2017年の投稿

amen

sekko · 2017-08-18 23:57:31 UTC+9 · 投稿 #978

let it be. 実は、私もそれを書きかけたのですが、ふと、過激化して自爆テロに走る人たちなどの心の中でも、いつか、「意を決する」という段階があったのかなあと想像すると、微妙な気がして…。 結局、どんな決意にしても、自他を含めて「命を粗末にする」方向には絶対に向かわないという基本枠は逸脱しないというのをまず決意しなくてはならない、ということですね。

「決意のもとに応えるという自由意志」

jean · 2017-08-18 23:00:51 UTC+9 · 投稿 #977

お告げも、そうなんでしょね。
「仰せのごとく我になれかし」。

じゃんぬさま

sekko · 2017-08-18 06:48:30 UTC+9 · 投稿 #976

そうなんです。

「決意のもとに応えるという自由意志」なんですよね。

自由意志がある、とか許されているとかいうだけでなく、「意を決する」ということに意味があるんだなあと思います。

納得するとか理解するとか単に受け入れるというよりも、「意を決する」ということによってとにもかくにも「前に進む」ということが必要な局面が人生にはありますね。

ルルドの話

sekko · 2017-08-18 06:43:14 UTC+9 · 投稿 #975

ルルドについては解説的なものでは『奇跡の泉ルルドへ』NTT出版があり、紀行文的なものには『聖女の条件』(中央公論新社)に書いています。

いろいろな思い出があります。今は洪水被害や対テロの厳戒態勢などでなんだか腰が引けていけませんが、また行ってみたいところです。

被昇天について

じゃんぬ · 2017-08-17 12:57:48 UTC+9 · 投稿 #974

被昇天について、「assumptioというのは、決意して、あるいは納得して引き受ける」という語源に基づくということ。心に響きました。引き上げられるという受動だけではなく、召出しに決意して答える、受け止めることによって、神と人との関係性が完結する相互性を想いました。

神からの愛、メッセージ(そこには自分には理解を超える出来事も含まれると思います)に決意のもとに応えるという自由意志があたえられているということですね。

8.15

小寄道 · 2017-08-17 01:10:56 UTC+9 · 投稿 #973

とても参考になり、学ぶべきこと、嬉しいことが一緒にきた感じです。
ありがとうございました。

8.15という数字は、因縁というか日本に関係する符号の多い数字ですね。
広島の原爆投下も、確か8時15分でした。
新聞連載の平和俳句という企画記事に、中学生が8.15をテーマにした句を最近投稿していて、
その時間を知ったばかりなのです。

コルトレーンの「至上の愛」もご存じなんですね。
私はいまだに好きで、偶に聴き、ベースラインは自分でも遊びで弾いています。

だいぶ前ですが、奥さんのアリス・コルトレーンと息子、そして昔の仲間たちが、
教会のようなところでライブしていた映像をみたことあります。

竹下さんの「フリーメイスン」は未読です。
絶対に読みます。

あ、ルルドの報告、読みたいです。
以前に映画に関連したルルドの記事を拝読して、印象に残っています。


聖母マリアやジャズの話

sekko · 2017-08-16 23:13:00 UTC+9 · 投稿 #972

日本に最初に宣教に来たフランシスコ・ザビエルが着いたのが1549年8月15日の被昇天祭だったので、ザビエルはすぐに日本を聖母マリアに捧げたといい、聖母マリアが日本の守護聖人となっています。東京カテドラルも聖マリア大聖堂です。

そんなもの、勝手に捧げられたって…と思いますが、フランスでもルイ13世がフランスを聖母マリアに捧げていますし、フランス、ポルトガル、アメリカ、ラテン・アメリカ、みな聖母マリアが守護聖人です。知らないところでマリアつながりの乳きょうだいみたいなものでおもしろいですね。

被爆マリアはもちろん見たことがあります。熱心な研究者から詳しいレポートをもらったこともあります。被昇天祭が終戦の日にもなったことに聖母の加護を見る人もいます。

争いの口実にされるのではなく平和のよすがとなるものなら、どんな風に使い回されても聖母は満足ではないでしょうか。

2000年前にパレスティナに生きた女性の霊みたいなものがまだ存在するのかどうかは知りませんが、昨日のルルドでの祈りなど見ていると、これまで延々と彼女に託してきた多くの人々の集合エネルギーみたいなものはいつも刷新されているような気がします。

コルトレーンは、60年代、ジャズメンが次々とイスラムに改宗した中でキリスト教の霊性をサクソで歌い続けた人で、「至上の愛」の四部構成なんて、ミサの時に使っている教会もあるそうです。アフリカ正教会というのがあって、コルトレーンは聖人扱いで、「聖コルトレーン教会」というのがサンフランシスコにあるそうです。そしてコルトレーンの音楽が典礼音楽になっているようです。
コルトレーンは神への賛美、感謝、人々を愛と平和に導くことを使命にしていました。晩年はキリスト教の神というより哲学的で理神論っぽくなっていましたが。

ジャズとフリーメイスンの関係について選書メチエの『フリーメイスン』に書いています。音楽と霊性は関係が深いですね。アメリカ音楽の多くはキリスト教の素養なしには、完全に理解できないですね。

被昇天祭

小寄道 · 2017-08-16 17:43:53 UTC+9 · 投稿 #971

聖母マリアの被昇天祭は、日本の終戦記念日と同じ8月15日だったのですね。
先日、長崎の原発関連のNHKドキュメンタリーを見ました。
8月9日のそれは長崎市の中心部ではなく、カトリック信者や被差別部落民が多く住む浦上地区上空で炸裂しました。
異端の信者と被差別民の相克をテーマにしたドキュメントでもあったのですが、長崎の被曝が広島ほどに知られていない事情が初めてわかりました。後年、ヨハネ・パウロ2世が同地区を訪問した映像もありました。

もっとも印象的だったのが、焼け残った「被爆マリア」の頭像です。とても痛々しいのですが神々しくて美しい。
心打たれるマリア像ですが、竹下さんは見に行かれましたか?

余談ですが、若いときジャズのコルトレーンをよく聴きました。
Ascensionという凄いアルバムがあるのですが、「キリストの昇天祭」のことに触れた評論家はいませんでしたね。
ジャズ喫茶で偶然知り合った人から、あれは祈りながら聴くと良いと言われたことがあります。
約40年後のいま、得心しました。

秋の東京の演奏会

吉岡 隆 · 2017-08-10 23:28:00 UTC+9 · 投稿 #970

演奏会のお誘いありがとうございます
10/29の予約をメールしました

>コード進行をベースラインで確認するって、バロックの通奏低音の練習と似ていますね。
ブルースのコード進行でいろんな旋律を想定してベースラインを格好良く弾くという練習で、
ラインのいろんなパターンを作りおきしておいて、いざ合奏するときに
周りの音に一番フィットするパターンを当てはめていくことを想定した練習です。
バロックもそうかもしれませんが、ジャズの場合、リズムはドラム、コード進行をベースが
周りの主旋律奏者に感じさせることが必要なので、いまコード進行のどこを演奏しているかを
ベースのラインで判別できて、且つ次にくる和音(コード)をも感じさせるようなラインが最高なのですが
なかなか難しいです。

クラシック音楽は譜面通り演奏するとばかり思っていましたが
バロックの場合は演奏者がそのときの演奏に合わせてアドリブで弾くのでしょうか?
しょうも無い質問ですみません

演奏会楽しみにしています

吉岡

吉岡さま

sekko · 2017-08-10 17:29:06 UTC+9 · 投稿 #969

コード進行をベースラインで確認するって、バロックの通奏低音の練習と似ていますね。

そのうちブログにも載せますが、私のトリオが多分これで最後の日本での演奏を秋に計画しているので、お時間が合えばぜひいらしてください。

東京では、ギャラリーが30名、真生会館が60名と小規模なので、先着予約がいっぱいになれば締め切ります。

10/21 東小金井の双ギャラリー 5h pm
10/28 信濃町 真生会館 7h pm
10/29 同上 2h pm (バロック音楽童話の実演)

お申し込みの方は下のメールアドレスに、日付といらっしゃる方の人数とお名前をお送りください。この掲示板を見ている他の方ももちろん歓迎です。
後日、ブログにも、トリオ・ニテティスのブログにも両方載せます。
主催者にお知らせしてコンファームします。

trionitetis@gmail.com

ご返事恐縮です

吉岡 隆 · 2017-08-10 12:12:41 UTC+9 · 投稿 #968

早速のご返事ありがとうございます

仕事はソフトウエア開発で音楽とは縁がありません。
趣味でたまにエレキベースでジャズのブルースのコード進行のベースラインを練習する程度です。

ご返事の引用されている文章を読みました。
知らないことばかりで興味津々楽しませて頂きました。
そして恥ずかしくなりました。釈迦に説法の気分です。

将来音源を全パート音符化(調律も含めて)できるAIソフトが開発されたら、
ジェンキンスさんの音源を入力して音楽的にどういうアプローチをしたのか評価したいものです。
そこに何かしら規則性があったりすれば面白いのですが、
どんな調律のどんな音階からも外れていて、やはりほんもののただの音痴だった
ってことになるのでしょう。

お付き合いありがとうございました。

吉岡 隆

吉岡 隆さま

sekko · 2017-08-10 05:44:20 UTC+9 · 投稿 #967

吉岡さんは音楽家、または音楽の先生ですか?

私は、ほんとにこのマルグリットの映画は、音楽を教える者にとって必見だと思いました。これについて仲間といろいろ話したのですが、日本人と話したことはありません。日本の音楽の先生とかならどう思うのかなあ、と今あらためて想像しています。
私のブログ内検索でオリバー・サックスを探してくださればいろいろでてきますが、この本は確か今は日本でも訳されていたと思います。

http://spinou.exblog.jp/10901490/
http://spinou.exblog.jp/10947149/
http://spinou.exblog.jp/10719780/

で、サックスの本を読んでいたら、音楽障害にはいろいろなものがあり、複合的なものもあるし、マルグリットもその一つの例だとは思います。

ジェンキンスの方は、マダム・フローレンス評 http://spinou.exblog.jp/25792117/
でも書きましたが、また別のケースだった気がします。

だから、倍音を歌っているとか、シュール・レアリズムの表現とかの解釈は穿ちすぎかなあとも思います。

別の記事http://spinou.exblog.jp/13093307/ に、ヴィオラを弾きながら別のメロディを頭の中で想起できないことをはじめて知ったことを書きました。

最近は、哲学者で音楽学者のジャンケレヴィッチが毎日2 時間ピアノを弾く優秀なピアニストだったのに、暗譜ができないのでプロの演奏家になれなかったというのを知りました。私も暗譜がとても苦手なので、こんな人もいるのだ、暗譜の能力は演奏の腕前とも練習量とも関係がないのだと知りました。
ピアニストが暗譜で弾くようになったのは、コンサートが「産業」として成立して以来の現象です。暗譜で弾いてみせるということ自体がプロとしての商品価値の一部になったからです。音楽学校の試験はどこでも暗譜が課せられていますし。
私は生徒に発表会でも楽譜をおいたままでOKとしています。
ひょっとして、今の世の中には、名演奏家でも暗譜の能力がなくてプロになれなかった人が結構いるのかもしれません。
バロック曲やアンサンブルは楽譜があっても普通ですが、今や、私自身も、クラシックのピアニストが楽譜を見て弾くとなんだかがっかりするくらいに、暗譜の能力と演奏能力がセットになってしまっています。http://spinou.exblog.jp/10859882/

吉岡さんがコメントしてくださったおかげで、あらためていろんな記事を読み返して、自分が平凡ながらこれと言った音楽障害のないことのありがたさをしみじみと感謝する気分になりました。

ウィーンから帰ってきました。

sekko · 2017-08-10 05:42:54 UTC+9 · 投稿 #966

ウィーンのことをいろいろ書こうとしているのにブログはどんどん別の話題にそれています。
昔は旅行に行くたびにノートに毎日記録を取っていたのに、今は写真を撮るだけで、後は少しずつブログに記録していけばいいや、と思っているうちに日が経ちそうで焦ります。

ウィーンは私が最初にフランスに住んだ時に兄がウィーン大学の博士課程にいたのでよく行き来していたのに当時は東駅からの簡易寝台列車でヨーロッパ内を動く時に飛行機を使ったこともなく、隔世の感です。今も飛行機は嫌いですが、なんだか残り時間が少なくなってきたので、往復の時間がもったいなくなって飛行機ばかりになりました。

今からは仕事に集中する予定です。涼しくなって助かっています。

『偉大なるマルグリット』

吉岡 隆 · 2017-08-10 00:34:41 UTC+9 · 投稿 #965

竹下さんの書かれた『偉大なるマルグリット』グザヴィエ・ジャノリとカトリーヌ・フロを読ませて頂きました。コメントが素晴らしく嬉しくなっていろいろ考えてしまいました。

音痴で歌うことについて
思いついたことを以下に書きます。妄想かもしれません。

1.譜面の歌の音程の倍音を歌っているのかも?
音は単音であっても基音と倍音があり、基音から外れると音痴に聞こえてしまうらしいのですがもしかしたら、彼女の頭の中では、倍音の方が心地良いと感じている。もしくはプロ(彼女がお手本としているレコードの歌手)の歌を聞いても、倍音成分のところを聞いてしまいそれを歌っている。ということが起きていて、その倍音を発声してしまうことが原因なのではないか?
『フローレンス・フォスター・ ジェンキンス』のレコードの音を分析すればわかるかもしれません。

2.シュールレアリスム的表現かも
竹下さんも指摘されています
『指定されている音を演奏者が外すことは、「失敗」であり』
ですが、
『フローレンス・フォスター・ ジェンキンス』にはその認識が無い為
無意識にシュールレアリスム的表現をしてしまった。なので、あの倒れる前に音痴でなく歌うシーンがあります
『最後のクライマックスにおいて、最後の最後、一瞬、音程を外さずに歌う』
これは、倒れる前に、意識が混濁したために、シュールレアリスム的に歌うことを失してつい譜面通りに歌ってしまった。

3.最後に音を感じる構造について
人間の聴覚、視覚、などは入ってきた信号を脳で感覚を得るわけですが、一部にはそのセンサが普通と異なるか、脳が異なるのか、(例えが悪いのですが)視覚で言えば色弱など、同じように見えない視覚を持つ人もいるので、もしかしたら、彼女の聴覚には普通とは異なる感覚があったのではないか?


なんてことをつらつら考えてみました。

地球のため

小寄道 · 2017-08-03 13:14:56 UTC+9 · 投稿 #964

「地球のために何ができるか?」は、我が身に照らしても重要なテーマです。
この切実なテーマは、地球が危機に瀕しているというより、人類がいま抱えている終末観に直結しています。
前回から竹下さんは、世俗的な地平から宗教の普遍主義にソリューションを求める方向にシフトされました。

それは、キリストの愛に支えれた包摂力、その解でしょうか。
ユダヤの包括型普遍主義よりも、民族・言語に縛られない拡大型普遍主義のキリスト教。
福音という救済の方法は、いまでも可視化され人々に力を与えています。

(毎週火曜日必ず、私用で上野公園を通るのですが、たくさんのホームレスはじめ困った方々に食事と服などを配給している光景をみかけます。
ほんとに大勢の人が公園に集まり、何重もの人垣、人の列ができます。讃美歌を聞きながら、私は自転車で走り通りすぎるだけですが・・)

私は、信仰をもつ身ではありませんので、偉そうなことは何も言えません。
でも、神のコトバは聞きたいと思います。世界共通のコトバでなぜ話してくれないのか。
ムハンマドは、拡大型の普遍主義を見限ったのか、やはり神の啓示を受けたのか?
純粋系包括普遍主義に再帰したイスラームも拡大型普遍主義をめざしたのだが、原理主義の壁にぶつかっている。

46億年の歳月を経た地球は、はたして悲鳴をあげているんだろうか?
人類の歴史なんて一瞬の泡沫に過ぎないが、神のコトバはほんとに私たち人類に向けられているのか。

ユダヤ人のレヴィ・ストロースが言いましたよね。
「人間が作りだしたものはすべて消えて残らないだろう。それを知った上でも働き、知り、努力しなければならない」と。
今のところ、彼のそう残した言葉が、私にとって「神ってる」コトバなんですよ。

10月にでる新書、ほんとに楽しみしてます。

誤解ですよ

sekko · 2017-08-01 15:48:58 UTC+9 · 投稿 #963

小寄道様って、そんな繊細な方なんですね!

前回のお話もとても興味深かったですよ。奥様への対応もほほえましくて。

私には「逆鱗」なんて基本的にありません。
そんなものあったら、こういう仕事してないタイプです。

侮辱とかにもわりと鈍感です。考え込む方向に落とし込まれます。

小寄道さんのコメントにすぐ反応しなかったのは、数日前からウィーンにいて、朝から出回っていて、夜は毎日コンサート三昧だからです。

そのうち発信します。

ここでおしゃべりをしてくださる皆さん、ここは気軽なところなので、いわゆる「横レス」もOKで、勝手に意見交換をしてくださって大丈夫です。独り言でも結構です。私は必ず読みますが差し迫った質問でない限り、その時の状況でそのままということもいままでもあります。もちろん、突然不毛な陰謀論とか貼り付けて来る人もいるのでそれは削除しています。

「地球シリーズ」も、あと3回分、最後までできているので随時upしますね。

ここで書いてくださる方の感想はみな参考になります。

ネットでのエゴサーチは消耗させられるものの方が多いのでしませんから。

では、どういうわけかパリよりずっと暑いウィーンの街に繰り出します。





山谷園の片隅にて

小寄道 · 2017-08-01 11:27:55 UTC+9 · 投稿 #962

Sekkoさまへ
「うーん」の反応もなく、ひたすら厳しい「しかと」。
反省しております。フェティシズムの逆鱗にふれるような心ない言葉を書いてしまいました。
お詫び申し上げます。

男にとって都合のいい能力主義を、上司としての女性にあてはめて勝手な判断。そして妄想。
配慮にかけた文言であり、竹下さまに対しても侮辱するものだったのでしょう。ごめんなさい。

いま、わたしは山谷園にいます。
「どうぞお気軽に書き込んでくさい」というSekkoさまの優しいお誘い。
それが「山」だとすれば、無視され放棄された状態は「谷」の状態。
「歓び」から「哀しみ」に一気に落とされた状態を「山谷園」という。
東京のごく一部の女子の流行りコトバだそうです。

山谷園からいつか抜け出たい、そんな気持ちでいっぱいです。

「地球のためになにができるか」のその後も楽しみですが、
スゥエーデンの記事の最後、総論と各論の関係から
「日本国憲法の前文と中身もそんな関係だったりして」という結句、竹下さんならではの慧眼ですね。

あの前文にはまさしくマッカーサーの意向、祈り、日本人の報復の恐怖などが凝縮され、かつ欧米の憲法典のエッセンスが入っています。
まさに、私もいまそのことでブログを書いていて、苦労している最中でした。

それでびっくりし、それに乗じて先の失礼をお詫びしつつ、再びまたここに書き込みをいたしました。

フランスの夏の暑さはいかかですか? では、ごきげんよう。


すみません

瑠璃緒 · 2017-07-30 06:06:07 UTC+9 · 投稿 #961

竹下さん、

お忙しいのに余計なリンク先ばかり送ってしまって申し訳ありませんでした。
わたしが「くるねこ大和」に捕まってしまいました! まんがも味があっていいですね。

本日のテーマ、面白かったです。
Swedenには行ったことはありませんが、そんなお国事情なんですね。
地理的に移民が少なく、国を維持するにあたって移民を受け入れるメリットも感じているのかな、なんて思ったりしました。
続き、楽しみにしています。


もし、私に女性上司がいたら

小寄道 · 2017-07-29 16:05:40 UTC+9 · 投稿 #960

女性上司と男性の部下のやりとりの話、面白かったですね。
実際にはそんなシチュエーションを経験してませんが、私が部下だとしたらこうです。

ちょっと間があって、端的に要点だけを話してくれたら、その女上司を尊敬し、苦境に陥ったら頑張って支え、盛り立てますね。

「女性に話す時の半分の言葉の量」のさらにその半分の量ぐらいに凝縮し、伝達と命令内容を極限まで絞ったエッセンスにしてもらわないとだめですけど。
できる女性でも、論理的かつ丁寧に話していると自覚すると、たいていは陶酔して言葉が多くなります。これは男もそういう傾向にあるかな。

とにかく、ギリギリまで言葉を絞り込んだ、合理性のある言葉はカッコいいですよ。それが女性上司だとしたら・・。とにかくそんな女性はまず頭がいい、そして理知的だ。理想の女上司でしょ。
テレビドラマにありそうな設定ですが、たぶん余計なしぐさ、あるいは男を擽る的なセリフを演出家はいれこみますけどね。
話す前のタメ、終わった後の余韻も、その女優にいらない演出(セクシーっぽい)をするだろうな、いまの日本のTVは・・。

毎日、ブログをアップするのもたいへんじゃないですか?
それを信条にしているブロガーも結構いますが、余計な心配ですか、とにかくご自愛ください。

妻のことですが、私への要望、駄目だしは整理し、小出しに言ってくれと伝えています。
お互いに簡潔につたえあう、理性的に。
と、心がけていますが、年をとってもなかなか難しいこっちゃ! ですね。


小寄道さま

sekko · 2017-07-29 02:30:24 UTC+9 · 投稿 #959

ブログの続きもの、また中断してすみません。

なんか、具体的に「読者」がコメントしてくださると責任感じてしまいますよ。

奥さまの「きつい目」というのが笑えました。

ネットで読んだ日本の雑誌で、女性上司が男性の部下に指示する時に心得るべきこと、というのがあって、確か、

「男性に話す時は、まず名前を呼んで、相手がこちらを見てから3秒待って、女性に話す時の半分の言葉の量で話すこと」

みたいなのがありました。これは女性が男の連れ合いに話す時にも応用すべきだともありました。

多くのカップルで「えっ、あなた、私の話、聞いてなかったの!」と女性が不満を言うが、男性は、わざと無視したのでなく、聞いて理解するにはあらかじめそれに注意を向けなくてはならないからだ、というのです。

別に小寄道さんのことじゃないですよ。なんとなく連想したのです。知人のTVディレクター(もうリタイアしましたが)が、「うちに帰ったら、ご飯をこぼしたとか言って奥さんから叱られている」とか言ってたことがあったからです。フランス人の男性から日本人の女性二人が話しているのを聞いたら機関銃だ、と評されたこともありました。
なるほどと、思い当たることもあります。

私の場合、実名で書いているからこそ、軽率に他人の批判とかしないように気をつけています。だからこそtwitterとかfacebookもやりませんし、めったに読むこともありません。

今、移動中でいろいろな雑誌を読んでいるので、考えることがたくさんできて、考えがあちこちにとびます。ブログに書いておくもの、今書いている本に使えるもの、依頼原稿や連載原稿に使えるもの、と頭の中で仕分けしているうちにフュージョンしたり。来週は写真を中心にアップしようと思います。

瑠璃緒さま

sekko · 2017-07-29 02:07:40 UTC+9 · 投稿 #958

マンガのサイト、見ました。今はネットでいろいろなマンガが読めますね。

私は猫専門4コママンガの雑誌とかも日本で時々買って持ってきます。最初に日本の猫マンガにはまったのは、1980年代に父が『What's Michael?』の単行本をフランスに持ってきた時です。フランス人の友達にも見せたりしていましたが、まさかその後フランス語に訳されるとは思いもしませんでした。猫マンガ雑誌にも、独身男性と猫のテーマがたまにあります。(ウサギというのも有名でした。)

でも、前にも書きましたが、きりがないので猫ビデオもネットの猫マンガも今はほとんど封印していますし、ここ数年は、『ビッグコミック・オリジナル』(日本で買ったり持ってきてもらったもの)すら「積ん読」状態で、日本語の小説やミステリー本もたまるばかりでなかなか読めません。

猫マンガブログで毎日読んでいるのはついに「くるねこ大和」さんだけになりました。
でも、その「毎日」感が楽しみなので、私もここのところ毎日ブログになっているわけです。

フランスの造船所の「国有化」の話、イタリアとかなり険悪になっていますね。
まあ、労働者の不安を払拭するのが優先というのは分からないでもないですが。
全難民に住居を提供するとか、その代わりリビアにホットスポットを設けるとか、混迷ぶりも感じます。

理念や理想があること、そしてそれを「行動に移す」権力を手に入れてさえ、全世界が有機的複合的につながっている今の時代に何かを有効に変えることは困難です。だとしたら、やはり普通の人は「とりあえずできること」を実践するしかないような気もします。

でも、自分の半径数メートルで見かける「弱者」にさえ、手を差しのべるべきなのかどうかの判別がつかない私です。(通りやメトロでの物乞いだとか、スーパーのレジで私の後ろに並んでいるお年寄りに順番を譲るとか…)

電気のないところでなんて絶対に暮らせないし。

それでも何とか快適に暮らせている状態を無駄にしないで誰かの役に立つことに還元しようとは思っています。
フランスもだんだんアメリカ化してきましたが、それでも、いまだに「弱者にやさしい国」(だから力ある若者が離反していく…)の名残はあるので助かります。

相撲部屋に行きたい

瑠璃緒 · 2017-07-28 07:40:25 UTC+9 · 投稿 #957

竹下さん、早速相撲部屋のねこ達をみてくださり、ありがとうございました。

実は相撲はあまり良く知らなかったので、国技に興味が持て、ねこ君たちに感謝しています。
土俵の上では力士ですが、普段は年頃の若者というのが、相撲をより身近に感じさせてもらった気がします。

ムギ君、大柄みたいですが、お相撲さんの中にいるとも可愛い「もふもふねこ」にしか見えません。モル君の堂々たる姿も好きですが、ムギ君の哀愁に心を鷲掴みされました。
スーツケースで涙目になっていたのは、やはり、本当に寂しさを表していたのでしょうか?

ねこは人間以上に感受性が高いと思います。残念ながらどうぶつは飼ったことがないのですが
飼いねこ、いぬは声帯の関係上しゃべれないものの、人間の言葉をほぼ理解していると思ってます。長年住んでいれば、音として認識していてもおかしくないと思います。人間の赤ちゃんだって耳から覚えるわけですから、況やどうぶつをや。
いぬは忠誠心に溢れ、ねこはツンデレ具合が絶妙なんでしょうね・・・

相撲、いつか本物を見てみたいです。色々な意味で暫くパリ場所はないでしょうね。
次回帰省の際は、先ずは荒汐部屋に行き、相撲の「す」を手に入れたいと思います。

動画やネット、本もですが、途中でやめられない精神状態というか、心理状態のメカニズムを知りたいです。そういう意味で竹下さんのブログは毎日1つなので、中毒性がなくて助かっています(笑)。

本日のニュース。造船所の一時国有化。民営化しか知らないのでマクロン政権の斬新さが輝いて見えます。

日々ニュースをみていましたが、嫌なニュースばかりで一時見るのをやめました。
でも、マクロン政権になってから毎日真新しい動きがあって楽しいです。

今の社会、痛みを共わなければ立て直せないのはわかっていますが、
必要だと思えるところに予算を使ってもらえるなら、今より国に払う額が増えてもいいとさえ思えます。

エコに関してはディーゼル、ガソリン車廃止という抜本的な案に度肝を抜かれました。
電気=原子力発電、どうするのかとは思いますが、強制的に廃止しない限り何の解決もなく年月が経ってしまうから、抜本的過ぎますが自動車産業の盛んなフランスがやるというなら、やれるだろうと確信しています。

折しも海水に浮かべるられる風力発電のタービンの実施化も報道され、大西洋沖合に浮かべる構想もあるのかと思いました。

明らかに電気代が上がってキツイです。でも、節電することを考えようなればエコに繋がると思います。
電気をなくすわけにいかない今、1人1人が、どこかで何かを減らせば、全体的に少しは改善されるのかなと思います。

独身男性漫画家が同居のねこ達に理不尽な思いをさせられている面白いマンガのサイト添付しました。おヒマまたはお疲れの時に読んでみてください。飼い主さんがヤラっぱなしで怒っていますが、愛情が丸見えで楽しいです。

齟齬もまた議論のはじまり

小寄道 · 2017-07-28 02:10:38 UTC+9 · 投稿 #956

ますます面白くなってきた「地球のために何ができる? 」
広告代理店大手のピュブリシスの資本の10%を所有して10億ドル以上の資産を持つバダンテールは、なんかダイナマイトを発明したノーベルのように思えてきました。

人殺しのために、ノーベルはダイナマイトを作ったのではない。
あたかもシュペングラーの経済学のようだ。創造的破壊こそイノベーションという思想。
ノーベルのはつまり、爆破によるリノベーション思想。未来を切り開くインフラ・ストラクチャーの建設こそ近代化の礎。
書いててこそばゆくなりますが、まさにノーベルは自分の理想を実現して大富豪になった。

しかし、ダイナマイトの破壊力は、桁違いの殺傷能力であった。現実の戦争におけるダイナマイトの使われ方をみて、ノーベルは贖罪意識から「ノーベル賞」をつくった、たぶん。贖罪を志向しただけでも、ノーベルは立派ですし、彼を軽々に批判できません。

バダンテール女史も、ノーベルに似通った立場にあるのではないですか。
その辺の微妙なところは、フランス社会で暮らさないと分からないのでしょうね。広告って、企業の成長、利益活動による何%だとして規定されています。
贖罪するほどの資産をもてないと思いますが、西洋の階級社会では違うのでしょうか。しかし資産10億ドルは凄いな。

知識人はアンガージュマンするのだ、という社会的プレザンスは今もなお影響力をもっていますか?

私には想像の範囲をこえます。「アベル症候群」で若干の齟齬がありました。多少の誤解や私の思い込みもありました。

でも、いいものですよね。喰い違い、ちゃらんぽらん。そこから面白い発想、楽しい議論がはじまる。
竹下さんに、いろいろいじっていただき、実は毎日興奮しっぱなしなんです。妻がいい加減にしなさいと・・いつものきつい目が。


竹下さんは藤永茂さんのブログもお読みでしたか。私は日本語のネット記事しか読んでいないので、お二人の情報源の信憑性を相対化することができません。
でも、藤永さんのエクリチュールの説得力は強く、情報の確度はともかくとして、傾聴に値するものだと思っています。

最後に、「行動力のなさ」が罪悪感のもとということですが、その深い意味は想像するしかありません。

竹下さんは実名で「考えていること」、「言うべきこと」を、「書いている」のですよ。それこそが行動じゃないですか!
私なんか狭い日本の中で、言いたいことを匿名のブログで書いているだけですから・・。
この身を切り裂きたいほどの罪悪感を感じてしまいます。 なんとかしてくださいね。

アベル症候群

sekko · 2017-07-27 19:26:06 UTC+9 · 投稿 #955

アベル症候群についてのこの論文は、日本語で検索したらwikiなど手軽なものがなかったので拝借しただけで、私は論文の全体を読んでいません。ちらっと眼を通しただけです。

私はアベル症候群という言葉を別のところでも使ったと思いますが、修道女の研究をしている時に出会ったものです。もちろん「カインとアベル」から来ているのですが、普通、「出家」するなんて、俗人から見れば、なんだか世をはかなんで、とか、娑婆で生活する能力がないとか、失うものがない、みたいな感じがするではないですか。それなのに、若くて美しい良家の子女やなどがどうして観想型修道院に閉じこもるのか、そこには病理はないのか、と調べていました。すると、カトリック教会は長い歴史の中で「学習」したのか、そういう精神的に不安定な修道志願者を分別しチェックするいろいろなノウハウがあることが分かりました。その中で「アベル症候群」があったのです。

で、別に「富裕」に限ったわけではなく、「カイン」との関係にあるように、同じ状況の中でなぜだか自分だけえこひいきされている(運命に、親に…)と感じる人の罪悪感のようなのです。
私はもちろん「富裕」という点でバダンテールと比べているわけではありません。(バダンテールはアベル症候群とは縁がないでしょうが)

でも、たとえば戦地の難民と私との差に比べたら、バダンテールやゲイツと私の差はないに等しいでしょう。量の差と質の差の違いです。

起きて半畳、寝て一畳、といいますが、快眠するのに黄金のベッドは要らないし、金持ちが人の倍、飲み食いできるわけでもない。贅沢をしたければシャトーホテルにでもたまに行って(使用人へなどの)責任なく過ごし、たまにミシュラン星付きレストランに行ける方が、「誰にでもわかる富裕者」よりはるかに気楽だと個人的には思います。

でも内戦地や、独裁者の国にいたり、国や家を捨てて逃げざるを得ない人々に突き付けられている「悪」はまったく違います。(与えられた生を安全にまっとうする権利をさまたげるものは「悪」という認識で)

で、そういう他者の不運の知識が私の「罪悪感」の根本で、子供の頃からあったので、「達成の罪悪感」というのは違うと思います。(論文をちゃんと読んでないので分かりませんが)
達成というのは目標を前提としているのではないかと思いますし、第一、人生に「達成感」もないし、目標もないです。そういう意味では「オッサン」脳に関わらず、まったく競争心とかもないので。

まあ普通の意味で、自分勝手、わがまま、甘えるのが平気、いろいろな人を傷つけてきたなあ、という自覚があるので、そして、そういう自覚を促してくれるような「聖人」(スピヌーも含めて)に出会ってきたからというのもあります。

ただ、「地球を救えるか?」に関しては、「考えているだけ」、「言っているだけ」、「書いているだけ」でいいのか? という「行動力のなさ」が罪悪感のもとです。
でもそれが最近解消したのです。そのことについて引き続きブログに書いていきます。

Sekko様

小寄道 · 2017-07-27 13:04:47 UTC+9 · 投稿 #954

バタンテール女史のその後が気になってブログを拝見したら、クリストファー・ノーランの映画「ダンケルク」でした。これでもう竹下さんの脳内は完全に「男性脳」であることが証明されました。日本公開は9月9日らしいですが、フランス・ベルギーでの公開が先行されたみたいですね。ご招待で観に行ったのか、自ら行ったのか、どちらかが気になります。私はノーランが好きです。
97歳の元イギリス兵士のエピソードを拾っていらっしゃいましたが、これはもう男女の関係ない、ひとりの人間として平和を希求する竹下さんらしさを感じました。
70年以上もそれなりの効力があったのですから、憲法9条の文言を今さら弄ってもしょうがないです。日米関係をどう見つめていくかですよ、トランプ以降も含めて・・。

さて、前回の話題で「アベル症候群になってもよさそうな」ご自身の罪悪感のようなもの、つまり恵まれてきた境遇やら犠牲なくして語れない立場(フェティシズム)などから来る「後ろめたさ」でしょうか。竹下さんが紹介なさっていた「共感との関連からみた罪悪感:発達的観点から」という高森さんの小論文をざっと読みました。
人間って、他者の苦痛に共感したり、共有しようとする心理や行動は、ほぼ2歳ころから始まるんですね。それで対人的な罪悪感も、幼児つまり自己鏡像認識段階から発達するということ。
この人間関係を起源とした罪悪感はさまざまありましたが、竹下さんはご自分とバタンテール女史をおなじラインで考えている気がしますけど・・。
失礼になったら今から謝ります。竹下さんは他人が羨むほど、裕福で恵まれた生活をおくっていらっしゃるのですか? 確かにやっかむ人はいるはいるでしょうけど、多くの人は竹下さんの実績やら仕事をみれば当然のことだと思いますが・・。
高森氏の論文では「アベル症候群」は5番目の「富裕の罪悪感」で論じられています。竹下さんがもし罪悪感のようなものがあるとしたら、私は4番目の「達成の罪悪感」に該当するのではないかと考えております。失礼にあたったらご免なさい。

この罪悪感が、幼児期での発達心理学の応用において、身障者差別や戦争への忌避につながっていかないかと夢想してしまいました。高森氏の一連の論文はいまから10年以上前のもので、ご著書もないようですが・・。竹下さんは別のなにかご存知ですか?

気軽にどうぞというお墨付きをいただきましたので、また長文を書き込んでしまいました。