陰謀論は絶え間なく出てくるのか? 陰謀の最終形とはなんぞや?
ユダヤ人にしても同じで、彼らの陰謀によりいまさら単独国家をつくることは考えられない。
類まれな知能、言語能力でフリーメイスンを利用するもしないも彼らユダヤ人は自由自在でしょうし。

また、ユダヤ人の同じような組織「ブナイ・ブリス」がアメリカやフランスにもたくさんあることは知りませんでした。勉強不足を痛感!

それから、フリーメイスンのイニシエーションでは、聖書を軸にして試験するのでしょうかね。やはり宗教との親和性は、とても高いという印象です。そのへんが誤解を生む源なんですかね。この本の後で、ベスト新書も読みます。

あと疑問というより、気になったこと。、カィエ氏が17段階での儀式で、ソロモン神殿のうえのエノク神殿で発見された文字が「YHWH」でした。これはもう旧約聖書の「ヤーウェ」。ユダヤ教の唯一神「YHWH」ですが、福音書ではどういうふうな位置づけなのでしょうか?
門外漢というかど素人の知識しかなく、この辺から誤解が始まっているのでしょう。

コルトレーンがメイスンだったことは驚きました。ごりごりの宗教家というイメージだったのですが・・。
思いつくままの乱文、失礼しました。
あと、返信は結構です。全部読み終えたならば、以上の疑問はなんなく解消されると思います。では!

陰謀論

sekko · 2017-08-25 16:55:21 UTC+9 · 投稿 #984

うーん、ユダヤ人とメイスンを結びつけるのは陰謀論の言説では?

ベスト新書の『陰謀論にダマされるな!』もお読み下さい。
私のサイトの自著の紹介のところにもフリーメイスンの本と陰謀論の本の解説をしています。

また多分今発売中のサイゾーの特集にもコメントしています。(コンビニで買える?)

ネットで読めるインタビューにはこう言うのがあります。

http://tocana.jp/2017/05/post_13049_entry.html

でも、私がいくらまともなことを言っても、ノストラダムスの時と同じで、あやしいサブカル言説の洪水の中ではほぼ声が届きません……

Sekko様

小寄道 · 2017-08-25 16:27:57 UTC+9 · 投稿 #983

アメリカの独立にフリーメイスンが関与していたことは、ある種の目から鱗のような驚きです。それがフランス経由のものであることも同じで、私にとって新たな歴史の視点を見開かされた思いがあります。
近日に竹下さんの『フリーメイスン』を取り寄せて読む予定ですが楽しみです。
私のフリーメイスンに関する知識は、いわゆる都市伝説の毛の生えた程度であり、新書2,3冊を読んだぐらいです。私見では、西欧が近代化する流れのなかで、とりわけスペインと東欧でユダヤ人の大規模な移動があった。そのなかで永い歳月を経て職能集団が組織化し、技術が伝承される過程で、地域の優秀な非ユダヤ人も吸収されていった。
それが、フリーメイスンの母型であり、ドイツやネーデルランドにおいて顕著に発展し、ネットワーク化していった。またオランダと英国の密接な関係からフリーメイスンは、アングロサクソン流の強固な組織をつくった。
その程度のいい加減な知識でして、フランスのフリーメイスンについては全く知識がなく、想定を超えました。

アメリカの独立にしても自由、平等、博愛の三点セットではなく、自由、平等、人権のベースで建国されていたと思い込んでいたし、アメリカでいまだに人権思想が根付かないのも不思議な思いがありました。
私にとってフリーメイスンという組織は、その本質は損得の価値観を重視した(つまり利益ファースト)テクノクラートであり、ユダヤ思想や宗教性を感じさせる価値観や位階制があったとしても、それは二次的なものと思っていたのです。
フランスやアメリカのフリーメイスンは、損得というより精神的な価値観をもっているのでしょうか? フリーメイスンとユダヤを結びつけるものは、都市伝説といっていいのでしょうか?

「『フリーメイスン』の第二章に書いてあります」とあるように、その辺のことを含めて、とにかく竹下さんのご著書をはやく読まなくてはという思いでいっぱいです。
最後に、引用についてお許しをいただき有難うございました。現在起きているアメリカの人種偏見などの混乱を考えるうえでも、非常に参考になるような気がしております。

すみません長くなってしまいました。家を留守にしていたもので、その反動から自分の考えを思いのまま書いてしまいました。というわけで、このことの返信は結構ですから。
もし、見過ごせない間違いがあるなら、ご指摘ください。

アメリカの人種差別

sekko · 2017-08-23 01:18:10 UTC+9 · 投稿 #982

アメリカは独立戦争においては、フランスのフリーメイスン(自由・平等・博愛はフリーメイスンの標語でした)の協力を得て、普遍主義を表明していたのですが、19世紀半ばのアンチ・フリーメイスン運動を境にしてヨーロッパ起源から分かれることになりました。
人種差別や先住民問題とマッチしなかったからですね。

フランス革命型の政教分離の啓蒙思想は、不道徳で不信心、カトリックか無神論だとして退けられ、同じ階級の成人男性が集まるアングロサクソンのクラブ文化に回帰していったのです。

善きアメリカ市民共同体の利益ファースト、ですね。その辺は『フリーメイスン』第二章に書いてあります。

この掲示板は一応パブリックですから、文脈の趣旨をリスペクトしてくださる分にはやり取りを転載するのは問題ありません。



Sekko様

小寄道 · 2017-08-21 01:23:26 UTC+9 · 投稿 #981

早速の返信、感謝いたします。

アメリカ社会の現況を見るにつけ、トランプ大統領の誕生と、白人至上主義の表面化は間違いなく呼応しています。
それは宗教的な行き詰まりというより、根本的には産業経済のそれに端を発したものでしょう。
宗教と経済基盤は深く通底していて、いわばアメリカの骨格を形成している。
もしそれが崩壊する軋みを見せたら、「帝国」の力を見せるのではないか、と私は畏れています。

彼らのかつての主流秩序には、「自由、平等、博愛」のコードはありました。
特権階級や富裕層は、そのコードを揺るぎないものとして、世界に誇示し見せていた。
いま、その片鱗さえなく感じさせない。どうしたのだろう、アメリカは。

この掲示板の応答を、私のブログに部分的に引用してよろしいでしょうか?(全部なら、なおのこと希望)
ご氏名なども併せて紹介したいのですが、問題ありませんか?

なお、22日より3日間、広島に旅する予定です。書くのはその後を予定しております。
何卒、よろしくお願いします。



小寄道さま

sekko · 2017-08-20 23:34:30 UTC+9 · 投稿 #980

まったくおっしゃるとおりです。

この件は、10月に中公新書ラクレから出る予定の『キリスト教は「宗教」ではない』や、今執筆中の単行本で「神・金・革命」の偶像化の歴史を書いているものと大いに関係があるので書きだすときりがないので、ブログでは一般論に留めておきました。

前回お話した、『フリーメイスン』のジャズの歴史にもあるのですが、ともかくアメリカのプロテスタント教会というのは、黒人教会と白人教会とに分かれていた(今は建前上分かれていませんが実質的に分かれている)時点で、全然「普遍教会」でもなく、「自由・平等・博愛」の場所でもないんですね。

こう言い切ってしまうといろいろ語弊があるからこそ書いていないんですが、アメリカの中西部とか南部とかの、「普通の白人」の「宗教」は「共同体宗教」であって、氏神様を祀る町内会みたいなエスプリです。

地元の英雄だとか地元の「伝統」を維持したり復活させたりするために役立つ人物はみな崇敬されるべき「聖人」なんですよね。

アッシジのフランチェスコの平和の祈りとか太陽の賛歌と、ヴィクトル・ユゴーの革命賛歌はそっくりなんですが、ユゴーは「あらゆる宗教を廃止せよ」と言っています。社会の中で「宗教」組織という形をとる時点で、「宗教」は人間のあらゆる活動と同じく「お仲間ファースト」になるからでしょう。

その意味で、アッシジのフランチェスコのキリスト教は、「宗教」ではなかった、と言えます。ナザレのイエスが「キリスト教信者」でなかったのと同じですね。

いつか詳しく書いていくつもりです。

南部アメリカの銅像と宗教

小寄道 · 2017-08-20 22:22:12 UTC+9 · 投稿 #979

「アメリカ南部の話だけなどでは、ない」のですが、
あのエリアはどうも特有な何かがある印象をもちます。
アメリカに行ったこともないし、詳しい知識もありません。
予断を避けなければなりませんが、いわゆるアメリカの南部そしてラストベルトといわれる中西部に住む白人の人たちは、主としてキリスト教のプロテスタント系、或いは原理主義の信者が多いですよね。
そうした彼らの心性には、偶像崇拝は所与のものとしてある。

そのことと、自分たちの祖先の英雄、偉人の銅像を建てることに、なんらかの影響なり、関係はないでしょうか?
自分たちの存立基盤とか、宗教的な属性を銅像に仮託してはいないだろうか。?

南北戦争の敗戦後、そして60年代の公民権運動の実質的な敗北のとき、
先人の銅像は「雨後の竹の子」のように建てられました。

アメリカにおけるプロテスタント系キリスト教の束縛は相当なもので、
白人至上主義はそうしたものから生まれてきたのではないか、と私は考えているのですが。
的はずれ、考えすぎだったら、それはそれでいい。
竹下さんのお考えをお聞かせください。