1 2 3 4 5 6 sekko · 2017-05-18 06:51:40 UTC+9 · 投稿 #927
>>>今でも日本はそういう精神風土を引き継いでいますので、脱宗教化されたフランスと、日本が似ているのではないですかね。 私もそう思います。脱宗教しながら、冠婚葬祭を中心になんとなく昔ながらの「信心」や「宗教的心性」を実は違和感なく存続させているのは日本とフランスは似ています。 >>>2005年頃、メキシコの日系企業の工場で働いていたとき、メキシコ人工場労働者200名増員する為の採用契約で、Casado(a), Soltero(a)のほかに、Union Libreと申告している人が複数おりました。メキシコ国におけるUnion Libreの法律的意味はそのとき一応調べましたが、あとで、山川出版のフランス史の現代史の叙述のなかで、このUnion Libreが出てきまして、こういう関係の婚姻方法の人がフランスでは婚姻者の過半数に上ると知り、大変驚いた記憶があります。メキシコ国におけるUnion Libreとフランスのそれとは、背景も法律的意味も異なるのでしょうが、フランスにおけるUnion Libreとは、どのようなもので、今のフランスでもやはり主流なのでしょうか。<<< このメキシコの話に興味を覚えたのでなんと80ページの論文を読んでしまいました。非常に参考になりました。ありがとうございます。(ブログにアップしました。) フランスでのUnion Libreはもちろんメキシコのそれとはまったく違って、やはり68年五月革命以来の若者の意識の変化と、ピルや中絶の解禁や、実情に合わせた法律の整備によって急速に増えたものです。 フランスで今もカトリック教会で結婚する人が少なくないですが、離婚は多く(50%?)、教会の結婚無効を申し立てる人は少ないですから、次の結婚は事実婚にするケースもあります。 でも、今はそもそも、男女が最初に同棲する前に結婚するというのは少数派です。 別れを繰り返してかなり後で結婚する人もいますが、それでも離婚率は多いので、結婚しない方がシンプルという結果になっています。 PACSという制度のおかげで、同居者に財産を贈与することもできますし、勤務先の異動についてもカップルが別居をしないですむように便宜が図られます。 法律婚の夫婦の子供と婚外子との権利は全く同等ですし、女性が出産するために妊娠した時点でパクスと同様、判事の前で簡単に父親の認知もできます。 中南米のように低学歴低収入などという特徴はなく、むしろ高学歴高収入の男女の方がいつでも別れることができるパクスを選びます。(離婚は教会でなくとも手続きが大変でお金もかかり、パクスならどちらか一方の意志で解消できます) 日本は世界でもめずらしい「戸籍制度」のせいで、根強く結婚と出産育児がセットになっている気がします。 もともと「籍」が「個人単位」ですし、結婚してもしなくても生まれた時の姓は一生使えますし、これだけハードルが低ければ、こうなるのも自然な感じがします。
ヴェルデF · 2017-05-17 12:52:43 UTC+9 · 投稿 #926
お忙しいのに時間をさいてご返事頂き有難うございます。 政教分離という意味で理解していますが、脱宗教主義とでも言ったほうが、私個人としてはピンときます。 森さんの「神の国」は、さんざん批判されましたが、森さんの「神の国」という言葉は、宗教的な意味はないと思っています。日本の「神の国」や、日本に神社が多くあり、祭りが今も続いていることは、縄文、弥生、ヤマト、大和、律令日本国誕生という古代の歴史の流れの中での、日本の精神風土に基づいた統治方法の成立に関わる政治的意味にウエイトのある事柄だと思っています。今でも日本はそういう精神風土を引き継いでいますので、脱宗教化されたフランスと、日本が似ているのではないですかね。 さて、話は代わりますが、2005年頃、メキシコの日系企業の工場で働いていたとき、メキシコ人工場労働者200名増員する為の採用契約で、Casado(a), Soltero(a)のほかに、Union Libreと申告している人が複数おりました。メキシコ国におけるUnion Libreの法律的意味はそのとき一応調べましたが、あとで、山川出版のフランス史の現代史の叙述のなかで、このUnion Libreが出てきまして、こういう関係の婚姻方法の人がフランスでは婚姻者の過半数に上ると知り、大変驚いた記憶があります。メキシコ国におけるUnion Libreとフランスのそれとは、背景も法律的意味も異なるのでしょうが、フランスにおけるUnion Libreとは、どのようなもので、今のフランスでもやはり主流なのでしょうか。
sekko · 2017-05-17 02:20:26 UTC+9 · 投稿 #925
ここで「世俗主義」と言ったのは、政教分離の言い換えです。 アメリカやイギリスは、建前はともかく、政治的言説に簡単に「神」が出てきます。 第二次大戦でドイツの全体主義イタリアのファシズムに対してキリスト教文明を守る、と言ったのも英米でしたがフランスは絶対そういうことは言いません。第一次湾岸戦争の時にも英米は「神」の名を持ち出しましたが、ミッテラン大統領は一度も出しません。 ブログでも書きましたが、大統領の就任で聖書に誓ったり「神」という言葉を使ったり、諸宗教の代表が祝辞を述べたりというのもあり得ません。 フランスの子供がアメリカにホームステイに行く前の準備会で「アメリカの家庭はみんな日曜に教会に行くから驚かないように」と言われているのも聞いたことがあります。 その意味では、一昔前、日本でも「神の国」と口を滑らした首相がさんざん批判されたのと似ていると思いました。 私は日本のそういう非宗教的(盆や正月などの行事は別として)な大都市で生まれ育ったので、フランスに来ても違和感がなくそんなものだと思っていました。 でも実はフランスの方が「欧米」の中でかなり珍しかったのだと後で分かりました。 そういうフランスで今積極的に「神」を持ち出す人は共同体アイデンティティやイデオロギーを持つ人が多いようです。その意味では今の日本でも、「神国日本」的な言辞はイデオロギーと結びついているようなので、それも似ているなあと思っています。 ただ、『無神論』でも書きましたが、フランスの世俗主義とは、無関心とか無教養とは違って、長い間為政者の道具として利用されてきた「神」の拒否から生まれてきたものなので、安易な「新宗教」やカルトに対抗する武器にもなっています。 そういう無神論のベースには、まさに、「宗教ではないキリスト教」があることに強靭さを感じます。
ヴェルデF · 2017-05-17 01:09:15 UTC+9 · 投稿 #924
聖書は真面に読んだことはありませんし、私はキリスト教徒でもありません。フランス語は全く使えませんが、パリには数回仕事で行ったことはあり、山川出版のフランス史全3巻は読んだことはあります。ラッセル卿の西洋哲学史(市井さん訳)は何回読んでも頭に残りませんので、今では西洋哲学者人名辞典のように使っています。 今、ユダを読んでいますが、今秋発売の新書は楽しみです。 既に読ませて頂いた3冊は、又、何回か読み直しさせて頂きますが、私にとって未知の世界だったキリスト教に触れられて精神世界が広がり、又、頭に残らなかった西洋哲学が立体的に立ち上がって来そうな気配も感じます。 「フランスの世俗主義」という言葉は、よく使われる日本語ですが、世俗という日本語が手垢にまみれていて、それこそ「フランスの世俗主義」を正しく捉えた言葉になっているのだろうかと・・・。 今のフランス人から見た世界や日本、今のフランス人の世界観など、歴史を踏まえながら、紹介してもらえると嬉しいです。 、
sekko · 2017-05-15 01:12:40 UTC+9 · 投稿 #923
ご愛読ありがとうございます。 お読みいただいた本はいずれも同じ問題意識で書いたものです。 この秋には新書で「キリスト教は『宗教』ではない」というものを出す予定です。 今はその後の単行本でキリスト教と共産主義という二つのユニヴァーサリズムと、暴力と財力の関係について神・金・革命の三者の関係を書いているところです。 新書の方は、例えばインド発で日本に定着した仏教が、いろいろな翻訳や後続の経典やその教えの祖によって、また中国の荘子思想などと結びついたものなど、時として互いに共通点のない教学や哲学に分かれているにもかかわらず、なんとなく仏教だよね、と受け入れられているのに、キリスト教はいまだに「西洋の宗教」「西洋帝国主義の宗教」などとレッテルづけられることの不思議について考えて書いたものです。 キリスト教や仏教の根本にあったものからいろいろな物語が生まれていくうちに、もとにあった普遍主義が分派主義になっていくこと、どうすればその中にある普遍主義のエッセンスを取り戻すことができるのか、を考え続けています。 フランスはとても「世俗主義」が成熟した国で、その点で日本と似ているのですが、普遍主義のよすがとなる「宗派以前」のキリスト教の命脈もまだあるので、英語圏からの情報でないことを活かしてこれからも観察していきたいと思っています。
ヴェルデF · 2017-05-14 23:37:33 UTC+9 · 投稿 #922
キリスト教の謎を読みおえました。2年前読了のキリスト教の真実、半年前読了の無神論に続き3冊目でした、手許には未読のユダがあります。キリスト教と今の社会、キリスト教と哲学、聖書の世界、興味が広がります。しかし、フランス語は全く馴染みありません。
sekko · 2017-05-09 17:24:25 UTC+9 · 投稿 #921
今度は韓国の大統領選ですね。 韓国はほんとうに大変だと思います。 フランスは地政学的に見て、ある程度頭を使わないとやってこれなかった国で、日本は島国という地の利で救われることが多いですが、韓国を見ていると、もう昔から困難な立場の連続ですよね。 近代に入っても日本からの侵略や朝鮮戦争での分断で気を緩めるシーンが全くなく、儒教の縛りや公害、汚職、すべてが深刻に表出するのに、立ち向かう勇気ある人々だと感心します。 平野さんは、もう全盛期の終りに、ぜひと請われて京都で対談をしたことがあります。 その時にも、日本で日本語で世代の違う初対面の人と話すことの難しさを感じました…。
なるなる · 2017-05-09 07:34:33 UTC+9 · 投稿 #920
大統領選挙から一夜明けての感想をブログで読ませていただきました。 「知性に訴える」というのを信じている。アートには人を救う力がる。 この二つはとても大切なことだと思い、共感しています。 色々な問題はあるけれども、ワーストよりベターが選ばれたことに、 遠くから、ホッとしています。 「マチネの終わりに」(平野啓一郎、毎日新聞出版)素敵な小説でした。 加藤登紀子さんが、「何だか久しぶりに文豪の小説を読んでいるような気分になりました。」と コメントしていました。 ヨーロッパや西アジアも舞台になっています。
ひまわり · 2017-04-18 22:58:47 UTC+9 · 投稿 #919
ロザリオの件 早速お返事いただきましてありがとうございました。いろんな購入方法をお示しいただき感謝しています。国内でのロザリオの購入を考えます。ありがとうございました。
sekko · 2017-04-18 16:58:48 UTC+9 · 投稿 #918
ご愛読ありがとうございます。
ファティマのロザリオ購入、私には分かりません。
ファティマで買ったときは、12ユーロで、そのうち1ユーロが連帯活動の寄付金になるとありました。番号入りです。フランスのサイトでも売っていましたが、
http://www.etoilenotredame.org/boutique/2805-fatima-chapelet-du-centenaire 消費税と送料が加わって18ユーロと出ていました。
日本語で検索すると
http://sanpaolo.or.jp/?p=2879 2017年5月10(水)~13日(土)に、サンパウロ東京店(4階)にてロザリオフェアを開催いたします。
輸入イタリア・スペイン製のロザリオ、手編みロザリオなど、品揃え豊富に展示販売させていただきます。
お近くの方は是非お立ち寄りください。
ファチマの聖母御出現百周年記念 ロザリオフェア
日時:2017年5月10(水)~13日(土)までの4日間、11時~16時
会場:サンパウロ東京店4階フロア
お問い合わせ:電話03-3357-6497(小林)
というものはありましたが、私のものはポルトガル製なのであるかどうか分かりませんね。
ドンボスコにも美しいものがたくさんありますがほとんどイタリア製のようです。
ひまわりさんがこのロザリオを購入したい理由が
1.きれいなロザリオが好き
2.ファティマの聖母に特別な思い入れがある
3.限定アイテムのコレクションが趣味
などであれば、
1. 今はやりの黒珠のロザリオとか日本でもありますよ。
2. ファティマの聖母にお祈りすることで意味があると思うのでこのロザリオでなくても大丈夫ですよ。イタリア製でも100年記念のはあったと思いますし、月並みですが、気持ちが大切なので、ロザリオを購入したつもりでカリタスなどに寄付なさったらいかがでしょう。
3. 輸入物の通販を請け負っている業者などに仲介料を払って手に入れる。
ポルトガル在住の人(ブロガーなど)にコンタクトしてなかよくなって手に入れてもらう
などでしょうか。その前にサンパウロやドンボスコに相談なさってもいいかもしれませんね。
4. もし、ひまわりさんとファティマのこのロザリオとの関係がご本人やお知り合いの信仰の深いところに関わっていて、このロザリオによって何かが確実に救われるというインスピレーションを受けられたという場合なら、
私が購入したのは、巡礼の記念品プラス奇麗なグッズ好き、100周年グッズ持ってるよーという満足感、などという理由からなので、ひまわりさんが本当に必要としていらっしゃるのなら差し上げます。その方がファティマの聖母も喜んでくれるでしょう。
ひまわり · 2017-04-18 11:54:41 UTC+9 · 投稿 #917
初めまして。突然ですが、カトリック生活5月号の竹下さんのコーナーで紹介されていたファティマ100周年公式ロザリオを、個人でも購入できますでしょうか。
なるなる · 2017-04-17 07:23:38 UTC+9 · 投稿 #916
余り単純に結論めいたことは言えませんね。 「近さの場」から「遠さの場」、「なめらかな場」へ、まだまだこれからが楽しみです。 行きつ戻りつ理解を深めていきたいです。
sekko · 2017-04-16 17:18:54 UTC+9 · 投稿 #915
ひょっとして私が別のところで言っていることと矛盾しているのかもしれませんが、 >>>神や仏などの「大きな愛」に包まれて、人と人とは心安らかにつながりあっていけるのかもしれません<<< と書かれているのを読むと、「そんなお花畑なことが通用するわけないだろう、コプトの教会の惨事を見ても…」と復活祭の日曜日に思う自分がいます。 神や仏の「大きな愛」を可視化する意志がないと「つながりあい」はないと思います。 『現代数学への招待』第二章「近さの場」としての位相空間の話で気に入ったのは、「形はないが近さだけがある」という言い方です。 超越的な概念を可視化する方法にはいろいろあるかもしれませんが、さまざまな映像によって常に普遍に映し出されている「近さの性質」がある、というのはいわゆる「神秘体験」や超常現象や奇蹟などを考える時にも役立つと思いました。 座標の立て方によって「大きな愛」との距離を縮めたりなくしたりすることもあるということかもしれない、「近さの性質」を探るために座標を立てなくてはいけない、と思いました。 宗教や宗教体験、宗教現象は中間的概念であって、それら個々のものを対象に研究した時に、より高い立脚点、真に「人間学」へと移行するのではないかということです。 フランスに戻ってから、遅れている情報収集を取り戻したり次の本の見通しを立てたりとなかなか時間が取れませんが、第三章を読むのが楽しみです。
なるなる · 2017-04-16 05:52:22 UTC+9 · 投稿 #914
4月1日日光東照宮で電王戦二番第1局がありました。将棋の佐藤名人が 将棋ソフトポナンザに敗北しました。5月20日にある第2局の予想も佐藤名人の勝利の確率は 40%だそうです。ポナンザは1兆通りの差し手を瞬時に割り出すと言います。 今年で電王戦は最後になります。 NHKの若手アナウンサーが、「これからの将棋は、弱さと弱点を持つ人同士の対決を楽しむことになるのでしょう。」と いう趣旨のコメントしていました。 人間はちっぽけな存在で、地球上の移ろいゆくポイントに過ぎないことを確認させるニュースです。 「多様体」にしろ、神の愛(慈悲や恩の場合もあるでしょうが)によって意味づけられる必要があるのでしょうか? もう一つ、2016年までは「相続の遺留分の範囲内であれば兄弟の誰でも親の預金から引き出せる」という最高裁の判例が 「兄弟の合意がなければ遺留分の範囲内でも引き出せない」に変更されました。一応法学部を出たからと言って、 法曹でなければ、最新の判例変更をいつもカバーしているわけにはいきません。つまり、全面発達など現代では不可能で、 その道の専門家同士がお互いの支え合って生きていくしかないのが現代なのでしょうか? 現代にあって「神の居場所」があってもいいのでは?と考えられている竹下さんの主張を根拠づけるようなニュースに思われました。 神や仏などの「大きな愛」に包まれて、人と人とは心安らかにつながりあっていけるのかもしれませんね。
sekko · 2017-02-13 07:34:38 UTC+9 · 投稿 #913
そうですね。でも、Ite, missa est、っていうか、教会を出た瞬間から信仰をどう生きるかが問題ですね。教会の中の言葉や典礼やシンボルを外の世界に出すというのではなくて、どこでも、その場にいる一番立場の弱い人を助けるとか、誰かを愛することができなくても絶対にリスペクトするとか、昨日のブログにも書きましたが、望んでいる善を実行してみるとか、やはり他者との関係の中で生きないと意味がないと思います。神を愛するのと隣人を愛するのはセットになっているはずですから。 今のフランスで「アイデンティティとしてのカトリック」が政治的に利用されている風潮がありますが、キリスト教は帰属ではなくて「生き方」だと思います。 映画のロドリゴがその後どのように生きたのかはわかりませんが。 大義は死ぬためにあるのではなく生きるためにある、と思いたいです。
映画「沈黙」 · 2017-02-13 04:03:24 UTC+9 · 投稿 #912
「沈黙」観て参りました。実際に観る前からこのコメント欄に「合格」と書き込んでいましたが、実際に観たあとも私にとっては「合格」、いやそれ以上でした。 まず「映画として」、竹下先生もブログ記事でお書きになっているように、ビジュアル的にも、構成、カメラワーク…素晴らしかったです。ひとつの作品としてのまとまり、完成度を感じました(これは日本版では私にはまったく感じられなかったのです)。 ラストは、遠藤の原作にはない部分ですが、表向きの棄教とは別に心(魂)の中で持ち続ける信仰、という解釈(ですよね?)に抵抗を感じませんでした。そして、「沈黙」をあまり評価しないだけでなく、信徒に「お薦めしません」とまで言っている保守派カトリック聖職者がいる理由も分かった気がします。教会組織と教義をなんとしてでも擁護、維持しなければならない指導層にとっては、やっかいな映画かもしれません…。 それで、拡大解釈のようになるのですが、現在フランスでの日常生活において、自分たちの宗教を何かと顕示してくる人たちが目に見えて増えていくのを感じる中で、そういうのは礼拝場内と自分たちのプライベートな場所に限定してもらえないかなぁ、と思っており、私自身もそのようにしているためか、エンディングは、目に見える形式的な宗教性よりは内面の霊性を、と伝えているようで深く共感、感動しました。
sekko · 2017-02-08 01:56:20 UTC+9 · 投稿 #911
私もこのサイトの右のネコ・カフェの「犬と猫」というところに書きましたが、フランスに来るまで猫というものを触ったこともありませんでした。 フランス人はもともと猫好きですが、日本もこの頃猫ブームですね。私も猫ブログなどつい読んで、わーかわいい、と楽しんでいます。 無神論は裏宗教みたいなもので、神の非存在の証明も不可能なのですから、信仰の一種です。 で、「神はいる」と信じている人と「神はいない」と信じている人では、そこんとこを話題にすると対話は不可能ですから、そこはまあ「不可知論者」です、みたいな看板を出しておくのが共和国マナーかもしれません。 教皇は2016/12/7のtwitterで、「教会は布教によっては成長しない。アトラクション(ひきつける力)によって大きくなるのだ」と言ったそうですね。 それについて、布教は他者のあり方を否定し別のあり方を強要するもので、宣教は他者がいるところに加わることだ。キリスト者は真理の所有者ではないってコメントもありました。 無神論者という「他者」もすごく貴重ですね。
水蓮 · 2017-02-06 23:42:40 UTC+9 · 投稿 #910
そ、そんな… 「仏教とか禅の話をして尊敬させておく」というのは、私にはハードルが高すぎます。仏教については、ほとんど何も知りません。日本の某地方都市の仏教界の醜聞なら多少は知っていますが…。 そういえば、もう随分前になりますが、何かについて「こういう考え方もできますよね…」と、十字架の聖ヨハネの著書を思い浮かべながら話していたら、フランス人だったかイタリア人だったかは忘れましたが、「そうそう、わかるわ!それ、禅仏教の考え方でしょう!私、禅について勉強したことあるのよ!」と大層喜ばれてしまいました。 「教養の欠如から来ている」…確かにそういわれれば、思い当たる節があります。私のことをよく知らない欧米人(キリスト教系だが宗教離れしていたり仏教徒と名乗っているタイプ)が、キリスト教について「教えてくださる」ということがこれまでに何度かありましたが、内容がかなりいい加減で…。 「それ違ってますよ」と言い返したいのですが(実際したことが二,三度あります)アジア人に訂正されるのは想定外なのか、特にフランス人女性は、アジア人女性からの反論は許容範囲を超える?のでしょうか、そのあといや~な雰囲気になったことがあります。 猫ホイホイ畳のことは知りませんでした。日本では子供時代に犬を飼ったことが何時期がありましたが、猫はフランスに来て初めてです。日本語の「猫用語」、フミフミ、シャーする、猫砂、ツンデレ等もインターネットの文字情報で習得するまでは、独自の言葉を使っておりました。
sekko · 2017-02-06 19:39:51 UTC+9 · 投稿 #909
段ボールは何でもOKなのですが、フランスにいる日本人の猫飼いとしては憧れグッズ(私だけ?)だった猫ホイホイ畳(畳職人の手作り六角形畳)
https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/518KMNUGwDL.jpg というのを高い金を払ってわざわざ日本から持ってきてもらったのに、性格の違う二匹の猫のどちらからも意図的に避けられて写真すらとれないのはショックでした。懐かしい畳の匂いってフランスの猫は苦手なのかなあとも思いましたが、日本の猫でも来ない子はいるみたいです。犬ならご主人を喜ばすために座ってくれるかも。
インテリ・左翼・無神論系の人にはまず、仏教とか禅の話をして尊敬させておくと向こうの過剰防衛、武装がちょっと解除されますよ。まあ、それなりのテクニックがいりますが。
でも、Michel Onfrayとかを見ていても分かりますが、彼らの敵意は、結局カトリックについての基本の教養の欠如から来ているんです。先入観、偏見がありすぎて、キリスト教への「好奇心」というものが枯渇しているんですね。日本の戦国時代の大名たちの方がよほど知的好奇心に満ちていたなあ、と思います。
水蓮 · 2017-02-06 19:05:56 UTC+9 · 投稿 #908
…もちろん、私の「うちの子」は最高どころか超最高にカワイイのですが(笑)全然「芸」のない子なんです。ダンボール箱をその辺に放置しておいても、めったに入ってくれません。「スクリーン猫」になってくれる希望なしです。 インテリ・左翼・無神論系の人との議論についてですが、「向こうはイデオロギーだから疲れます」というのは、まさに!なんですが、なぜ疲れるのでしょう?一度話し出したら止まらない、ということ以外で…。彼らの、あの相手を疲れさせる「何か」の源泉は、もしかして憎悪?…ともときに思うのですが、これでは私の方が独善的になってしまっているのかなあ、とも思え…。「彼ら」の対処法を一度おききしたいです。
sekko · 2017-02-06 06:34:28 UTC+9 · 投稿 #907
・・って、何がありがとうなのかといいますと、もちろんうちの子を「最高にカワイイ」って言ってくださったことに対してです。猫飼いって、どんなに親ばかで自慢しても罪がない感じがします。猫を支配しているわけではないことが明らかだから…。 プーチンが猫を愛でている写真なんてあり得ないでしょ。クリントンもオバマもトランプも犬の「ご主人さま」だし。(007のボスが白いペルシャ猫を愛でていたのはある意味もっと怖いですが。) フランス人のインテリ・左翼・無神論系の人と議論すると向こうはイデオロギーだから疲れますよ。まあそれももう世代が変わって、今の若い人は日本人の大多数と変わらず「無関心」とか「無知」に近づきつつありますが。そんな隙にジハディストがつけ込むのだからことは重大だと思いますが。 大切なのは信仰や確信をどう生き方に反映させるかってことですよね。 他者をリスペクトする生き方にポリシーがある人を見ると、その人の「信仰」は魅力的だなあと思いますね。 私は事なかれ主義で怖がりで怠け者なのですが、私のために日夜祈ってくれるとおっしゃる方が複数いらっしゃるので、「良心をアウトソーシング」している感じですね。みなさんの期待を裏切るほどの度胸もないので、これも「殉教」の一種だったりして…。
水蓮 · 2017-02-06 03:10:19 UTC+9 · 投稿 #906
お返事ありがとうございます。日本版「沈黙」について、お書きになっていたのは知りませんでした…。 そうなんです!私も「『神の沈黙』についてはストーリーの一要素くらいにしか思えなかった」のです。また「信仰という心の問題と、踏み絵を踏むというその場限りの形」の「対称性が分からな」い、というのも、このようにピタリと表現できませんでしたが、私が踏み絵という制度が理解できないところと共通点があります。 で、現在の竹下先生のお考えはまた違うのですね。それでは、これからの記事などをお待ちしています。 「確信」については、ガーフィールドが言いたかったのはおそらく、自分の確信を他者におしつけたり、それゆえに他者を却下してしまうことが恐ろしい、ということではないかと思います。「自分の奥深くに『確信』がないとどうにもならない」というのは、本当にその通りなので、その確信を他者とのかかわりにおいてどう表現するか、使うか、ということが重要なのではと。最近、無宗教あるいは無神論者の人に、信仰を説明するように求められることが何度があったのですが、私は決して押し付けることはしないのですが、かえって相手の「確信」(=信仰は無用、神はいない、のような)の押し付け、壁が迫ってくるような感じを受けることがあり(最近話題の壁!)そう思います。 オマケ:猫ちゃん、最高にカワイイです!
sekko · 2017-02-06 00:51:47 UTC+9 · 投稿 #905
日本版の映画について、雑誌への記事の中でこうコメントしました。 「私は遠藤周作の『沈黙』を篠田正浩監督が映画化した作品を劇場公開時に観た世代だ。 映像の美しさや登場人物の苦悩やキリシタン迫害の残酷さなどに深い印象を受けたけれど、そのテーマである「神の沈黙」についてはストーリーの一要素くらいにしか思えなかった。 踏み絵を踏まないことで自分や仲間の命を危険にさらしたり、その結果、人を殺し殺させる政治のシステムを機能させ続けさせたりすることに意義は感じられず、それを大仰にうち悩む宣教師や信徒の心情も文学的レトリックに見えた。 信仰という心の問題と、踏み絵を踏むというその場限りの形とが秤の両側に置かれる対称性が分からなかったのだ。」 というものです。今は、2/3のブログで書いたように、宣教師が転んじゃいけないなあ、って、結城了悟三みたいな考えになってます。 そのためには、キリスト教徒迫害の種類と文脈を分ける必要があります。 それについては、来月の雑誌や今執筆中の本に書きます。 ブログにも少しずつ書いていきます。 英語系のインタビューとかもいくらか見ています。ガーフィルドのも見ました。イエスと交わるエクササイズがメソッドアクティングだというのは、分かりますが、彼らの信仰告白みたいなものがどう伝わるか、疑問でもあります。疑いと探求という道を進む前に、自分の奥深くに「確信」がないとどうにもならないとは思いますが…。
水蓮 · 2017-02-06 00:13:34 UTC+9 · 投稿 #904
竹下先生、こんにちは。私も「沈黙」の劇場公開を楽しみに待っています。 確か1970年代に日本の監督が「沈黙」を映画化したものをずっと後からビデオで観ましたが、製作者側がテーマを理解しないうちに作ったのか、「映画として」まとまりがなく、また(私には)緊張感も感動もなくガッカリしたのでした。日本人がこのような題材をとりあげると、欧米「受け」を狙ってしまうのか、変な「色気」が出て、単に(欧米人から観た)日本の「異国情緒の魅力」(と日本人側が思っているもの?)だけを前面にだした映画だと感じました。 …ということで、スコセッシの「沈黙」は、カトリック文化をもつ製作者による「解釈」ということで大いに期待しているのですが。 私はフランス語のカトリック系メディアは読まないのですが(Manif pour tous系みたいなのばかり?)「沈黙」の制作には、米国人イエズス会士のJames Martin神父が宗教監修としてかかわったことは報道されていますか?主人公役の二人の俳優は同神父から一年間指導を受け、聖イグナチオの霊操も、一週間完全沈黙の黙想も体験しています。「イエズス会士ならそんな言い方はしない」と、セリフの調整もかなりあったそうです。(既にご存知でしたら余計な情報でしたが。) 主演男優にひとり、Andrew Garfield アンドリュー・ガーフィールドが米国の人気TVトークショーで「沈黙」について話していました。(一般的な番組ですが、教会に行くカトリック信者で日曜学校の教師であることを「カミングアウト」しているStephen Colbertスティーブン・コルベールが司会)。英語がOKでしたらYouTubeで Andrew Garfield Went Quiet For a Week Preparing for Silence で検索してご覧下さい。スコセッシとマーティン神父の対談のビデオもYouTubeにあります。 ガーフィールドが、そのトークショーで「何についても確信しているというのはとっても恐ろしいことだ・・・信仰の生涯とは疑いの生涯でもある。確信していることで、『オレは分かってる、お前は分かってない!』とイデオロギーの戦争になってしまう」と言ったのが印象に残りました(観客も喝采)。俳優にここまで言わせた、ということで、私の中ではすでにスコセッシ版「沈黙」は合格なんですが(笑)、実際に劇場で観てどう思うことでしょう…。竹下先生のレビューを楽しみにしています。
愚者 · 2017-01-16 00:12:41 UTC+9 · 投稿 #903
ブログ「L'art de croire」の本文中にリンクをはってくださりありがとうござい ました。 L'art de croire すごく面白そうですが、なかなかゆっくり味わう余裕がなくて 残念です。 ご存知のように、今年は天皇の年頭のお言葉がなかったのですが、「象徴とし て」、「憲法に則り平和国家として」といった表現を嫌う政府が「負担軽減」 の名目で止めたのだと思います。そのような呟きをいくつか目にしました。 皇后は小学校から大学までカトリック教育を受けた方ですから、教皇や司教 団のメッセージにも関心を持っておられるでしょう。天皇皇后が容易に利用さ れない「象徴」であることは幸いでした。 最近、天皇の退位は平成29年末、秋篠宮が皇太子になる、という政府の 発表みたいなニュースを新聞で見ましたが、得意技の「有識者会議」で、 内親王が天皇になる可能性を先回りして否定しているみたいです。
1 2 3 4 5 6 旧掲示板の保存版です。ここから新しい投稿はできません。日時は日本時間(UTC+9)です。